2013年9月22日日曜日

「ダイアナ」コーマス

原題:Diana

First Utterance収録






彼は欲望に身を任せ美徳は終わりを告げ

蒸し暑い森林を通り抜けていく
彼の黒ずんだ血液は浮き上がった血管を流れ
蒸し暑い森林を通り抜けていく

彼が欲望に静かに身を任せることを美徳は知っている

蒸し暑い森林を通り抜けて
酷い震えが素早く伝わる
樹木に覆われた小道の先へと

鈍い光をじっと見つめながら彼女は逃げる

松林を抜けて
彼女はうなり声を聞いて悟る
猟犬のうなり声で悟る

ダイアナ ダイアナ 頑張って歩け

欲望は歯をむき出し鳴き声を上げる
純潔の臭いを嗅ぎ付けたのだ
狂乱状態に感づいたのだ

欲望は彼の目を使って声を上げながら走り回る

白衣の人物は消え去る
ぬかるみがその目を焦がすが
欲望はその心を焦がす

森が牙をむくと彼女の目には恐怖が浮かぶ

蒸し暑い森林を通り抜けて
欲望は今彼の魂を打ち砕いた
抗う気持ちは砕け散った

鈍い光をじっと見つめながら彼女は逃げる

松林を抜けて
彼女はうなり声を聞いて悟る
猟犬のうなり声で悟る

ダイアナ ダイアナ 頑張って歩け

欲望は歯をむき出し鳴き声を上げる
純潔の臭いを嗅ぎ付けたのだ
狂乱状態に感づいたのだ

Lust he follows virtue close
Through the steaming woodlands
His darkened blood through bulging veins
Through the steaming woodlands

Virtue knows he follows softly
Through the steaming woodlands
Travel light the deathly shudder
Down the leafy pathway

The dim light she comes peering
Through the forest pines
And she knows by the sound of baying
By the baying of the hounds

Diana Diana kick your feet up
Lust bares his teeth and whines
For he picked up the scent of virtue
And he knows the panic signs

Lust cries running with his eyes
The white-clad figure fleeting
Mud burns his eyes
But desire burns his mind

Fear in her eyes as the forest grins
Through the steaming woodland
Lust now his soul destroyed
With enmity disarmed

The dim light she comes peering
Through the forest pines
And she knows by the sound of baying
By the baying of the hounds

Diana Diana kick your feet up
Lust bares his teeth and whines
For he picked up the scent of virtue
And he knows the panic signs


【メモ】
Comusというグループ名は17世紀英国詩人ミルトン(John Milton)の「仮面劇コーマス(Comus)」(1634年)より取られたとされる。Comusはギリシャ神話の酒神バッカス(Bacchus)と魔女キルケーの子どもで快楽と音楽の神の名前であり、森にいて放埓を勧める淫猥な魔術師として描かれる。その森を彷徨い惑わされた乙女(Lady)の救出劇である。

劇ではComusはLadyを自らの快楽の館(pleasure palace)に連れて行き、魔法で動けなくした上で、手を尽くしてLadyに誘惑の言葉を投げかける。しかしLadyはその誘惑を頑に拒絶する。最後Ladyの二人の兄弟と守護霊(Attendant Spirit)が現われLadyは救われ、その純潔は守られるのである。それはMiltonのプロテスタント的倫理観の現われだと言われている。

さてそこでこの歌に内容について考えてみたい。
森を彷徨い逃げ惑う乙女ダイアナ(Diana)と、欲情に支配され彼女を追い詰めようとする彼(he)を歌った内容だということは分かる。彼は猟犬と共に彼女を追っている。

「仮面劇コーマス」の物語に於いては、ComusはLadyを二人の兄弟のところへ連れて行くと偽って自分の城へと導くことになっているので、逃げ惑うLadyを襲わんとして追いかけるというような場面は無い。しかし誘惑する男Comusと拒むLady、そして二人を取り囲む森(woodlands、forest)という設定は大きく影響していると言えそうである。

あるいは古典的会話劇にインスパイアされ、より現代的で劇的な一場面として作り替えたのかもしれない。「steaming woodlands(蒸し暑い森林)」とは真夏の森のことだろうか。

第一連の表現には性的な言葉が多く使われている。「lust」は強い性欲、及び聖書では罪とされる官能的欲望を示す言葉だし、「virtue」は一般的な美徳という意味に加え「純潔、貞操」の意味を持つ。「bulge」にも「膨れ上がる」という動詞以外に、「男性の股間の膨らみ、男性器」という意味がある。だから最後の部分は極めて性的なイメージに繋がる。

第二連でDianaの持つvirtue(美徳/貞操)は、「彼」の強烈なlustを感じ取っている。そのおののき/震えは森の端々にまで伝わってしまう。

第三連の「鈍い光」は追手である「彼」の持つ松明であろうか。つまり時は夜なのだ。そこは真夏の夜の森なのである。猟犬の吠え声も聞こえる。危険はすぐそばに迫っているのだ。

第四連ではDianaを励ます言葉(命令文)として「kick your feet up」とある。「足を高く上げる」と言うよりは、「止まりそうな足をムチ打って動かす」という感じと考えた。

第五連は「彼」の描写である。すでに「彼」は「lust(欲望)」の虜であり、欲望が彼を支配し、彼の目を使って追いかけているような状態なのだ。「white figure(白い人影)」はDianaのことであろう。「彼」はDianaの姿を一瞬捉えたのだ。泥はねで視界は遮られても、「欲望は心を燃やし尽くす」。ここでの「mind」は「知性、思考」という知的な活動を示しているのだろう。つまり考える力や判断する力を失うほどに、彼は欲望に満たされているのだ。

それは次の第六連にも通じる。「森が牙をむく」とは、茂った木々が彼女の行く手を阻む様子だろうか。そして「欲望は今彼の魂を打ち砕いた/抗う気持ちは砕け散った」と、「彼」が欲望に支配されたことが再び語られるのだ。「mind」が焼き尽くされ「soul」が打ち壊された「彼」には、最早欲望に抗う気持ちなど残っていないのである。

曲調はスローで思いの外ポップ、か細い女性ボーカルと荒っぽい男性ボーカルが薄気味悪いが、こうして背景を追ってみると演劇的というか劇伴音楽的で、どこかしらコミカルさも感じられる物語性があるのだ。舞台で例えば森の精たちとかが歌いそうである。決してドラッギーな妄想を生のまま歌にした感じではない。

それは一聴した声の怪しさに反して、ボーカルは音程も安定していてハモりも奇麗で、実はかなり上手いこと、さらにアコースティック楽器アンサンブルが実にしっかりしていることにも寄るだろう。だから逆に冷徹な狂気さも増すとも言えるのだけれど。

同様に「lust」に支配されたComusは、1stアルバムの「Song to Comus」でも語られる。そういう意味ではこの「First Utterrance」は、「仮面劇コーマス」にヒントを得て、オリジナルの猟奇的人物Comusを題材とした、一種のコンセプトアルバムと言っても良いのかもしれない。

文法的にすべて上手く説明できるわけではない部分は、付帯状況のように訳してあるのでお気づきの点などありましたらご指摘いただけると有り難いです。

次はComus流狂気ソングの頂点「Drip Drip」を取り上げようかな。

2013年5月23日木曜日

「プロクラメイション」ジェントル・ジャイアント

原題:Proclamation

The Power & The Glory(1974)収録






欲しいものや必要なものが全部は手に入らないとしても

あなた方が今手にしているもの全ては私の力によるものである、
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
そこで口を開き、主張できるのは誰だ?

今現在我々の置かれている状況というのは

幸とも不幸とも言い難いものだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私なら口を開き、 主張をすることができる
万歳…万歳…万歳

団結こそが力ゆえ誰もが一つにならねばならない、

あなた方は自信に満ち私も希望にあふれるだろう
1人1人が国民だとは思っていないのだ
なぜなら皆は私の民でありそれは変わるはずのないことだからだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私は口を開き、主張をしようと思う

万歳…万歳…万歳

大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳
大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳

大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳
今日も明日も 

今現在我々の置かれている状況というのは

幸とも不幸とも言い難いものだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私なら口を開き、 主張をすることができる
万歳…万歳…万歳

団結こそが力ゆえ誰もが一つにならねばならない、

あなた方は自信に満ち私も希望にあふれるだろう
1人1人が国民だとは思っていないのだ
なぜなら皆は私の民でありそれは変わるはずのないことだからだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私は口を開き、主張をしようではないか

You may not have all you want or you need
all that you have has been due to my hand,
it can change, it can stay the same,
who can say, who can make their claim

The situation we are in at this time
neither a good one, nor is it so unblest
it can change, it can stay the same,
I can say, I can make my claim.
Hail ........ Hail ........ Hail

Unity's strength and all must be as one,
confidence in you hope will reflect in me
I think everyone not as my nation for
you are my people and there must be no change
It can change, it can stay the same
I will say, I will make my claim

Hail ........ Hail ........ Hail
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Day by day.


The situation we are in at this time
neither a good one, nor is it so unblest
it can change, it can stay the same,
I can say, I can make my claim.

Unity's strength and all must be as one,
confidence in you hope will reflect in me
I think everyone not as my nation for
you are my people and there must be no change
It can change, it can stay the same
I will say, I will make my claim.



【メモ】 
タイトルの「The Power and the Glory」は実際の力(power)と、それが強制的・服従的なものではなく、名誉(fame)や賞賛(admiration)に基づいた高い評価=栄光(glory)であることの、両面を示した言葉と言える。単に強大な力・権力があるだけでなく、その行いや人物に対する高い評価も伴っているのである。

例えば聖書の「マルコによる福音書 13:26」に

Then they will see the Son of Man coming in clouds with great power and glory
(そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。)

とあるように、それはまさに神のように、賞賛され崇拝されるべき絶対権力者を表す言葉なのである。 

当然政治における権力者も、力だけでねじ伏せるような単なる圧政者・独裁者ではなく、このthe power and the gloryを有する者を目指す。為政者としての高い評価を得たいわけだ。平たく言えば“人気者”になることを望むのである。

このGentle Giantの第6作目となる「The Power and the Glory」は、そんな政治的権力者の夢と挫折を描いたコンセプトアルバムと言われる。ちなみにグレアム・グリーンにより「権力と栄光」(The Power and the Glory)という長編小説が1940年に出版されているが、Derek Shulmanによれば、その小説に着想を得たわけではないとのこと。

曲はどよめく歓声の上をハネルように軽やかなエレピに導かれ、エコーがかかったボーカルが歌い出す。「Proclamation」とは「宣言、声明」ということなので、権力の座につこうとしている者が、民衆を前に演説をしている風景が目に浮かぶ。

アルバム構成として同じメロディーが最終曲「Valedictory」(別れの言葉)でリプライズされる。この両曲はアルバムの最初と最後に配され、サウンド的にも歌詞的にも明/暗、テーマに沿って言えば希望・熱意/失意・落胆という相対する関係にあると言える。従ってこの「Proclamation」は、まだ自信に満ちた為政者(権力者)としての演説風に訳すことにした。

第一連冒頭、「私」の演説は「You may not have all you want or you need(あなたたち民衆が欲しいものや必要なものを、全部手に入れることはできないかもしれない)」という言葉から始まる。 ここは「not...all...」で部分否定(全てなわけではない/できない部分もあるかもしれない)と解釈した。「求めるものは全て手に入る」と言い切ってしまうより、はるかに誠実だし、民衆の心に訴えるには効果的な言い回しだ。

そしてすかさず2行目で「all that you have has been due to my hand(あなたたちが手にしているものは全て、私の手によるものなのだ。)」 と、未来のことはまだわからないにしても、今手にしているものは全て、私がこうして統治しているから手に入ったものなのだ、と説く。説得の技術を見る思いがする。こうして自分の力や成果を、民衆に印象づけるわけである。

「私」は再び未来のことに触れる。「it can change, it can stay the same(変わることもあり得るし、同じままということもあり得る)」と、やはり安易に未来の夢は約束しない。しかし「who can say, who can make their claim(いったい誰が口を開き、要求をすることができるだろうか?)」と民衆に問う。ここは?マークはないが、反語的疑問文と解釈した。隠された意味は、「いや誰も何も言えはしないだろう…この私を除いては」であろう。この部分の言い回しはこの後繰り返されるごとに、巧みに変化していく。

第二連、現在の状況を手放しで喜んでいるわけではない。「neither a good one, nor is it so unblest = it is neither a good one nor so unblest(幸福な世界でも不幸な世界でもない)」と「私」は言う。もちろんどんな社会にも幸せな人もいれば不幸な人もいる。現状を完全に肯定することは不幸な人を切り捨てることに繋がるのだ。

今の世の中はまだ不完全であり、「変わるとも言えるし変わらないとも言える」と予断を許さない状況であることを説いた上で、「I can say, I can make my claim(わたしなら声を上げられる、私なら主張できる)。」と続ける。「私」の経験や力を持ってすれば、何とか良い方向に変えていくことができる、「私」はその役に相応しい、そう言っているのである。何と典型的な政治家的スピーチであろうか。

ここで第一連では「who can say, who can make their claim」だったのが、「I can say, I can make my claim」と変わっている点が巧妙である。「私」を静かに主張し始めたのだ。でもまだ「can(できる)」と言っている。能力があると言っているのである。
 
第三連では「私」は民衆の団結(unity)を説く。「Unity's strength = Unity is strengh(団結は力なり)」、そして「all must be as one(全員が一つにならねばならぬ)」。

続く「confidence in you hope will reflect in me」は「confidence (will reflect) in you / hope will reflect in me」と、同じ形の文章が省略されて並んでいるものと考え「(団結して一つになれば)あなた方は自信に満ち、私は希望にあふれるだろう。」と解した。

続く二文はちょっと分かりづらい。前半の最後の「for」を「なぜなら…」と取って、二文目がその理由にあたると考えた。「1人1人が国民だとは思っていないのだ。なぜなら/あなた方は私の民であり、それは変わるはずのないことだからだ。」とは、国家という制度上に成り立っている為政者と民衆という図式を否定している言葉なのではないかと思う。
 
それはイデオロギーとして全体主義とか共産主義を押し進めようということではなく、個人的な信頼と賞賛の気持ちに基づいた、リーダーと集団との関係みたいなものを、ここでは述べているように思う。だから制度とか体制とかに関係なく、私たちの関係は「there must be no change(変わるはずが無い)」のである。国の為政者として制度に則って選ばれたのではなく(実際そうだとしても)、あなた方1人1人のリーダーとして今ここにいるのだ…というような感じである。

その信頼関係は、これからの社会が「It can change, it can stay the same」と未だわからないものであっても、「no change(変わることは無い)」のだという対比にもなっている。

そして第三連最終行は「I will say, I will make my claim(私は口を開き、私の主張をしよう)」で終る。ポイントは第二連と比べてcan(能力/可能性)からwill(未来/意志)に助動詞が変わったところだろう。「(やる/やらないは別にして)できる」と言っていたのが、明確に「しよう/したい」という意志を示す表現になっているのだ。

こうしてジワジワと「私」は自分の強い意志を段階的に表に出して来たのである。そうすることで少しずつ民衆は「私」の演説に説得させられていくのだ。そして「万歳」「大いなる力を栄光につつまれた前途(way)に万歳」と歓呼の声を上げるのである。

最終二連は、第二連と第三連の繰り返しだが、テンポが上がりアンサンブル的にもより軽やかになっている。そこにそこはかとない「私」の演説の白々しさが感じられるような気がする。

先に触れたようにこの曲は最終曲と対になっていて、希望・熱意/失意・落胆という関係が形作られている。ということは少なくともここでは、言葉巧みに民衆を騙し煽動し、甘い汁を吸おうとしていたわけではなく、権力と栄光を以て「私」は確かに良い為政者になろうとしていたのだとも考えられる。

ならばアップテンポ部分から感じられるのは、「白々しさ」と言うよりは「空虚さ」と言う方が正しいかもしれない。実際その方がリアリティーがあるかもしれない。政治的言説にみられる悪意の無い空虚さ。 そして直面する現実と挫折の予感。この詞はそうした雰囲気を実によく表現したものと言えるだろう。

ちなみに2010年にリード・ボーカルだったDerek Shulmanから、このアルバムに基づいたアニメーション(animated film)を制作中とのアナウンスがあったようだが、いかにもイギリスらしい話という感じがする。なぜかGenesisの「Invisible Touch」(1986)収録曲「Land of Confusion」のPVが浮かんでしまいました。 

2013年4月18日木曜日

「モッキンバード」バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェスト

 原題:Mockingbird

Once Again(1971)収録






雨、海、波、砂、雲そして空

ねぇ君、さぁもう泣くのはお止め
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために

雨、海、波、砂、雲そして空
時が経てば君の涙も枯れ果てることだろう
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネシツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために


雨、海、波、砂、雲そして空

愛の涙が今は消え去ったことに感謝しよう 
マネツグミが樹々の中で
歌を歌っているよ
マネツグミが
歌を歌ってくれているよ
君と僕のために

 

Rain, sea, surf, sand, clouds and sky
Hush now baby, don't you cry
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Just for you and me

Rain, sea, surf, sand, clouds and sky
Time will see your tears run dry
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Just for you and me

Rain, sea, surf, sand, clouds and sun
Bless the tears of love now gone
There's a mocking bird
Singing songs in the trees
There's a mocking bird
Singing songs
Singing just for me... 


 

【メモ】 
叙情派シンフォニック・ロックとして人気のBarclay James Harvestの1971年作「Once Again」から、その後ライヴでも定番曲となっている「Mockingbird」である。

グレゴリー・ペック主演の1962年のアメリカ映画「アラバマ物語」は原題が「To Kill a Mockingbird」である。原作の小説「To Kill a Mockingbird」はハーパー・リー(Harper Lee)によって書かれ、1961年のフィクション部門でピューリツァー賞を受賞を受賞している。そこには次のような文章がある。

「Mockingbirds don't do one thing but make music for us to enjoy. They don't eat up people's gardens, don't nest in corncribs, they don't do one thing but sing their heart out for us.」

「マネツグミは、音楽を奏でて私たちを楽しませる意外、何もしないのよ。私たちのお庭も食べ荒らさないし、トウモロコシ倉庫に巣作らない。ただわたしたちのために声高らかに歌うだけなのよ。」

「shoot all the blue jays u want...but remember it's a sin to kill a mockingbird,」

アオカケスは好きなだけ撃っていい…でも覚えておくんだ、マネツグミを殺すのは罪なことなんだってね。」

アメリカ南部の街である黒人男性が冤罪を着せられる。弁護士のアティカス・フィンチ(Atticus Finch)がそれを晴らすべく奮闘するのだが、言うまでもなくタイトルのMockingbirdはこの黒人男性を、あるいは“無罪・無垢”というものを象徴していると考えられる。

名前の通りマネシツグミ(mockingbird)は多くの鳥の鳴きマネをして、多彩な鳴き声で聞く人と楽しませてくれると言う。人が困るような悪さもしない。そこから美しい声で鳴く純真な鳥といったイメージが少なからず共有されていると思われる。少なくとも獰猛さや不吉さや不気味さなど、荒々しいイメージや禍々しいイメージはないということを確認しておきたい。

 Mockingbird(マネシツグミ)
 
それでは歌詞を見てみたいと思う。

場所は海辺であろうか。「君」と「僕」の他に人はほとんどいないかのようだ。雨が降る中、二人は静かに寄り添っている。「僕」が「君」に言う。「もう泣くのはお止め。」と。泣いている「君」を「僕」がなだめている様子から、一応「僕」が男性で「君」が女性だと思われる。歌っているBarclay James Harvestも男性バンドだし。

彼女は泣いている。恐らくずっと泣いていたのだろう。 その彼女を慰めるために「マネシツグミが二人のために歌を歌ってくれているよ」と「僕」は言う。歌の美しさや清らかさには、「僕」の優しい気持ちが託されている

そして大切なのは「君と僕のために」という部分。つまり二人を祝福しているかのように。つまりここで「僕」は、二人は今でも恋人同士だと「」に伝えているのである
 
では二人はどういう状況なのか。二人に何が起ったのか。「僕」が再び言う。「時が経てば君の涙も枯れ果てることだろう。」と。これはつまり何らかのトラブルは「君」に原因があることを意味する。「僕」に原因があるなら、こんな無責任な言葉が出てくるはずが無い。時が経って忘れてしまうしか無いと「僕」は言っているのだから。

ではどのようなことが考えられるだろうか。考えられそうなのは「君」の“ちょっとした浮気/一時的な心変わり”ではないかと思う。「君」は今それを悔いて泣いているのだ。

最後に「僕」が言う。「愛の涙が今は消え去ったことに感謝しよう」。「愛の涙」とは、恋愛がらみの辛い出来事(浮気・裏切り)に流す悲しみの涙を言っているように思う。それは「君」が犯した罪であるが、「僕」は「君」がそれを悔いて帰ってきたことで、もうトラブル終ったことを喜ぼうと言っているのだ。つまり「君を許す」と言っているのである。

そして繰り返す。「マネシツグミが歌を歌ってくれているよ君と僕のために」、恋人同士である僕ら二人のために、と。

雨に煙る美しい風景の中で、自らを責めて悲しみに打ちひしがれる女性と、それを許し慰めようとしている男性。その「僕」の苦しくも切ない彼女への思いが、この繰り返しの多いシンプルな歌詞からひしひしと伝わってくる

そしてもちろんバンドとオーケストラが一体となったドラマチックな演奏が、「君」と「僕」それぞれの悲しみを、さらに感動的に描き出している。 

初期のBarclay James Harvestらしい、若々しい朴訥さと一途さを感じさせるシンプルな歌詞が強い印象を残す名曲。ちなみにオーケストレーションは後にThe Enidを結成するRobert John Godfreyである。
  

2013年1月26日土曜日

「サパーズ・レディ v〜vii」ジェネシス

 原題:Supper's Ready

Foxtrot(1972)収録






v.柳農場

もし君が柳農場まで行ってみたなら、
チョウチョウやジョウジョウやショウショウを見つけにね。
目を見開くんだ、そこは驚きに満ち、そして誰もが嘘つきだ、
まるで追い詰められたキツネのように、
そしてオルゴールのように。

あぁ、母さんと父さんがいる、善と悪もある、
そして誰もがここでは幸せだ。

女装したウインストン・チャーチルがいる、
彼はかつて英国国旗で、ビニール袋だった、まったく女装だなんて。
カエルが王子なら、王子はレンガだった、
そしてレンガはタマゴで、
タマゴは鳥で、
聞いたことなかったかい?
もちろん僕らは魚のように幸せで、ガチョウのように格好良い、
そして朝のうちならびっくりするほど清潔だ。

僕らはすべてを手に入れた、僕らはあらゆるものを育てている、
中に入って来るものもあるし
外に出て行くものもある
近くでうろついている野蛮なものもいる。
みんな、僕らは変わり続けているんだ、
全員の名前だって言えるし、
全員をここに集めらることもできる。
そして本当のスターはまだ現れない
すべてよ変われ!

カラダが溶け出すのを感じるんだ;
母さんは泥にそして狂人にさらに父さんに
父さんはだらだらお仕事、父さんはだらだらお仕事、
あなたたちたちは大バカだ。

父さんはダムにそして罵りにさらに母さんに
母さんはだらだらお洗濯、母さんはだらだらお洗濯。
あなたたちは大バカだ。
あなたたちたちのウソを聴かせてくれ、僕らはめちゃくちゃ忙しく生きているんだ。
ウーウーオー
母さん、僕のところにすぐ来て。

あなたが僕の声を聞いてくれて
隠されたドアを、こぎれいな床を、もっと多くの賞賛を探してくれたから。
あなたはいつだってここにいたんだ、
好むと好まざるとにかかわらず、あたなが得たものを好んでいる、
あなたは地面の下深くにいる、
そう地面の下深くに。
笛の音と銃声を合図に終りにしよう
僕らは皆今の持ち場に適任なのだ。

vi  9/8拍子の黙示録(共演はユーモアの才能豊かなガブル・ラチェット)

メーゴグの番人たちが、群れ無してうろつく中、
ハーメルンの笛吹きは子どもたちを地下へと連れ去る。
ドラゴンが海から出現し、
そのきらめく銀色の英知の頭が僕を見据える。
彼は天上から火をもたらす、
人間の目からすれば彼はうまくやっていると言えるだろう。
でも妥協しない方が良い。
簡単なことではないだろうけれど。

悪魔の印666はもはや一人ではない、
それは君の背骨にある骨髄を抜き出すのだ、
そして7本のトランペットが甘美なロックンロールを奏で、
それは君の心の内側で鳴り響こうとしている。
鏡を持ったピタゴラスはそこに満月を映し、
受け継いだ資質で真新しい曲の歌詞を書き綴っている。
 
… やぁ君、その顔にある守護の瞳はとても青ざめているね、
ねぇ君、君は僕らの愛が真実であることを知らないんだね、
僕はここからとても遠い場所に行っていたんだ、
君の愛情あふれる腕の中から遠い場所に、
さあ僕は戻って来た、だから君ものごとはきっと上手くいく。


vii タマゴがタマゴであるくらいに確かなこと(男達のズキズキ痛む足)

君は僕らの魂が燃え上がるのを感じられないのかい
めくるめく色を発しながら、消え行く夜の暗闇の中で、
海に合流する川のように、タネから芽が育つように
僕らはついに解放され家に帰ることができたんだ。

陽の光の中に天使が立っている、彼は大声で叫んでいる、
「これが大いなるお方の晩餐です。」
君主の中の君主、
王の中の王が
子どもたちを家へと導くために帰ってきたのだ、
かれらを新しいエルサレムへと連れて行くために。 

v.Willow farm

If you go down to Willow Farm,
to look for butterflies, flutterbyes, gutterflies.
Open your eyes, it's full of surprise, everyone lies,
like the fox on the rocks,
and the musical box.

 
Oh, there's Mum and Dad, and good and bad,
and everyone's happy to be here.

  
There's Winston Churchill dressed in drag,
he used to be a British flag, plastic bag, what a drag.
The frog was a prince, the prince was a brick, 

the brick was an egg,
and the egg was a bird,
Hadn't you heard?
Yes we're happy as fish, and gorgeous as geese,
and wonderfully clean in the morning.

  
We've got everything, we're growing everything,
We've got some in,

We've got some out,
We've got some wild things floating about.
Everyone, we're changing everyone,
You name them all,
We've had them here,
And the real stars are still to appear.
ALL CHANGE!

  
Feel your body melt;
Mum to mud to mad to dad
Dad diddley office, Dad diddley office,
You're all full of ball.

 
Dad to dam to dum to mum
Mum diddley washing, Mum diddley washing.
You're all full of ball.
Let me hear your lies, we're living this up to the eyes.
Ooee-ooee-ooee-oowaa
Momma I want you now.

  
And as you listen to my voice
To look for hidden doors, tidy floors, more applause.
You've been here all the time,
like it or not, like what you got,
You're under the soil,
yes deep in the soil.
So we'll end with a whistle and end with a bang
and all of us fit in our places.


vi.Apocalypse in 9/8 (Co-starring the delicious talents of Gabble Ratchet)


With the guards of Magog, swarming around,
the Pied Piper takes his children underground.
Dragon's coming out of the sea,
shimmering silver head of wisdom looking at me.
He brings down the fire from the skies,
You can tell he's doing well by the look in human eyes.
Better not compromise.
It won't be easy.

 
666 is no longer alone,
He's getting out the marrow in your back bone,
And the seven trumpets blowing sweet rock and roll,
Gonna blow right down inside your soul.
Pythagoras with the looking-glass, reflect the full moon,
In blood, he's writing the lyrics of a brand new tune.

  
And its hey babe, with your guardian eyes so blue,
hey my baby, don't you know our love is true,
I've been so far from here,
far from your loving arms,
now I'm back again, and baby it's going to work out fine.



vii.As sure as eggs is eggs (Aching men's feet)


Can't you feel our souls ignite
Shedding ever-changing colours, in the darkness of the fading night.
Like the river joins the ocean, as the germ in a seed grows
We have finally been freed to get back home.

  
There's an angel standing in the sun, and he's crying with a loud voice,
"This is the supper of the mighty one".
Lord of Lord's,
king of Kings,
has returned to lead his children home,
to take them to the new Jerusalem.


    
【メモ】 
前半に引き続き、後半v〜viiについて見てみよう。

v Willow Farm
「Climbing out of the pool, they are once again in a different existence.  They're right in the middle of a myriad of bright colours, filled with all manner of objects, plants, animals and humans.  Life flows freely and everything is mindlessly busy.  At random, a whistle blows and every single thing is instantly changed into another.」
「水たまりをよじ上って脱出すると、彼らは再び別の存在の中に入り込んでいる。彼らは無数の鮮やかな色彩の真ん中にいる。命は自由に動き回り全ては無遠慮なほど活動的だ。行き当たりばったりに笛の音が響き、一つ一つの物が全て即座に別の物へと変化していく。」 

v のラストで「A flower?(花、だって?)」と唐突に何かのイメージに襲われたかのようだった「僕」は、このv では躁転したかのように妄想の連鎖に捕われる。連鎖をつなぐのは言葉遊びだ。Peterは様々な声音を使い分けて歌い、音楽はさながらボードヴィルのような下世話さを見せる。まるで空騒ぎのようだ。

「花(flower)」からの連想で「蝶(butterflies)」が出てきたのではないかと思うのだが、その「butterflies」はすかさず「flutterbyes、gutterflies」と意味のない言葉に変換されていく。メタセシス(metathesis:音位転換)的言葉遊びである。続く行も「surprise」「lies、「fox」「rocks」「box」、「Dad」と「good」と韻を踏んでいる。と言うか、韻を踏ませるために脈絡もなく単語を並べたかのようである。 

Winston Churchillは第二次世界大戦当時のイギリスの首相だが、「女装していた(dressed in drag)」という奇抜なイメージと、単に「drag」「flag」「bag」という言葉遊びに引きづり出された感が強い。「drag」から「frog」「egg」と韻が踏まれ、さらに「bird」「heard」と畳み掛るように 繋がっていく。「僕」の意識から理性は失われ世界は音だけを頼りにぐるぐると回っているかのようだ。

さらに「We've got...」という表現が何回も続いて「変わる(change)」「全ての〜(every- 」という単語が繰り返される。意識は一種の万能感へと高まって行く。しかしまだ完全ではない。「本当のスターはまだ現れない(real stars are still to appear)」。

そして「ALL CHANGE!」で一旦ブレイク。これは笛の音ととも鉄道で使われる表現で「全員降りて下さい!」というもの。この「降りる=終る」という一言で「変わる(change)」 という言葉の意味をひっくり返しているのだ。

そしてまるでギアチェンジしたかのように、音楽のテンポが上がり、混乱と混沌とが加速する。「からだが溶けるのを感じるんだ(Feel your body melt)」は、「僕ら」の状況を「君」に伝えているのだと思われるが、結局「僕」の状況を言っているのであろう。「Mum」「mud」「mad」と単語も溶けるように変化していく。「diddley」という単語は見当たらないのだが、「didle(時間を浪費する/ブラブラする)」」という言葉を連想させる。「didle」には別に「だます、ペテンにかける」という意味もある。「full of ball」という表現は見当たらなかったが、「ball」には「nonsense(無意味)」という意味があるようなので、「大バカだ」と訳した。
 
ここでは音を面白がりながら、すでに文法的な構造を無視して単語だけを並べた、まるで幼児言葉のような雰囲気が感じられる。理性は溶け出しているかのようだ。「Mum」と「Dad」を卑下しているかのようでいて、「母さん、僕のところへすぐに来て。(Momma I want you now.)」 といきなり叫ぶのも、まるで幼児のようである。そこからは意識は退行し感覚だけが強まっている状況が感じ取れる。

リズムは再び最初に戻って、「僕」の叫びに自問自答するように「And as you listen to my voice」と続くので、この部分の「you」は恋人ではなく「Momma」だと解釈し訳した。「ここに来て!」と言いながら、実は「あなた」はいつも自分のためを思って自分のそばにいてくれた。 それも目に見えない「地中に(under the soil)」。ここでも「doors」「floors」、「not」「got」と韻を踏んでいる。 

そして「whistle(笛の音)」と「bang(バーンという音:ここでは銃声が響いているので「銃声」とした)」で一旦「僕」の興奮は落ち着きを取り戻す。まるで休憩の合図のようである。音が進行上大きな役割を果たしているのも、非常に感覚的な状態を示している感じがする。 

このv では、「僕」の感情は乱れ言葉は遊びを繰り返し、退行するかのような様相を呈する。ある意味ドラッグ的である。このままだと混乱とナンセンスの世界なのだが、終盤viとviiで、それは大きく意味合いを変えていくことになるのだ。 

ちなみにWillow Farmという名前の場所がロンドン郊外にある。かつては言葉通りの農場だったのが、今はちょっとした遊園地のような場所になっているようだ。

vi  Apocalypse in 9/8
「At one whistle the loves become seeds in the soil, where they recognise other seeds to be people from the world in which they had originated.  While they wait for Spring, they are returned to their old world to see Apocalypse of St John in full progress.  The seven trumpeteers cause a sensation, the fox keeps throwing sixes, and Pythagoras (a Greek extra) is deliriously happy as he manages to put exactly the right amount of milk and honey on his corn flakes.」
「一つの笛の音をきっかけに恋人たちは土の中の種子になるり、そこで彼らは別の種子がそれらが生まれた世界から来た人間であることに気づく。春が来るのを待っている間に、彼らは彼らがかつていた旧世界に引き戻され、ヨハネの黙示録が完全に進行中であることを目にする。7人のトランペット奏者は世間を騒がせ、キツネは666を投げつける、そしてピタゴラス(ギリシャ人のエキストラ)は、コーンフレークにまさにぴったりの量のミルクと蜂蜜を注げたことで幸せの狂乱状態にある。」

まずサウンドの話から。インストパートとしては最高の盛り上がりを見せるのがこのvi だ。開始早々にドラムスとベースがタイトル通りの9/8を刻み出す。これを「なんだ、結局3拍子じでしょ?」と侮るなかれ。鉄壁のリズム隊はアクセントをずらし4/8+2/8+3/8に聴かせるのだ。さらに、この変拍子9/8拍のリズムに乗ってキーボードは8/8(4/8+4/8)でアルペジオを弾くのである。

つまり9拍と4拍で36拍目ごとに9/8の頭でリズムのアクセントが揃うという仕組みなのだ。しかもその間に2/8と3/8部分で一回ずつアクセントが一致する。バラバラなようでいて時々リズムが揃うという怪しいアンサンブルが出来上がっているのである。 そして緊張感がじわじわと高まり、「666」とボーカルが入る場所で頂点に達し、リズムは4/8+2/8+3/8に統一され荘厳な雰囲気に包まれる。

この次第に高まっていく音をバックに歌われるのは、タイトルに「Apocalypse(黙示録)」とあるよに、ドラマチックで宗教的崇高さに満ちたイメージである。ちなみに「黙示録」とは新約聖書にある「ヨハネの黙示録(Apocalypse of St John)」のこと。この世の終りと最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利などが書かれているというもの。

「マゴグ(Magog)」とは旧約聖書に出てくる神に逆らう巨人の悪魔のこと。そして「Pied Piper」は「Pied Piper of Hamelin(ハーメルンの笛吹き)」のことで、笛の力でネズミを駆除した笛吹き男が、街から報酬を得られなかった腹いせに街の子どもたちを笛の力で集め連れ去ってしまったという民間伝承の主人公。一説では悪魔と考えられてもいる人物。どちらも反キリスト的存在である。

そして海中から現れる「ドラゴン(dragon)」も強大な力でキリスト教に対抗するものとしてローマ帝国やローマ皇帝を表したという。天から火を盗んだのはギリシャ神話に於けるプロメテウス(Prometeus)。キリスト教ではないが彼もまた神への反逆者だ。両者はここでは同一視される。

そしてこの反キリスト教集団をして「彼(dragon)はうまくやっていると言えるだろう」と評価しながら、「(君は)妥協しない方が良い(Better not compromise)」とアドバイスする。つまり「僕」はキリスト教的立場に立っているということだ。ではアドバイスされている「君」とは?「僕たち」と言っていた時の恋人である「君」かもしれないし、自分自身かもしれない。

「666」は「黙示録」にある「獣の数字」に由来する「悪魔の印」。 ここでは擬人化され、「背骨から骨髄を抜き出す」野蛮で危険な存在であり、それも一人ではなくなっているのだ。さらに「7本のトランペット」は「黙示録」にある7人の天使が吹くトランペットのこと。一本ずつ吹き鳴らされるたびに厄災が生じる。奏でられるのは「sweet rock and roll」。自虐的というよりは、当時今までにない音楽を創ろうとしていた彼らが、自分たちの音楽と区別して、rock'n'rollをこの世の終りを知らせる音として扱ったのかもしれない。

ピタゴラス(Pythagoras)も弦楽器の弦の長さと振動数の比率を利用して考案したピタゴラス音律など、そのあまりに数に捕われ過ぎた姿勢が批判されているだろうか。ロマンチックな題材としてよく使われる月も、彼は月そのものを見ずにわざわざ鏡に映った姿を見ながら、嬉々として歌詞を書いているのである。

こうして9/8拍子に乗せて歌われるのは、反キリスト教的様相でありそれはこの世にはびこっているけれども「僕」には受け入れられないことなのだ。この「僕」の意識のv からの変貌ぶりはどうしたのであろう?

それは「僕」の至高体験が万能感・全能感へと高まり、あらためてそんな自分を意味付けした結果なのではないかと思うのだ。その体験をパブリック・スクール出身というエリートであったPeter Gabrielが、当時の知識・教養の中で説明する言葉として選んだのが、この宗教的崇高さなのではないかと思う。

Gillがトランス状態になって獣のような声を出し始めた時、彼は「普段は何の意味も持っていなかった十字架」をロウソクで作った。つまり宗教、キリスト教は彼の中で大きな思想ではなかったはずだ。彼はその宗教を自分の思想として取り入れ、その宗教的善と悪やキリスト教による魂の救済の物語を語ろうとしたのではない。それはここにいたる歌詞を見てきても分かると思う。それはまとまった思想でも暗喩に満ちた物語でもない。感覚の変容を描写した記録のようなものであった。

恐らく精神的な高みに達した「僕」は、そこに「神」に近づいた自分を感じてしまったのだ。現世の混乱を反キリスト教的に見下ろす自分を。

そして「Lovers' Leap」のリフレインがドラマチックに始まる。しかしここでは最初に見られたような不穏な雰囲気も恋人への不安も感じられず、高みから手を差し伸べるような温かみと感情の高まりがある。それまでのナンセンスでユーモラスで感覚優位な体験が、まるで今の高みへと至るための試練だったかのように。音楽的にも感動的に盛り上がるパートだ。
  
この悦楽の境地のような雰囲気は最終パートviiに引き継がれる。


vii  As Sure As Eggs Is Eggs
「Above all else an egg is an egg.  'And did those feet ......' making ends meet.  Jerusalem = place of peace.」
「 何にも増してタマゴはタマゴである。’そして彼らの足は…' 生活の収支を合わせる。エルサレム、そここそが平和な場所である。」

まさに大団円とでもいう感じで、ii のメロディーが再び現れる。ここでのボーカルはまさにPeterが「命がけで歌った」と言ったとされるだけの迫力に満ちている。バックの演奏も、タメをたっぷり取ったドラムスに鳴り続くメロトロンと甘いトーンのギターが、永遠の神の国の到来を描いているかのようだ。

語られる内容も、魂の解放と家=故郷=エルサレム=平和への帰還が語られる。そして「君主の中の君主/王の中の王」つまりキリストの再臨を思わせる場面が語られる。最後の言葉は「エルサレム(Jerusalem)」である。「僕」の個人的体験はその強烈な恍惚感を以て崇高なる宗教体験へと転換されたのだ。こうしてこの大曲は幕を閉じるのである。
  

恋人にちょっとした変化を感じ世界が変容し始める場面に始まり、妄想・幻想に遊ぶようなイメージの羅列を経て、一見混沌から秩序へ、俗から聖へ至る宗教的覚醒の物語が語られたかのように見えてしまうが、実はそのための内省も葛藤も試練も苦悩も、そして成長も、「僕」には無いのだ。ただ周りの世界と自分の意識が変容し、カタルシスへと登り詰めるだけである。

しかし最後になってそれが宗教的覚醒に転換がなされる瞬間の強引さが、ボーカルとバンドが織り成す緻密な演奏により、感動的なシーンとなったのである。しかしそれは恐らく「僕」あるいはPeterが感じた“「宗教的覚醒」的悦楽”を語ったということなんじゃないかと思うのだ。伝えたいものがあったとすれば、それはキリスト教的価値観でも、多元的なものごとへの視点でもなく、単に自分が遭遇した至高体験の全貌であろう。

しかしそこに物語を見てしまう人は恐らく多い。中には「テレビを消す」というのは「テレビ宣教師」のいい加減な教えを拒否することであり、「君の隣りに座る」というのは「キリストが描かれた絵の隣りに座る」ことであると解釈している人もいたくらいだ。

PeterはGillの家での不思議な出来事の際に、酒も薬もやっていなかったと述べているようだが、それはさておきこの曲に見られる意識の変容と宗教体験は、やはり当時のフラワームーヴメントに大きな影響を与えていたLSDによる症状が大きく影を落としていると見て間違いないと思う。

そして逆にその混沌ぶりが、宗教やキリスト教に関心がない者を含めた多くの人々を惹き付けるのではないだろうか。 Peterやバンドサイドはそのあたりは自覚的で、各パートのタイトルや、パンフ解説や、インタビュー内容や、ライヴのイントロその他もろもろの付加的情報を、意味ありげな言葉やイメージで飾り立てて、摩訶不思議な世界を広げていったように思う。

以上、長々とまとまりの悪い文章におつき合いいただき、有り難うございました。