ラベル Yes の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Yes の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年7月11日月曜日

「トゥ・ビー・オーヴァー」イエス

原題:To Be Over

  




 

「終焉」

われわれは穏やかな流れを舟で下っていく
橋の近くで終ることなく漂い続けながら
終焉、私たちは目にするだろう、終焉を

賭け事のような運がものをいうゲームや
あなたの夢を常にしまい込むドアなどに苦しむのは止めよう
熟考するんだ、時はあなたの恐れを癒すだろう、熟考するんだ
あなたの内側に解き放たれた思いのバランスを保つんだ

子どものような魂を持った夢見る人よ
一つの旅路、それはあらゆる光の中で求め見つける旅路
真実の小道を次々と開くんだ

次第に近づきながら
静かに進むんだ、ドアを押さえておけばすべての道が開かれるだろう
あなたは真実の小道を絶えずさまよい歩くだろう

結局あなたたちの魂はそれでも屈した状態かもしれない
しかし結局あなたの役割は愛される準備ができているということを
疑ってはならない

 
We go sailing down the calming streams
Drifting endlessly by the bridge
To be over, we will see, to be over

Do not suffer through the game of chance that plays
Always doors to lock away your dreams
Think it over, time will heal your fear, think it over
Balance the thoughts that release within you

Childlike soul dreamer
One journey, one to seek and see in every light
Do open true pathways away

Carrying closer
Go gently, holding doors will open every way
You wander true pathways away

After all your soul will still surrender
After all don't doubt your part
Be ready to be loved

【メモ】
Yes最大のアバンギャルド作であり、インストゥルメンタル方向へ針が振り切れた1枚「リレイヤー(Relayer)」(1974)。全3曲という大作は、Yesが未知の世界に猪突猛進していった時期の最後のアルバムと言えるかもしれない。ヘヴィー・シンフォとも言えるし、テクニカルシンフォとも言える。しかしその言葉のイメージする音ともまた違う、Yesにしか作り得なかった、壮大で斬新な傑作だ。

この曲はアルバムの最後に収められたもので、攻撃的で長大な1曲目、頭がクラクラするような難曲の2曲目に続いて、アルバム最後を平和な雰囲気で閉じるかのような静かな曲である。

その歌詞内容も、抽象的・感覚的で難解だと言われる当時のYesの曲の中では、比較的わかりやすく、曲調と同じようにアルバム全体の、ある種殺伐としたハードな世界から、平和で穏やかな世界へと聴く者を導いてくれるものとなっている。

主語は「we(わたしたち)」である。アルバム1曲目の大作「錯乱の扉(The Gate of Delirium)」は、『われわれは永遠に戦争しつづけなければならないのか?』という感情を歌ったもの(「イエス・ストーリー 形而上学の物語」ティム・モーズ著、シンコーミュージック、1998)と言われるが、この最終曲では、同じわれわれが本来到達すべき平和な世界、あるいはわれわれの到達を待っていてくれる至高の世界を物語ろうとしているかのようだ。

冒頭の1行は「sail down the river(舟で川を下る)」という表現に似て、「river(川)」よりイメージ的に小さい「stream(小川)」を下っていくという文章になっている。現在形であるから、ある意味われわれの在り方、あるいは人生を比喩的に述べていると言ってもいいかもしれない。「streams」と複数形なのは、われわれ一人一人が自分の「stream(小川)」を下っていくからなのかもしれない。

「stream」はやがて「bridge(橋)」のある場所へとたどり着き、「わたしたち」はそこで永遠に漂い続ける。そして「to be over(終ってしまうこと=終焉)を目にすることになるのだ。

ここまで読むと長い人生を歩み、やがて川が大海へと流れていくように、わたしたちは「stream(小川)」を流れ下って、ある橋のたもと「by the bridge」という終着点に至ると言っているように思える。「bridge」が単数形なので、その終着点には大きな橋が存在し、たどり着いた人々は、そのそばで漂い続けているとイメージしてみた。そこで目にする「to be over(終焉)」とは、人生で言えば「死」ということになるだろうか。

しかし確かに「It is over(もう終わりだ)」「The long, cold winter is over.(長くて寒い冬は終わった)」などのように「be over」は「終る」という意味で使われることが多いけれど、「over」には「越えて、「上方の、上級の、すぐれた」などの意味もある。作詞のジョン・アンダーソンが持つニューエイジ的な志向(もっと抽象的で感覚的だけど)からすれば、「to be over」は「超越すること、次の段階へ向うこと」というような意味そも含んで、終わりであるけれども始まりでもあるというニュアンスが感じられる。

実際次の連では「運に左右されるようなゲーム」や「あなたの夢を閉じ込めるドア」に苦しむのは止めようと「話者」は語りかける。物事をじっくり考えれば、時とともにあなたたちは癒されるのだと。それには考えたことによって自分の中に解き放たれた思考のバランスを取るのだと。そう、まるで一時的享楽や今の次元から上の次元へとステップアップさせようとしているかのように「話者」は説くのである。

第3連でも話者の示唆は続く。「こどものような魂を持った夢見る人」というのが、おそらく「わたしたち」の“本来あるべき姿・気づくべき姿”なのかもしれない。従って「dreamer」はマイナスイメージのある「夢想家」とはしなかった。むしろ前連にある「夢」をドアの向こうにしまい込むのをやめた人たちとして、肯定的に使われていると解釈した。

これまでの生き方の終わりは、新しい生き方の始まりでもある。夢を解放した人々は、「one journey(一つの旅路)」に出る。それはもう一度言い直されて「あらゆる光の中で求め見つけるもの(旅路)」である。それは真実の小道(pathway)、つまり本来あるべき生き方をしっかりと始める(open)ことから始まる。「away」は「遠くに」ではなく連続行動を示す「絶えず、どんどん、せっせと」というような意味でとらえた。

第4連からは、新しく始まる「one journey」へと話題がシフトする。夢をしまい込んでいた部屋のドアを開け放てたままでいられれば、すべての道が開かれる、というのは、第2連や第4連とも呼応する。そしてそうすることで本来歩むべき道を歩き回ることができるのだ。

最終連冒頭、結局(after all)自分を解放できた新しい旅路の果てに待っているのは、もしかすると依然として魂が何かに屈する状態であるかもしれないと、現実的な結末も示唆される。しかしまた同時に最後には(after all)「愛される用意がされている(ready to be loved)」ということを疑ってはならないとも言っている。

自分を解放し、新しい生き方を始め、その最後には愛に包まれた世界が待っていることを信じること。例え現実には何かに屈しなければならなくとも、そうした自分らしい生き方をすることが、最後には愛で迎えられることになるのだ、そう言っているように思える。

この「愛」とは神による大きく深い愛のようなものではないかと思う。つまりこの「after all」の時点こそが、本当の人生の終わり、つまり死であり、その時魂は愛に包まれて至福の時を迎えることができるのだ。

スティーヴ・ハウのバイオリン奏法によるギター、シタール、パトリック・モラーツの軽やかなエレクトリック・ピアノ、そしてジョン・アンダーソンの力強いボーカル。ゆったりとスタートし、疾走し始める中間部、荒々しいエレキギターにキラキラしたキーボードが絡む。

そうして突如入ってくるメロトロン。分厚いボーカルハーモニーやパトリック・モラーツのピッチベンドを活かしたしなやかなキーボードソロ。曲は次第に壮大さを増していき、最後の大団円に向って突き進んでいく。

後ろを振り返らず突き進んでいったYesの、一つの到達点、あるいは終焉(to be over)を示す曲であったのかもしれない。
  

2009年10月31日土曜日

「クジラに愛を」イエス

原題:Don't Kill the Whale







あなたは先頭で わたしが最後
あなたは切望し わたしは受け入れるよう求められる
わたしたちの最後の神の生き物を殺すことを
クジラを狩らないで

美しい光景の中で
わたしたちは多くを求めるのか
もし運命を諭し 真実に疎くなろうとしているのなら
クジラを殺さないで

クジラたちは喜び歌う
自分たちだけの場所を賛美する
愛に満ちた瞬間 その美徳故に彼らは死ぬだろう
クジラを殺さないで

もし時が許すなら
わたしたちは 裁くだろう
はかない存在に味方する新しい世代を追って
集ってきた全ての人々を
クジラを殺さないで

You're first I'm last
You're thirst I'm asked to justify
Killing our last heaven beast
Don't hunt the whale

In beauty vision
Do we offer much
If we reason with destiny, gonna lose our touch
Don't kill the whale

Rejoice they sing
They worship their own space
In a moment of love, they will die for their grace
Don't kill the whale

If time will allow
We will judge all who came
In the wake of our new age to stand for the frail
Don't kill the whale

【メモ】
全イエス・ファン、否プログレッシヴ・ロック・ファンを奈落の底に突き落とした一曲。現実世界を越えた超絶空間を歌詞と演奏によって描き出してきたイエス、プログレッシヴ・ロックの牽引者として前人未到の世界を突き進んでいたイエス。そのイエスが環境保護、それも捕鯨反対のプロテスト・ソングか、と。それをシングル盤でも発売するのか、と。

特に捕鯨国日本の人間としては、当時の環境保護団体グリーンピースなどの、強引な捕鯨妨害活動などみに感じられた「自分たちが正しい」という思い込みによる「英雄気取り」な行動に腹立たしさを感じていた時期でもあった。

まぁ犬を食する文化もあるわけだから、西洋人にとってクジラを殺し、食することは、日本人に取って犬を食する行為に似た野蛮で残酷な行為として、大きな違和感、拒絶感を感じずにはおれなかったということだろう。

まして「モービー・ディック」的な、くじら=神といったイメージすら与えられた世界最大のほ乳類なわけだし。事実、歌詞の中にも「last heaven beast(最後の神の生き物)」という表現がある。ニュー・エイジ界を見てもわかるように、クジラは神聖な生き物の象徴なのである。
 
確かに一撃必殺ではなく、モリで突いて次第にクジラが弱って死に至らしめるという、じわじわ殺す感じがする捕鯨の仕方自体が、残酷なイメージに拍車をかけたことも想像に難くない。感情的に反発するのも無理からぬことかもしれない。

でも、それが日本の文化なんだよと、若き怒りと大いなる反発を感じつつ聴いたのがこの曲である。曲としてキャッチーで聴き易いところがまた憎らしかった。思わず聴いてしまうのだ、この曲。

しかし大事な点がある。この曲は確かに「クジラを殺さないで」と言っているメッセージ・ソングなのだけれど、殺す側を痛烈に批判したり非難したりはしていないのだ。だからプロテスト・ソング的な嫌みや痛みを感じずに聴くことができるのだ。

それはやはりある意味ジョン・アンダーソン的であるとも言えるし、イエス的であるとも言える部分なのかもしれない。 いやむしろ、この「批判、非難をしない」ということこそが、イエス・サウンドの核にある部分なのかもしれない。

ちなみに「Tormato」は今では愛聴盤。この、ポップ感覚がありながら、80年代的騒々しさもなく、90年代以降のジョン・アンダーソンのソロアルバム的なものとも違い、各メンバーがリラックスした中で、まとまりのある演奏を繰り広げている点が良いのである。

2009年7月25日土曜日

「危機 IV. 人の四季」イエス

原題:Close to the Edge
  IV. Seasons Of Man / Yes

Close to the Edge危機)収録






IV. 人の四季

音符の間の時間が 彩りを情景へと結びつける
勝利することが不変の人気を得ることで人は混乱する そう思える
円錐形焦点の間の空間は 愛を知るという高みへと登り詰める
歌と運命が時を紡ぎ出し 失われていた社会的節度が支配力を増すとともに

そして 空間へと腕を広げて見せている男に従えば
彼は振り返り 指を指した すべての人類が姿を現す
わたしは首を横に振り 微笑んでささやいた その場所をすべて知っていると
丘の上でわたしたちは谷間の静けさを見渡した
循環がすでに過去のものとなったことの証人として
そしてすでに語られた言説の中間で動くことで わたしたちはこれらすべてに触れる

瀬戸際の近く 下の川のそば
下の終局のあたり 角をそばを回り込んだところ
季節はあなたを通り過ぎるだろう
全ては終わり 完了したから
根源たる種子へ そしてまっすぐに太陽へと天命を受け
そしてあなたが発見し あなたが全体となったから
季節はあなたを通り過ぎるだろう

わたしは上昇し わたしは下降する
わたしは
上昇し わたしは下降する

わたしは上昇し わたしは下降する


IV Seasons Of Man

The time between the notes relates the color to the scenes
A constant vogue of triumphs dislocate man, so it seems
And space between the focus shape ascend knowledge of love
As song and chance develop time, lost social temperance rules above

Then according to the man who showed his outstretched arm to space
He turned around and pointed, revealing all the human race
I shook my head and smiled a whisper, knowing all about the place
On the hill we viewed the silence of the valley
Called to witness cycles only of the past
And we reach all this with movements in between the said remark

Close to the edge, down by the river
Down at the end, round by the corner
Seasons will pass you by
Now that it's all over and done
Called to the seed, right to the sun
Now that you find, now that you're whole
Seasons will pass you by

I get up, I get down
I get up, I get down
I get up, I get down
【解説】

Yesの「危機(Close to the Edge)」のパート4「人の四季(Seasons Of Man)である。

パート1では「あなた」と「わたし」がより良い状態へ変革し、「あなた」の完全性に関係して、「私」の上昇と下降の動きが始まった。パート2「全体保持」は、 変革の後に「私」の混乱と再統合がなされ、「あなた」との結びつきが強まる。そこから「全体保持(total mass retain)」という安定状態が生まれた。パート3では、安定状態の中で、上昇と下降を繰り返しながら、「誠実な眼」を持つことの重要性が述べられ、「わたし」が「あなた」に近づきたい気持ちが示された。

最終パートのタイトル「人の四季(Seasons Of Man)」にある「seasons(四季)」という単語は、すでに「seasons will pass you by(季節はあなたを通り過ぎるだろう)」という表現としてパート1の最後の部分に出てきている。すでに「あなた」は完全なる存在となっていた。そのあなたを取り巻く世界が、季節が通り過ぎていく世界だとしたら、「Seasons Of Man」は完全な状態になった存在が目にする世界ということだろうか。

第1連で特徴的なのは「between(〜の間)」という表現が繰り返されていることだ。1行目の「note」は色々な意味があるが、第1連最後で「As song and chance...」とあるので、ここでは「音符」としてみた。音符という決められた音ではなく、音と音の間の「time(時間)」、そしてまた「focus(焦点)」ではなく、その間の「space(空間)」。それぞれが、よりプラスなイメージへとつながっている。

例えばそれは「勝利すること(triumphs)」や、あるいは負けることといった明確な事柄ではなく、もっとその間にある微妙で繊細で、分かりにくいものの中に、実は真実が隠されているとでも言うかのように。

広々とした空間へと腕を広げた男が登場する。彼を先導者として彼にわたしはついて行く。彼は振り返り指を指す。そこには全人類が見える。ほら見てごらんと言うところであろうか。「わたし」は首を振る。いやいや、見なくても人類たちがいる世界を知っている。なぜなら「わたし」はかつてそこにいたからだ。

しかし今「わたし」は、完全なる「あなた」を求め、先導者たる「彼」に従って、そこからさらなる高みへと至ろうとしている。わたしたちは「彼」と「わたし」、あるいは「彼」と「わたしたち」だろうか。丘の上から谷間の静けさを見渡す。

「call...to witness」という表現は「〜に証人となってもらう」という熟語。受動態の分詞構文と考えて、「わたしたち」の状態を示すように訳してみた。「わたしたち」は「循環(cycles)」がすでに過去のものとなってしまったことの証人として喧騒にあふれる人類から遠く離れ、谷間の静けさに感じ入っている。

そして三たび「between」が出てくる。「with movements in between the said remark(語られた言説の中間で動くことで)」がそれである。「in between」は「between」と同じ意味の二重前置詞として使われている。すでに決められた「時」、「空間」そして「言葉」ではなく、その「間」が重要な意味を持つことが、またここで示されるのだ。

そしてそのことにより「わたし」は「すべてに触れる(手が届く)」存在となる。「this」は「the past」か。つまり「過去の全てを知ることのできる存在」となれるということだろうか。

「わたし」は完全なる「あなた」に近づきつつある。「季節(四季)はあなたを通り過ぎるだろう」という文はパート1の最後にも出てきたが、そこで始めての未来形だと指摘した。しかしこの「will」は、未来を示すものではなく、不完全な「わたし」には想像することしかできないが、きっとそうなのであろうという確信のある推定を示すwillだと思われる。

そして「あなた」は「seed(種子、根源)」から「sun(太陽、太陽のような輝かしい存在)」にまで行き来する。「call」は「呼ぶ」という意味が基本であるが、「神が呼び出す、招く」という意味もある。パート1で出てきた「master」(主、主たる存在)の下で、完全体となった「あなた」。そこに着実に近づきつつある「わたし」。

パート4は、既存の概念を破ることで高みへ上ることができることを知った「わたし」の自信や安心に満ちた雰囲気が感じられる。依然として上昇と下降を繰り返している「わたし」であるが、確実に「あなた」へと近づきつつあり、やがて「わたし」にも「季節」が訪れるようになるのかもしれない。

不安定な状態を示していた上昇と下降は、今希望に満ちた高みに至るための動きとして感じられ、この長大な曲は全体として、抽象的ではあるけれど前向きな、不完全ではあるけれど未来を感じさせるイメージによるカタルシスを感じさせて堂々と終わりを告げる。既存の概念から解き放たれた魂が、未来への希望と喜びを獲得する歌だと言ってもいいかもしれない。

完全な存在としての目標を定め(パート1)、自分をしっかり見つめ(パート2)、「誠実な眼」を持つことの大切さを知り(パート3)、そして既存の概念、価値観から解き放たれることで、より高みへと上って行く(パート4)という旅が終わった。

作詞をしたJon Anderson(ジョン・アンダーソン)は1976年に次のように言っている。

「この曲の歌詞は一連の夢のようになった。最後の歌詞は僕がずっと昔に見た夢で、この世からあの世へと行く内容だったんだけど、すごく幻想的だったんで、それ以来僕は死を怖いとは思わなくなった。(中略)死というのは人間の肉体が生まれるのと同様、すごく美しい経験なんだということが見えてきた。この曲にはそれが現れていて、すごく牧歌的な経験で、怖いようなものじゃない。」
「イエス・ストーリー 形而上学の物語」
(ティム・モーズ、シンコー・ミュージック、1998年)

現世の不安定な状態が上昇と下降であるなら、「死」を恐怖の対象から「美しい経験」へと捉え直すことで、上昇と下降が不安から希望への運動へと変わっていく。この曲にはそんなJonの思いが込められているのかもしれない。

以上、長旅におつき合いいただき、ありがとうございました。「危機」全訳完了。
 

2009年7月18日土曜日

「危機 III. 上昇と下降」イエス

原題:Close to the Edge
  III. I Get Up, I Get Down / Yes

Close to the Edge危機)収録






I. 上昇と下降

あなたは 白いレースに身を包み 悲し気な目をした女性をはっきりと見ることができた
彼女は言っていた 自分の領地に苦難を与えた責めを自分は負うことになるだろうと

私は上昇し 私は下降する
私は上昇し 私は下降する

二百万の人々は かろうじて満足する
二百人の女性が一人の女性が泣くのを見つめる 遅過ぎる
誠実なる眼は成果を上げる
毎日わたしたちはいったい何百万の人々を欺いているのだろうか

 (コーラス)
 彼女は彼らから言われた
 彼女の物語の驚くべき部分を巻き付けていくだろう
 利益が彼女の領地の子供たちに
 もたらされることだけを望みながら

わたしを管理してそこにいる者を管理しながら
わたしは無言でただ傍観し 道が見えると言っているのか?
真実はそのページのいたるところに書かれている
わたしがあたなにふさわしい歳になるにはどれほど歳をとればいいのだろう?
私は上昇し 私は下降する
私は上昇し 私は下降する


III I Get Up, I Get Down

In her white lace, you could clearly see the lady sadly looking
Saying that she'd take the blame
For the crucifixion of her own domain

I get up, I get down
I get up, I get down

Two million people barely satisfy
Two hundred women watch one woman cry, too late
The eyes of honesty can achieve
How many millions do we deceive each day?

(chorus)
She would coil their said
Amazement of her story asking only
Interest could be laid upon the children
Of her Domain

I get up, I get down
I get up, I get down

In charge of who is there in charge of me
Do I look on blindly and say I see the way?
The truth is written all along the page
How old will I be before I come of age for you?

I get up, I get down
I get up, I get down
I get up, I get down



【解説】
Yesの「危機(Close to the Edge)」のパート3「上昇と下降(I Get Up, I Get Down)である。

パート1では「あなた」と「わたし」がより良い状態へ変革し、「あなた」の完全性に関係して、「私」の上昇と下降の動きが始まった。パート2「全体保持」は、変革の後に「私」の混乱と再統合がなされ、「あなた」との結びつきが強まる。そこから「全体保持(total mass retain)」という安定状態が生まれた。

パート3では「あなた」の話から始まる。「あなた」はある女性を見ることができた。それはあなたがもつ完全性ゆえなのかもしれない。その女性は、自らの領地に苦難を与えてしまったため、その責めを負わなければならない。イギリス的な女王、女帝の姿が浮かぶ。ちなみにcrucifixionには、十字架刑という意味もあるので、宗教的なイメージが重なっている。

それは第3連の最終2行にある「誠実なる目は成果を上げる/毎日わたしたちはいったい何百品の人々を欺いているのだろうか」に集約される、「不誠実さが報いを受ける物語」として語られていると言えそうである。

「あなた」は恐らくこの「誠実なる眼」を持っているのだ。だから不誠実さに気づくことができた。しかしわたしは「何も疑わずに、何も言わず(blindly)」傍観し、目の前に道が続いていると思っているが、それは「誠実なる眼」を持っていることにはならない。真実が書かれた書物から、その真実を読み取ることができてはいない。

だからあなたの完全性にふさわしい歳に、「わたし」はまだ至っていないのだ。完全性を持つ「あなた」という高みを見つめながら、「わたし」や「わたしたち」の不完全性を自覚しつつ、「わたし」は上昇と下降を繰り返す。

ちなみにJonがメインボーカルで歌うところに、SteveとChrisがバックで、カウンターメロディーを別の歌詞で歌う。それが(コーラス)として字下げした部分だ。実はアルバムに載っていた英語歌詞はいわゆるcalligraphy(装飾性の高い手書き文字)で書かれているので、ところどころ読みにくい上、一般の歌詞サイトではこの部分は収録されていない。

さらに書かれている文章の最初の部分が歌われていないため、歌われている歌詞部分のみ取り出し、意味を付けてみた。

「彼女」が責めを負うことで「かろうじて満足」した「二百万の人々」とは、領地の領民、あるいは国民か。「二百人」の女性とは数自体はあまり問題ではなく、彼女自身の悲しみや苦しみに気づくものたちは少なかったという例えではないか。

そこでコーラス部分にある「彼らから言われた彼女の物語の驚くべき部分」とは、彼女が領民から指摘、糾弾された裏切り行為、あるいは政策的な失敗のことを指すのだろうか。「coil(巻き付ける)」とは、一巻き二巻と螺旋状に続けていくイメージだから、欺きを残らず白状することの例えか。ただただ領地の子供たちへ、本来の利益がもたらされることだけを願いながら。

パート1、2と比べると、このパート3は少し具体的なイメージが描かれている。領地とそこを統治する女性。そうしたイメージを「不誠実さが報いを受ける物語」として描いたとすれば、特にイギリス人に取っては女王を意識せざるを得ない、刺激的なパートかもしれない。

しかし、そうした要素を含んでいるとしても、この一番静かなパート3が全体の流れの中で重要なのは、安定状態の中で、上昇と下降を繰り返しながら、「誠実さの眼」の重要性に触れ、それを持つ「あなた」に「わたし」が近づきたい気持ちを明確に示したことであろう。そしてそれには何年もの時が必要なのだ。

次回はいよいよ最終パート。続く。
  

2009年7月9日木曜日

「危機 II. 全体保持」イエス

原題:Close to the Edge
  II. Total Mass Retain / Yes

Close to the Edge危機)収録






II. 全体保持

私の目は 確信に満ちていながらも、愛の力で手にした より若い月に覆い隠された
それはまるで、天から降り注ぐ輝ける神与の糧を浴びながらも ほとんど汚れていると言えるほどの変化だった

私は自分の憎しみの気持ちを抑え 言葉を手の中に押し止めた
存在するのは あなた 時 論理 あるいは理解不能な根拠だ

悲しみに満ちた勇気を持って 生け贄達が
 皆が見えるように動かずに立っていることを要求した 
武装した移動部隊が 海を見渡すために 前進し接近するかのように
その後存在するのは 絆 許し あるいは理解可能な根拠となるだろう

下の瀬戸際のあたり 川のそばに接近し
瀬戸際の近く 角のあたりを回り込んだところ
終局の近く 下の川のそば
下の瀬戸際のあたり 川のそばを回り込んだところ

突然目的が理解できたとしても それに驚いて記憶を消し去るべきではない
結局のところ その旅は常にあなたと共にあるのだ
あなたがこれまで見たり知ったりした真実とは切り離されているとしても
言及を欺くためにのみ問題を
推測しながら
虚無の世界へ途中まで登り行く道を通りながら
私たちは端から端まで横切る時に 全体が保持されるのを聞く

下の瀬戸際のあたり 角のそばを回り込んだところ
終局の近く 下の川のそば
季節はあなたを通り過ぎて行くだろう
私は上昇し 私は下降する

II Total Mass Retain

My eyes convinced, eclipsed with the younger moon attained with love
It changed as almost strained amidst clear manna from above
I crucified my hate and held the word within my hand
There's you, the time, the logic, or the reasons we don't understand

Sad courage claimed the victims standing still for all to see
As armoured movers took approached to overlook the sea
There since the cord, the license, or the reasons we understood will be

Down at the edge, close by a river
Close to the edge, round by the corner
Close to the end, down by the corner
Down at the edge, round by the river

Sudden cause shouldn't take away the startled memory
All in all, the journey takes you all the way
As apart from any reality that you've ever seen and known
Guessing problems only to deceive the mention
Passing paths that climb halfway into the void
As we cross from side to side, we hear the total mass retain

Down at the edge, round by the corner
Close to the end, down by a river
Seasons will pass you by
I get up, I get down



【解説】
Yesの「危機(Close to the Edge)」のセカンド・パート「全体保持(Total Mass Retain)である。パート1では「あなた」と「わたし」がより良い状態へ変革し、「あなた」の完全性に関係して、「私」の上昇と下降の動きが始まった。

最初の行は「My eyes (being) convinced, and (being) eclipsed ...」と補い、次行の「It」は「My eys」を一塊の存在と捕らえた結果単数(theyではなくit)になったと考えた。つまり「それ=私の目」である。

まるで「天与の糧(mannna)」を浴びつつ汚れているように、確信に満ちたりた状態なはずなのに「愛」の名の下に「the younger moon(より若い月=三日月に近い月=不完全な月)に曇らされ、私は「憎しみ(hate)」の感情を抱く。しかし言葉には出さない。

「憎しみ」の心と戦っている自分の前にいるのは、「あなた」「時間」「論理」そして「理解不能な根拠」。そう、この不完全で不安定な状態において「あなた」はそこにいてくれるのだ。

「私」は憎しみを吐き出す代わりに、周囲から皆が見えるように「犠牲者」をじっと立たせることを要求する。「犠牲者」とは自らの内にある、目を背けてはならない部分のことか。他人を憎むのではなく、自分の中の弱さに目を向けること。悲しみに満ちた勇気を振り絞って。

「since」は「それ故、その後」と取り、第1連最終行と対となる第2連最終行は、現在の状態が好転していくだろう未来を語っている。そこには「絆」「許し」「理解可能な根拠」が存在することになる。

第4連では、新たな自分の「目的(cause)」が理解できたとしても、それで過去の自分の記憶を消し去ってはならないと言う。そして結局「あなた」はこのような旅をずっと続けるのだ。それが、今までの常識とはかけ離れたものであっても。「私」と「あなた」は常にそばにいて「絆」で結ばれているのかもしれない。

「私」は自分への自信を取り戻し移動を続ける。そして「端から端まで横切った時、全体が保持されるのを聞く」。ここでの「私たち(we)」は、「あなた」と「私」なのかもしれない。

パート2となる「全体保持」は、変革の後に「私」の混乱と再統合がなされ、「あなた」との結びつきが強まったことを語っているように感じる。そこから「全体保持(total mass retain)」という安定状態が生まれた。

しかしその中で「旅(journey)」は続き、「私」の上昇と下降の運動も続いている。さて、次はどういう展開が待っているのであろうか。続く。

2009年7月4日土曜日

「危機 I. 連続した変革の時」イエス

原題:Close to the Edge
   I. Solid Time of Change / Yes


Close to the Edge危機)収録






I. 連続した変革の時

経験豊かな魔女が あなたを恥辱の底から呼び戻し
あなたの中に生きる者を 強固な精神的優美さへと再構成することができた
それを 遠くから素早くやってくる音楽を使って 完全に成し遂げ
時に反して全てを失ってしまった人の果実を味わうことができた
どこにもつながらない地点を見いだし、一人ずつ先導しながら
露の一しずくは 太陽の音楽のように 私たちを高め
私たちが動く時に伴う痛みを取り去り
あなたが走り続ける道筋を選ぶことができる

下の終極のあたり、角のそばを回り込んだところ
急がず 急がずに
瀬戸際に迫るところ 下の川のそばで

夏の変化を囲む境界線を越えて
空がどんな色かを告げるために 手を伸ばして
私たちが目にするより速く 朝を身にまとった瞬間を次々と手渡しながら
わたしが心配すべき時を ことごとく乗り越え
全ての変化を はるかはるか彼方へと残して
私たちは 主なる存在の名前を見つけ出すまさにそのために、緊張を解き放つのだ

下の終極のあたり、角のそばを回り込んだところ
切っ先の間近 下の川のそばで
季節はあなたを通り過ぎて行くだろう
私は上昇し 私は下降する
全てが終わり、完了したから
そしてあなたが発見し、あなたが全体となったから


I. The Solid Time Of Change

A seasoned witch could call you from the depths of your disgrace
And rearrange your liver to the solid mental grace
And achieve it all with music that came quickly from afar
And taste the fruit of man recorded losing all against the hour
And assessing points to nowhere, leading every single one
A dewdrop can exalt us like the music of the sun
And take away the plain in which we move
And choose the course you're running

Down at the end, round by the corner
Not right away, not right away
Close to the edge, down by a river
Not right away, not right away

Crossed the line around the changes of the summer
Reaching out to call the color of the sky
Passed around a moment clothed in mornings faster than we see
Getting over all the time I had to worry
Leaving all the changes far from far behind
We relieve the tension only to find out the master's name

Down at the end, round by the corner
Close to the edge, just by a river
Seasons will pass you by
I get up, I get down
Now that it's all over and done
Now that you find, now that you're whole


【解説】
イエスの代表作にしてロック史に残る傑作「危機(Close to the Edge)」から、タイトル曲への無謀なる和訳への挑戦、パート1である。

まず「危機」を構成するパート名を確認しておく。

I. The Solid Time Of Change(連続した変革の時)
II. Total Mass Retain(全体保持)
III. I Get Up, I Get Down(私は上昇し、私は下降する)
IV. Seasons Of Man(人の四季)

音楽的にはIは導入部から最初のサビ(I get up, I get down)の登場まで、IIはIから続く3拍子のリズムでボーカルが歌い続けながら、バックのリズムのアクセントがズレると言う緊張感が増すパート、その緊張感が極限に達した後、IIIでは4拍子のスローなリズムで、パイプオルガンとボーカルが印象的な静かなパート、そしてリック・ウェイクマンのオルガンソロを含み、
全員で突進していくようなクライマックス部分のIVとなる。

さてこのIのキーワードは「change」であろう。「変革」。

第1連を見てみよう。この連は2つの文章から成っていると考える。1つは「A seasoned witch(経験豊かな魔女)」を主語にした文章で、4行目の最後「hour」まで。1行目の「A seasoned witch could call...rearrange...achieve...taste...」と、 「could」の後に動詞が並列される。

「経験豊かな魔女」の力により、「あなた」はマイナスイメージからプラスイメージへと変革が可能だった(過去)ことが述べられる。

これに対し2番目の文章は「And assessing...」の一行を付帯状況「〜しながら」と取って、次の行の「A dewdrop(露の一しずく)を主語として、「A dewdrop can exalt...take away...choose...」と動詞が並び、第1連最後に至る。ここで「露の一しずく」が可能にしてくれる対象は「私たち」であり、やはりマイナスイメージからプラスイメージへと変革が可能である(現在)ことが述べられる。

ただし、最後に、走っている「あなた」の行くべき道を選ぶ事もできると、「あなた」にも触れている。「あなた」の解放にもつながったということか。

第2連は、以降繰り返されるフレーズが現れるが、どこかギリギリに追い詰められたようなイメージだ。そのギリギリの状態の中で、「あなた」と「わたし(達)」の変革が行われる。

第3連は「(Having) Crossed...Reaching...(Having) Passed...Leaving...」と「〜しながら」という分詞構文が続いて、主文は最後の「We relieve...」という「私たち」を主語とした文と見た。ここでははっきり「We relieve...」と事実として述べた文章なので、「A dewdrop」の力で、実際に「私たち」は
「the master's name」を見つけるため、不安を追い払う。「the Master」と大文字のMを使うと「イエス・キリスト」を指すが、ここでは小文字なので、キリストに限定しない超越的な存在、神的存在と考えた。

では「あなた」はどうなったのか。第4連で「Seasons will pass you by(季節はあなたを通り過ぎていくだろう)」と言う文の中で「you」が出てくる。始めての未来形の文章である。時間とは関係なく「あなた」の在り方は決まっているということか。

しかし最後に「わたし」と「あなた」の関係性が述べられる。「now that...」は「...したからには、...した以上は、...したので」という表現。したがって「全てが終わり、完了し」「あなたが発見し完全になった」ので、「私は上昇し、私は下降する」とつながると解した。「あなた」は「完全」になっていたのだ。

以降繰り返される「I get up, I get down(
私は上昇し、私は下降する)」という、抽象世界と具象世界を行き来するような、「わたし」の動きは、「あなた」が完全である事を前提、あるいは契機として、ここに始まるのだ。

さて、「わたし」と「あなた」はどうなっていくのであろうか。続く。

2009年4月11日土曜日

「不思議なお話を」イエス

原題:Wonderous Stories

■「Going For The One」(究極)収録








わたしは今朝目覚めた

愛の神が川の近くにわたしを寝かせていた
わたしは川の上流を目指してゆっくり泳いだ
わたしに許しを与えてくれる人を目指して
あなたの顔を見るわたしの眼差しに託されたものの中の
音がわたしを黙らせた
なんの痕跡も残さずに
わたしは許しを請うた 不思議なお話を聞かせて欲しいと
その不思議なお話を聞かせて欲しいと請うたのだ

彼はそれほど遠くない土地のことを話した
彼の心の中にある土地ではなかった
そこでは高次元で融合が達成され
理性が彼の時間を捕らえたのだ
ほんの一瞬で 彼はわたしを門まで連れて行った
慌ててわたしはすぐに
時間を確認した
もし遅れたら、あなたの不思議なお話を聞くのに 許しを請わねばならなかった
あたなたの不思議なお話を聞くのに 許しを請わねばならなかったのだ

耳をすます
 耳をすます あなたの不思議なお話に耳をすます
 あなたの不思議なお話に耳をすます
嘘ではなくわたしには未来がしっかりと見える
全てを心に描く
あなたは近くにいた
そこはあなたがそれまでいた場所
最初に注意深く立っていた場所
するととても高く
彼が言葉を発するとわたしの魂は空へと駆け上った
わたしは魂に戻ってくるように命じた
あなたの不思議なお話を聞くために
戻って来てあなたの不思議なお話を聞くために
 戻って来てあなたの不思議なお話を聞くために

耳をすます
 耳をすます
  耳をすます
   耳をすますI awoke this morning Love laid me down by the river
Drifting I turned on up stream
Bound for my forgiver In the giving of my eyes to see your face
Sound did silence me
Leaving no trace
I beg to leave, to hear your wonderous stories
Beg to hear your wonderous stories 'LA AHA LA AHA'

He spoke of lands not far Nor lands they were in his mind
Of fusion captured high Where reason captured his time
In no time at all he took me to the gate In haste I quickly
Checked the time If I was late I had to leave, to hear your wonderous stories
Had to hear your wonderous stories 'LA AHA, LA AHA'

Hearing
 Hearing hearing your wonderous stories
 Hearing your wonderous stories It is no lie I see deeply into the future
Imagine everything
You're close And were you there To stand so cautiously at first And then so high
As he spoke my spirit climbed into the sky
I bid it to return
To hear your wonderous stories
Return to hear your wonderous stories
 Return to hear your wonderous stories
LA AH LA AH AH AH
 Hearing
  Hearing
   Hearing
    Hearing
     Hearing

【解説】
1977年発表、スタジオアルバムとしては「リレイヤー(Relayer)」に続く、第8作目にあたる作品。前々作の「海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)」発表後バンドを脱退したキーボードのリック・ウェイクマンが復帰し、アルバムジェケットもYesのロゴを残してロジャー・ディーンの幻想的絵画からヒプノシスの都会的イメージに変わった、心機一転の心意気を感じる作品。

「不思議なお話を」は、ジョン・アンダーソンが歌う牧歌的な曲で、旧アルバム構成上は、A面の最後が「パラレルは宝(Parallels)」のチャーチ・オルガンが鳴り響く派手な曲で終わったところで一息、B面に裏返して、再びラストの大作「悟りの境地(Awaken)」で盛り上がる前の小曲といった趣き。

正直なところ私的にはこの「究極(Going For The One)」は「リレイヤー」を聴いた後では物足りない。タイトル曲「究極」は素晴らしいと思うが、「パレレルは宝」はリックウェイクマンの時代がかったチャーチ・オルガンが曲のスマートさ、タイトさを損ねている感じがするし、「悟りの境地」は、前半の驚異的な緊張感が中盤以降途切れてしまい、「クライマックスは最初だったのか」といった消化不良を起こす。

したがって、むしろ大仰な演出を控えたフォークタッチな「不思議なお話を」が、思わず鼻歌を歌ってしまうように心に残るのである。実際、この曲はイギリスでシングル・カットされレコード・ミラー誌のチャートで7位を記録するヒットとなった。

そこで歌詞を見てよう。
まずタイトルの「Wonderous Stories」だが、「wonderous」という綴りは一般的ではない。正確には「wondrous(驚くべき、不思議な)」と書く。「wonder(驚異、不思議な物事)」という単語のイメージを残すために、わざとあまり一般的ではない「wonderous」を使ったのかもしれない。意味は同じ「不思議な」とか「驚くべき」など。

まず作詞をしたジョン・アンダーソンの言葉から。

「素晴らしく天気のいいスイスの1日だった。ずっと心に残るような最高の日和だった。そのとき“不思議なお話を”の歌詞を思いついたんだ。生き生きとした歌だよ。  張りつめた人生ではなく、人生の喜びを歌ったものなんだ。過去や未来のロマンチックなお話で、何と言うか、夢の続きのような感じなんだ。」

「イエス・ストーリー」(ティム・モーズ著、シンコー・ミュージック、1998年)より

相変わらず難解で解釈を拒むような感覚的な歌詞である。しかし上記のジョンの言葉を頼りに、プラス思考で流れを捉えていったみよう。

「わたし」は目覚めると川の近くに寝かされていた。「Love」によってとあるが、この後「愛する人」の話は出てこないので、もっと広い愛を持つ存在、愛の力で包み込んでくれるような存在と考えた。そこで「愛の神」と訳してみた。具体的な神話上の存在ではない。この愛の神が、わたしを「forgiver(許しを与えてくれる人)」へと続く川に連れて来てくれたのだ。

「forgiver」も、「神」と呼んでしまうと語弊があるかもしれない。特定の宗教の神を言っているわけではないのだ。「神のような、絶対的な力と慈悲の心を持つ超越的な存在」という感じか。「forgiver」という言葉もいい言葉である。人は基本的に不安で一杯なのだ。許し、受け入れて欲しいのだ。だから「わたし」は「forgiver」を目指して川を上流へと移動する。そして「forgiver=you」の顔を見ると、「音がわたしを黙らせた 何の痕跡も残さずに」、つまり「わたしは何も話すことができず、そこには何の音もしない静寂のみ存在した」ということか。

しかし「わたし」は請う
。不思議なお話を聞かせて欲しいと。「beg leave to do...(〜する許しを請う)」という表現があり「leave(許可)」という名詞として使われているが、ここでは本来はない「leave(許可する)」という動詞と捉え、「beg to leave =beg leave」(許可を請う)と訳した。「leave(去る、残す)」という意味の動詞ならあるんだけど、話がつながらないので、上の案を採用した。

第2連では、それまで「あなた」と言っていた相手が「彼」で始まっている。少し客観的な表現に変わる。「彼」は
それほど遠くない土地の話をし、時間を自由にあやつり、わたしをその「高次元で融合された土地」の門まで一瞬にして連れて行った。あなたの不思議なお話でわたしは時空を超え、過去の理想郷の門まで行ったということか。

しかしそのまま呆然としているわけにはいかない。「わたし」は「あなた」の話を聞きたいのだ。「あなた」の不思議なお話についていかなければならないのだ。

そして今度は「あなた」のお話を聞くうちに未来が手に取るように見えるようになる。

再び気づくと「あなた」は最初に立っていた場所にそのまま立っていた。時空の旅は一瞬のできごとなのだ。

また「あなた」のお話に耳を傾けると、魂が空へと駆け上ってしまった。わたしはその魂を呼び戻す。あなたの不思議なお話を聞き続けるために。

こうして「わたし」は、「あなた」の不思議なお話を聞くことでコントロール不能になりそうなほどに時空を行き来する。そして未来をも見ることができた。だけどまだまだ「わたし」は「あなた」の不思議なお話を聞きたい。その話を聞くことが自分の心の解放になるからだろう。
宗教的な色彩の強い寓話風であるが、物語と言えるほどの筋はない、とても感覚的な内容だ。


曲はゆったりした雰囲気で、ボーカルそしてボーカルハーモニー
美しく優しい。中間部の華麗なポリフォニックシンセサイザーの音がクラシカルなタッチを加える。確かにドリーミーである。アコースティックギターがリズムを刻み続け、平和なムードの中で曲は終わる。

聖歌のような、超自然的な至福の体験が持つイメージの神秘さと、それに説得力を持たせてしまうジョンの声を中心としたYesのクラシカルなアレンジが作り出した傑作と言える一曲。

理詰めで解釈することを拒むところが、Yesの詩の良さでもあり難しさでもあると、またまた実感した。

2009年3月23日月曜日

「南の空」イエス

原題:South Side Of The Sky

■「Fragile」(こわれもの)収録







越えるべき川そして山
山々では日の光は時として弱まる
南側の周辺
叫びたいほどの寒さ
我々にとってその日ほど寒い日がかつてあったろうか
まるで永遠なる世界から百万マイル
遠く離れているかのようだった

前へ進めと友はそれだけを叫んでいた
さらに深くどこか我々が横になり
休息を取れる場所に向って
寒さが妨害する中で
我々にとってその日ほど寒い日がかつてあったろうか
まるで永遠なる世界から百万マイル
遠く離れているかのようだった

全ての雑音の中で一瞬一瞬が消えて行くように思えた
吹雪そして励ましの声
空の暖かさを伝える声
死ぬときの暖かさを伝える声
我々にとってその日ほど暖かい日がかつてあったろうか
まるで永遠なる世界から百万マイル
遠く離れているかのようだった

山々では時として日の光は弱まる
川はその犠牲を無視して
空に溶け込むことができる
死ぬときの暖かさ
我々にとってその日ほど暖かい日がかつてあったろうか
まるで永遠なる世界から百万マイル
遠く離れているかのようだった

A river a mountain to be crossed
The sunshine in mountains sometimes lost
Around the south side
So cold that we cried
Were we ever colder on that day
A million miles away
It seemed from all eternity

Move forward was my friend's only cry
In deeper to somewhere we could lie
And rest for the day
With cold in the way
Were we ever colder on that day
A million miles away
It seemed from all eternity

The moments seemed lost in all the noise
A snow storm a stimulating voice
Of warmth of the sky
Of warmth when you die
Were we ever warmer on that day
A million miles away
We seemed from all eternity

The sunshine in mountains sometimes lost
The river can disregard the cost
And melt in the sky
Warmth when you die
Were we ever warmer on that day
A million miles away
We seemed from all of eternity


【解説】
Yesが飛躍的にその音楽性を高めた1972年発表のアルバム「Fragile(こわれもの)」からの一曲。旧LP時代ではA面ラストの曲。なかなかライブでは再現が難しい曲のようで、最近までライブで演奏されたことの好くなかった曲。そう言う意味では隠れた名曲と言えるかもしれない。

LPレコードの解説には「ストーリーは、山登りを志す男の話に見えるが、これは人生の中でもがきながら生活していく男の話だとのこと。(メンバーのビル・ブラッフォードの談話)」とある。

また「イエス・ストーリー 形而上学の物語」(ティム・モーズ、シンコー・ミュージック、1998年)によれば、ボーカルのジョンが次のように述べている。

「ある記事を読んでいると、眠りと詩は隣り合わせにあると書いてあった。僕はこれをすごく詩的だと思ったんだ。だれも死がどんなものか本当は分かっていないからだ。死はこれまでずっと悪い意味で使われてきていた…おまえも死ぬんだぞ!とかね。でもこれはとてもおかしな考えだ。だって、生命はすごく美しいものなのに、死が美しくていけないわけがないだろ?死は生命の延長線上にあるに違いない。“南の空”は、あの山を登りつづけて一生懸命頂上へたどり着こうとする様子を歌ったものだ。著上へたどり着くにはさまざまな変遷を経ないといけない。それが永遠の眠り、あるいは来世ということなんだ。“南の空”はそても神秘的な曲なんだよ。」

う〜む、具体的な描写を人生に照らし合わせるだけでなく、生命や死にまでイメージを広げてしまうところがジョンらしいというか。
まず両者のコメントから比喩的に山登りの困難さを歌っていることがわかる。日の光は弱く、時に吹雪、南側の空だから本来は陽が自分たちを照らしてくれるはずなのに、叫びたいほどの寒さ。

「eternity」とは「死後に始まる永遠の世」という意味がある。「わたしたち(we)」が休息を取る場所を探しつつ、寒さと闘う時思うのは、死後の永遠なる世界にたどり着くには、まだまだ果てしなく遠くまで行かねばならないと言うこと。

しかし第3連、第4連では「warmth when you die」という表現が出てきて、「cold」から「warmth」へと受ける感覚が変わっている。しかし「warmth when you die(死ぬときの暖かさ)」とあるように、生きている時のcoldな試練と対比させて、死ぬとき・死んだ後のwarmthが歌われているのだ。これほどその暖かさを感じた日はあったろうか、とさえ思う。それだけ死に近いところで奮闘している。

それでもまだまだ「eternity」までは限りなく遠い。
「死」を肯定し美化しながらも、一生懸命coldが「in the way」(妨害する)中を突き進んで行くことで、その結果として最後の最後に「eternity」にたどり着き、本当のwarmthに包まれるのであろう。

宗教的ですらある。しかし辛い人生を生きるて死んでいくことは、決して残念なことではなく、さらに美しい世界がそこに広がっているという、生きる希望を歌った曲だと解したい。

サウンド的には、ビル・ブラッフォードのロックなドラミングが堪能できるスリリングな曲だ。強力なバックのサウンド、それにも負けないジョンの力強いボーカル。ソロ曲とバンドの曲が交互に配置されている「Fragile」では、バンドでの力強い曲が大きな魅力を放つ。この「South Side Of The Sky」は、ストレートでドラマティックで、詞的にも前向きな、非常に魅力的な曲だと言えよう。


2009年3月16日月曜日

「スーン」(「錯乱の扉」より)イエス


原題:Soon (The Gates Of Delirium)

■「Relayerリレイヤー)収録






まもなく まもなく光がやってくる

内側に射し込んできて この終わりなき夜に慰めをもたらしたまえ
そして この場所であなたを待ちたまえ
ここにあるべきは 我々の理性

まもなく まもなく時がやってくる我々が手に入れようとしたもの全てに 我々の手が届き 我々は落ち着きを取り戻すだろう

心は開かれ
ここにあるべきは 我々の理性

かつて 詩に込められた理性


まもなく まもなく光がやってくる

常に形作ろうとしている我々のもの 正しい考え
太陽は我々を導き
ここにあるべきは 我々の理性

Soon, oh soon the light

Pass within and soothe this endless night
And wait here for you
Our reason to be here

Soon, oh soon the time

All we move to gain will reach and calm
Our heart is open
Our reason to be here

Long ago, set into rhyme


Soon, oh soon the light

Ours to shape for all time, ours the right
The sun will lead us
Our reason to be here

Soon, oh soon the light

Ours to shape for all time, ours the right
The sun will lead us
Our reason to be here

【解説】
傑作アルバム「危機(Close To The Edge)」を作り上げて、さらにその先へ進もうとしたYesが、キーボードにパトリック・モラーツ(Patrick Moraz)を迎えて前人未到の領域に達したアルバムが、この8枚目のアルバム「リレイヤー(Relayer)」(1974)である。

その内容は混沌としたパワーに満ちた壮絶なもので、整然と組み立てられた「危機(Close To The Edge)」とは別のピークに達している。メンバー全員が何かに取り憑かれたようにパワーを発散させている。


全3曲という大作ばかりの中で、LP時代にA面すべてを使った「錯乱の扉」が約22分の超大作。ボーカルのジョン・アンダーソン(Jon Anderson)によると、その基本コンセプトは、なぜ我々は戦争をし続けなければならないのか、なのだという。「前奏曲があって、突撃、勝利の曲と続き、未来への希望を込めた平和で終わるんだ。(「イエス・ストーリー」シンコー・ミュージック、1998年)」


そしてそのラスト5分前くらいから始まるのが、この「Soon…」で始まる“未来への希望を込めた平和”を歌うパートだ。それまでの喧噪がウソのように静まり、ジョンが歌い上げる美しいラストだ。後に「ドラマ(Drama)」というアルバムでイエスのメンバーとして歌うことになるトレヴァー・ホーンは、「終わりになってジョンが“Soon…”と歌い始めると、僕は泣きたくなった。(「イエス・ストーリー、同上)」と語っている。


このラストの部分は「SOON」というタイトルで1975年にシングルカットされたり(ちなみにB面は「サウンド・チェイサー」)、コンサートでも単独で歌われたりする、それ自体で独立した扱いも受けている部分である。


戦闘が終わり、例え勝利したとしても多くの犠牲、多くの破壊を余儀なくされた荒廃した世界と荒廃した心が、暗闇の中で光が射すのを待ち望んでいる。


「錯乱の扉」では「you」は2回出てくる。最初は曲の前半部分の「As leaders look to you attacking」(指導者たちは、あなたが突撃するのを期待しているのだから)という部分、そしてこの「soon」の第1連、「wait here for you」(ここであなたを待ちなさい)である。


途中「Listen your friends have been broken They tell us of you poison(聞け、あなたの友だちは破れ続けている 彼らは我らにあなたのことを不快な人物だと言っている)」とあり、「Now we know Kill them give them as they give us」(これでわかったろう、やつらを殺せ、やられた分だけやりかえすのだ)と続く。戦争の狂気。「Listen should we fight forever(聞け、我らは永遠に闘い続けなければならないのか?)」と自らに問うた後である。


したがって「we」も「you」も、戦争に否応なく巻き込まれ、友を裏切り、友に裏切られ、憎しみと殺戮にまみれた人々であろう。


そこで戦争が終わった時、我々は「光」を求め、暗闇を照らし戦いに疲れた「you(あなた)」が戻ってくるのを待とうと言っていると解釈した。戦争の狂気は去り、「reason(理性)」こそが今ここに必要なのだと思いながら。「time(時)」がまた自分たちに必要なものを取り戻し、心の平安をも取り戻すだろう。


我々が必要としているもの、それは「the right(正しい考え)」であり、そこに導いてくれるのは「light」であり、そして「the sun」なのだ。


戦闘場面をイメージさせるSEなどが実際の戦争を思い浮かばせるが、見方を変えれば私たち個人の日々の生きる戦いと重ねることもできる。歌詞の曖昧さは、この曲に戦争描写のための音楽ではない広がりを与えている。


しかし、未来形の文章が使われていることからもわかるように、救われたのではなく、救われることを望み祈る歌である。何か宗教的な神聖さが宿る歌である。特にそれまでの狂騒的サウンドバトルの後に歌われることで、その魅力をさらに高めていると言える。