2010年6月23日水曜日

「終焉」マンダラバンド

原題:Determination / Mandalaband









「決断」

僕らは迫撃弾と戦車でこの楽園に突入した
解放のために
再教育せんがために
侵攻し略奪し寺院を焼き払った
僕らは彼らが未開であると告げられていた
僕らは我らの掲げる理想を以て彼らを助け
彼らに自由を与えなければならないのだ
でも今回は人々はすでに自由を得ていたんじゃないのか

僕らは告げられていた 誰もが少なくとも三人の混血児の父親にならねばならぬと
そして我らの文化を得てその恩恵にあずかれるように
人々に我らが遥かに優れていることを見せつけねばならぬのだと
そしてまた最終的にはさらにより良い存在となれるよう
我らは互いに平和に暮らして行けるだろうと
でもこの事が終わってから僕は自分自身とうまくやっていけるのだろうか

自分たちよりも下の粗野な人たちと暮らしてきた 
この古代アジアの地の賢者たち
おそらく彼らはなぜ我々が生を受けたかの真の理由を知っているのだ
狂気の沙汰の中で耐えること
主張から初めて変革へ導くこと
耐えることこそが
心の平安を取り戻す道の第一の目標なのだ

しかし結局さらに文明化が進むようにと
我らの爆撃や犯罪は繰り返し行なわれる
ヒマラヤの壁と高地に守られ
緩やかな斜面の下へと導かれ
神の化身を無視して
僕らが持ち込むのは文化を消滅させるという攻撃手段のみ
決断の時だ
決断の時だ


We marched into this paradise with mortar bombs and tanks 
Liberation
Furthering and pillaging
Burning temples for re-education
We're told that they're primitive
We're helping with our cause
We must free them
But I'm not so sure that this time the people weren't already free
 
We're told that every man among us must father at least three half-caste children
To win and merit all our culture
Show the people we are far superior
That finally to betterhood
And ourselves will live in peace with one another
But I'm not so sure that after this I can live with me

The wise men of this ancient Asia
Living with things rather bare beneath them
Probably because they know already the real reason why we live
To suffer in insanities
To start enforcement to the revolution
To suffer is the first cause
Of the road to recover peace of mind

But after all the bombing and the crime around us have recapitulation
To be able to rise again
Protected by the Himalayan wall and highs
And guided down the graded incline
And pass by the living incarnation
We have one weapon of the culture's last
Determination
Determination


【メモ】
1976年の英国の有名な音楽雑誌メロディー・メーカーに「日本でのみ売れた(成功した)マンダラバンド」という見出しの記事が載ったという(1992年発売の国内CD用ライナーノートより)。確かに英国プログレッシヴ・ロックの勢いが衰える中、LP片面に20分以上の大曲一曲を配したこのアルバムは、もはやイギリス人の心を掴むには遅過ぎた登場であったのかもしれない。

加えてその大曲がチベット語で歌われ、アルバムのコンセプトが1950年代の中国のチベット侵攻をテーマにしたものであることが、このアルバムを一層手を出しづらい存在にしてしまったとも想像できる。まして無名バンドのデビューアルバムである。

しかしその内容の素晴らしさを思えば、「イエスが、リックウェイクマンが幾年を費やして築した帝国を、この恐るべき天才集団は、わずか3日で制覇した。」という、当時のLPの帯に書かれたアオリ文句も、良くぞ書いてくれましたと思わずにはいられない。このアルバムを歴史から消え去ることなく残したのは、まさにこのアオリに反応して本アルバムを手にした日本のリスナーだと言えるからだ。

しかしまたそれが可能になったのは、歌詞に重きを置かずサウンド面の素晴らしさに集中できた日本だったからという見方もできなくはない。イギリス人にとってイギリスのロックバンドなのに英語ではなくチベット語で歌っているアルバムなど、理解不可能なものだったろう。
 
「曼荼羅組曲」と邦題がつけられた大曲は、チベット語による歌詞であり、その内容はチベットの古い経文であると言われるが、内容はわからない。ただLPB面に配されていた4曲はどれも英語による歌詞がつけられ、テーマに沿って違う立場から事件を見つめる内容になっている。

さてその一曲目となるのがこの「Determination」である。この曲はチベットに侵攻する側の人間の視点で書かれている。しかし最初の行で「僕らは迫撃弾と戦車でこの楽園に侵攻した」と、「楽園」という言葉を使っていることから明らかなように、侵攻する側の国(我ら)の論理と、その一員としてその場にいる話者(僕)の心情は、同一ではない。これがこの曲の大きなテーマである。

侵攻・侵略する「僕ら」は、「未開の人々に、より優れた我らの文明への道を開くことで、より大きな自由と解放と平和を与える」という大義を叩き込まれている。 half-casteとは「混血児」のことであるが、特にヨーロッパ人とアジア人、アメリカインディアン、黒人などとの混血のことで、イギリスでは比較的一般的に使われるが、オーストラリアやアメリカでは避けられる表現のようだ。「三人の混血児の父親になる」の「三人」とは、アジア人、アメリカインディアン、そしてアフリカ系黒人を指すとも取れそうである。

チベット侵攻は中国が行なったわけだが、「僕」はそういう意味では“イギリス人/ヨーロッパ人”的であり、それがまた「中国のチベット侵攻」を超え、「文明化」の大義の下でイギリスあるいは西欧人が行なってきた他国への侵略・侵攻をもダブらせる効果を上げている。

僕の苦悩は、自分たちの行動の正当性への疑問である。彼らは本当に未開人で劣った存在なのか、むしろ彼らはすでに自由を得ていたのではないか。そこは武器を必要とせずに賢者が辛抱強く真理を説くことによって変革を進めている「楽園」なのではなかったか。そうした1個の文化を、「僕ら」は今「我ら」の勝手な論理で消滅させようとしているのではないかと。

それは楽園としての日本の村里を滅ぼす「ラスト・サムライ」や、パンドラに軍事侵攻する「アバター」などに繰り返し描かれる、欧米人のトラウマ的苦悩なのかもしれない。

そこでタイトルの「Determination」である。「決意/決心/決断」などの意味を持つこの言葉をどう訳すか。歌詞の最後を飾る言葉でもあり重要な意味を持つと思われる。1992年の日本盤CDの訳詞には

「我々は一つの文化の存命に拘る一発の爆弾を所有している/そんなものを無くしてしまうのを決心するのだ/そんなものを無くしてしまうのを決心するのだ」

と訳されている。命令への反抗の決断を迫る終わり方である。

しかし現実にチベット侵攻は行なわれたという事実を思い、「I'm not sure...(自信が持てないんだが…)」という表現を見る時、わたしは、矛盾に気づき行動を起こそうと自分に迫るラストよりも、揺れている自分の心に、何らかの決断を下さなければいけないという、ギリギリの選択に身を引き裂かれている「僕」の姿を見るのだ。

結論は出ていない。でも出さなければならない。それはもしかすると「大義を受け入れろ」ということになるかもしれない。矛盾を感じ問題を抱えながら、現実に自分はどうするのか。それが実際に現場で事に当たっている者の苦悩ではないかと思うのだ。

歌詞全体に関しては、いくつか記載ミスがあるようで、太字部分は曲を聴いた上で直した。また「betterhood」という言葉は存在しないが、「-hood」で、性質・状態・身分・境遇または特定の人々の集団を表す名詞を作る(例:childhood, likelihood.)ということから、「よりよい存在」と訳した。

勇ましく突進するような、5拍子のキレの良いアンサンブルで始まりながら、内省するような歌詞に合わせるようにスローな4拍子へとリズムチェンジする構成も素晴らしい。

このアルバムは、サウンド的にも強烈な唯一無二な作品であるが、歌詞の面でも非常に特異な存在感を示すものだと言えるだろう。
 

2010年6月15日火曜日

「ヒート・オブ・ザ・モーメント」エイジア

原題:Heat of the Moment








「あの一時の激情」

君に酷く当たろうなんて思っていなかったんだ
それは決してしないと言っていた事
でも君からの一瞥に僕は君の信頼を失うんだと思い
この微笑みが顔から消えそうになった

僕らはよくダンスをしたものだよね
事情により何かが生まれ
それが次から次へと事を巻き起こした、僕らは若くて
一緒にまだ歌われていない歌を大声で歌おうとしていたんだ

それはあの一時の激情
僕の心の内を僕に告げていたもの
あの一時の激情
君の瞳に宿っていたもの

そして1982年の今
ディスコの人気店にはもう君は魅力を感じないし
君は何かより大きなものに関わることができるのだ
君は真珠を手にしドラゴンにまたがり空を飛ぶ

なぜならあれは一時の激情
あの一時の激情
あの一時の激情
君の瞳に宿っていたもの

君の容貌が衰え独りぼっちになった時
いく晩の夜を電話の傍らに座って過ごすだろう
いったい君が本当に欲したものは何だったのか
良く覚えているのは10代の頃の野心だけ

それはあの一時の激情
僕の心の内を僕に告げていたもの
あの一時の激情
君の瞳に宿っていたもの


あの一時の激情
あの
一時の激情
あの
一時の激情...



I never meant to be so bad to you
One thing I said that I would never do
One look from you and I would fall from grace
And that would wipe this smile right from my face

Do you remember when we used to dance
And incidence arose from circumstance
One thing lead to another, we were young
And we would scream together songs unsung

It was the heat of the moment
Telling me what my heart meant
Heat of the moment
Showed in your eyes

And now you find yourself in '82
The disco hot spots hold no charm for you
You can't concern yourself with bigger things
You catch the pearl and ride the dragon's wings

'Cause it's the heat of the moment
The heat of the moment
The heat of the moment
Showed in your eyes

And when your looks have gone and you're alone
How many nights you sit beside the phone
What were the things you wanted for yourself
Teenage ambitions you remember well

It was the heat of the moment
Telling me what my heart meant
Heat of the moment
Showed in your eyes

Heat of the moment
Heat of the moment
Heat of the moment ...

 
【メモ】
1982年、衝撃的なデビューを果たしたスーパーバンドAsia(エイジア)の1stアルバムから、最初のインパクトとなる第1曲目。シングルヒットもした、Asiaの代表曲でもあり、またプログレッシヴ・ロックの“その後”が、一つの完成形として示された曲でもある。

プログレッシヴ・ロックの余韻が感じられる、ドラマチックな展開を詰め込んだ3分間のポップな曲。これはすでにプログレッシヴ・ロックではないという意見も多いだろうけれども、プログレッシヴ・ロックを通過したからこそ生まれた音楽であることは間違いないだろう。

そしてその歌詞であるが、これが実に感傷的な内容なのである。1982年というまさにこのAsiaがこのアルバムでデビューした時点から、若かった過去の「一時の激情」による決別を振り返る歌なのだ。

内容は「僕」が「君」に語りかける設定である。かつて共に若く情熱と野心にあふれていた「僕」と「君」。事情は定かではないが、当時若かった「僕」と「君」に次々と降りかかった出来事の末、「僕」の意に反して二人は離れてしまう。その時の「一時の激情」の爆発によって。

恐らく「僕「が、心の中に隠して自ら気づかないでいようとしたもやもやした感情を自分がわかる「言葉」にして「君」にぶつけてしまったのだろう。それが「君」を傷つけ「君」は恐らく同じような感情の爆発を、無言の軽蔑的な眼差し(「one look」、「showed in your eyes」)として返してきたのだ。

ミもフタもない言い方をしてしまえば、かつて別れる事になった恋人に、あれは一時の激情の出来事だったと言い訳している歌。しかし自分と別れた彼女は、1970年代後半にはディスコに関心を持ち、1982年の今はそれにも飽きて、より大きな事柄に関わろうとしている。そう、竜と竜の玉を手にしたかのごとく。
 
しかし若い頃の美貌も年とともに失われた時、一人寂しく誰かから電話がかかるのを待ちながら夜を過ごし、残るのは若かった頃の野心の思いでだけだ、と「僕」は言う。そこには悔恨と未練の情が見え隠れしているように思える。今は成功している「君」。でもそれは若さがあってこそのもの。その先にはきっと孤独が待っていると。

そこにはむしろ過去を引きずっている「僕」という男の姿が浮かんでくる。

ちなみに竜の玉はインド起源の「如意宝珠」という神通力が込められた玉が起源だとか。五色に光るとされているようで、西洋のドラゴンには存在しないもの。ここではロジャー・ディーンのジャケットにあるような、中国的なドラゴンのイメージが用いられている。五色に光るというところから「pearl(真珠)」と言ったのだろう。ただし「wings(翼)」を持っている点は西欧的ドラゴンか。

そこでその「真珠を手にしドラゴンの背に乗って空を飛んでいる」「君」は、ドラゴンの万能性を手に入れたかのような成功している「君」の姿ではあるが、それは「僕」にとっては一時的なものに過ぎない、はかないものなのだ。躍動感あふれるファンタジックなロジャー・ディーンのジャケットアートは、「君」の力強い生き方を示しているのではなく、一時の夢、さらには「僕」の悲しみを示していると言えるのかもしれない。

こうしてAsiaは、より個人的な内容の詩を歌う事で、直前にジョン・ウェットンが参加していたプログレッシヴ・ロック・バンドU.K.以上に、音だけでなく歌詞の面でもポップになった。

しかしそれは、1970年代を共に過ごしてきたリスナーたちが、より若い世代のパンクやディスコ・ミュージックに居場所を見いだせないでいる中、過去に取り残された男の心情を描く事で、見事にその共感を得られた歌詞だとも言えるだろう。