2012年9月11日火曜日

「焦土」ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター

原題:Scorched Earth

Godbluff (1975)収録





Just one crazy moment while the dice are cast,
he looks into the future and remembers what is past,
wonders what he's doing on this battlefield,
shrugs to his shadow, impatient, too proud yet to kneel.

In his wake he leaves scorched earth and work in vain;
smoke drifts up behind him - he is free again,
free to run before the onslaught of a deadly foe,
leaving nothing fit for pillage, hardly leaving home.
It's far too late to turn, unless it's to stone.
Charging madly forward, tracks across the snow,
wind screams madness to him, ever on he goes
leaving spoor to mark his passage, trace his weary climb.
Cross the moor and make the headland -
stumbling, wayward, blind.
In the end his footprints extend as one single line.

This latest exponent of heresy is goaded into an attack,
persuaded to charge at his enemy.
Too late, he knows it is, too late now to turn back,
too soon by far to falter.
The past sits uneasily at his rear,
he's walking right into the trap,
surrounded, but striving through will and fear.
Ahead of him he knows there waits an ambuscade
but the dice slip through his fingers
and he's living from day to day,
carrying his world around upon his back,
leaving nothing behind but the tell-tale of his track.

He will not be hostage, he will not be slave,
no snare of past can trap him, though the future may.
Still he runs and burns behind him in advanced retreat;
still his life remains unfettered - he denies defeat.
It's far too late to turn, unless it's to stone.
Leave the past to burn - at least that's been his own.

Scorched earth, that's all that's left when he's done;
holding nothing but beholden to no-one,
claiming nothing, out of no false pride, he survives.
Snow tracks are all that's left to be seen
of a man who entered the course of a dream,
claiming nothing but the life he's known
- this, at least, has been his own.

サイコロが投げられた異常な瞬間にだけ、
彼は未来をのぞき込み過ぎ去った事柄に思いをはせ、
この戦場で自分は何をしているのかと不思議に思い、
自分の影に向って肩をすくめる、耐えられずに、でもひざまずくにはプライドが高過ぎて

彼が後に残すのは焦土と役立たずな労働のみ;
彼の背後に硝煙が立ちのぼる - 彼は再び自由の身となる、
命がけの敵軍の猛攻撃が始まる前に逃げる自由を得る
略奪にふさわしい物は何も残さず、さりとて本部も去り難く。
引き返すにはあまりに遅過ぎる、もし石を投げつけないのなら。
狂ったように雪原の道を進軍し、
風は彼に向って狂ったように叫び続けるが、彼はただ進み続ける
自分が歩いた道を示し、疲れ果てた登山を印す足跡を残しながら。
荒れ地を横切り岬に到達するんだ -
よろめきながら、方向も定まらず、目も見えなくとも。
ついに彼の足跡は一つの線にまで広がるだろう

この新しい異端の指導者は攻撃することを迫られる、
敵に向かって突撃させられる。
遅過ぎた、彼はもう引き返すには遅過ぎることを悟る、
しりごみするには余りに直前過ぎたのだ。
過去の記憶が不安そうに彼の後方で身構える、
彼は罠の真っただ中へと歩いて行く、
包囲されながら、それでも意志と恐怖と共に突き進む。
彼の前方で待ち伏せされていることを知っている
しかしサイコロは彼の指からこぼれ落ち
彼はその日その日を生き続けるのだ、
自らの世界を背負い続けて、
後には彼の歩いた跡以外何も残らない。

彼は人質にはならないだろう、奴隷にもならない、
過去の罠は彼をはめることはできない、未来の罠はわからないが。
それでも彼は新たな撤退方法で逃走し残ったものを焼き尽くす:
それでも彼の人生は解放される - 彼は敗北は決して認めないのだ。
引き返すにはあまりに遅過ぎる、もし石を投げつけないのなら。
過去を燃えるがままにしろ - 少なくともそれは彼の一部なのだ。

焦土、彼が行動を起こした時に残るのはそれだけだ:
何も手元に残っていないが誰の手助けを受けてもいない、
何も主張せず誤ったプライドからではなく、彼は生き続ける。
雪原の足跡は唯一見えるものとして残されている
夢の世界に入ったある男の記録、
ただ彼が知っている人生
- これだけが、少なくとも、自分自身のものであったのだと主張しながら
  

【メモ】
1971年の「Pawn Hearts」発表後、活動停止状態いなっていたVan Der Graaf Generatorが1975年に出した復活作「Godbluff」から、ライヴでも定番曲の一つとなっている「焦土(Scorched Earth)」である。「焦土」とは「焼けて黒くなった土」あるいは「家屋・草木が焼けて跡形もない土地。焼け野原」という意味だが、この詩ではこの「焦土」が何を意味しどのように捉えられているのだろうか。

歌詞は「彼」の生き方を戦場を比喩に語っていく、いかにもPeter Hammilらしい内省的な内容だが、力強くパワフルなサウンドに呼応するように、叩き付けられるように、あるいはアジテートするかのように歌われる。

第一連から順に見ていきたい。
「彼」は「賽が投げられた瞬間だけ」未来と過去と現在に目を向ける。つまり普段はそういうことに「彼」は無関心なのだ。しかし「賽が投げられた」のであれば、もう物事は動き出してしまっている。「彼」自身がそれを判断したり決断したりする余地はもうない。「彼」はそうやって判断し決断することに長けていないのかもしれない。愚鈍とも言えるそんな「彼」は、常に後から状況に気づき、なす術もなくただ不甲斐ない自分に対して肩をすくめるだけなのだ。しかしそのプライドで膝を突くことはこらえるのだ。

第二連は「彼が後に残すのは焦土と役立たずな労働のみ」という言葉で始まる。「彼」は何の功績も残さない。逆に彼の居た場所は焼け野原となり、彼が費やした労力とともに灰燼に帰す。「背後に硝煙が立ちのぼる」とは、最前線に居ることを示すのだろう。その時初めて「彼」は自由の身になる。最後の選択の瞬間である。 

しかし「さりとて本部も去り難い」と「彼」は躊躇する。それは「It's far too late to turn, unless it's to stone.」 だからなのだ。この「unless it's to stone」を「無感覚にでもならないかぎり」と訳している歌詞カードがある。しかしここでは「石を投げないのならば」と訳した。「無感覚にでもならないかぎり」「引き返すには遅過ぎる」なら、裏返せば「無感覚になれば、まだ引き返せる」ということだ。自分を捨てて流されることをよしとすることが「無感覚になる」ということと取ったのかと思うが、意味が今ひとつピンとこない。

ここで「無感覚にな」って人に流されるとは主義や思想を捨てることだと思うが、愚鈍な「彼」には主義や思想はない。あるのは前へ進もうとする意志だけである。

これを「石を投げないのなら、引き返すには遅過ぎる」とすると「石を投げるなら、まだ引き返せる」となる。「石を投げる」とは、効果があるとは思えなくても何らかの攻撃を仕掛けることを意味するように思う。でも歌詞の続きを見て行くと「彼」は自らは何の攻撃もせず戦略も持たないまま、そして主義主張も思想もないまま、ただ突き進むのである。「石を投げる」とした方が、この「彼」の行動が鮮やかに描かれる気がするのである。

「彼」は狂ったように前進する。困難な雪道を歩いていく。荒れ狂った風が吹きすさぶ中、彼は歩き続ける。ただただ歩いた痕跡を残しながら。荒れ地を抜け岬を目指して。そこには彼が歩いた後が一筋の道となって残る。

第三連、「この新しい異端の指導者」とは「彼」のことだろう。戦場なのに攻撃も撤退もしない。ただ敵に向かって歩を進め続ける「彼」は兵士として「異端者」である。まるで迫害を受けた「異端の指導者」のごとく、迫害する者の中へと無防備なまま飛び込んでいく。さらに彼は自分の意志とは無関係に攻撃を強いられ、突撃させられる。しかし彼は逆らわず反論も言い訳もしない。ただ「遅過ぎる」としてそれを受け入れる。彼に寄り添うのは「過去の記憶」だ。そう、「焦土と役に立たなかった労働」しか残らない過去も記憶。そうして「彼」は罠の中へも飛び込んでいく。包囲されても待ち伏せがわかっていても突き進む。

「彼」は自分で何かを選択したり変えたり抗ったりはしない。ただそれを「賽が指から滑り落ちた」ゆえだと受け入れて、とにかく前へ前へと進む。それはつまり現実の社会において、その日その日を一生懸命生き続けていくことに他ならない。ただひたすら前を向いて歩き続けたその足跡だけを残しながら。

世の中の理不尽さ(なぜか気づいたらすでに引き返すには遅過ぎた)や暴力や運命(攻撃を迫られ、突撃させられる)に負けず、全てを受け入れてただ一歩一歩前に進むこと。栄光も名誉も功績も何もなく何も求めず、ただ自分の意志で前に進むこと。それが「彼」の生き方であり、「彼」にとって生きるということなのだ。だから第四連にあるように、そんな「彼」を誰も人質にも奴隷にもできない。

過去の罠は「彼」には効果がなかった。しかし未来はわからない。それでも「彼」なら「新たな撤退」方法を作り出し、逃走し、残ったものを焼き尽くすことができるだろう。例えそうした繰り返しが「彼」の人生だとしても、それは「彼」にとって「解放」された生き方、「敗北」のない生き方なのだ。いやむしろ、「焦土」と化した過去の歴史が彼の生きた証なのである。

最終連、「焦土」はマイナスイメージではなくプラスのイメージとして力強く語られる。「焦土、彼が行動を起こした時に残るのはそれだけだ:何も手元に残っていないが、誰かの手助けを受けてもいない」。ただ前を向き生きること。何と痛々しくも力強く崇高さすら感じさせる生き方であろうか。それは「夢の世界」のことだと人は言うかもしれない。しかし「彼」は、これこそ我が人生と自信を持って叫ぶことができるのだ。
  
力強く行進するようなスネアドラムでドラマチックに始まり、困難に立ち向かい突き進んでいくような展開がスリリングだ。美しい勝利ではなく、泥臭い不敗を続けるような荒々しさと力強さが印象的な、非常にカッコイイ名曲である。