2011年12月10日土曜日

「ツァラトゥストラ組曲」ムゼオ・ローゼンバッハ





a) 最後の人間

光に満ちた顔よ、わたしはあなたのことを話しているのである
あなたの物語は山脈に響くやまびこの中にあり
あまりに高みにあるためわれわれのところには降りてこない。
あなたの絶えることなき歩みの中にあなたが求めるものは存在しない;
人生とはゴールがないまま存在するものなのだ。
それはいつの日かそれ自体で完結するものなのだ。

みすぼらしき影よ、エゴ(自我)の空虚なる輝きよ
おまえはこの世界でわたしを探求へと駆り立てる力を理解する必要はない
輝ける聖なる実在はすでに内部に隠れており
新しき夜明けを待ちつつ時間遊びに興じているのだ


b) 昨日の王

駄目だ、終わり無き道を歩み続けてはならぬ;
あなたはすでにわたしの中に、わが父である神の教えを見ている
おそらくあなたを作り給うたお方でなければあなたは信じはしないだろう
おのれの大地を愛せ、その子宮(内部)に神は宿るであろう。


c) 善悪の彼岸

いにしえの舞台よ、聖なるものはやがて善と悪に二分されるとすでに決まっていたのだ。
神から遠く離れた人間だけが自らの道徳を築くことができないのだ。
おのれの意志から逃れるのだ。
このようなヴェールやまやかしの知識の下で、真実は侮辱される。
あなたが創り上げた道徳からは何も生まれはしない。
あなたの信念に基づく教義を盲信しあなたは自由という選択肢を失う。
古代の光に満ちた灰色の夕暮れに最後の人間が現れる。


d) 超人

しかしあまりに多過ぎる答えが古来の生活を混乱させる。
数多くの伝統がわたしの周りに壁を作る。
ただ独り、力もなくわたしは自分の言葉の中をさまよう
おそらくわたしが探し求めている人は常にわたしの後ろを歩いていたのだ…
さぁわたしの中に彼が生まれる。
わたしは超人となる。

 
a) The last man

Face of light, the told me about you,
your story is in the echo of the mountains,
too high to descend in us.
In your eternal walk there isn't what you're chasing;
without a goal life can exist.
It completes itself in one day.

Shabby shadow, empty glare of the ego
you don't need to understand the force pushing me to seek in the World.
Bright divine essence already is hiding inside whom is
living the game of the time in wait of a different dawn.


b) Yesterday king

No, don't continue the walk in neverending roads;
you already see in me what my father, God, learnt to you.
Maybe neither you believe to the one who never created you.
Love your land, in her womb God will form.

c) Beyond the good and the evil
 
Ancient boards, divine wills already divided in time the good and the evil.
The man alone far from God cannot build his own moral.
Run away from your will.
Under these veils, fake wisdom, the truth is insulted.
From the moral that you created nothing will boost.
Blind in the dogma of your faith you lose the choice of freedom.
Grey sunset of ancient lights will have the last man.

d) Super-man

But too many answers confuse an ancient life.
Thousand traditions built a wall around me.
Alone and without forces I get lost in my words
and perhaps whom I'm looking for always walked behind me...
Here he's born in me,
I live the Super-man.

※英語訳はオフィシャルサイトからリンクされている英訳ページのものを用いた。

【メモ】
イタリアのバンドMuseo Rosenbach(ムゼオ・ローゼンバッハ)の1973年の唯一のアルバムから、旧LPのA面を占めるアルバムタイトル曲にして、5パートからなる組曲「ツァラトゥストラ組曲(Zarathustra)」である。ただし最終パートはインストゥルメンタルなのでここではa)〜d)までの4パートが対象となった。

曲はドイツの哲学者ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844 - 1900)による1885年発表の著作「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)」にインスパイアされたもの。

にわか知識で強引に整理すると、ニーチェは消費主体、経済主体として自らの主体性を失い、消費を繰り返し快楽を追い求めるだけの存在となった人間、自分の優れた価値への信念を捨て「他者と同じ」であることに満足する人間を、「最後の人間/末人(the last man)」と呼ぶ。

そして、自分を越えた特別な能力を持った者を危険視し群れから排除しようとしたり、主体性を否定し、平均化し没個性的に生きることで安心しあう心理によって支えられている者たちを「畜群(herd)」として嫌悪し、宗教や道徳など全ての既存の価値観や秩序を否定した。

こうした既存の価値観を捨て、自分が生きている現実の大地(land)に真の価値基準を置くことで、自らの内で新しい価値を創造できる人間が「超人(overman, superman)」と呼ばれる。
  
わたし自身「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでもいないし、あまつさえニーチェの思想について語ることなど微塵もできないのだが、上記のような大雑把な捉え方を許してもらえるとすれば、そこから歌詞の中身も少しは理解ができるかもしれない。

第1連「最後の人間」では「光に満ちた顔」と「みずぼらしい影」に語りかける。光に象徴されるのは宗教に代表される、崇高なる価値体系を指しているのではないか。あるいはその象徴としてのイエス・キリストか。しかしその理念はあまりに高みにあり過ぎて手の届くものではないことに加え、その歩む道には求めるものはないと言う。一言で言えば宗教的価値観の否定となるだろうか。

「人生とはゴールがないまま存在する/それ自体で完結する」という部分は、キリスト教的終末観や死生観などに捕われない、今この時を主体的に生きることを示唆していると思われる。

第2連の「みすぼらしき影」とは、逆に本来主体となるべきエゴ(自我)のまがい物(影)に生きる人間を指しているのか。既存の価値観に基づいた自我は本当の自我とは言えず、本来の探求へとわたしを導いてはくれない。「実在は(わたしの)内部に隠れて」いるのである。つまりこれもまた既存の、特に宗教以外の価値観の否定であり、真実は己自身にあるという結論は、第1連の結論と一致するものだ。

つまり「a) The last man」は「最後の人間」に対するメッセージなのである。

「b) 昨日の王」は既存の価値観に安心している人間のことか。あるいは既存の価値観や宗教において王(頂点に君臨する者)のことだろうか。大切なのは最終行、「おのれの大地(land)を愛せ」、つまり自らの主体性と内なる価値観を大切にせよという言葉であろう。

「c) 善悪の彼岸」はニーチェの思想の一部であり、「貴族道徳」と「奴隷道徳」という二つの善悪があるとされる。しかしここではそのような複雑な善悪の概念を持ち出しているわけではなく、それまでの流れの延長で既存の善悪を批判、否定している。もちろんニーチェ的に言えば「奴隷道徳における善悪」の批判ということになるわけだけれども。

こうして善悪の彼岸に達する(善悪という価値観を超える)ことができず、人は「最後の人間」になってしまうのである。

「d) 超人」では、身の回りの多種多様な価値観や伝統の縛りから自らを解き放ち、実はすぐそばに存在した「神」(既存の宗教の神ではなく、自分自身の神)を発見する場面が描写されている。その時わたしは「超人」となったのである。
 

以上、誠に荒っぽい解釈であろうかと思うが、ニーチェの思想云々というよりも、それを借りた現実批判、社会批判として読むことも可能な歌詞だと思われる。そういう意味では政治批判や体制批判が強かった当時の若者の意識を反映したものだと言えそうである。


和訳に当たっては非常に苦労した。英語版はあったが、例えば「the told...」は「定冠詞+動詞」という繋がりであって文法的にあり得ないなど、理解に苦しむ文法表現が多く、伊→英自動翻訳による訳文も参考にしながら日本語にした。ちなみに「the told me about you.」は「I have talked about you.」という自動翻訳に従った。

ニーチェの思想への無理解や英詞の不完全さなどから、歌詞の十分な理解には繋がらなかった点はお許しいただきたい。ただこの強烈なヘヴィーシンフォニック大作で、どのような内容の歌詞が歌われているのかが、少しでもイメージしていただけるようなら本望である。