ラベル The Moody Blues の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル The Moody Blues の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年3月7日水曜日

「キャンドル・オブ・ライフ」ムーディー・ブルース

原題:Candle of Life





隠し切れない何かが
お前は孤独だと物語る
お前自身の奥底に隠れて
それはお前が見るようにとそこにある
確かめてみるんだ
そして命のろうそくをゆっくりと灯すんだ

外側にある何かが
僕らは孤独だと物語る
時間の手の中を
静かにこぼれ落ちながら
それは僕らがわかるようにとそこにある
僕らが進むために必要な愛で
命のろうそくをゆっくりと灯すんだ

だから皆を愛そう
そして友達になろう
皆を愛そう
そして友達になろう

Something you can't hide
Says you're lonely
Hidden deep inside
Of you only
It's there for you to see
Take a look and be
Burn slowly the candle of life

Something there outside
Says we're only
In the hands of time
Falling slowly
It's there for us to know
With love that we can go
Burn slowly the candle of life

So love everybody
And make them your friend
So love everybody
And make them your friend


【メモ】
イギリスのバンド、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)の1969年作「To Our Children's Children's Children」からの曲。このアルバムは全13曲が切れ目なくクロスフェードで繋がり、トータルアルバムとして一番プログレッシヴ・ロックを感じさせる作品。にもかかわらず各曲はポップなメロディーに溢れ、男性的コーラスとマイク・ピンダーの美しいメロトロンが非常に効果的に楽曲に豊かさを加えている、ムーディー・ブルースの個性が結実した傑作アルバムだ。

この名曲「Candle of the Life」も、通奏低音のようにバックで鳴り続ける、エフェクト処理されて音に深みが加わったメロトロンが美しい。メロトロンが繰り返す印象的なメロディーもメランコリックで、マイク・ピンダーの技を味わうことができる。

では歌詞を見てみたい。
全体で3連からなるもので(歌では繰り返しがある)、第1連と第2連が対になっていることがわかる。第1連の「Something you can't hide(隠し切れない何か)」は「Hidden deep inside / Of you only(自分自身の奥底に隠れて)」いるもの、つまり「自分の内側」に潜むものだが、第2連では「Something there outside(外側にある何か)」となっている。

さらに第1連では主語がyou(あなた/あなたがた)であるが、第2連ではwe(わたしたち)と主語が変る。

しかし言っている内容は「孤独である(ことを告げる何かがある)」ということだ。

つまり第1連は人々の様子を第三者の視点(神の視点と言ってもいいかもしれない)から捉えた描写であり、第2連は当事者である人間の視点で描写したものであり、言わんとしていることは同じであると言うことができる。

当事者にとっては「外部」に見えることでも、第三者から見れば「隠し切れない内部」のことがら。どちらにしても、それは心の奥底に隠れ、時間が経っても変化することなく、人々がそれを直視することを待って、存在し続けているのだ。それが何かはわからないけれど、人々は自らが孤独であることを知らされるのである。

つまりそれは人間がその存在において抱えている根源的な不安や孤独を描写しているのではないかと思う。そしてそれを直視せよと第1連も第2連も言っているのだ。その上で、人生という「命のろうそく」をゆっくり灯し続けていこうと。

第3連で「だから皆を愛そう/皆に友達になってもらおう」という部分は、孤独を前提として受け入れた上でのアドバイス/主張のような感じになっているが、実はそれほどインパクトはない。ありきたりの流れ、あるいは安易な結論といった感じすら受ける。

では歌詞として中味が薄いのだろうか?わたしはそうは思わないのだ。むしろそう言うしかない、という悲しさや空しさがここでは醸し出されてはいないだろうか。つまり歌詞全体におけるウエイトはむしろ第1連&第2連にあって、人々が孤独であるという事実や、孤独に向き合い受け入れながら生きて行かなければならないという人間の有り様が、ここで言いたかったことという気がするのだ。

だから第3連は心がけとか理想として述べられているに過ぎず、メロディーも人々を鼓舞するような勇ましいものではなく、とても悲しげで無力感が漂うようなものになっている気がするのである。

そう考えると、安易に答えを提示したわけではなく、むしろどうしようもない人間の悲しき性を描いた歌詞だとみることができる。深みがあって美しいメロトロンの響きが、人間が内包する存在の孤独を悲しんでいるかのようである。

ちなみにムーディー・ブルースはプログレッシヴ・ロック・バンドとしては今ひとつ評価が高くない。時代を考えればコンセプトを立てたり曲構成に凝ってみたりと、かなり斬新な試みを行なっているし、マイク・ピンダーのイフェクトをかけて深遠な音となったメロトロン・サウンドも1970年代のバンドに大きな影響を与えたはずだ。しかしあくまでメロディーを大事にした歌中心だったところが、1960年代のビードバンドっぽい雰囲気を思わせて“古い”感じがしてしまうのだろう。多用されるタンバリンもそれに追い打ちをかけている気がする。

しかし逆に言えば、そこにムーディー・ブルースの個性があるのだ。このサウンドの心地よさと歌詞の奥深さは、のちのプログレバンドにはないものである。もっと評価されるべきバンドである。

2012年1月4日水曜日

「エミリーの歌」ムーディー・ブルース

 原題:Emily's Song

Every Good Boy Deserves Favour(童夢)収録





君の微笑みが僕に届けることのできる
温かみを知ることが嬉しくて
僕は君にそれを伝えたいんだけど言葉じゃ君にはわからない

僕に子守唄を一つ歌っておくれ
譜面には書けないような曲の中から
そうしたら僕は耳を澄まそう愛のあるところに美が宿っているのだから

僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う

途切れることなく流れる川が
僕の足下を流れ続けている
そしてあまりにも早く僕は自力で立ち続けなければならなくなった

そこで僕が目を閉じたら
君がその目を僕のために開けてくれたんだ
もう僕らは未来に向って人生を旅しているんだ

僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う

人生が君に与えることができるもの全ての中で
真の愛情だけが君を最後まで助けてくれるだろう
そして君の話す言葉の中で傍らに立っていてくれるだろう

僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う

僕を君の世界へ連れて行っておくれ
僕は独りじゃ行けないんだ
だって僕はここに長く居過ぎたから
君は僕を置いていってしまうんだね

さあ僕と一緒に歩いておくれ
お伽噺の国へと
そして僕の心の中でその分厚い本を開いておくれ
そして僕の心の中でその長い物語の本を開いておくれ
そして僕の心の中でその分厚い本を開いておくれ
そして僕の心の中でその長い物語の本を開いておくれ


Lovely to know the warmth
Your smile can bring to me
I want to tell you but the words you do not know

Sing me a lullaby
Of songs you cannot write
And I will listen for there's beauty where there's love

And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say...

Rivers of endless tides
Have passed beneath my feet
And all too soon they had me standing on my own

Then when my eyes were closed
You opened them for me
And now we journey through our lives to what will be

And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say

Through all that life can give to you
Only true love will see you through
And will stand beside you now in what you say

And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say

Take me into your world
Alone I cannot go
For I've been here so long
You're leaving me behind

Walk with me now
Into your land of fairy tales
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind

 
【メモ】
英国のバンドMoody Blues(ムーディー・ブルース)が1971年に発表した傑作アルバム「Every Good Boy Deserves Favour」(良い子にしてれば誰だってご褒美がもらえるものさ:邦題「童夢」)収録の、フォーキーで美しさと温かさに満ちた一曲。

この曲はボーカル&ベース担当のジョン・ロッジ(John Lodge)が、生まれたばかりの娘エミリーのことを歌ったものだということなので、それを念頭に置いて詩の内容を見ていきたいと思う。

歌は「僕」が「君」に独り語りするかたちを取っている。でも「言葉」によるコミュニケーションは成り立っていない。それは歌の背景にあるように「君」がまだ赤ん坊だからである。だから「君」は「微笑み」を「僕」に届けてくれて、それが喜びとなるけれど、その喜びを「言葉」で「君」に伝えようとしてもダメなのだ。

さらに「君」の歌う子守唄も、実際は唄ではない。それはきっと赤ん坊の可愛らしい声だ。だから「譜面には書けない曲」なのだ。だから「僕」は耳を傾ける。愛しているからこそその声に「唄」のような美しさを感じることができるのだ。

「僕」は「人生の夜明け(morning of my life)」から「人生の黄昏(evening of my day)」にかけて、つまり人生の全てを通して「I will try to understand in what you say(君が言っている言葉の中で(物事を)理解していこうと試みようと思う)」と言う。

この部分は微妙な言い回しで、思わず「君の言っていることを理解しようと…」と訳したくなるが、文法的には「what you say(君の言うこと)」は「understand(理解する)」の目的語にはなっていないのだ。

つまりまだしゃべれない「君」が言葉を使わずに「僕」に伝えてくれること、その温かみ(warmth)だったり喜びだったり幸せだったり、そういう言葉にならない思いの大切さを、「僕」は実感しているんじゃないかと思うのだ。そしてそれを大切に、物事を考え判断し生きていこうとしている、そんなふうにこの部分は読めるのである。「君」からのメッセージを読み解こうみたいなことではないのである。

続いて川の比喩が出てくる。止めることのできない水の流れが僕の足下を流れ続け、さらに僕はその流れの勢いに押されて、掴まるものもないまま一人立ち続けなければならなくなっていた。それは人生において、自分の意志とは関係なく日々の生活や社会の激しい流れの中で、今にも倒れそうになりながらかろうじて踏ん張っている自分自身を指しているのだろう。

目を閉じた(my eye were closed)僕は、もうあきらめかけていたのかもしれないし、あるいはただ立ち尽くすことだけに集中して何も見ようとしなくなっていた、つまり自分らしさを失いかけていたのかもしれない。でも「君」がその目を開けてくれたのだ、「僕」のために(または「僕の代わりに)。そして「その場に立ち続ける」という受け身な状態から、「二人の人生をともに旅する」という希望に満ちた前向きな姿勢に「僕」を変えてくれたのである。

その人生において「君」を最後まで助ける(see you through)のは真の愛だけ(only true love)であって、それはやはり言葉にならない「君」の世界に存在している。もちろん「僕」は自分がその真の愛を注ぎ続けると思っているに違いない。

さらにまだ言葉のない世界にいる赤ん坊の「君」に、言葉のある世界にいる「僕」は語りかける。「君の世界へ連れて行っておくれ」と。「僕」はそこに豊かな世界が広がっていることを知る。でも「君」がいるからそれを感じることができるのだ。「君は僕を置いていってしまうんだね」とは、別に非難したり悲しんだりしているわけではなく、その豊かな世界で自由に遊んでいる「君」をうらやんでいる言葉だろう。優しく「君」を見つめる「僕」の姿が目に浮かぶようだ。

「僕」はそれでも語りかける。お伽噺の国(your land of fairy tales)へ連れて行っておくれと。そこには現実世界への幻滅とか夢の世界への逃避とかいったものは微塵もなく、ただただ「僕」は「君」との二人だけの時間を楽しみ慈しんでいるかのようで微笑ましい。

最終連で「that book of pages」と「that book of ages」は押韻した表現となっているところが奇麗だが、両方とも「僕」の心の中で本を開いておくれと言っている。ここは「ページがたくさんある本」と「何世代もの事柄が書かれている本」というような感じに解釈した。両方とも今目の前のことに必死になっている自分の世界とは違った、悠久の時の流れを感じさせてくれるモノだ。

このように「君」はまだ赤ん坊なので何も言わないし何も答えない。でも「僕」はただその様子を見ているだけで、ある意味ギリギリの状態にいた人生を、新たな気持ちで再出発しようとしているのだ。「君」に無条件に注がれる愛情や感謝の気持ち、そして前向きな思い、そして言葉のない「君」の世界への憧れ。それらが一体となって、聴く人を豊かで優しい気持ちにさせてくれる名曲である。

 
ちなみにこの曲ではボーカルハーモニーや様々な楽器がオーバーダビングされている。ロッジ自身が弾いているチェロやチェレスタ(鉄琴のような音の出る鍵盤楽器)、終始やわらかに静かに流れ続けるメロトロン。一聴するとフォークギター弾き語りによる小品に思えるが、実は凝りに凝ったアレンジがなされているのだ。

そのためこの雰囲気を再現することは不可能として、人気のある曲なのに長い間ライブのセットリストには取り上げられなかった。ライブでの初演は1992年のオーケストラとの競演を待たねばならなかったと言う(Wikipediaより)。
 

2009年8月15日土曜日

「新しい地平線」ザ・ムーディー・ブルース

原題:New Horizons / The Moody Blues(ザ・ムーディー・ブルース)

セヴンス・ソジャーン/神秘な世界
(Seventh Sojourn)収録






僕らは1人が持つに十分な夢を抱いてきた
そして僕は3人分にもあたるほどの愛を得た
僕は僕の望みが僕を癒してくれるようにし
僕は海の彼方に新しい水平線を得た

でもあなたからの大切な贈り物を決して失いたくないんだ
それは常にそのままでいて欲しいんだ
だって僕自身の心の平和を見つけていくんだ
いつの日か…

僕らが見つけたこの場所はいったいどこだろう
僕らが縛られている場所がどこか誰も知らない
僕は耳を澄ます、そして目にしたいと思う
だって自分のためにたくさんの涙を流してきたんだから

でもあなたからの大切な贈り物を決して失いたくないんだ
それは常にそのままでいて欲しいんだ
だって僕自身の心の平和を見つけていくんだ
いつの日か…

自由に舞い上がる風に乗って
あなたの翼を広げなさい
僕は見始める
景色から遠ざかり 心からも自由になって
悪夢が現実とならないところで

僕らは一人が持つに十分な夢を抱いてきた
そして僕は3人分にもあたるほどの愛を得た
僕は僕の望みが僕を癒してくれるようにし
僕は海の彼方に新しい水平線を得た

でもあなたからの大切な贈り物を決して失いたくないんだ
それは常にそのままでいて欲しいんだ
だって僕自身の心の平和を見つけていくんだ
いつの日か…
いつの日か…

Well I've had dreams enough for one
And I've got love enough for three
I have my hopes to comfort me
I got my new horizons out to sea

But I'm never going to lose your precious gift
It will always be that way
Cos I know I'm going to find my own peace of mind
Someday...

Where is this place that we have found
Nobody knows where we are bound
I long to hear, I need to see
Cos I've shed tears too many for me

But I'm never going to lose your precious gift
It will always be that way
Cos I know I'm going to find my own peace of mind
Someday...

On the wind soaring free
Spread your wings
I'm beginning to see
Out of mind far from view
Beyond the reach of a nightmare come true

Well I've had dreams enough for one
And I got love enough for three
I have my hopes to comfort me
I got my new horizons out to sea

But I'm never going to lose your precious gift
It will always be that way
Cos I know I'm going to find my own peace of mind
Someday...
Someway...

【メモ】
イギリスのバンド、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)の7枚目のアルバム「Seventh Sojourn(神秘な世界)」より。ムーディー・ブルースをプログレッシヴ・ロックに入れるかどうかは微妙なところだが、親しみやすく深みのあるメロディーと、暖かいボーカルとグリーク風ハーモニー、そしてメロトロンやピンダトロンを駆使した広がりのある優しい世界は唯一無二なもの。

ここでは「私」と「あなた」と「私たち」が出てくる。第1連では「僕ら」と「僕」が出てくる。そこで述べられているのは「僕」と「僕ら」がともに過ごしてきた関係を振り返っているのだろうか。最終行を除き全て現在完了形なので、そうした経験を経てきているという感じだろうか。夢を抱き、愛を求め、希望にすがり、新しい水平線を海へともたらした。

「horizons」と複数形になると「思考、知識などの“地平”、視野、限界」という意味も出てくる。海の水平線にかけているのだろうが、いくつもの新しい視野、あるいは新しい人生の目的を手に入れたとも取れそうである。

しかし、第2連で僕の一番切なる思いが述べられる。「あなたからの大切な贈り物を決して失いたくない」という思い。そして「それはずっとそのままでいて欲しいんだ」という願い。

優しいJustin Hayward(ジャスティン・ヘイワード)のボーカルと、心に染み込むようなメロディー、そしてアコースティックな素朴な演奏を耳にしていると、この「あなたからの大切な贈り物」とは「あなたからの愛」ではないかと思えてくるのだ。

あなたの愛を感じることで、単純に幸福の絶頂に至り、苦しみから解き放たれるわけではない。そうした愛は若い時代の愛なんじゃないかな。「私」はあなたからの愛を支えに、自分自身の平和を見つけていこうとしている。それがいつの日になるかわからないけれど。それこそが僕が海の遠い彼方に見いだした、新しい水平線なのかもしれない。

自分たちの居場所さえわからずにいる二人。僕はこれまで涙をたくさん流してきた。でも心を閉ざさず、耳を澄まし、目を見開いて自由に舞い上がり羽を広げるあなたを見る。そして悲しみや苦しみや悪夢からも遠ざかった自由で平和な心を手にしようと思う。「僕」は、「あなたからの大切な贈り物」つまり「あなたからの愛」によって、それを目指そうとしている。

「Beyond the reach of nightmare come true」は文章として不完全で、「beyond」は前置詞だから後に文章は来れないのだ。したがって「Beyond the reach of nightmare (being)come true」であると解釈した。

愛することが目的ではなく、愛に支えられ励まされながら生きていく人生を歌った歌。あぁ、大人だ。なんだか泣けてくる。そして励まされる歌だ。