原題:Chocolate Kings
■「Chocolate Kings
(チョコレート・キングズ)」収録
オレが生まれた時、奴らはオレたちに自由を与えにやって来た
戦争の傷跡を癒すために
でかくて太っちょの女性の写真を持って
チョコレートの王様が現れたのだ
たいそうな努力をしてオレたちを養うために
そしてオレたちを 誇りと
星とキャンディーバー(棒形のビスケット)で太らせるために
シャーリー・テンプルはお気に入りの童謡の中に
えくぼをちょっと浸してみた
でかくて太っちょの女性の愛は純粋で単純
そして親切なるドル記号($ のこと)が
大声で子守唄を歌った
とても残念だ
彼女のスーパーマンはファンを失っている
オレは残念だと思ってるよ
とても残念さ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ
彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
彼女が家へと戻る時
鏡を見てくれるといいんだが
彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
とても残念だぜ
彼女のスーパーマンはファンを失った
オレは残念だ
とても残念だよ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ
今あんたもオレもでかくて太っちょの女性を知っている
彼女はオレたちをペテンにかけたんだ
でも用心棒は失業し
チョコレートの王様は死にかけている
おまえだってチョコレート天国のために
人生をムダにしたくはないだろ
おまえだって生き続けたいだろ
生き続けたいだろ
When I was born they came to free us
to heal our battle wounds
with photographs of big fat mama
the chocolate kings arrived
to feed us full of good intentions
and fatten us with pride
stars and candybars!
Shirly Temple dipped her dimples
in favorite nursery rhymes
big mama's love was pure and simple
and gentle dollar signs
sang out lullabies!
So sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry
so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry
Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
hope she takes a look in the mirror
while she is on her way home ...
Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
so sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry...
Now you and I know big fat mama
she took us for a ride
but musclemen are out of business
the chocolate kings are dying
you don't wanna waste your life for
chocolate heaven
you like to stay alive
like to stay alive!!
【解説】
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)の1975年作。初期の素朴で詩情に溢れたアルバムから、次第に音にダイナミックさが加わり、「Photoes of Ghosts(幻の映像)」では、既発のイタリア版アルバムを元に、ピート・シンフィールドの英詞を使う事でイギリスを通して世界進出を狙っている。
実際、アメリカでのライブは盛況だったようで、ライブアルバム「Cook」(イタリア本国では「Live in USA」)を聴くと、聴衆の熱狂具合いが伝わってくる。
その「Cook」に続いて、それまで特にライブで弱かったボーカル部分の強化に、元アクア・フラジーレ(Acqua Fragile)からリード・ボーカルとしてベルナルド・ランゼッティ(Bernado Lanzetti)を迎え、全曲オリジナルの英詞による、最初から世界進出を目指して作られた作品である。
LP盤の山岸伸一氏のライナーノートに次のように書かれている。
「『チョコレート・キングズ』は全て英語の詞で、自らの手でそれを書いている。その点について、ヌメロ・ウノから出たイタリア版に載っているPFMのメッセージの要約を伝えておこう。
『このアルバムの詞を英語で書いたのは、よその国の人たちにもぼくたちの言わんとすることを正確にイメージしてもらいたかったからなんだ。ぼくたちはイタリア語のヴァージョンも吹き込もうかと話しあったんだが、そうすると言葉の響きとかリズムにどうしても無理が生じてしまう。だから詞は英語のままにしておりて、その意味を説明するために訳詞をここに乗せようと決めたんだ。』
こうして英語による世界進出、つまりアメリカ進出をメンバー自らが自覚して作られた最初のアルバムがこの「Chocolate Kings」と言う事なのだ。
当時多くのバンドはアメリカ進出こそが最後の目標であった。Pink FloydもKing Crimsonも、アメリカでのライブを勢力的にこなしている。つまりアメリカで成功すること、それはPFMにとっても大きな目標であり夢であったはずだ。しかしイギリス勢と異なるのは、イタリアは第二次世界大戦で敗戦国だという点である。日本と同じように、イタリアにも戦後、“解放”と“再建”と“自由化”のために「アメリカ」がやってきた。チョコレートとキャンディーをまき散らし、スーパーマン(アメコミ、及びアメリカのテレビを代表するヒーロー)や、シャーリー・テンプル(アメリカのハリウッド映画を代表する女優。1930年代にはアメリカを象徴するほどの名子役。後に政治家となる。)といったアメリカ文化が、自由と正義の象徴のようになだれ込んできた。
しかしそれは結局アメリカによるイタリアの経済的な支配と文化的なアメリカ化であった。そしてこのアルバムタイトル曲の「Chocolate Kings」とは、まさにこのアメリカ的なもののことを指していると見て良いだろう。big fat mamaもアメリカの豊かで開放的なイメージだ。そのbig fat mamaを指して「she took us for a ride」とあるが、これは口語的表現で「人をだます, ペテンにかける」という意味。もうオレもお前も、ダマさされてたってことは知ってるんだぜ、っていうことだ。ここでの「お前(you)」は、同じイタリア人のことを指してしると考える。
「オレ」は言う。「残念だったな」。「I'm sorry」と言うのは話し手がミスを犯して謝る場合にも使うが、アメリカ英語ではどちらかというと「Excuse me.」を使う。「sorry」にはそれとは別に、「気の毒に思う、残念に思う」という意味があり、ここではそちらの意味で使われているわけだ。謝っているわけではない。「お気の毒に」という感じだ。皮肉っているわけだ。アメリカが経済的文化的にイタリアを支配しようとしたことに対し、もう誰もアメリカのことに興味は失っているよ、チョコレートの王様はイタリアでは生きていけなかった。でかくて太っちょの女性も帰り支度をしているところだ。アメリカの思うようには上手くいかなくて残念だったな、しかしオレたちはイタリア人として誇りを持っていき続けるんだ、という、実に反アメリカ的な歌、強烈なアメリカ批判を含んだ歌なのである。(右図はイタリア国内版ジャケット)
もちろん実際はアメリカ支配は続いている。だから当時のイタリアのロックバンドはAreaを引き合いに出すまでもなく、政治的なメッセージ性が高かった。この歌詞も、「残念だぜ」と皮肉っぽくアメリカが破れ、自国へ帰っていく様を見送っている歌ではあるが、現実的にはそれは切なる希望、あるいは大きな主張であったのだろう。つまり「アメリカよ、出て行け」ということだ。
ここで矛盾が生じる。アメリカマーケットという世界進出を本格的に目指したアルバムで、こうしたアメリカ批判をストレートにやってしまっていいのかということ。ピート・シンフィールドの歌詞、あるいは意味のわからないイタリア語の歌詞なら、アメリカでもその類い稀なる各自のテクニックと見事なアンサンブル、そしてクラシカルな詩情を大いに評価され得る。しかし英詞でストレートに批判されるアルバムを、アメリカンチャートが受け入れてくれるだろうか。
本アルバム発表後、ヴァイオリン&フルートのMauro Paganiが脱退し、全く正反対の自国文化、自国の音楽に目を向けたソロアルバム「地中海の伝説」を発表する。そしてPFM自身もやがて再び目を国内へ向けた作品を作り出す。
音楽的には、ボーカルを専任化したことによる余裕なのか、細かいビブラートを特徴とするハスキーなベルナルド・ランゼッティのパワフルなボーカルに負けじと、各プレーヤーはこれまでになく非常にテクニカルで緊張感溢れるプレイを見せる。初期の頃の詩情は影を潜めたため、好き嫌いは分かれるかもしれないが、全曲歌モノであるにも関わらず、アンサンブルの凄まじさ、テンションの高さは尋常ではない。
世界進出への野望と、それに相反するアメリカ批判。その両方を抱え込んでいるこのアルバムは、実はそんな彼らのコンプレックスやジレンマが音楽的に爆発したものだったのかもしれない。傑作。
■「Chocolate Kings
(チョコレート・キングズ)」収録
オレが生まれた時、奴らはオレたちに自由を与えにやって来た
戦争の傷跡を癒すために
でかくて太っちょの女性の写真を持って
チョコレートの王様が現れたのだ
たいそうな努力をしてオレたちを養うために
そしてオレたちを 誇りと
星とキャンディーバー(棒形のビスケット)で太らせるために
シャーリー・テンプルはお気に入りの童謡の中に
えくぼをちょっと浸してみた
でかくて太っちょの女性の愛は純粋で単純
そして親切なるドル記号($ のこと)が
大声で子守唄を歌った
とても残念だ
彼女のスーパーマンはファンを失っている
オレは残念だと思ってるよ
とても残念さ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ
彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
彼女が家へと戻る時
鏡を見てくれるといいんだが
彼女のスーパーマーケット王国は崩壊し
彼女の兵器は売りに出されてる
英雄を崇拝する者はもういない
彼女のテレビの神は死に絶えた
とても残念だぜ
彼女のスーパーマンはファンを失った
オレは残念だ
とても残念だよ
彼らは彼女のバッグに荷物を詰めて
旗を積み上げたところだ
オレたちも残念だぜ
今あんたもオレもでかくて太っちょの女性を知っている
彼女はオレたちをペテンにかけたんだ
でも用心棒は失業し
チョコレートの王様は死にかけている
おまえだってチョコレート天国のために
人生をムダにしたくはないだろ
おまえだって生き続けたいだろ
生き続けたいだろ
When I was born they came to free us
to heal our battle wounds
with photographs of big fat mama
the chocolate kings arrived
to feed us full of good intentions
and fatten us with pride
stars and candybars!
Shirly Temple dipped her dimples
in favorite nursery rhymes
big mama's love was pure and simple
and gentle dollar signs
sang out lullabies!
So sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry
so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry
Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
hope she takes a look in the mirror
while she is on her way home ...
Her supermarket kingdom is falling
her war machines on sale
no one left to worship the heroes
her TV gods have failed
so sorry
her superman is losing fans
and I am so sorry so sorry
they've packed her bags
they've stacked her flags
and we are so sorry...
Now you and I know big fat mama
she took us for a ride
but musclemen are out of business
the chocolate kings are dying
you don't wanna waste your life for
chocolate heaven
you like to stay alive
like to stay alive!!
【解説】
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)の1975年作。初期の素朴で詩情に溢れたアルバムから、次第に音にダイナミックさが加わり、「Photoes of Ghosts(幻の映像)」では、既発のイタリア版アルバムを元に、ピート・シンフィールドの英詞を使う事でイギリスを通して世界進出を狙っている。
実際、アメリカでのライブは盛況だったようで、ライブアルバム「Cook」(イタリア本国では「Live in USA」)を聴くと、聴衆の熱狂具合いが伝わってくる。
その「Cook」に続いて、それまで特にライブで弱かったボーカル部分の強化に、元アクア・フラジーレ(Acqua Fragile)からリード・ボーカルとしてベルナルド・ランゼッティ(Bernado Lanzetti)を迎え、全曲オリジナルの英詞による、最初から世界進出を目指して作られた作品である。
LP盤の山岸伸一氏のライナーノートに次のように書かれている。
「『チョコレート・キングズ』は全て英語の詞で、自らの手でそれを書いている。その点について、ヌメロ・ウノから出たイタリア版に載っているPFMのメッセージの要約を伝えておこう。
『このアルバムの詞を英語で書いたのは、よその国の人たちにもぼくたちの言わんとすることを正確にイメージしてもらいたかったからなんだ。ぼくたちはイタリア語のヴァージョンも吹き込もうかと話しあったんだが、そうすると言葉の響きとかリズムにどうしても無理が生じてしまう。だから詞は英語のままにしておりて、その意味を説明するために訳詞をここに乗せようと決めたんだ。』
こうして英語による世界進出、つまりアメリカ進出をメンバー自らが自覚して作られた最初のアルバムがこの「Chocolate Kings」と言う事なのだ。
当時多くのバンドはアメリカ進出こそが最後の目標であった。Pink FloydもKing Crimsonも、アメリカでのライブを勢力的にこなしている。つまりアメリカで成功すること、それはPFMにとっても大きな目標であり夢であったはずだ。しかしイギリス勢と異なるのは、イタリアは第二次世界大戦で敗戦国だという点である。日本と同じように、イタリアにも戦後、“解放”と“再建”と“自由化”のために「アメリカ」がやってきた。チョコレートとキャンディーをまき散らし、スーパーマン(アメコミ、及びアメリカのテレビを代表するヒーロー)や、シャーリー・テンプル(アメリカのハリウッド映画を代表する女優。1930年代にはアメリカを象徴するほどの名子役。後に政治家となる。)といったアメリカ文化が、自由と正義の象徴のようになだれ込んできた。
しかしそれは結局アメリカによるイタリアの経済的な支配と文化的なアメリカ化であった。そしてこのアルバムタイトル曲の「Chocolate Kings」とは、まさにこのアメリカ的なもののことを指していると見て良いだろう。big fat mamaもアメリカの豊かで開放的なイメージだ。そのbig fat mamaを指して「she took us for a ride」とあるが、これは口語的表現で「人をだます, ペテンにかける」という意味。もうオレもお前も、ダマさされてたってことは知ってるんだぜ、っていうことだ。ここでの「お前(you)」は、同じイタリア人のことを指してしると考える。
「オレ」は言う。「残念だったな」。「I'm sorry」と言うのは話し手がミスを犯して謝る場合にも使うが、アメリカ英語ではどちらかというと「Excuse me.」を使う。「sorry」にはそれとは別に、「気の毒に思う、残念に思う」という意味があり、ここではそちらの意味で使われているわけだ。謝っているわけではない。「お気の毒に」という感じだ。皮肉っているわけだ。アメリカが経済的文化的にイタリアを支配しようとしたことに対し、もう誰もアメリカのことに興味は失っているよ、チョコレートの王様はイタリアでは生きていけなかった。でかくて太っちょの女性も帰り支度をしているところだ。アメリカの思うようには上手くいかなくて残念だったな、しかしオレたちはイタリア人として誇りを持っていき続けるんだ、という、実に反アメリカ的な歌、強烈なアメリカ批判を含んだ歌なのである。(右図はイタリア国内版ジャケット)
もちろん実際はアメリカ支配は続いている。だから当時のイタリアのロックバンドはAreaを引き合いに出すまでもなく、政治的なメッセージ性が高かった。この歌詞も、「残念だぜ」と皮肉っぽくアメリカが破れ、自国へ帰っていく様を見送っている歌ではあるが、現実的にはそれは切なる希望、あるいは大きな主張であったのだろう。つまり「アメリカよ、出て行け」ということだ。
ここで矛盾が生じる。アメリカマーケットという世界進出を本格的に目指したアルバムで、こうしたアメリカ批判をストレートにやってしまっていいのかということ。ピート・シンフィールドの歌詞、あるいは意味のわからないイタリア語の歌詞なら、アメリカでもその類い稀なる各自のテクニックと見事なアンサンブル、そしてクラシカルな詩情を大いに評価され得る。しかし英詞でストレートに批判されるアルバムを、アメリカンチャートが受け入れてくれるだろうか。
本アルバム発表後、ヴァイオリン&フルートのMauro Paganiが脱退し、全く正反対の自国文化、自国の音楽に目を向けたソロアルバム「地中海の伝説」を発表する。そしてPFM自身もやがて再び目を国内へ向けた作品を作り出す。
音楽的には、ボーカルを専任化したことによる余裕なのか、細かいビブラートを特徴とするハスキーなベルナルド・ランゼッティのパワフルなボーカルに負けじと、各プレーヤーはこれまでになく非常にテクニカルで緊張感溢れるプレイを見せる。初期の頃の詩情は影を潜めたため、好き嫌いは分かれるかもしれないが、全曲歌モノであるにも関わらず、アンサンブルの凄まじさ、テンションの高さは尋常ではない。
世界進出への野望と、それに相反するアメリカ批判。その両方を抱え込んでいるこのアルバムは、実はそんな彼らのコンプレックスやジレンマが音楽的に爆発したものだったのかもしれない。傑作。
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