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2010年12月15日水曜日

「冥府宮からの脱出」グロープシュニット

原題:Symphony / Grobschnitt






 

「旅」

遠くへ、
雲と風が
よく行った場所へ。

遠くへ、
太洋の波が
海岸を押し広げている場所へ。

真東から、真西へ、
そして北から南へと、
僕は旅して見て回るのだ。
僕は山々を登り、
北風を受けよう、
そして活動的で自由な存在でいよう

行ってしまおう、
冬がやって来た時の、
鳥たちのように。

行ってしまおう、
春が間近に迫った時の、
雪のように。

僕は遠くの場所を訪れ、
まだ見ぬ人々に会いたい、
新しい友だちと出会いたいんだ。

近づいて来た好意的なやり手相手には
歌を聴かせてやりたい
ギターも弾いてやりたい

遠くへ、
雲と風が
よく行った場所へ。

遠くへ、
太洋の波が
海岸を押し広げている場所へ。

真東から、真西へ、
そして北から南へと、
僕は旅して見て回るのだ。
僕は山々を登り、
北風を受けよう、
そして活動的で自由な存在でいよう


Far,
where the clouds and the winds,
use to go.

Far,
where the ocean’s waves,
roll a shore.

Just from the east, right to the west,
and from the south into the north.
I’m gonna travel and see.
I’ll try to climb the mountains,
try to face the northern brise,
and beeing restless and free.

Gone,
like the birds,
when the winter appears.

Gone,
like the snow,
when the spring time comes near.

I’ll go to visit distant places,
gonna see some other people,
wanna meet new friends,
I wanna sing a song for every friendly hustler,
who comes by.
I wanna play my guitar.

Far,
where the clouds and the winds,
use to go.

Far,
where the ocean’s waves,
roll a shore.

Just from the east, right to the west,
and from the south into the north.
I’m gonna travel and see.
I’ll try to climb the mountains,
try to face the northern brise,
and beeing restless and free.
  
※ 歌詞はLyricsSpot.comより

【メモ】
ドイツのバンドグロープシュニット(Grobschnitt)鮮烈のデビューアルバムから、スリリングな展開が印象的な2曲目。

邦題のアルバムタイトル曲であるが、オリジナルアルバムはグループ名がアルバムタイトルなので、特別アルバムを代表する曲ということではない。

しかしながら、ツインドラム体制を活かして、トライバルなドラムスと執拗に刻み続けるハイハットが何とも不思議な空気と疾走感を生み出している曲だ。明確なクレジットはないがGünter Blum(ギュンター・ブルム:ドイツの写真家、1949-1997)が描いたとされるアルバムジャケットの印象や、サウンドに感じられるオドロオドロシさから「冥府宮からの脱出」とう物々しい邦題が付けられているが、はたして歌詞はどうなのであろうか。
  
アルバム収録曲は全てドイツ語ではなく英語で歌われているが、作詞はGrobschnittとあるだけである。従ってどの程度の英語レベルのチェックがされているのかはわからない。また歌詞が掲載されていないので、上記のものLyricsSpot.comからの引用である。誰かの聴き取りによるものかもしれない。
  
下線部の「brise」はドイツ語で、英語の「breeze(そよ風)」のこと、「beeing」はミススペリングで「being」のことだとして解釈した。ドイツ語を母国語にする人が、曲を聴き取って英訳したような印象である。「roll a shore」も「roll ashore(海岸でうねっている(波))」なのかもしれない。

ちなみに1977年版の日本盤LPのライナーノートには歌詞が載っていた。しかし解説内でも「歌詞の聴き取りが非常に困難なのだが…」と書かれているように、部分部分が抜けていて(「…」になっている)使えなかった。恐らく日本人スタッフが苦労して聴き取ったものであろうと思われる。

さてその内容であるが、歌詞だけ見るとそこにはオドロオドロシさはない。むしろ今いる場所を後にして(Gone)遠くへ(Far)、世界を旅して周り、色々な人に会い、自分の歌とギターを聴かせたいという、夢と希望に満ちた青年の夢のような内容なのだ。

「Far」も「Gone」も、「Let me be…from here.」が前後で省略されているような意味合いだろう。今この場所を立ち去って、遠くのまだ見ぬ世界のあらゆる場所へと行きたい。その今いるこの場所がどんな場所かは、歌詞の中では触れられていない。意識は旅立つ先へと向っている。

だから現状から逃げたいとか現状に不満を持っているとかいう印象は、この曲からは受けない。そういった社会批判や現状批判、あるいは自己批判の結果として、違う場所へ身を置きたいと言っているわけではないのだ。もっと活き活きと、情熱的に、世界を知りたい、歌とギターだけを友として世界に飛び出していきたい、そういう夢とか希望を歌っているのである。爽やかと言っても良いくらいである。とても「冥府宮(死者の国・黄泉の国の宮殿)」というイメージとはつながらない。

しかしそこがこのアルバムの面白いところで、ジャケットや邦題と、そこで聴かれるサウンドがかけ離れているかというと、そうとは言えないのである。元はサンタナのようなラテンのリズムに興味を持っていたことから、ツインドラム体制になっていたようだが、執拗に刻まれるハイハットや、パーカッション的なドラムスが、ラテン的グルーヴとはほど遠い、一種呪術的な暗黒さをかもし出すのである。

全ての曲において、その歌詞にこの何とも形容しがたい不可思議さと不気味さが影を落とす。クセのあるボーカルも一役買っている。だからこの曲においても、「遠くへ行きたい」「世界を旅して回りたい」というポジティヴな内容にもかかわらず、その訴えが強い分「それが今できない、暗い状況に身を置かされているのではないか」という疑念が湧いてくるのだ。語られない部分に潜んでいる不気味さを感じてしまうのである。

それはバンドの意図していたこととは違うかもしれない。バンドはストレートなロックをやりたかっただけかもしれない。しかしこの不気味さが、このアルバムの個性であり魅力となっていることは確かであろう。

歌詞の内容を知ることは曲を理解する上で大事なことであろう。しかし当然ながら歌詞だけでその曲が成り立っているわけく、サウンドと一体となった時に曲世界が浮かび上がってくるのだということも、 この曲あるいはアルバムを聴いていると痛感してしまうのである。

不思議な魅力を秘めた曲であり、アルバムである。

2009年3月28日土曜日

「至福の歌」グロープシュニット

原題:Symphony

■「GROBSCHNITT
 (
冥府宮からの脱出)より







ぼくは君を見ようとしている
ぼくの両目で君をとらえようとしている
ぼくは君に会おうとしている
この手で君に触れようとしてる

近くで君を感じたい
近くで君の声を聞きたい 聞きたい
今夜君をぼくのものにしたい

あぁ、でも君はただぼくのそばを歩いていくだけ

ぼくは君をぼくのものにしたい
頃合いを見計らって
ぼくは君を手に入れたい
ぼくのものにしたいんだ

ぼくは君と暮らしたい
いっしょにいたい いたい
今二人でいたいんだ

でも、ねぇ君、それにはどうしたらいいか教えてくれないか?


I am trying to see you
Trying to catch you with my eyes
I am trying to meet you
Trying to reach you with my hand

Try to feel you near me
Try try try to hear you near me
Try to make you mine tonight

Ah. but you are walking by

I am gonna to get you
Gonna get you just in time
I am goona to have you
Gonna make that you are mine

I'll make you living with me
Make make make you stay with me
Make us stay together now

But can you baby? You tell me how


【解説】
ドイツのバンド、グロープシュニット(Grobschnitt)の同名のデビューアルバムの冒頭の曲である。バンドは初期の頃から自作ライティングシステム、メーキャップ、パントマイムなど、演劇的要素を盛り込んだステージを行っているが、その妖しさはすでにこのアルバムにも滲み出ている。

この「至福の歌」の音楽的特徴は、最初に調子っぱずれのコーラスからボーカル部分が歌われ、その後14分近い本作のほとんどがインストゥルメンタル・パートとなる点。ボーカルパートはダブル・ドラム編成を活かしたパーカッシブで乗りのよいパート。しかし何かが妖しい。ドラムが2セットあるのにハイハットをダブルで刻んだり、スネアが小太鼓的な使われ方をしたり、どっしりとしたロックな力強さがないのだ。この不思議な音空間が実はグロープシュニットの本デビューアルバムの魅力でもある。

インストパートは実際の弦楽器の音が入るところから始まり、その後は若干ピンク・フロイドに似て、スローテンポにオルガンが鳴る中で、ギターのソロが続く。中盤から後半の盛り上がりが聞き所。ただフロイド的な浮遊間や間の妙みたいなものはなく、ギターは弾きまくっている。鳴り続けるオルガンとピアノが美しい。終盤エレクトロニクスSEが飛び交うあたりが妖しさを倍増させる。

歌詞は、よく言えば一人の女性に一途、悪く言えば妄想ストーカーのような内容である。「〜しようとしている」の繰り返し。努力しているのだろうが、「君は近くを歩いているだけ(you are walking by)」なのだ。

第2連は「Try」という動詞で始まっているが、第1連につながる「話者」の気持ちだとわかるため、すべて「I try」の省力として解釈した。つまり内容的に第1連と同じ、「話者」の行動、それも相手に伝わらない独りよがりの行動、あるいは行動にもなっていない強 い願望である。

「gonna」は「goinng to」のくだけた綴り。「〜するつもりだ、〜しようと思っている」の意。「just in time」は「ちょうどよい時に」。最後の「Can you baby? You tell me how」は、「Can you tell me how baby?」ということを「話者」が、言いよどみながら表現したと取った。

サウンドも妖しいが、歌詞もどことなく妖しい。もしかしたら「ぼく」は「君」とは一度も話したことがないんじゃないか、「君」は「ぼく」のことを全く知らないんじゃないか、そんな気さえしてしまう。冒頭の神聖な合唱隊のイメージを崩す調子の外れたコーラスの暗さが思い出される。

ボーカルパートのサウンドは威勢がよくスリリングですらあるが、若干ドラムのリズムがもたつく。そして後半のインストゥルメンタル部分は陰鬱そのものである。和訳タイトル「至福の歌」ということなのなら、「ぼく」個人の中で閉じた至福かもしれない。想いをつのらせ想像をたくましくさせて喜びに浸っている至福。現実には「僕」は、インストゥルメンタルパートに見られる闇の世界にいるかもしれない。

何とも不思議なサウンドのグループである。その不思議さがジャケットの不気味さと結びついて、独特の暗い魅力を発散している。

なお英詞は日本版LPに載っていた英文歌詞を使った。