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2010年11月28日日曜日

「ほんの少しだけ(人生は川のようなもの)」P.F.M.

原題:Appena Un Pò / P.F.M

■「Per Un Amico(友よ)」収録







「ほんの少しだけ」

ここから出て行くんだ
遠くの場所へと
王様のように堂々と
僕の望むままに
そうしたら僕も立ち去ろう
そして別の真実に向って走り出そう。
僕らはそう、信じている、でも
もう十分…出て行くんだ…つまり
ここから出て行くんだ、ここから外へと…君…
さぁ、ここから出て行くんだよ。

別の真実の中で
僕を見つけておくれ、ただし、あぁ
そして僕の前に空間が広がっていることを
ここから出て行くんだ
ここから出て行くんだ
今すぐに
ここから出て行くんだよ


「Just a little」

Get out of here
away from here
like a king out of here
just as I want.
I would depart, I would run
toward another truth.
We believe uh, however
enough ... just leave ... I would say
away from here, away from here ... you du du ...
now, away from here.

In another reality
find me, but uh
to see space ... space in front of me ...
away from here
away from here
immediately
away from here.

※ 英詩はオリジナルイタリア語の歌詞を自動翻訳したものを元に
イタリア語辞典などを使用し英訳したものです。

【メモ】 
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)が1972年に発表したセカンドアルバム「Per Un Amico(友よ)」から、冒頭の一曲である。

キング・クリムゾンのピート・シンフィールドが彼らを気に入り、自ら英詞を提供して「Photos of Ghosts(幻の映像)」を作り上げ、世界進出の後押しをしたのは有名な話であるが、その元となったイタリア盤がこの「Per Un Amico」である。「Photos of Ghosts」は本アルバム収録曲全曲、1stから1曲、新曲1曲という構成で、1曲を除き全てに新たに英語の歌詞がつけられているのだ。

中でも「Photos of Ghosts」冒頭の「River of Life(人生は川のようなもの)」は、非常にドラマティックな曲展開と、人生の移りゆく姿を描いたような雄大な英詩により、強く印象に残る曲となっている。

そこでその「River of Life」のオリジナル曲はどのような歌詞であったのか。それを確かめるべく、今回もまたGoogle翻訳を基本に、他の翻訳サービスやイタリア語辞典などを参考にして英語訳を試み、そこから和訳するという手順を踏んで、オリジナル曲の内容に迫ってみた。

一見するとわかるように、ピート・シンフィールドの英詩とは全く内容が異なっている。英詩の雄大な時間の流れと空間の広がりを思わせる世界は、ここにはない。ここで歌われているのは、もっと個人的な「僕」と「君」との小さな世界での出来事だ。その言葉や表現も多くはない。

しかし、それは「Per Un Amico(友よ)」というタイトルに呼応したような物語であり、よりストレートな感情を表現したものとなっている。

「Photos of Ghosts」訳でも紹介したように、ドラムスのFranz Di Cioccioはこの歌詞について次のように述べている。

「彼(ピート・シンフィールド)の詩はもとの歌詞とは全く異なるものです。彼はP.F.Mのサウンドを聴き、そこからインスパイアされたものを英詩にして書き上げたんです。ピート・シンフィールドは私達の音楽に彼の世界観を反映させた詩をのせることで、彼独特の色を楽曲に加え、新たなマテリアルとして再生させたのです。『人生は川のよう なもの』の詩に関して言えば、わたしはオリジナルよりも良い出来ではないかと思っているんです。あのサウンドに完璧にマッチしたコンセプトではないでしょ うか。」
「ArchAngel 第5号」(DIW音楽出版、1996年)

しかし「Photos of Ghosts」が世界進出へ向けた戦略の中で、ピート・シンフィールドが壮大な歌詞をもって楽曲の新たな魅力を引き出したとするなら、「Per Un Amico」はもっと自然なPFMらしさが溢れた作品だと言える。よりプライベートでシンプルな歌詞による、小さな世界の歌なのだ。

ここでは「僕」は「君」に「ここから出ていくんだ」と終始言い続けている。「出て行って」と言うと、「僕/わたしの前からいなくなって」という恋愛の場面を思い浮かべたが、そういった英語のニュアンスによって場面を限定するのは危険だと考えた。そこで2通りの解釈を試みた。「恋人との物語」と「同士との物語」の2つである。
仮に「僕」と「君」が恋人だとすれば、「僕」がその新しい真実(reality)に求めているのは「距離(空間)」である。二人の間の「距離」。それは「僕」と「君」との違いを認め合うことかもしれないし、プライバシーに踏み込まないことかもしれない。あるいは束縛し合わないことかもしれない。とすれば、この曲は「友」ではなく、「恋人」へ向けた別れの言葉を歌ったものだとも解釈できるかもしれない。
 
タイトルの「ほんの少しだけ」と併せて考えれば、別れようと強く言っているわけではないのだろう。しかし「僕」も「君」も、「別の真実」の中に身を置くべきだということを言っているのである。「僕」は「別の真実」の中でまた「君」に会いたいと思っているようだ。嫌いになったわけではない。いやむしろ今でも愛しているのかもしれない。しかし今の関係は辛過ぎる。だからこそ思い切って、強引に、そして執拗に、「僕」は「出て行くんだ」と繰り返す。

愛し合うが故に、相手との距離や違いを受け入れることができなくなり、互いに共にいることが息苦しくなってしまった恋人たち。あるいは愛する「君」の束縛に耐え切れなくなってしまった「僕」。そんな光景が浮かぶ。

タイトルの「ほんの少しだけ」に結びつけるなら、そうしたやり切れない思いも、今ちょっと自分の気持ちを整理すれば落ち着くものなのかもしれない。「ちょっと放っておいてくれ」「ちょっとどこかに行っていてくれ」と。このような恋愛における複雑な思いが、ここでは描かれているといってもいいのかもしれない。

次に「僕」と「君」の恋愛関係を歌ったものではないとしたら。「ここから出て行くんだ」の「ここ」とは「僕の前」ではなく、もっと一般的な「現状」をさしているとも言える。つまり当時のイタリアの若者達が、特にコミュニズムへの強い関心を持ちつつ、現状を変えようという思いに繋がる心情である。

「今あるリアリティー」ではなく「別のリアリティー」を見つけ出すこと。そのための第一歩。だから「君」に出て行くことを促している「僕」も、当然ここから立ち去るつもりでいるのだ。

そして新しい「reality」の中では、僕の前には空間が広がっている。今の閉塞感から解放された、可能性の広がる世界が広がっているかもしれないと。とにかく現状から踏み出すことが大事なんだと「僕」は「君」に促している。そういう見方をすれば、これは一種のメッセージ・ソング、あるいはアジテーション・ソングだということもできるだろう。「ほんの少しだけ」でもいい。動くんだ、行動にうつすんだ、現実を帰るために。ということである。

どちらの解釈にしても、それはピート・シンフィールドが描いた雄大な人生の縮図とはまた別の、極めてパーソナルな心の機微を描いた、リアリティのある歌詞だと言える。

ピート・シンフィールドの詞がつけられた「Photos of Ghosts」は、アルバムジャケットの素晴らしさと相まって、幻想的で神秘的な作品となった。それはそれで、力強く、非常に完成度の高いものとだったが、PFM的に見ればそれは本来の自分たちの世界とは異なっていて、「Photos of Ghosts」はピート・シンフィールドとのコラボレーション的感覚が強かったのではないか。そんな印象を持ったオリジナルの歌詞であった。

事実、次作の「甦る世界(邦題)」は英語盤「The World Became the World」と同時にイタリア語盤「L'Isola di Niente」を出しているし、歌詞を英語に統一した「チョコレート・キングス」では、バイオリン&フルートのマウロ・パガーニのイタリア語詩を、新加入のボーカリストであるベルナルド・ランゼッティらが英訳したものだという(Wikipediaより)。

恐らく自分たちの世界は、必ずしもピート・シンフィールド的世界とは一致していなかったことを、メンバーは最初から感じとっていたのではないだろうか。

2009年5月15日金曜日

「チョコレート・キングズ」PFM

原題:Chocolate Kings

■「Chocolate Kings  
 (チョコレート・キングズ)」収録








オレが生まれた時、奴らはオレたちに自由を与えにやって来た
戦争の傷跡を癒すために
でかくて太っちょの女性の写真を持って
チョコレートの王様が現れたのだ
たいそうな努力をしてオレたちを養うために
そしてオレたちを 誇りと
星とキャンディーバー(棒形のビスケット)で太らせるために

シャーリー・テンプルはお気に入りの童謡の中に
えくぼをちょっと浸してみた
でかくて太っちょの女性の愛は純粋で単純
そして親切なるドル記号($ のこと)が
大声で子守唄を歌った

とても残念だ
彼女のスーパーマンはファンを失っている
オレは残念だと思ってるよ
とても残念さ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ

彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
彼女が家へと戻る時
鏡を見てくれるといいんだが

彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
とても残念だぜ

彼女のスーパーマンはファンを失った
オレは残念だ
とても残念だよ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ

今あんたもオレもでかくて太っちょの女性を知っている
彼女はオレたちをペテンにかけたんだ
でも用心棒は失業し
チョコレートの王様は死にかけている
おまえだってチョコレート天国のために
人生をムダにしたくはないだろ
おまえだって生き続けたいだろ
生き続けたいだろ


When I was born they came to free us
to heal our battle wounds
with photographs of big fat mama
the chocolate kings arrived
to feed us full of good intentions
and fatten us with pride
stars and candybars!

Shirly Temple dipped her dimples
in favorite nursery rhymes
big mama's love was pure and simple
and gentle dollar signs
sang out lullabies!

So sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry
so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry

Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
hope she takes a look in the mirror
while she is on her way home ...

Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
so sorry

her superman is losing fans
and I am so sorry so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry...

Now you and I know big fat mama
she took us for a ride
but musclemen are out of business
the chocolate kings are dying
you don't wanna waste your life for
chocolate heaven
you like to stay alive
like to stay alive!!


【解説】
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)の1975年作。初期の素朴で詩情に溢れたアルバムから、次第に音にダイナミックさが加わり、「Photoes of Ghosts(幻の映像)」では、既発のイタリア版アルバムを元に、ピート・シンフィールドの英詞を使う事でイギリスを通して世界進出を狙っている。

実際、アメリカでのライブは盛況だったようで、ライブアルバム「Cook」(イタリア本国では「Live in USA」)を聴くと、聴衆の熱狂具合いが伝わってくる。

その「Cook」に続いて、それまで特にライブで弱かったボーカル部分の強化に、元アクア・フラジーレ(
Acqua Fragile)からリード・ボーカルとしてベルナルド・ランゼッティ(Bernado Lanzetti)を迎え、全曲オリジナルの英詞による、最初から世界進出を目指して作られた作品である。

LP盤の山岸伸一氏のライナーノートに次のように書かれている。

「『チョコレート・キングズ』は全て英語の詞で、自らの手でそれを書いている。その点について、ヌメロ・ウノから出たイタリア版に載っているPFMのメッセージの要約を伝えておこう。
『このアルバムの詞を英語で書いたのは、よその国の人たちにもぼくたちの言わんとすることを正確にイメージしてもらいたかったからなんだ。ぼくたちはイタリア語のヴァージョンも吹き込もうかと話しあったんだが、そうすると言葉の響きとかリズムにどうしても無理が生じてしまう。だから詞は英語のままにしておりて、その意味を説明するために訳詞をここに乗せようと決めたんだ。』


こうして英語による世界進出、つまりアメリカ進出をメンバー自らが自覚して作られた最初のアルバムがこの「Chocolate Kings」と言う事なのだ。


当時多くのバンドはアメリカ進出こそが最後の目標であった。Pink FloydもKing Crimsonも、アメリカでのライブを勢力的にこなしている。つまりアメリカで成功すること、それはPFMにとっても大きな目標であり夢であったはずだ。
しかしイギリス勢と異なるのは、イタリアは第二次世界大戦で敗戦国だという点である。日本と同じように、イタリアにも戦後、“解放”と“再建”と“自由化”のために「アメリカ」がやってきた。チョコレートとキャンディーをまき散らし、スーパーマン(アメコミ、及びアメリカのテレビを代表するヒーロー)や、シャーリー・テンプル(アメリカのハリウッド映画を代表する女優。1930年代にはアメリカを象徴するほどの名子役。後に政治家となる。)といったアメリカ文化が、自由と正義の象徴のようになだれ込んできた。

しかしそれは結局アメリカによるイタリアの経済的な支配と文化的なアメリカ化であった。そしてこのアルバムタイトル曲の「Chocolate Kings」とは、まさにこのアメリカ的なもののこと
を指していると見て良いだろう。big fat mamaもアメリカの豊かで開放的なイメージだ。そのbig fat mamaを指して「she took us for a ride」とあるが、これは口語的表現で「
人をだます, ペテンにかける」という意味。もうオレもお前も、ダマさされてたってことは知ってるんだぜ、っていうことだ。ここでの「お前(you)」は、同じイタリア人のことを指してしると考える。

「オレ」は言う。「残念だったな」。「I'm sorry」と言うのは話し手がミスを犯して謝る場合にも使うが、アメリカ英語ではどちらかというと「Excuse me.」を使う。「sorry」にはそれとは別に、「気の毒に思う、残念に思う」という意味があり、ここではそちらの意味で使われているわけだ。謝っているわけではない。「お気の毒に」という感じだ。皮肉っているわけだ。
アメリカが経済的文化的にイタリアを支配しようとしたことに対し、もう誰もアメリカのことに興味は失っているよ、チョコレートの王様はイタリアでは生きていけなかった。でかくて太っちょの女性も帰り支度をしているところだ。アメリカの思うようには上手くいかなくて残念だったな、しかしオレたちはイタリア人として誇りを持っていき続けるんだ、という、実に反アメリカ的な歌、強烈なアメリカ批判を含んだ歌なのである。(右図はイタリア国内版ジャケット)

もちろん実際はアメリカ支配は続いている。だから当時のイタリアのロックバンドはAreaを引き合いに出すまでもなく、政治的なメッセージ性が高かった。この歌詞も、「残念だぜ」と皮肉っぽくアメリカが破れ、自国へ帰っていく様を見送っている歌ではあるが、現実的にはそれは切なる希望、あるいは大きな主張であったのだろう。つまり「アメリカよ、出て行け」ということだ。

ここで矛盾が生じる。アメリカマーケットという世界進出を本格的に目指したアルバムで、こうしたアメリカ批判をストレートにやってしまっていいのかということ。ピート・シンフィールドの歌詞、あるいは意味のわからないイタリア語の歌詞なら、アメリカでもその類い稀なる各自のテクニックと見事なアンサンブル、そしてクラシカルな詩情を大いに評価され得る。しかし英詞でストレートに批判されるアルバムを、アメリカンチャートが受け入れてくれるだろうか。

本アルバム発表後、ヴァイオリン&フルートのMauro Paganiが脱退し、全く正反対の自国文化、自国の音楽に目を向けたソロアルバム「地中海の伝説」を発表する。そしてPFM自身もやがて再び目を国内へ向けた作品を作り出す。

音楽的には、ボーカルを専任化したことによる余裕なのか、
細かいビブラートを特徴とするハスキーなベルナルド・ランゼッティのパワフルなボーカルに負けじと、各プレーヤーはこれまでになく非常にテクニカルで緊張感溢れるプレイを見せる。初期の頃の詩情は影を潜めたため、好き嫌いは分かれるかもしれないが、全曲歌モノであるにも関わらず、アンサンブルの凄まじさ、テンションの高さは尋常ではない。

世界進出への野望と、それに相反するアメリカ批判。その両方を抱え込んでいるこのアルバムは、実はそんな彼らのコンプレックスやジレンマが音楽的に爆発したものだったのかもしれない。傑作。


2009年3月10日火曜日

「人生は川のようなもの」PFM

原題:River Of Life

■「Photos of Ghosts(幻の映像)」収録








人生という川よ
雨がおまえの起源だった
雨が大地の奥深くで
集まったのだ
しみ込みしみ出る
空洞の岩
あふれ出し流れ出す
清らかな流れ
自由な蛇行
海までの道のりは長い

洞窟と峡谷
堅固な牢獄のような壁が
白くなだれ落ちる滝から
おまえをかき混ぜ投げつける
平原を横切り
おのれの行く道を洗い流せ
川よ流れよ
おまえの星を追いかけて

街がある
橋がある
大型船や平底の荷船
暗く色あせた人々が
おまえの土手沿いに白鳥に餌を与える
かつて人がのんだ水はゴミと毒でいっぱいだ
痛みは忘れるんだ
雨から雨へ
旅の終わりは
間違いなくもうそれほど遠くはない...


River of Life
Rain was your birth
Gathered deep
Beneath the earth.
Search and seep,
Hollow stone
Issue and flow
Virgin stream
Meander free
It's a long way to the sea.

Caves and canyons
Stark prison walls
Swirl and hurl you
From white cascading falls.
Across the plain
Sweep your course
River roll
Follow your star.
 
There's a city
There's a bridge.
Ships and barges
Dark rusty hearts
Feed cranes along your banks.
Waste and poison cloy where once men drank.
Forget the pain
From rain to rain
Journey's end
Is surely not far ...

【メモ】
EL&Pと、彼らに同行してイタリアツアーを行っていた元King Crimsonの作詞担当だったPete Shinfieldが見いだしたグループPFM(Premiata Forneria Marconi)。この「Photes of Ghosts」(幻の映像)は、PFMがイギリスのマンティコア・レーベルを通じて世界へデビューすることになったアルバムである。

内容は彼らのイタリアでの2ndアルバムを全曲、1stから1曲、新曲を1曲という構成で、1曲を除いて歌詞はPete Shinfieldによって書かれた英詞がつけられた。構成だけを聞くとイタリアでの2ndアルバムを柱にした、企画ものっぽい印象を受けるかもしれないが、このアルバムに関してはオリジナルと甲乙つけがたい傑作にしあがっている。Pete ShinfieldはすでにKing Crimsonを脱退していたので、自分が詞を提供できる新たな理想のバンドとしてPFMを見ていたのかもしれない。

「River Of Life(人生は川のようなもの)」は、そんなPFMの魅力が凝縮されたようなドラマティックな名曲であり、アルバムトップを飾る曲である。

歌詞を見るとまさにタイトルにあるように、人生を川に見立てている。「River of life」(人生と言う川よ)という言葉で始まる意外は、風景描写のような記述が並ぶが、2連の最終行「Follow your star」で「自分の星を追いかけて」というところで、川が人生の比喩であることが再び確認される。

「Waste and poison cloy where once men drank.」の部分は、「drank」が「drink」の過去形に対し、「cloy」が現在形というところから、「過去」と「現在」の対比ととらえた。
 
そこで「cloy」と言う単語が出てくるが、「うんざりさせる、飽き飽きさせる」という意味の他に、古い使い方で「(通路など)をふさぐ、…にぎっしり詰める」という意味も持っている。ここではその意味で「かつて人々がその清らかな水を飲むことができた場所でも、今はゴミと毒物で満たされてしまっている」と解釈した。

この場合の“かつて”とは、この街の以前の姿かもしれないし、「おまえという川」の最初の清らかな姿(virgin stream)かもしれない。しかし人生の終わりにあたるこの海辺の街では、川は清らかさを失っている。だから「おまえ」は「pain(痛み)」を感じるのだ。しかしそれは長い人生を歩んできた証でもあるのだ。だから「痛みは忘れるんだ」と話者は「おまえ」に語りかける。それこそが人生なのだ。

さまざまな場所を流れ、さまざまな困難に出会い、つらい思いもし、しかし最後に「Journey's end / Is surely not far...」(旅の終わりは間違いなくもうそれほど遠くはない」と、人生の終わりを示すような、言葉で終わる。

しかしその前行に「From rain to rain」とある。これを「雨からやがて雨へと戻る今回の旅」として、一種の輪廻思想のように何度も人は生まれ変わりその度に人生を送ると考えているのか、それとも「雨から雨へと戻る」という旅そのものが、今終わろうとしている、つまり無から生まれ無に帰すという考えなのか。どちらを言っているのかは微妙である。

ただいずれにしても、人生を達観したような落ち着きと、終わりが迫っている寂しさが同居したような詞として、大河を思わせる雄大なサウンドに完璧に溶け込んでいると言える。

ちなみにドラムスのFranz Di Cioccioはこの歌詞について次のように述べている。

「彼の詩はもとの歌詞とは全く異なるものです。彼はP.F.Mのサウンドを聴き、そこからインスパイアされたものを英詩にして書き上げたんです。ピート・シンフィールドは私達の音楽に彼の世界観を反映させた詩をのせることで、彼独特の色を楽曲に加え、新たなマテリアルとして再生させたのです。『人生は川のようなもの』の詩に関して言えば、わたしはオリジナルよりも良い出来ではないかと思っているんです。あのサウンドに完璧にマッチしたコンセプトではないでしょうか。」
「ArchAngel 第5号」(DIW音楽出版、1996年)

2009年3月4日水曜日

「原始への回帰」PFM

原題:Four Holes In The Ground / La Luna Nuova

■「クック」収録







大地の4つの穴/新月

 時々、真実と本当の価値のなごりというものは
 友と分かち合うワイン
 あるいは夕暮れ、音楽、何かの古い像のようだ

 あるいは星を飲み込み 心に触れあうこと
 あなたを愛で包み込んでくれる人とともに

 でももし人生がお金の詰まった財布だったら
 わたしとあなたにとって それは最悪の状態
 動物園に入れられた鶏みたいなもの

 そしてもし人生がただの回転木馬なら
 時にはそれは天国
 でもたいていは地獄
 ただの壊れやすい殻

 だから自分自身の井戸を掘るんだ…
井戸、井戸、井戸、井戸、それが人生


Four Holes In The Ground / La Luna Nuova

 Sometimes it seems that what remains of truth and real value
 Is wine shared with friends
 A sunset, music or some ancient statue
 
 Drinking the stars or touching hearts
 With one whose love enfolds you
 
 But if life is just a well stuffed purse It could'nt get much worse
 For me and you
 Chicken in a zoo
 
 And if life is just this carousel
 Sometimes it's heaven
 But mostly it's hell
 Just a paper shell
 
 Dig yourself a well, well, well, well... that's life


【解説】
イタリアロック界の重鎮PFM(Premiata Forneria Marconi)の魅力が詰まった名曲。収録されているのはイタリア本国では3枚目になる「L'ISOLA DI NIENTE(甦る世界)」。King CrimsonのメンバーだったPete Shinfieldが英詞を担当した英語版「The World Became The World(甦る世界)」もある。

ただしタイトル曲「甦る世界」はイタリア語盤ではファースト「友よ」に収録されているため「L'ISOLA DI NIENTE」には入っていない。

このピート・シンフィールドの英詞による「Four Holes In The Ground」を、英語版「The World Became The World(甦る世界)」ではなく、「Cook / Live in USA」から取ったのは、とにかくライブ版「Four Holes In The Ground」が素晴らしいから。このスピード、迫力、テンションの高さ、中盤の叙情的なボーカルパートに移る際に入るメロトロンの究極の美しさ。

ライブなので逆に歌詞はやや聴き取りづらい。しかしあらためて詞を見ると、人生はお金(a well stuffed purse)でも、運(carousel)でもなく、自分の力で自分の井戸を掘ること(そしておそらく自分の水を発見すること)だと語る。ある種の人生訓 的な内容。でも使われている例えの表現が美しくPete Shinfieldらしい。

paper shellというのはヒッコリーの一種でペカンと呼ばれる果実の一品種こと。指で割れるほど弱い殻を持っている。

ちなみになぜfour holes(4つの穴)なのか。

関係ないかもしれないが、four freedomという言葉がある。1941年に米国フランクリン・ルーズベルトが宣言した人類の4つの基本的自由、すなわち

1.言論と意思表明の自由 freedom of speech and expression
2.信教の自由 freedom of worship
3.欠乏からの自由 freedom from want
4.恐怖からの自由 freedom from fear

もしかするとそのあたりから4という数が浮かんだのかもしれない。
もちろんこれは単なる憶測。あるいはこじつけ。