2012年4月8日日曜日

「狂人は心に」ピンク・フロイド

原題:Brain Damage
 





狂人が芝生の上にいる
狂人が芝生の上にいる
色々な遊びにヒナギクの花輪に笑い声を思い出しながら
いかれたヤツらを小道にとどめておかなければならないのだ
 
狂人が入口の広間にいる
狂人たちが僕の家の入口の広間にいる
新聞がその折り畳まれた紙面を床につけている
そして毎日新聞配達少年が次の新聞を運んでくるんだ

そしてもしダムが思っていたより何年も早く決壊するなら
そしてもし丘の上に居場所がなくなって
そしてさらにもし君の頭が暗い予感で爆発するとしたら
僕は君と月の裏側で会おう

狂人が僕の頭の中にいる
狂人が僕の頭の中にいる
君はナイフを振り上げ、変えていく
君は僕が正気になるまで僕を作り直す
 
君はドアにカギをかけ
そのカギを放り捨てる
僕の頭には誰かがいるんだけど
それは僕じゃないんだ

そしてもし雲が破裂し、雷が君の耳の中で轟いたら
君は叫び声を上げるけど誰もそれを聞いていないかのよう
そしてもし君のバンドが違った曲を演奏し始めたら
僕は君と月の裏側で会おう

The lunatic is on the grass
The lunatic is on the grass
Remembering games and daisy chains and laughs
Got to keep the loonies on the path

The lunatic is in the hall
The lunatics are in my hall
The paper holds their folded faces to the floor
And every day the paper boy brings more

And if the dam breaks open many years too soon
And if there is no room upon the hill
And if your head explodes with dark forbodings too
I'll see you on the dark side of the moon

The lunatic is in my head
The lunatic is in my head
You raise the blade, you make the change
You rearrange me 'till I'm sane

You lock the door 
And throw away the key
There's someone in my head
But it's not me

And if the cloud bursts, thunder in your ear
You shout and no one seems to hear
And if the band you're in starts playing different tunes
I'll see you on the dark side of the moon

【メモ】
まずタイトルであるが、「brain damage」は「脳損傷」と訳され先天的/後天的原因から脳に機能障害が生じている場合に使われる医学的な用語である。もっとも医学的な定義に則って使っているというわけではないと思われる。大事なのは「damage」という言葉な気がする。つまり本来の姿ではなく損傷・ダメージを受けたという、被害者的視点がここにはあるように思うのだ。

それに対し歌詞に見られる「lunatic」はもっとくだけた言い方であり、人の精神状態は「luna(月)」の満ちかけに影響されると考えられたところから生まれた「lunacy(精神異常、狂気)」の派生語である。悪意はなくふざけて使う場合やエキセントリックな行動をする人を指す場合など、医学的定義よりも広い概念として使われる。同様な言葉に「moonstruck(月に襲われた→精神異常の)」がある。

さらにこれも歌詞中に現れる「loonies(単数形はloony)」はもっと軽蔑的・差別的な言い方である。

ということを念頭に置きつつ、歌詞を順に見ていきたい。
いきなり「the lunatic」が登場する。「the lunatic」は「grass」の上にいる。後に「path」という言葉が出てくるので、イメージとしては芝生の庭じゃないかと思う。欧米の家に見られるような、道路から家の門まで緑の芝生の中に伸びたアプローチという感じだ。「the lunatic」は恐らく子どもの頃の無垢な思い出に浸りながら、芝生の上で監視しているのではないか。「loonies」が「path」から外れて勝手に動き回らないように。「loonies」は「the lunatic」からみた「狂った人々」である。

ではなぜ、そして何を監視しているのか?それは彼が何をしようとしているかが後半で述べられるので、そこで検討したい。

第二連では「the lunatic」は玄関広間にいる。つまり建物の中である。さらに「the lunatics」と複数で呼ばれたりしている。ただ複数形になるのはこの第二連での一回だけである。これはどう考えれば良いだろうか。

「the lunatic」は第一連では芝生の上にいる。第二連では玄関ホールにいる。これを家の外から中に入ってきたと取ることもできるだろうし、家の外にも玄関ホールにもいる、と捉えることもできるかもしれない。では「the lunatic」は大勢いるということなのだろうか。しかし僕が「月の裏側で会おう」と言っている相手は一人な気がするのだ。第三連では「your head」と単数形で相手を描写しているからだ。

これは「一人の人物があちこちにいる」という状況なんじゃないかと思うのだ。あるいはあちこにち「一人のlunatic」を感じると言い換えても良い。建物の外と中だけではなく、建物の中にもあちこちに「the lunatic」の存在を感じているのではないかと思うのである。

その建物の中は「paper(新聞)」が散乱、あるいは堆積している。「their folded faces to the floor」とは、折り畳まれたまま広げられることなく床に落ちている様を描いたものだろう。つまり「僕」はすでに社会との関係を絶っているような状態だということがわかる。その引き蘢った世界に「the lunatic」は入ってこれるのである。

だからと言って「僕」が「the lunatic」を恐れているとか、「the lunatic」によって「僕」がこんな状態になってしまったんだというような感情は感じられない。「the lunatic」は恐怖の対象でも、怒りや不安の対象でもなく、ただそこにいることが当たり前のような存在として描かれている。

そして第三連。「もしダムが思っていたより何年も早く決壊するなら」からは、いずれ自分の身に降り掛る、恐らく精神的な崩壊について触れていると思われる。「丘の上に居場所(避難場所か?)は」ないのだから、逃げ切れない・避け切れない状況である。そしてもし「君の頭が暗い予感で爆発する」のならと続くが、ここでは追いつめられた状況を「And if 〜」で繰り返しながら畳み掛けているので、逆に「君」が最後の頼みの綱であることがわかる。その頼みの綱さえ失われたならば、「僕は君と月の裏側で会おう」と僕は言う。これはどういうことだろう?

その前に「the lunatic」と三人称で呼んでいた人物が、この連で「your」「you」と二人称で呼ばれるようになる。これは同じ人物を客観的に描写していたのが、心情的に接近し、呼びかけに近い状態になったと解釈した。つまり対象は同じである。そしてその「the lunatic」が最後の頼みの綱、つまり自分の“味方”であることがこの連からはわかったわけだ。精神的に崩壊し、そこから逃れるすべを失った「僕」は、「the lunatic」と同じ存在になる。その住処は「the dark side of the moon(月の裏側)」である。だから「僕」はそこで「君」に会えるようになるのだ。つまり共に狂気の世界の住人となるのである。

第四連で「the lunatic/you」と「僕」の関係がさらに明確になる。「the lunatic」は「芝の上」から「玄関フロア」を経て、「僕の頭の中」にもいることがわかる。そして「blade(ナイフ)」を振り上げ「僕」を変えようとしている。それは「僕」が「正気」になるまで行なわれる再編(rearrange)作業なのだ。

つまり「the lunatic」はすでに社会から引きこもり、「insane(正気でない)」状態に陥りつつある「僕」を、何とか救おうとしてくれているのである。だから「僕」は「the lunatic」に恐怖も不安も怒りも感じていないのだ。だって「僕」の「insanity」の原因は「the lunatic」ではないのだから。

ここで第一連の「the lunatic」が足止めさせている「loonies(いかれたヤツら)」が思い出される。これは医学的にどうこうというのではなく、蔑称である。とすれば「僕」に精神的なストレスをかけてくる人間たち全般を指しているのではないかと思うのだ。つまり「the lunatic」が「loonies」から「僕」の精神状態が崩壊しないように、「僕」を守っているという構図である。「the lunatic」を擬人化された表現だと取れば、自分の中の狂気を解き放つ、あるいはその存在を認め受け入れることで、社会的なストレス/理不尽な人間のもたらすストレスに押しつぶされそうな状況に耐えているということである。

その「the lunatic」はドアにカギをかけ、そのカギを捨て去る。つまりドアが二度と開かないようにするのだ。それは「僕」の中心部に「loonies」が押し寄せて、「僕」が「insane」になってしまわないように、であろう。しかしすでに「僕」の頭には、「僕」意外の誰かがいるのである。つまり「僕」という人格の崩壊が始まっているのだ。

最終連は第三連と同じく、防衛線が突破された状況が描写されている。その時「僕」を守ろうとしていた「君」も叫び声を上げるが、誰もそれを聞いていないように見える。「君」の敗北と「僕」の崩壊は、周りからは気づかれないのである。そしてともに狂気の世界の住人として、月の裏側で再び会うのである。

さてここで、狂気について触れるとしたら避けて通れないであろうシド・バレットの存在を、この歌詞に当てはめてみたいと思う。「the lunatic」はシドではないか?という仮定で、内容を再考してみるのだ。

シドは文字通り「the lunatic」な存在となっていた。そこに親しみや「夢想家」的なプラスのイメージを含められる点で、「loony」ではなく「insanity」でもなく「lunatic」だと言えるだろう。「僕」を作詞者ロジャー・ウォータズだと仮定すれば、「僕」は「君」が「lunatic」になっていく過程を知っている。それはもちろん直接的にはドラッグによるものだったろうが、ドラッグに走らせたのは社会的なストレスだったはずだ。スターになったがゆえの音楽業界的ストレスも少なくなかっただろう。回りの期待に応えようとして与えられたイメージの中で精一杯役割をこなすことの苦しみ。そこにはloonyたちが大勢いたはずだ。

そのシドの思い出は「僕」の生活のあらゆる場面に生き続けている。そしてシドの狂気を認め、否定せず、むしろ共感することで、現実世界のストレスの中で心のバランスを保ち、自分が狂気に陥ることを回避する。それはあたかもシドが犠牲者として、 当時人気が出てきたピンク・フロイドというバンドが自分と同じ運命に陥らないよう導いてくれているかのように。

しかしいつかは自分もシドと同じようになるという思いが「僕(ロジャー・ウォーダーズ)」にはあって、それはそれでシドと再会できると思えるような、受け入れるべき未来の姿でもあるのだ。

この曲は最初「Lunatic」というタイトルだったらしい。しかし「Brain Damage」に変更されたという。やはり「damage」という言葉が重い。この単語が、シドと同じように周りからのストレスによってダメージを受けているという、被害者/犠牲者としての狂気を感じさせるからだろう。

実際にシドをどれだけ意識していたかはわからない。シド=「the lunatic」と簡単に断言することもできないし、実際この歌詞だけを見たところではそういう関連付けができる根拠はないし、その必要もない。

しかし内なる狂気に社会的ストレスに抗する力を見ているところは、この歌詞のスタンスとして重要だし、そうした考え方はシドの存在が大きく関与していたんだろうと推測される。そして逆にそこまで「僕」を取り巻く世界が「僕」を狂わせていくのかということを、実感させる効果も上げているように思われる。

最終連「もし君のバンドが違った曲を演奏しはじめたら」というのも、Pink Floydというシドが作り上げたバンドが、周りからのプレッシャーや圧力で、自分たちのやりたい音楽をあきらめてしまったら、と言っているかのようである。

あるいは事実シド自身がそうだったように、自分のコントロールや状況の把握ができなくなり、バンドが「the lunatics」と化し、あらぬ曲を奏でてしまうことを示しているのかもしれない。

いずれにしてもそれはPink Floydとしての人格の崩壊であり、シドと同じ狂気の世界の住人になることを意味する。幻想的な歌詞でありながら、この一文だけはとてもリアルである。

この曲にはすでに次作「炎(Wish You Were Here)」に連なる世界が提示されているのである。