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2012年6月30日土曜日

「ロッキン・コンチェルト」キャラバン

原題:The Dabsong Conshirtoe

Cunning Stunts収録(1975)





[狂ったラブソング]

人は子どもの子どもであり、また人の親である
水たまりの中のいくつもの淀み あるいは砂の上の波紋のよう
そしてまた自由に飛びながら
またどこかで飛ぶことを学ばなければならない鳥のよう
雨だって循環するかのごとく再び降り始めるのだ

生まれてからこのかた、このことを不思議に思っていた
目を閉じればはっきり見ることができる
夢に浸って幸せになるといつも君の思い出が僕を落ち込ませる
僕を自由にしておくれ - 僕をあるがままに

時の波紋が刻まれた石の脇を流れる水のように
年老いて彷徨い、 心の中で答えを見つけようとしている老人のように
忘れじの森の平和に満ちた橋の下で
彼女は立ち止まり二人が初めて出会ったかのように見つめている

たぶんこれは僕にとっての運命
一日一刻を惜しんで探し続けて
僕の人生の有象無象はあなたの居場所に思いを巡らし
僕はあなたの名前を呼ぶ

[ベン・カラットは再び動き出す]

だからどうか - 僕の呼びかけに応えておくれ、顔を見せておくれ
あぁ  - 何がいけなかったのか?きみはどうしてこんなに待たせるの?
僕はずっと空回りし、そして落ちて行く
今となっては - 本当にすべては夢だっみたいに思える 
僕が望んでいることは僕の人生すべてが…自由であることだけ

おぉ、物事に決着をつける時がやってきた
僕はもう時間を無駄にはしない、だから動き始めるんだ
あなた - あなたは浮気な態度で僕を落ち込ませた
だからルールに従ってクールにやろうぜ

僕が望んでいることは僕の人生すべてが…自由であることだけ 

僕が望んでいることは僕の人生すべてが…自由であることだけ
たぶんこれは僕にとっての運命
一日一刻を惜しんで探し続けて
僕の人生の有象無象はあなたの居場所に思いを巡らし
僕はあなたの名前を呼ぶ、そしてあなたを求める

[賛否両論]

やぁ、ブレンダ
君は許せないことってあるものよと言う
でももし君にそう言うだけの才能がなかったら
今すぐ金を返して欲しい

大きな黒いサスペンダー
本当に淫らな演出をしてくれる
厚い脂肪の層に過ぎないのに、想像してご覧
夢のひとかけらに報いてくれるんだ
  
やあ巨乳のバーバラ
君と楽しくやるのは一つのお仕事
今更そんなこと言っても遅いだろうね、でも待ち切れないんだ
ラディダディダディドゥドゥー

やぁふしだらなエルシー
僕のふくらみが君のものだって知ってるだろう
奇妙なカタチだけれど君の好きなものがすべて揃ってる
もう済んだと思ったら教えておくれ

貧乳で締まりのないフリーダ
脂肪と贅肉の乱交パーティー
どう見ても僕には想像ができないんだ
なぜ君が最高の6人て言われているのかが

やあ、みだらなノーラ
君は結局お尻か胸なのよって言う
僕はそれが真実だと思う、君は数少ない人の一人
本当に信頼できるもてなしだよ

[ライクスとはしご]
[ベア・スクエアからの脱出]
[あらゆる種類の口に出せない事柄]


[Mad Dabsong]

Man is the child of Child, the father of the Man
Like pools within the pool and waves upon the sand
Like birds that fly so free, that somewhere must begin
The rain like circles begins again

All my life, this has been a mystery
I can close my eyes and clearly see
Everytime I'm happy in dream your memories bring me down
Set me free - let me be

Like flowing waters past the rippled stones of time
Like old men ageing, drifting, answering through their minds
Under a bridge of peace of woods that don't forget
She stops and stares as if we've never met

For all I know, this could be my destiny
Searching every hour of each day
Everything and nothing in my life wondering where you are
Calling you

[Ben Karratt Rides Again]

So please - answer me, let me see
Oh - what went wrong? You took so long!
I've been spinning 'round, down and down
Now - it really seems it's all a dream

All I want is all the life in me... to be free

Oh, the time has come to get things done
I can waste no more, so move over
You - you just bring me down with all your playing around
So play the rules and keep it cool

All I want is all the life in me... to be free
All I want is all the life in me... to be free

For all I know, this could be my destiny
Searching every hour of each day
Everything and nothing in my life wondering where you are
Calling you, wanting you...

[Pro's and Con's]

Hey, Big Brenda
You say there's things that you don't allow
If you can't take a gift from the horse's mouth
I want my money back right now

Big black suspenders
It really makes it seem so obscene
All those great rolls of fat, just imagine that
Paying for a piece of your dreams

Hey Big-boobed Barbara
It's a business doing pleasure with you
I know that it's late, but I just can't wait
La-di-da-di-da-di-dum-do

Hey easy Elsie
You know that my mamelon's for you
It's a strange sight, but have all you like
Just let me know when you're through

Flat-Flabby Freda
An orgy of pure blubber and flesh
From all that I see, I just cannot dream
Why they say you're six of the best?

Hey, naughty Nora
You say that it is bottom or bust
I think that it's true, you're one of the few
A service I can really trust

[Wraiks and Ladders]
[Sneaking out the Bare Square]
[All Sorts of Unmentionable Things]

【メモ】
キャラバン(Caravan)1975年の不朽の名作「Cunning Stunts(ロッキン・コンチェルト)」から、名曲「The Dabsong Conshirtoe」である。この曲はシームレスで続く18分の大曲だが、6曲のメドレーだと言われている。その前半3曲が歌入りで、後半3曲はインストゥルメンタルである。

内容に入る前にアルバム及び曲タイトルについて見ておきたい。Wikipediaに よれば、アルバムタイトルの「Cunning Stants」はspoonerismと呼ばれる頭音転換による言葉とのこと。英国のSpooner牧師がこのような間違えを良くすることから付けられた。例えば「book case」を「cook base」、「cold butter」を「bold cutter」というような言い間違えだ。「あついなつ(暑い夏)」を「なついあつ」と言うような感じか。

つまりここで示唆されている言葉はsexualな意味合いの「Stunning Cunts」。「最高のアソコ(女性性器)=名器たち」、あるいは「最高の(sex相手としての)女性たち」ぐらいの感じでしょうか。sexualな意味を込めるのは「Brain Salad Surgery(恐怖の頭脳改革)」などからも伺えるように、当時のロック界のムードとしてはごく普通のことだったのだろう。

こうした言葉遊びが曲タイトルにも行なわれていると思われる。「Dabsong Conshirtoe」も辞書にはない言葉。これは裏付けはないのだが、「Lovesong Concerto」(ラヴソング協奏曲)を、酔っぱらったようなだらしない口調で言ったものではないかと思うのだけれど、どうであろうか。そこからパート1にあたる「Mad Dabsong」も「Mad Lovesong」だと解し、「狂ったラヴソング」と訳してみた。

では内容を見てみたい。その「Mad Dabsong」は非常に美しいメロディーが印象的なポップな曲。「人は子どもの子ども」「人の親」であると歌が始まる。「father」は「父」の他に「祖先」という意味も持つ。そちらの意味が強いと考える。つまり当たり前のことも、視点を大きく取れば相対的なもの、より大きな関係の一部でしかない、そういうことを言っているように思う。「pools within the pool(水たまりの中の淀み)」も「waves upon the sand(砂の中の波紋)」も、一部だけ見ればそれだけで存在しているように見えるが、離れてみるとより大きな流れの中に組み込まれているという例であろう。

自由に見える鳥だって、自然の営みである雨だって、終わりがありまた始まる。そういう大きな循環の一部なのだ。

そうした不思議(mystery)に触れ、より大きな関係性の中で自分の存在の自由を感じていた「僕」なのに、「Everytime I'm happy in dream(夢の中で幸せになる度に)」「your memories bring me down(あなたの思い出が僕を落ち込ませる)」のだ。「あなた」との思い出に縛られて、広い視点で自分の存在を見ることができなくなってしまったのである。そんな思い出から自由になりたい、解放されたい。「僕」はそう訴える。

第3連では、歳月が流れて尚、沸き上がる激しい思いを抱きながら、「僕」は彼女と初めて出会った時の思い出を捨て去ることができずにいることが語られる。思い出の中の彼女は、いつも初めて出会ったかのように立ち止まり「僕」を見つめてくるのだ。「She(彼女)」が主語で「we(僕たち)」が同一文に入っているが、人称の乱れがあっても「she」=「you」と考えた。思い出の中の女性として距離を置いたのではないかと思う。

「this could be my destiny(これは運命かもしれない)」と「僕」は思う。逃れられないんだと悟る。「everything and nothing」は「everything and anything(何から何まで)」に「nothing(無)」まで含めた、「何から何まで(完全版)」みたいな表現だと思う。僕の人生すべてが、「あなた」の名前を呼びつつ、「あなた」の居場所を探し続けているのだ。

ということで「Mad Dabsong」は、言わば「気が触れるほど」に、別れた(あるいは離ればなれになった)「あなた」に恋いこがれている「僕」の心情を歌ったと思われる。

続く「Ben Karrett Rides Again(ベン・カレットは再び動き出す)」は、「Mad Dabsong」から引き続いた嘆きで始まる。「僕」は空回りしながら落ちて行く。二人の思い出は夢だったかに思えてくる。そして「All I want is all the life in me to be free(僕が求めるのは、僕の人生すべてが自由になることだけ)」と言う。これはどういうことか?僕の人生すべては「あなた」への思いに費やされていたのであった。「あなた」に縛られていたと言っても良い。だから「自由になる」とは「あなたに再び会う」ことであり、さらには「あなたと再び愛し合うようになる」ことなのではないかと思われる。

第2連では「再び動き出す」。「ride」は馬や乗り物を「走らせる」という感じ。女性に乗るということの連想からsexualな意味も持つ。ちなみに「僕」は「Ben Karret(ベン・カレット)」という名前のようである。これも「Ken Barrett」の頭音転換じゃないかと思うが、いずれにしても誰なのかはわからない。

「僕」は一人で悶々と苦しんで時を無駄に過ごすことを止め(I can waste no more)、物事に決着をつけよう(get things done)と自分から動き出すことを決意する。「your playing around(あなたの浮気な態度)」で「僕」は落ち込んだのだから、「play the rules(規則に則って)」「keep it cool(うまくやろうぜ)」ということなのだが、ここへ来てちょっと世俗的な感じがするのである。

つまり「あなた」は物理的に僕の下から去ったわけではないのではないか?心だけが離れてしまったということかもしれない。は彼女の浮気が原因で「僕」は彼女との関係が悪化し、僕は自由を失った。熱い思いを胸に関係を修復したいと思うけれど、自分からはそれがなかなかできなかった。でもその過去を受け入れ許し、これからもう一度やり直そう、と言っているように思えるのだ。それで「僕」の心も再び自由を取り戻せると。

先の「ride」が含むsexualな意味合いを加味すると、穿った見方をすれば「わだかまりがあってsexできなかったけど、そんな思いを吹っ切ってsexしちゃうぜ」と取れなくもない。とにかくBen Karretteは前に進む気なのである。

さて歌入りラスト曲となる「Pro's and Con's(賛否両論)」に進もう。この曲が前の2曲とどういう関係にあるかが判然としない。「僕」は何人かの女性とサスペンダー(!)に語りかける。内容はセクシュアルなものである。

まずタイトルの「Pro's and Con's」であるが、普通は「pros and cons」 と記してアポストロフィ(')は要らない。ただそれぞれ「pro(賛成論)」と「con(反対論)」という単語の複数形なので、複数形であることを明確にするために「's」としたのだと思われる。

まず「Brenda」への呼びかけである。「big」は呼びかけの際に人名に冠して敬意・親愛を表す表現で、「Big Ted!(やあテッド)」などのように使うわれるものと解した。でも後で出てくる「Hey Big-boobed Barbara(やあ、巨乳のバーバラ)」同様な意味も感じられる。

Blendaは「許せないことってあるものよ」と言う。それに対し「If you can't take a gift from the horse's mouth」と続くが、これを「君にそう言うだけの才能がないのなら」と訳した。「from the horse's mouth」は「いちばん確かな筋から」という口語表現で、馬の本当の年齢はその歯を見れば知られることから生まれた慣用句だそうだ。

そこでBrendaが「許せないこと/従えないことだってある」 ということを言うのなら、そう言うだけの才能を見せて欲しいと「僕」は思っているのだ。それができないならば「I want my money back right now.(今すぐ金を返して欲しい)。」これはどう解釈すればよいだろう?

つまり「僕」はBlendaにお金を払っているというこになる。サービスを求めて。でも「許せないこともある」と言うのなら、その分別のところでしっかりサービスしてくれるんだろうね?そうでなければお金は返してもらうよ、ということか。何やらお金を払ってのsexualな関係を連想させるのである。

続く「Big black suspenders(大きくて黒いサスペンダー)」は、厚い脂肪の層に過ぎないカラダを魅惑的にsexualに変え、夢に報いてくれるというのだ。醒めた視点とも言えるしそうやってsexualな雰囲気を楽しんでいるとも言える。

次は「Big-boobed Barbara(巨乳のバーバラ)」。 「It's a business doing pleasure with you」。「business(仕事、勤め)」だから、逆に言えば愛情は無いということか。つまり肉体だけの関係。sexの喜びのためだけの関係。「今更そんなこと言ってもダメだよね(I know that it's late.)だけど、待ち切れない」で浮かれてしまう「僕」なのである。

そして「easy Elsie(ふしだらなエルシー)」。「a lady (woman) of easy virture」だと「売春婦」だ。「mamelon」とは「乳頭状のふくらみ/突起。すり鉢山。」を指す言葉。でも流れ的に「僕」の「mamelon」とはいわゆる男性器を指しているように思われる。カタチはちょっと変だけど君をとことん満足させるはずさ、というわけだ。だから「Just let me know when you're through(終ったら/済んだら教えておくれ)と言う。これは「純分満足した」とも「飽きた」とも取れそうである。いずれにしても愛情に裏付けされた関係とは思えない。

次は「Flat-Flabby Freda(貧乳でしまりのないフリーダ)」。胸が無くカラダにもたるんだ様子か。「An orgy of pure blubber and flesh(純粋な脂肪と贅肉のお祭り騒ぎ)」とは、外見に特化したかなり批判的な物言いである。「orgy」には「乱交パーティー/酒池肉林」の意味もあるから、sexualなイメージもつながる。「they(彼ら)」は「僕」の男友達だろうか?「僕」は彼らが「ベスト6位に入るオンナだ」と言ったのを真に受けて、実際に試して(!)みたんだけど、それほどの評価ができなかったらしい。どういう集団内でベスト6位に入るのかはわからないが。

そして最後「naughty Nora(みだらなノーラ)」。「naughty」は「行儀の悪い、やんちゃな、下品な、わいせつな」などの形容詞とともにsexを指す名詞でもある。行儀の悪さがsexualな面のイメージとつながっている単語だ。そのNoraは「it is bottom or bust(お尻か胸なのよ)」と言う。「僕」はその言葉こそ真実だとうなずく。めったにいない人物だと讃える。本当に信頼できるサービス/もてなしだと。ここにも愛情はないように思える。むしろ好き嫌いや許す許さないといった心情的なものを排し、単純に肉体関係を楽しむこと。そういうサービスを提供すること。それを良しとしている感じがするのだ。

こうして愛しい人への思いに満ちた「Mad Dabsong」から、愛を取り戻し心の自由を得るために動き出そうとする「Ben Karratte Rides Again」を経て、そうした愛情のない肉体だけの関係を列挙する「Pro's and Con's」に至る流れは、サウンド的にも次第にテンポが上がり激しさを増し、理性から衝動への変化の流れと言えそうな展開を示す。さらに後半のインストゥルメンタル部分が、ジャズ的な小休止部分を挿み最後ケイオティックに盛り上がる様は、まるで始め持っていた理性をどんどん捨てて行って、本能に任せて燃え上がるsexの流れを表現しているかのようである。

この曲はまさにそういう衝動を表現したのではないだろうかと思う。ラブソングに始まり、最後は敢えてその精神性を否定するような肉体的関係を畳み掛けるように列挙する。それは恋愛ソングへのアンチテーゼでもあったろうし、敢えて下品になることで過激にsexの喜びの地位を回復しようとしているのかもしれない。

ちょっと大げさに言えば、まさに「Mad Dabsong」の冒頭にあったように、より大きな営みの中で恋愛やsexを捉え直そうとしているかのようである。

しかしこのドラマティックな曲の歌詞がこういう内容であったとは。深いなぁ。
 
今回もかなり強引な意味付けをしている気がするので、ご意見・ご感想等いただけると有り難いです。

2009年5月1日金曜日

「9フィートのアンダーグラウンド(分裂)」キャラバン


原題:Ninefeet Underground

In The Land Of Grey And Pink
(グレイとピンクの地)収録







地下9フィート(9フィートのアンダーグラウンド)[分裂]

僕の行ける場所はある
そこで僕は風の歌声を聞く

風が歌うのは僕の知っている幸せの歌
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ

僕の内側の深いところで

僕が歌える歌が一つある
一本の木の上のジグソーパズル
そしてすべてまたそのままの姿で戻るってくるんだ


昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?
本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる


そして時々僕はワインのことを考える
自由に溢れ出る歌と笑い声のことを
みんないつもおしゃべりをしているんだ
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ


昼間は暖かくてよい天気かな、それとも雪かな?

本当のそのことを知りたいと今待っている人たちがいる

君は空気の中にそれを感じることができるかい?
それがどれほどの意味のあることなのかわからないけど
そう考えればあきらめることもできる
そしてすべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ

そう、すべて僕のところへそのままの姿で戻るってくるんだ


Ninefeet UndergroundDisassociation

There's a place where I can go
Where I listen to the wind singing
Songs of happiness I know
And it brings it all back again

Somewhere deep inside of me
There's a song that I can sing
Jigsaw puzzles on a tree
And it brings it all back again

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting here who really want to know

And sometimes I think of wine
Songs and laughter flowing free
People talking all the time
And it brings it all back to me

Will the day be warm and bright, or will it snow?
There are people waiting now who really have to know

Can't you feel it in the air?
I wonder what it's meant to be
It's the thought that can despair
And it brings it all back to me
Yes it brings it all back to me

【解説】
「association(交際、付き合い、かかわり、つながり)」に「非…」「不…」「無…」など反対の意味にする接頭辞「dis-」を加えた「disassociation」は、「dissociation」と同じ単語として「分裂、分離、解離」などの意味を持つ。

ここでは「僕」が自分のことを話す。「君(you)」は、最終連でたった一回しか出て来ない。「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」だけだ。ただ、この一文があるから、この「僕」の言葉全体が、独り言のようでいて、実は「君」に向けられているのかもしれない、ということがわかる。そこに「君」が実際にいるかどうかすらわからないけれど。

語られるのは、今「僕」がいる場所ではない、もっと幸せに満ちた場所。風が幸せの歌を歌う場所。今「僕」のいる場所でも、「僕」の奥深くにはその歌が残っている。つまりそこは「僕」の故郷か。それも「ワイン」と「歌と笑い声」、そして「おしゃべりばかりしている人々」のいる、田舎のことなのだろう。

そこではみんな天気のことばかり気にしている。本気で。それは農業を営んでいるからということもあるし、それぐらいしか話題のないのんびりした生活だということでもあるだろう。

「君は空気の中にそれを感じることが出来るかい?」と「僕」は「君」に聞く。感じられるかどうかがどれほど意味のあることかわからないけど、あきらめるきっかけにはなるということか。

そして何回も繰り返される「And it brings it all back to me / again).」というフレーズ。「それはすべて何も欠けることないそれ自体を再び私にもたらすのだ。」という文だけれど、同じフレーズがそれぞれに別の何かを「it(それ)」として指し示しているのは不自然な感じがするので、「it」は「状況を漠然と指して使われるもの」と解釈し、「ものごとは再びそのままの姿で(自分へ)戻ってくる」と訳した。あるいは「it」を漠然と「故郷(の思い出)」としてもいいかもしれない。

自分の心の拠り所である故郷を思い出し、その素晴らしさを5連目まで綴り、最後の連で、その素晴らしさを「君」がもし感じてくれないとしたら、「あきらめ」がつくんだ、と言う。そう、「僕」は故郷に思いを馳せつつ、「君」への愛が受け入れられないことへの未練を断ち切ろうとしているんじゃないだろうか。その辛い自分を支えるために、のどかな故郷の思い出を振り返っているのではないか。この思いをできることなら「君」と共有したかった。「君」にも見せて上げたかった。

しかし、おそらくそれはかなわないのだ。ここでも前半の歌詞同様に、「君」の気持ちは描かれない。しかし「僕」の思いは叶わなかったのだろう。ただ美しい故郷の思い出だけは、何も変わらず自分の心に戻ってくるのだ。


ちなみにタイトルの「Ninefeet Underground」は、この曲を作ったのが地下9フィートのところにある部屋だったからだそうな。歌詞の内容とは直接関係ない。

でも例えば、地下9フィートの部屋で一人、ある女性へ勝手に愛を告白し、勝手に叶わぬ恋だと思い詰め、故郷を思う「僕」という、言葉のイメージの連鎖は生まれるかもしれない。

この曲の気持ちよさは、そんな現実に向き合わずにいる「僕」が、桃源郷のように美化した故郷の田園風景を夢見ているところだからなのかもしれない。

2009年4月28日火曜日

「9フィートのアンダーグラウンド(恋人は友人)」キャラバン

原題:Ninefeet Underground: Love's a Friend

In The Land Of Grey And Pink

(グレイとピンクの地)収録





地下9フィート(9フィートのアンダーグラウンド)[恋人は友人]

夜が明けようとしている今日の日を見てごらん:君に目には何が見える?
あくびをしながらでも今僕のことを考えておくれ、陽の光はぼくが泣いた涙
ぼくが見ているものは本当の事だとわかっている
ぼくがさわっているものが僕が感じているものだとわかっている
もし僕が君が言うことを気にしないとすれば
今日は僕にとって何の意味も持たないだろう

なぜって、息づいている君の世界が見えるし、僕の心は君のもの、君のは僕のものだから
許すとか許さないとかいうような話はしないで、やることはたくさんあって、時間はないんだ
僕の愛はまっすぐに君に向けられている
何か新しいものへの思いも込めて
僕が手にしているもの全てを君は感じている
両手を口にいれて、君は静かにひざまずく


ぼくが見ているものは本当の事だとわかっている
ぼくがさわっているものが僕が感じているものだとわかっている
僕の愛はまっすぐに君に向けられている
僕の愛する人は君...
  


Ninefeet UndergroundLove's A Friend


Look at the day that is dawning: what do you see with your eyes?
Think of me now while you're yawning, sunshine the tears from my cries
What I see I know is real
What I touch I know I feel
If I don't care for what you say
It won't mean much to me today

For I see your world that is living, my mind is yours, yours is mine

Don't talk to me 'bout forgiving, so much to do, no more time
All my love goes straight to you
With just a thought for something new
All I have is what you feel
With hands in mouth, you gently kneel

What I see I know is real
What I touch I know I feel
All my love goes straight to you
All my love is you...

 

【解説】
「In the Land of Grey and Pink(グレイとピンクの地)」はCaravanが1971年に発表した第3作目のアルバム。リチャード・シンクレア(Richard Sinclair)の甘く安定したボーカルと、デイヴ・シンクレア(Dave Sinclare)のキーボード、特にトーンを変えたオルガンがアルバム全体の大きな魅力となっている傑作である。

「Nine Feet Underground」は、旧LPでB面すべてを使った22分を越える大曲で、9パートからなる組曲である。とは言っても劇的な展開をするわけではなく、滑らかになだらかにリズムチェンジを繰り返しながら、オルガンがリードを取りつつ進んでいく心地よさに酔う曲だ。


その中でボーカルパートは「Love's A Friend」と「Disassociation」の2つのパートのみ。そして「Love's Friend」が、ギター担当のパイ・ヘイスティングス(Pye Hastings)、「Disassociation」がリードボーカリストと言っても良い、ベース担当のリチャード・シンクレアが歌う。


今回は「Love's A Friend」を取り上げてみた。次回は「Disassociation」と続く予定だ。


まずタイトル「Love' s A Friend」だが、「Love's」は「Love is」の短縮型。したがって「Love is a Friend.」という文である。恋人をさす場合、一般的には「love」は女性、「lover」は男性を指すことが多い。それに従えば、男性が女性に対して「愛する人」と呼びかけている歌だと考えられる。


タイトルはどういうふうに解釈すればよいだろうか。「自分の恋している人(自分にとっては恋人)は実はまだ友人の一人」という感じか。


実際に歌詞を見てみると、「僕」からの一方的な語りかけである事がわかる。むしろ相手に話をさせるチャンスを与えず、自分の愛を語り、相手の自分への愛を求めている感じだ。パイ・ヘイスティングスのちょっと不安定な弱々しい感じの声だから、キツさを感じないが内容的には結構自分勝手である。


とくに「With hands in mouth, you gently kneel(両手を口に入れて、君は静かにひざまずく)」は、強烈なイメージだ。前の行「All I have is what you feel」とつながっていると解釈すれば、「僕が手にしているもの全ては、君が両手を口に入れて感じていることさ。君は静かにひさまずく」となる。


「hands in mouth」は赤ちゃんがよくするポーズだ。両手を口にしてしゃぶるような感じ。hungry cue(お腹がすいた合図)とも言われる。「僕」の前で、赤ん坊のように「僕」の愛を求めてかしずいていると言っているのだろうか。


強烈な愛の歌であることは確かだ。しかし相手の気持ちが見えない。再びタイトルと考え合わせると「Love is a friend.」ちょっと不気味な感じさえする。まだ友人である女性に向って、愛を告白しているというより、愛を押し付けているような有無を言わせない感覚が漂っている。


さて長いインストゥルメンタルパートを経た次のボーカルパート、「Disassociation」ではどのような詞が展開されているであろうか。


2009年3月13日金曜日

「ゴルフ・ガール」キャラバン


原題:Golf Girl

「In the Land of Grey and Pink」
 (グレイとピンクの地)収録




ビニールの服に身を包みゴルフコースに立っていると

お茶を売っているゴルフ場で働く少女に偶然出会った
彼女はにこっと笑って、一杯どうですかとぼくにたずねた
3ペンスで カップからこぼれそうなくらい一杯をさしあげますよと

もちろん一杯もらわないわけにはいかなかった
白状すると3杯だ
そしてゴルフ場の少女をじっくり見て、わたしに気があるとわかった
お茶を飲み終わり ゴルフコースでその後
ゴルフボールが雨あられと飛んで来て 彼女は私を守ってくれた

彼女の名前はパット
ぼくらは木の下に座り
彼女はぼくにキスをした
ぼくらはゴルフコースを散歩する
よい天気の中を一緒に
そしてモールス信号で話をするんだ


Standing on a golf course dressed in PVC
I chanced upon a golf girl selling cups of tea
She asked me did I want one, asked me with a grin
For three pence you can buy one full right to the brim

So of course I had to have one – in fact I ordered three
So I could watch the golf girl, could see she fancied me
And later on the golf course after drinking tea
It started raining golf balls and she protected me

Her name was Pat
And we sat under a tree
She kissed me
We go for walks in fine weather
All together
On the golf course
We talk in morse

【解説】
イギリスはカンタベリーミュージックを代表するグループCaravanが、1971年発表した傑作アルバム「In the Land of Grey and Pink(グレイとピンクの地)」より、その冒頭の曲。

プログレッシヴ・ロックという言葉からイメージする重々しいイントロとは違い、ホルンのちょっと間の抜けたような音で始まる、ほのぼのとしたボーカル曲。しか
しRichard Sinclairの優しく淡々と歌うメロディーが自然にしみ込んでくる。

内容はゴルフ上でお茶を売っている少女と偶然出会って、恋に落ちるという素朴で可愛らしい曲。特徴的な音色のDavid Shinclairのオルガンとメロトロンもいい味を出している。


「PVCに身を包み」というのは「ビニールでできた服を着て」という意味。PVCとは塩化ビニールのこと。ダイオキシン問題で今は使われなくなったが、かつては衣類にも使われていた。

おちゃを勧めら れて、「もちろん1杯もらわないわけにはいかなかった、正直に言えば3杯」と言っているからには、すでに、「わたし」が彼女のことを気に入っている様子が うかがえる。その後「彼女が僕に気があることがわかった」とか言っているけれど。

彼女の名前「Pat」は「Patricia(パトリシア)」の別称。別称は元の名前を短く呼び易くしたもの。必ずしも元の名前の一部を取るとは限らない。例
えばBethはElizabethの別称だが、RobertはBob、WilliamはBillと呼ばれる。

「talk in morse」は「talk in Morse」と同じと考えて解釈した。「in Morse」は「モールス信号で」という意味。「モールス信号」とは、よく昔の
船が遭難した時など、長短2種類の組み合わせでツートンツートンと打つ、通 信用の符号のこと。二人だけでの間で通じるちょっとしたやりとりのことを指しているのだろう。