2009年4月10日金曜日

「あなたがここにいてほしい」ピンク・フロイド

原題:「Wish You Were Here」

■「Wish You Were Here

「炎 〜あなたがここにいてほしい〜」収録
 


{語り、ラジオ局を切り替えるかのように}
「...規律上、その部分は寛大にしてあるんだ。」

「そう、それでね...デリック、これがスターっておかしいよね。」
「うん、そうだな。」
「さて、どっちにする?」 「もう決めてるさ」

つまり、君は天国と地獄の見分けがつくと思ってるんだね、
青空と痛みも。
緑の野原と冷たい鉄のレールは見分けられるかい?
微笑みとベールは?
君は見分けがつくと思っているんだね?


それで彼らに言われて君は
亡霊たちを得るために 英雄たちを手放し
木々を
得るために 熱い燃え殻を手放し
涼風を得るために 熱い空気を手放し
変化を得るために 嬉しくもない慰めを手放し
戦いの端役を捨てて 檻の中の主役を取ったんだね?

どれほど、どれほど君がここにいてくれたらと思う。
僕らはまるで2つの地獄に堕ちた魂さ
何年も何年も、金魚鉢の中で泳ぎ続けるのさ
昔と変わらぬグランドを走り続けるのさ。
いったい僕らは何を見つけたというんだい?
昔と変わらぬ恐怖だけ。
君がここにいてほしい。

 
{Spoken, imitating the changing of radio stations}
"...Disciplinary it remains mercifully."
"Yes, and then... , Derek, this star nonsense."
"Yes, yes."
"Now which is it?"

"I'm sure of it."

So, so you think you can tell Heaven from Hell,
blue skies from pain.

Can you tell a green field from a cold steel rail?
A smile from a veil?

Do you think you can tell?


And did they get you
to trade your heroes for ghosts?
Hot ashes for trees?

Hot air for a cool breeze?
Cold comfort for change?

And did you exchange a walk on part
in the war for a lead role in a cage?


How I wish, how I wish you were here.

We're just two lost souls
swimming in a fish bowl, year after year,

Running over the same old ground.

What have we found?
The same old fears.

Wish you were here.
 


【解説】
「Wish You Were Here(炎 〜あなたがここにいてほしい〜)」のアルバムタイトル曲である。アルバムの中心をなす大作「狂ったダイアモンド」に、オリジナルメンバーのシド・バレットへの思いが満ちていると言われるが、この曲にもシドへの思いが込められていると言われる。

つまりバンドの才能あふれるリーダー的存在でありながら、ドラッグと周囲からのプレッシャーで精神を病み、バンドを去らなければならなくなったシド・バレットへ語りかけている歌だと。

では「僕」は何を語ろうとしているのか。

結論から言ってしまえば、それは遠くへ行ってしまった「君」への哀れみや思慕の情ではなく、「僕」自身の“孤独”である。あるいは“孤独”を共有できない苦しさである。

まず第1連は時制が現在、第2連は過去、第3連は現在であることに注目したい。「僕」は一貫して「君」に語りかける。あるいは問いかける。
第1連では現在の「君」に問いかける。「つまり、君は天国と地獄の見分けがつくと思っているんだね」と。これは「君」が「天国と地獄の見分けがつく」と思っていることを受けての“確認”の言葉であり、さらに「本当にそんなことを本気で思っているのかい?」という“疑念”の気持ちだ。あるいは「君はそう思っているだけで、実は何もわかっちゃいないんだじゃないのかい?」という思いが含まれていると言える。

次々と対になる言葉、心の解放を思わせる「blue skies」と心の痛み「pain」、自然の安らぎを思わせる「green field」と人工的で無機質な感じのする「冷たい鉄のレール」、幸福な「微笑み」と表情を隠す「ベール(ベールには“仮面”、“みせかけ”、の意味もある)は、大雑把に行ってしまえば、「人に取って好ましいもの」と「そうでないもの」、あるいは「自然な状態」と「不自然な状態」と言えるだろう。

「僕」は「君」が、本当はそんなことわかっていないと思っている。でも「君」はわかっていると思っている。あるいは思い込まされている。実はわかっていないことに気づいていない。

そこで「君」の過去を探るのが第2連だ。ここでは「trade A for B」と「exchange A for B」という表現が使われている。どちらも「BのためにAを捨てる、自分のAを相手のBと交換する」という意味だ。

「get you to 〜(君に〜させる)」する「彼ら」は、「君」をシドだとすれば、シドを取り巻くビジネスの世界の大人たち、もっと普遍的に見れば「大人たち、大人社会の者たち」だろうか。「亡霊を得るために英雄を手放し」は自分の夢をねじ曲げること、「木々を得るために熱い燃え殻を手放し」と「涼風を得るために熱い空気を手放し」は、不完全ではあっても自分の中に残っていた熱い思いや衝動を捨て、安定し落ち着いた生活を選んだ。今のままで「cold comfort(嬉しくもない慰め)」を受けるよりも「変化」することを取った。

そして「walk on(端役を演じる)」という動詞から、「walk on part」を「端役」と訳した。「in the war」は、生きていく戦いのような現実世界か。端役であれ、その一部として戦いに参加していた「君」は、「a lead role in the cage(檻の中での主役)」という、限られた見せ物的な世界での主役を選んだ。

この表現は確かに、一躍スターダムにのし上がった初期ピンク・フロイドのシドをかなり意識しているかもしれない。回りの期待に応えようとして与えられたイメージの中で精一杯役割をこなすこと、それが精神的病いにつながっていくのだけれど。

「彼ら」のもとで「君」は「君」なりに良かれと思った選択をした。それは「僕」とは違う人生となった。しかし「僕」は思う。「君がここにいてくれたら」と。第1連にあるように「君」はまだわかっているつもりかもしれない。

しかし第3連で再び今の2人が語られ、結局「君」と「僕」は同じ「地獄に堕ちた魂」なのだと言う。ここで初めて「僕」が出てくる。「in a cage(折りの中で)」と同じように「in a fish bowl(金魚鉢の中で)という、とても限られた世界で、ただただうろうろしていただけなんだと、「僕」は「君」への共感のかたちで「僕」の現状をも吐露する。

結局「(We have found)the same old fears.(昔と同じ恐怖があることを見いだしただけ)」なのだ。そして「君」がまだ「天国と地獄」の見分けがつく、つまり分別を持つと思い込んでいるだけ、その「the same old fears」は「僕」だけにのしかかってくるのだ。

しかし「I wish you were here.」は文法的には過程法過去。つまり「I wish I were a bird.(もし僕が鳥だったらなぁ。)」と同じように、現実にはありえないことを仮定する言い方だ。だから「君」はここには来ない。「僕」はそれをわかっている。わかっているけれど「君」にしかこの「僕」の辛さはわかってもらえないのだ。

なぜなら「僕」の苦しみは、かつて「君」が感じた苦しみだから。「The Dark Side Of The Moon(狂気)」の商業的大成功の後、シドを襲った周囲の期待やプレッシャー、勝手なイメージの押しつけと同じものが、今「僕」に押し寄せて来ているからだ。
 
だから冒頭に戻るけれど、第3者的な立場でシドを思いやったり哀れんだり、思い違いを諭してあげようとしたりしているのではない。彼も懸命に生きて来たのだ。この歌は、そうやってもがき苦しみながら、今は別の世界へ行ってしまったシドに思いを馳せながらも、「僕」が、自分一人で「恐怖」と戦う孤独感を訴え、理解してくれる人がそばにいて欲しいと切々とした思いを描いた、哀しみの歌なのだ。

そしてその「結局金魚鉢の中を泳ぎ回っているだけ」「同じグランドを走り回っているだけ」という認識は、実は、誰もが持っている感覚である。そしてその孤独を誰かに理解し共感してもらいたい。でも現実にはそうしてくれる人はそう簡単にはいない。だからこの曲はバンドメンバー(特に作詞者のロジャー・ウォーターズ)とシド・バレットの個人的な関係を越えて、聴く人全てに訴えかけてくるのであろう。

ラジオのアナログチューニングをしているようなSEで始まり、流れて来た曲に合わせるように弾かれるアコースティックギターで曲が始まるという、趣向を凝らしてはいるが、非常にプライベートな感覚の曲だ。大きな主義主張ではなく、自分の内にある苦しみや悲しみの思いが、静かに歌われる分、気持ちがストレートに伝わってくる名曲である。

なおアルバムブックレットにはこのSE的なつぶやきは歌詞として書かれていない。今回も
LyricWikiの歌詞データを参考にさせていただいた。
ただし、そこにも書き留められていない言葉が入っている。つぶやきの全てではないことをお断りしておく。そこはかとなく、「僕」あるいはバンドが抱いていた、社会への不信感の一端が伺えるかのようにも取れるつぶやきである。

3 件のコメント:

  1. こんにちわ、
    古い記事にお邪魔します。
    先日、この歌を自分で訳してみました。それで、他の方のも拝見しています。
    そこで、自分で訳してみて、この歌は、巷間に言われているように、シド・バレットのことを歌っているのだろうか、と言う疑問がわいてきました。ロジャー・ウォーターズのこれ以降の作品、『the Wall』『the Final Cut』などと併せて考えると、戦争で亡くなった彼の父への感情ではないかと思え出したのです。
    そこで、問題になるのが第二連です。おそらくほとんどの方、あるいはイギリスの方でも、「あなた」がhot ashes、hot air を持っていて、「かれら」が trees、cool breeze を持っていた、と読んでおられます。ですが、私は、それが反対ではないかと思えたのです。小さな家庭の主人として平穏に暮らしていたのに、戦争に駆り出されていなくなった人間を歌っているのではないでしょうか?
    チャイコフスキー交響曲第四番と言う伏線は、もっとプライベートなものを思わせますが、、

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    1. コメントありがとうございます。
      このアルバムは「不在」がコンセプトだと聞いたことがあります。それでいくと「あなた」はシドかもしれないし、父親かもしれません。あるいはもっと抽象的な誰かだったのかもしれません。そういう意味では私はシドにこだわり過ぎたかもしれませんね。
      ただ文法構造的には「trade A for B」は「Bのために自分のAを捨てる、自分のAを相手のBと交換する」となりますので、持っていた「heroes」を捨てて「ghosts」を手に入れたことは確かだと思います。以下の行も省略されてはいますが繰り返しなので、「for」の左が「あなた」が持っていたけど手放したもの、右が新しく手に入れたものということは、「trade A for B」という表現上間違いはないと思うのです。
      それはシドを父親に置き換えても言えることかもしれませんね。本意ではなかったであろう戦争に駆り出され、自分の夢や生きる実感を捨てさせられてしまった父親。その彼に、今同じような苦しみを味わっている自分と一緒に居てほしい。自分を理解して慰めてほしい、そう言っているのかもしれません。
      貴重なご意見ありがとうございました。

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  2. 再度お邪魔します、
    お返事を有り難うございます。
    先のコメントに書いたつもりだったのですが、抜けていたので。
    二連なのですが、二連の主格は「かれら」だと思うのです。
    get you to なので、to 節の主語は you になる筈ですが、
    たぶん、文全体の主語が they なので、反対になっているのかも知れない、と思ったのです。
    言われているように、歌詞は抽象的ですから、ウォーターズの父に限定されるものではないとは思います。

    では、

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