2012年12月1日土曜日

「パンタグリュエルの誕生」ジェントル・ジャイアント

原題:Pantagruel's Nativity






How can I laugh or cry
When my mind is sorely torn?
Badebec had to die
Fair Pantagruel is born
Shall I weep, yes, for why?
Then laugh and show my scorn

Born with a strength untold
Foreseen to have great age
Set in Gargantuan mould,
Joyful laugh, yet quick to rage
Princely wisdom, habits bold;
Power, glory, lauded sage

Pantagruel born -- the earth was dry and burning
In Paradise dear Badebec prays for him
Pantagruel born -- the earth was dry and burning
In Paradise dear Badebec prays for him

Pantagruel born -- the earth was dry and burning
In Paradise dear Badebec prays for him

How can I laugh or cry
When my mind is sorely torn?
Badebec had to die;
Fair Pantagruel is born
Shall I weep, yes, for why?
Then laugh and show my scorn 

どうすれば笑うことがあるいは泣くことができるであろう
わたしの心はひどく引き裂かれているというのに?
わが妻バドベックは死なねばならなかった
美しきパンタグリュエルは生まれた
わたしは涙を流しても良いだろうか…もちろん、しかし何のために?
そしてその後あざけりの笑いを見せても良いだろうか

未知なる力を持って生まれ 
偉大なる人生を予見され
ガルガンチュア一族らしい容姿で
楽しそうに笑い、かと思うと突然怒り出す
大いなる知恵と大胆な性癖を持つ;
権力、名声、賞賛される賢人

パンタグリュエル生まれる - 大地は渇き燃えていた
天国ではバドベックが彼に祈りを捧げている
パンタグリュエル生まれる - 大地は渇き燃えていた
天国ではバドベックが彼に祈りを捧げている

パンタグリュエル生まれる - 大地は渇き燃えていた
天国ではバドベックが彼に祈りを捧げている

どうすれば笑うことがあるいは泣くことができるであろう
わたしの心は酷く引き裂かれているというのに?
わが妻バドベックは死なねばならなかった;
美しきパンタグリュエルは生まれた
わたしは涙を流しても良いだろうか…もちろん、しかし何のために?
そしてその後あざけりの笑いを見せても良いだろうか


【メモ】 
Gentle Giantの第2作「Aquiring the Taste」(1971)の冒頭曲である。登場するパンタグリュエルとは、フランス・ルネサンス期の人文主義者フランソワ・ラブレー(François Rabelais)が著した物語『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』に登場するキャラクターで、ガルガンチュワ(ガルガンチュア、ガルガンテュアとも)と共に、巨人の一族とされる。

Gentle Giantのサイトにある説明によると、この歌詞の話者はパンタグリュエルの父であるガルガンチュア(Gargantua)とのこと。バドベック(Badebec)はパンダグリュエルの母である。パンダグリュエルが生まれた時、その巨体ゆえに母バデベックは死んでしまった。ガルガンチュアは妻の死と息子の誕生という二つの出来事を前に、感情を引き裂かれることになる。

ガルガンチュアの物語は、政治的風刺とユーモアに彩られた荒唐無稽な長編物語とのことだが、この曲はパンダグリュエル出生時のガルガンチュアの悲劇的状況に焦点を当てた、シリアスでアンビバレントな心情を歌ったものだと言える。

第1連冒頭、「How can I laugh or cry / When my mind is sorely torn?」は、まさにガルガンチュアの嘆きの言葉である。「わたしの心がこれほど酷く引き裂かれている時に、笑うことができるだろうか?あるいは泣くことができるだろうか?」という反語表現である。 

続く二行で補われているように、「笑うことができるか?(いや、できない…なぜならわが妻は死んでしまったのだから)泣くことができるか?(いや、できない…なぜなら今息子が誕生したところなのだから)」ということなのだ。

第1連最後の2行も、ガルガンチュアの心情的混乱が表現されている。ならば泣いて笑おうか?しかし何のために泣くのだ?そして笑いは喜びの笑いではなく、このような運命にさらされた自分へのさげすみの笑いになってしまうだろう、と。ちなみにfor whyは通常は一語forwhyと記し、for what reasonの意味。

第2連はパンダグリュエルの描写である。パンタグリュエルは非常に快活で聡明であることがわかる。「Joyful laugh, yet quick to rage」という描写も気性や性格が荒々しいというよりは、感情が豊かで魅力的な例として挙げられていると思われる。

第3連ではパンタグリュエルと母バドベックが対比される。ガルファンチュアは王として隣国との戦いに明け暮れていたことから、地上は荒れ果てているのだろうか、渇き燃え上がっている地上には生まれたばかりのパンタグリュエルがいる。片や天国ではバドベックがパンタグリュエルのために祈りを捧げている。このコーラス部分を挿むことで、冒頭第1連の繰り返しとなる最終連で「わたし(ガルガンチュア)」の心が、天と地に引き裂かれたかのような重みを持つと言えるかもしれない。

焦点が定まらないようなシンセの音から始まるこの曲。ところが静かに入るケリー・ミネアのボーカルは聖歌隊の少年のように繊細で美しい。するとそれをかき消すようにエレキギターのブレイク。そして再びボーカルが歌い出すとコロコロとピッコロのようなキーボードとブラスが被さる。静と動、聖と俗、繊細さと大胆さ、高貴さと野卑さ。このアンビバレンス。
 
そして歌詞においても、このようなガルガンチュアの複雑な心情を取り上げることは、Gentle Giantが目指していた

「It is our goal to expand the frontiers of contemporary popular music at the risk of being unpopular.(現代のポピュラーミュージックの境界を、ポピュラーミュージックとは呼べなくなる危険を冒しつつ押し広げることが、われわれの目指すところなのだ。)」(アルバムジャケットより)

という姿勢にピッタリであったのかもしれない。この曲は歌詞・楽曲共に、そうした自らが目指していたサウンドのお披露目、あるいはリスナーや既存のポピュラー音楽への宣戦布告のようなものであったとも言えそうである。アルバム・トップを飾るにふさわしい名曲。
 
ちなみに東宝と米国ベネディクト・プロが製作し、1966年(昭和41年)に封切り公開された日米合作特撮映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の海外版タイトルは、「Wars of the Gargantuas」だとか。巨人=ガルガンチュアという連想は、日本人には分かりにくいけれど、欧米では一般的なものなのであろう。

もちろんガルガンチュア/パンタグリュエル=快活で聡明な巨人=ジェントル・ジャイアントである。

 
Gustave DoréによるPantagruel