原題:River Of Life
■「Photos of Ghosts(幻の映像)」収録
人生という川よ
雨がおまえの起源だった
雨が大地の奥深くで
集まったのだ
しみ込みしみ出る
空洞の岩
あふれ出し流れ出す
清らかな流れ
自由な蛇行
海までの道のりは長い
洞窟と峡谷
堅固な牢獄のような壁が
白くなだれ落ちる滝から
おまえをかき混ぜ投げつける
平原を横切り
おのれの行く道を洗い流せ
川よ流れよ
おまえの星を追いかけて
街がある
橋がある
大型船や平底の荷船
暗く色あせた人々が
おまえの土手沿いに白鳥に餌を与える
かつて人がのんだ水はゴミと毒でいっぱいだ
痛みは忘れるんだ
雨から雨へ
旅の終わりは
間違いなくもうそれほど遠くはない...
River of Life
Rain was your birth
Gathered deep
Beneath the earth.
Search and seep,
Hollow stone
Issue and flow
Virgin stream
Meander free
It's a long way to the sea.
Caves and canyons
Stark prison walls
Swirl and hurl you
From white cascading falls.
Across the plain
Sweep your course
River roll
Follow your star.
There's a city
There's a bridge.
Ships and barges
Dark rusty hearts
Feed cranes along your banks.
Waste and poison cloy where once men drank.
Forget the pain
From rain to rain
Journey's end
Is surely not far ...
【メモ】
EL&Pと、彼らに同行してイタリアツアーを行っていた元King Crimsonの作詞担当だったPete Shinfieldが見いだしたグループPFM(Premiata Forneria Marconi)。この「Photes of Ghosts」(幻の映像)は、PFMがイギリスのマンティコア・レーベルを通じて世界へデビューすることになったアルバムである。
内容は彼らのイタリアでの2ndアルバムを全曲、1stから1曲、新曲を1曲という構成で、1曲を除いて歌詞はPete Shinfieldによって書かれた英詞がつけられた。構成だけを聞くとイタリアでの2ndアルバムを柱にした、企画ものっぽい印象を受けるかもしれないが、このアルバムに関してはオリジナルと甲乙つけがたい傑作にしあがっている。Pete ShinfieldはすでにKing Crimsonを脱退していたので、自分が詞を提供できる新たな理想のバンドとしてPFMを見ていたのかもしれない。
「River Of Life(人生は川のようなもの)」は、そんなPFMの魅力が凝縮されたようなドラマティックな名曲であり、アルバムトップを飾る曲である。
歌詞を見るとまさにタイトルにあるように、人生を川に見立てている。「River of life」(人生と言う川よ)という言葉で始まる意外は、風景描写のような記述が並ぶが、2連の最終行「Follow your star」で「自分の星を追いかけて」というところで、川が人生の比喩であることが再び確認される。
「Waste and poison cloy where once men drank.」の部分は、「drank」が「drink」の過去形に対し、「cloy」が現在形というところから、「過去」と「現在」の対比ととらえた。
そこで「cloy」と言う単語が出てくるが、「うんざりさせる、飽き飽きさせる」という意味の他に、古い使い方で「(通路など)をふさぐ、…にぎっしり詰める」という意味も持っている。ここではその意味で「かつて人々がその清らかな水を飲むことができた場所でも、今はゴミと毒物で満たされてしまっている」と解釈した。
この場合の“かつて”とは、この街の以前の姿かもしれないし、「おまえという川」の最初の清らかな姿(virgin stream)かもしれない。しかし人生の終わりにあたるこの海辺の街では、川は清らかさを失っている。だから「おまえ」は「pain(痛み)」を感じるのだ。しかしそれは長い人生を歩んできた証でもあるのだ。だから「痛みは忘れるんだ」と話者は「おまえ」に語りかける。それこそが人生なのだ。
さまざまな場所を流れ、さまざまな困難に出会い、つらい思いもし、しかし最後に「Journey's end / Is surely not far...」(旅の終わりは間違いなくもうそれほど遠くはない」と、人生の終わりを示すような、言葉で終わる。
しかしその前行に「From rain to rain」とある。これを「雨からやがて雨へと戻る今回の旅」として、一種の輪廻思想のように何度も人は生まれ変わりその度に人生を送ると考えているのか、それとも「雨から雨へと戻る」という旅そのものが、今終わろうとしている、つまり無から生まれ無に帰すという考えなのか。どちらを言っているのかは微妙である。
ただいずれにしても、人生を達観したような落ち着きと、終わりが迫っている寂しさが同居したような詞として、大河を思わせる雄大なサウンドに完璧に溶け込んでいると言える。
ちなみにドラムスのFranz Di Cioccioはこの歌詞について次のように述べている。
■「Photos of Ghosts(幻の映像)」収録
人生という川よ
雨がおまえの起源だった
雨が大地の奥深くで
集まったのだ
しみ込みしみ出る
空洞の岩
あふれ出し流れ出す
清らかな流れ
自由な蛇行
海までの道のりは長い
洞窟と峡谷
堅固な牢獄のような壁が
白くなだれ落ちる滝から
おまえをかき混ぜ投げつける
平原を横切り
おのれの行く道を洗い流せ
川よ流れよ
おまえの星を追いかけて
街がある
橋がある
大型船や平底の荷船
暗く色あせた人々が
おまえの土手沿いに白鳥に餌を与える
かつて人がのんだ水はゴミと毒でいっぱいだ
痛みは忘れるんだ
雨から雨へ
旅の終わりは
間違いなくもうそれほど遠くはない...
River of Life
Rain was your birth
Gathered deep
Beneath the earth.
Search and seep,
Hollow stone
Issue and flow
Virgin stream
Meander free
It's a long way to the sea.
Caves and canyons
Stark prison walls
Swirl and hurl you
From white cascading falls.
Across the plain
Sweep your course
River roll
Follow your star.
There's a city
There's a bridge.
Ships and barges
Dark rusty hearts
Feed cranes along your banks.
Waste and poison cloy where once men drank.
Forget the pain
From rain to rain
Journey's end
Is surely not far ...
【メモ】
EL&Pと、彼らに同行してイタリアツアーを行っていた元King Crimsonの作詞担当だったPete Shinfieldが見いだしたグループPFM(Premiata Forneria Marconi)。この「Photes of Ghosts」(幻の映像)は、PFMがイギリスのマンティコア・レーベルを通じて世界へデビューすることになったアルバムである。
内容は彼らのイタリアでの2ndアルバムを全曲、1stから1曲、新曲を1曲という構成で、1曲を除いて歌詞はPete Shinfieldによって書かれた英詞がつけられた。構成だけを聞くとイタリアでの2ndアルバムを柱にした、企画ものっぽい印象を受けるかもしれないが、このアルバムに関してはオリジナルと甲乙つけがたい傑作にしあがっている。Pete ShinfieldはすでにKing Crimsonを脱退していたので、自分が詞を提供できる新たな理想のバンドとしてPFMを見ていたのかもしれない。
「River Of Life(人生は川のようなもの)」は、そんなPFMの魅力が凝縮されたようなドラマティックな名曲であり、アルバムトップを飾る曲である。
歌詞を見るとまさにタイトルにあるように、人生を川に見立てている。「River of life」(人生と言う川よ)という言葉で始まる意外は、風景描写のような記述が並ぶが、2連の最終行「Follow your star」で「自分の星を追いかけて」というところで、川が人生の比喩であることが再び確認される。
「Waste and poison cloy where once men drank.」の部分は、「drank」が「drink」の過去形に対し、「cloy」が現在形というところから、「過去」と「現在」の対比ととらえた。
そこで「cloy」と言う単語が出てくるが、「うんざりさせる、飽き飽きさせる」という意味の他に、古い使い方で「(通路など)をふさぐ、…にぎっしり詰める」という意味も持っている。ここではその意味で「かつて人々がその清らかな水を飲むことができた場所でも、今はゴミと毒物で満たされてしまっている」と解釈した。
この場合の“かつて”とは、この街の以前の姿かもしれないし、「おまえという川」の最初の清らかな姿(virgin stream)かもしれない。しかし人生の終わりにあたるこの海辺の街では、川は清らかさを失っている。だから「おまえ」は「pain(痛み)」を感じるのだ。しかしそれは長い人生を歩んできた証でもあるのだ。だから「痛みは忘れるんだ」と話者は「おまえ」に語りかける。それこそが人生なのだ。
さまざまな場所を流れ、さまざまな困難に出会い、つらい思いもし、しかし最後に「Journey's end / Is surely not far...」(旅の終わりは間違いなくもうそれほど遠くはない」と、人生の終わりを示すような、言葉で終わる。
しかしその前行に「From rain to rain」とある。これを「雨からやがて雨へと戻る今回の旅」として、一種の輪廻思想のように何度も人は生まれ変わりその度に人生を送ると考えているのか、それとも「雨から雨へと戻る」という旅そのものが、今終わろうとしている、つまり無から生まれ無に帰すという考えなのか。どちらを言っているのかは微妙である。
ただいずれにしても、人生を達観したような落ち着きと、終わりが迫っている寂しさが同居したような詞として、大河を思わせる雄大なサウンドに完璧に溶け込んでいると言える。
ちなみにドラムスのFranz Di Cioccioはこの歌詞について次のように述べている。
「彼の詩はもとの歌詞とは全く異なるものです。彼はP.F.Mのサウンドを聴き、そこからインスパイアされたものを英詩にして書き上げたんです。ピート・シンフィールドは私達の音楽に彼の世界観を反映させた詩をのせることで、彼独特の色を楽曲に加え、新たなマテリアルとして再生させたのです。『人生は川のようなもの』の詩に関して言えば、わたしはオリジナルよりも良い出来ではないかと思っているんです。あのサウンドに完璧にマッチしたコンセプトではないでしょうか。」
「ArchAngel 第5号」(DIW音楽出版、1996年)
“Dark rusty hearts
返信削除Feed cranes along your banks.
Waste and poison cloy
where once men drank.”の個所ですが、
“暗く色あせた人々が
おまえの土手沿いに白鳥に餌を与える
ゴミと毒が かつて人が酒を飲んだあたりで
おまえをうんざりさせる”
で、いいのでしょうか。
Heartsは複数形ですし、前の詞からの続きで
河辺の情景と読めない事もないですが、
heartsの語を素直に心と解釈するならば、
つまり、youと呼んでいた河も散々旅してきて
入り組んだ複数形の心情を有するようになったと
取れなくもないじゃないですか。
その次も、もし主語のheartsが河の事であるならば
動詞のfeedは鶴に餌を与えるのじゃなく、
河辺の起重機に寄せるとすべきでしょう。
河口付近の都会ですから。
その線で解釈を進めると、
Waste and poisonは河辺のゴミと毒というより、
私には主人公の河がその人生で放埓、悪事に耽った事と、
河の氾濫を重ねた言葉に思えます。
また、この行以降は主人公の河の心情描写が続きます。
men drank とありますが、人々が河に飲ませたのかな・・・、
この辺になるとあやふやで自信がなくなってきますが。
かつて人が酒を飲んだ辺りって訳詞も展開からすると無理がありそうだし。
ということで、ちょっと見解をいただけらなぁと思う次第です。
コメントありがとうございます。
返信削除まず「河辺の起重機に寄せる」という表現がちょっとイメージできないのですが、「川として流れていく」ということでしょうか。そうすると「feed」は?
わたしは街にたどり着く前と後の違いを最終連に感じます。
それまでは大自然の中を夢を追いつつ自由に思うがままに流れてきた「おまえ(川)」です。
しかしその人生も、街にたどり着く頃、つまり人生の終わり近くになると、自由気ままに流れることもできないだけでなく、悲しい光景も目にすると。
暗い顔でただ川べりから白鳥に餌をやっている人々。お年寄りでしょうか。あるいは家のない人たちでしょうか。あるいは人生に疲れた人たちかもしれません。
そしてかつて酒場があって人々で賑わっていた場所も、ゴミやら有毒な廃棄物やらの溜まり場になっている。時の流れ、栄華の衰退。それは街の歴史であるとともに、もしかすると「おまえ」が前回ここを通ったときの記憶との違いかもしれません。
いずれにしても、そうした物悲しくやりきれない光景を街では目にするのだと言っている気がするのです。そう、人生も次第に夢や希望だけでなく、悲しみや苦しみやどうしようもない現実を見ずにはいられなくなるように。
でもそこで感じる「(心の)痛みは忘れなさい」と話者は「わたし」に語りかけます。それもまた人生の一部なのだということでしょう。あるいはその痛みを感じてこそ人生だと。
そして楽しさも痛みも経験して、人生の終わりがやってきます。
そんな風にわたしはイメージしました。
レス失礼いたします。
返信削除前後の文脈からいって
飲んだのは酒ではなく川の水であると思います。
無垢な誕生から始まってvirgin stream だった川が汚れる、
すなわちかつては人々が水を飲んだ川が海の近くで汚染された、
人生の旅人も穢れにふれた、その痛みを忘れて海へ行こう、
where は川ないし川辺であり、今はそれが Waste and poison cloy になってしまっている
placeが略されているわけでなく。
そちらの方が自然だと思うのですがいかがでしょうか。
酒や酒場はむしろ穢れの象徴の方に近いですし、前後の文脈や情景とマッチしません。