原題:Carry On My Wayward Son
■「Leftoverture 」(永遠の序曲)収録
迷える若者よ そのまま行くが良い
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
かつて僕は騒音と混沌から上を目指した
この幻影の向こうを垣間見ようとして
僕はさらに高みへと上がり続けた でもあまりに高く飛びすぎたんだ
僕の両目は 僕がまだ盲目だとわかったはずなのに
僕の心は 僕がまだ狂人だと思っていたはずなのに
夢を見ている時に声が聞こえてくるんだ こう言う声が聞こえるんだ
迷える若者よ そのまま行くが良い
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
理性のある人間を装い
へたな芝居は季節行事になった
もし賢い人間であると主張したら それこそ無知というものだ
揺れ動く感情の荒海で
翻弄され 大洋に浮かぶ船のようだ
幸運の風を求めて進路を定める でもこう言う声が聞こえるんだ
迷える若者よ そのまま行くが良い
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
そのまま進め お前はいつも忘れないでいるだろう
そのまま進め 輝きに匹敵するものなんてないと
今 お前の人生は 空虚なんかではない
間違いなく 天国がお前を待っているだろう
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Once I rose above the noise and confusion
Just to get a glimpse beyond this illusion
I was soaring ever higher
But I flew too high
Though my eyes could see I still was a blind man
Though my mind could think I still was a mad man
I hear the voices when I'm dreaming
I can hear them say
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Masquerading as a man with a reason
My charade is the event of the season
And if I claim to be a wise man, well
It surely means that I don't know
On a stormy sea of moving emotion
Tossed about I'm like a ship on the ocean
I set a course for winds of fortune
But I hear the voices say
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Carry on, you will always remember
Carry on, nothing equals the splendor
Now your life's no longer empty
Surely heaven waits for you
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry (don't you cry no more)
【解説】
アメリカのバンド、カンサス(Kansas:カンザスと濁るのが本来の発音)が1976年に発表した「永遠の序曲 (Leftoverture)」の最初の曲である。カンサスは6人メンバー、ベースとドラムス以外に、バイオリン、そしてリードボーカル兼キーボード、ギ ター兼キーボード、ギターと楽器を兼任できるメンバーがいたこともあり、複雑で多彩な演奏が可能であった。しかしそこはアメリカのバンド、ボーカルが力一 杯歌い、美しいハーモニーがつくという、テクニカルながら明るさと分かり易さを同時に備えたバンドであった。
「永遠の序曲」がカンサスを代表するアルバムであると同時に、そのボーカルハーモニーが炸裂しハードなリフで始まる「伝承」は、カンサスを代表する曲にもなっている。
訳詞の方に話をうつすと、最初の4行は「私」に対して聞こえてくる、励ましの言葉である。これは何回も繰り返される。その中で冒頭の“Carry on my wayward son”が難しい。“Carry on”は「そのまま頑張って続けなさい」という命令、“my wayward son”は呼びかけ、と思われる。では“my wayward son”はどう訳すか。
“wayward”は「わがままな、強情な、気ま ぐれの」といったあまり好ましくない性格を言う場合と、「(行動や水路など)方針や方向が定まらない」という意味とを持っている。続く詞に出てくる「私」 の生き方を見ると「わがまま」ではないように思う。「方針が定まらない」、つまり「どう生きて良いかわからずにいる」という具合に解した。
次に“son”である。「息子」とするのは無理だろう。「私」は「声」が聞こえるとしか言っていない。父の声のような懐かしさは微塵も感じられない。ならば「若者よ」とするのが適当か。
ではこれを言っているのは誰なのか?「すべてが終わった時、そこには平穏があるだろう」という表現、そして最後の「間違いなく天国がお前を待っているだろ う」という表現が、非常に宗教的な意味合いを感じさせる。「天国が待っている」というのは「どうせ死んでしまうんだ」ということではなく、「地獄ではなく て天国」ということだ。さらにキリスト教徒のことを“sons of light”(光明の子)という言い方もする。“son”という呼びかけはキリスト教と関係が深いのである。
と考えると、「声」の主は 「神」とするのが妥当だと思われる。しかし「私」はもともと「神」にすがってはいない。「神の声」ではなく、「声」が突然聞こえてくるのだ。だからキリス ト教徒であるとかないとかの問題ではなく、そうした「神」的な、自分を見守ってくれる大きな存在を歌っていると言ってもいいかもしれない。
くじけそうになる「私」、自己嫌悪に陥る「私」が辛くなった時、「神」的存在は「それでいい、そのままがんばりなさい」と励ましてくれる。力強いボーカルハーモニーで繰り返される4行によって、この曲は非常に聴く者に力を与えてくれる名曲となった。
ちなみにタイトルの“leftoverture”という単語はない。“left”は「左の」、「残された、捨てられた」、“overture”は「序曲」だ から「残された序曲」としても良いのだが、“left overture”ではなく“leftoverture”という一単語になっているところがミソである。というのは、もう一つ“leftover”には 「残り物」とか「売れ残りの、使い残りの」という意味もあるのだ。
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
かつて僕は騒音と混沌から上を目指した
この幻影の向こうを垣間見ようとして
僕はさらに高みへと上がり続けた でもあまりに高く飛びすぎたんだ
僕の両目は 僕がまだ盲目だとわかったはずなのに
僕の心は 僕がまだ狂人だと思っていたはずなのに
夢を見ている時に声が聞こえてくるんだ こう言う声が聞こえるんだ
迷える若者よ そのまま行くが良い
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
理性のある人間を装い
へたな芝居は季節行事になった
もし賢い人間であると主張したら それこそ無知というものだ
揺れ動く感情の荒海で
翻弄され 大洋に浮かぶ船のようだ
幸運の風を求めて進路を定める でもこう言う声が聞こえるんだ
迷える若者よ そのまま行くが良い
すべてが終わった時 そこには平安があるだろう
疲れ果てた頭を休ませなさい
もう泣くのはやめなさい
そのまま進め お前はいつも忘れないでいるだろう
そのまま進め 輝きに匹敵するものなんてないと
今 お前の人生は 空虚なんかではない
間違いなく 天国がお前を待っているだろう
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Once I rose above the noise and confusion
Just to get a glimpse beyond this illusion
I was soaring ever higher
But I flew too high
Though my eyes could see I still was a blind man
Though my mind could think I still was a mad man
I hear the voices when I'm dreaming
I can hear them say
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Masquerading as a man with a reason
My charade is the event of the season
And if I claim to be a wise man, well
It surely means that I don't know
On a stormy sea of moving emotion
Tossed about I'm like a ship on the ocean
I set a course for winds of fortune
But I hear the voices say
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry no more
Carry on, you will always remember
Carry on, nothing equals the splendor
Now your life's no longer empty
Surely heaven waits for you
Carry on my wayward son
There'll be peace when you are done
Lay your weary head to rest
Don't you cry (don't you cry no more)
【解説】
アメリカのバンド、カンサス(Kansas:カンザスと濁るのが本来の発音)が1976年に発表した「永遠の序曲 (Leftoverture)」の最初の曲である。カンサスは6人メンバー、ベースとドラムス以外に、バイオリン、そしてリードボーカル兼キーボード、ギ ター兼キーボード、ギターと楽器を兼任できるメンバーがいたこともあり、複雑で多彩な演奏が可能であった。しかしそこはアメリカのバンド、ボーカルが力一 杯歌い、美しいハーモニーがつくという、テクニカルながら明るさと分かり易さを同時に備えたバンドであった。
「永遠の序曲」がカンサスを代表するアルバムであると同時に、そのボーカルハーモニーが炸裂しハードなリフで始まる「伝承」は、カンサスを代表する曲にもなっている。
訳詞の方に話をうつすと、最初の4行は「私」に対して聞こえてくる、励ましの言葉である。これは何回も繰り返される。その中で冒頭の“Carry on my wayward son”が難しい。“Carry on”は「そのまま頑張って続けなさい」という命令、“my wayward son”は呼びかけ、と思われる。では“my wayward son”はどう訳すか。
“wayward”は「わがままな、強情な、気ま ぐれの」といったあまり好ましくない性格を言う場合と、「(行動や水路など)方針や方向が定まらない」という意味とを持っている。続く詞に出てくる「私」 の生き方を見ると「わがまま」ではないように思う。「方針が定まらない」、つまり「どう生きて良いかわからずにいる」という具合に解した。
次に“son”である。「息子」とするのは無理だろう。「私」は「声」が聞こえるとしか言っていない。父の声のような懐かしさは微塵も感じられない。ならば「若者よ」とするのが適当か。
ではこれを言っているのは誰なのか?「すべてが終わった時、そこには平穏があるだろう」という表現、そして最後の「間違いなく天国がお前を待っているだろ う」という表現が、非常に宗教的な意味合いを感じさせる。「天国が待っている」というのは「どうせ死んでしまうんだ」ということではなく、「地獄ではなく て天国」ということだ。さらにキリスト教徒のことを“sons of light”(光明の子)という言い方もする。“son”という呼びかけはキリスト教と関係が深いのである。
と考えると、「声」の主は 「神」とするのが妥当だと思われる。しかし「私」はもともと「神」にすがってはいない。「神の声」ではなく、「声」が突然聞こえてくるのだ。だからキリス ト教徒であるとかないとかの問題ではなく、そうした「神」的な、自分を見守ってくれる大きな存在を歌っていると言ってもいいかもしれない。
くじけそうになる「私」、自己嫌悪に陥る「私」が辛くなった時、「神」的存在は「それでいい、そのままがんばりなさい」と励ましてくれる。力強いボーカルハーモニーで繰り返される4行によって、この曲は非常に聴く者に力を与えてくれる名曲となった。
ちなみにタイトルの“leftoverture”という単語はない。“left”は「左の」、「残された、捨てられた」、“overture”は「序曲」だ から「残された序曲」としても良いのだが、“left overture”ではなく“leftoverture”という一単語になっているところがミソである。というのは、もう一つ“leftover”には 「残り物」とか「売れ残りの、使い残りの」という意味もあるのだ。
アルバム最後の曲「超大作」(原題:Magnum Opus)は当初、アルバムタイトルの“Leftoverture”というタイトルが付けられており、それは他の曲の「使い残り」を編集して作られたものだったところから来ているという。だから“Leftoverture”とは“leftover”と“overture”を組み合わせた造語、ちょとしたお遊びだと言えるだろう。
某速弾きギタリストがこの曲をカバーしており、恥ずかしながら
返信削除オリジナルを最近聴きました。今まで聴いてきた様々な曲の
中でも最高の部類に入る名曲ですね。歌詞の意味がわかると
こんなにも深い感動を得ることができるのですね。感謝を申し
上げます。こんなバンドは二度と出ないでしょうね。プログレの
歌詞は特に難解でライナーノーツのを見るといつも首をひねる
ことが多いのですが貴殿様の訳はすごく分かりやすく素晴らしいと思います。有難う御座います。
コメントありがとうございます。とても励みになります!
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