隠し切れない何かが
お前は孤独だと物語る
お前自身の奥底に隠れて
それはお前が見るようにとそこにある
確かめてみるんだ
そして命のろうそくをゆっくりと灯すんだ
外側にある何かが
僕らは孤独だと物語る
時間の手の中を
静かにこぼれ落ちながら
それは僕らがわかるようにとそこにある
僕らが進むために必要な愛で
命のろうそくをゆっくりと灯すんだ
だから皆を愛そう
そして友達になろう
皆を愛そう
そして友達になろう
Something you can't hide
Says you're lonely
Hidden deep inside
Of you only
It's there for you to see
Take a look and be
Burn slowly the candle of life
Something there outside
Says we're only
In the hands of time
Falling slowly
It's there for us to know
With love that we can go
Burn slowly the candle of life
So love everybody
And make them your friend
So love everybody
And make them your friend
【メモ】
イギリスのバンド、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)の1969年作「To Our Children's Children's Children」からの曲。このアルバムは全13曲が切れ目なくクロスフェードで繋がり、トータルアルバムとして一番プログレッシヴ・ロックを感じさせる作品。にもかかわらず各曲はポップなメロディーに溢れ、男性的コーラスとマイク・ピンダーの美しいメロトロンが非常に効果的に楽曲に豊かさを加えている、ムーディー・ブルースの個性が結実した傑作アルバムだ。
この名曲「Candle of the Life」も、通奏低音のようにバックで鳴り続ける、エフェクト処理されて音に深みが加わったメロトロンが美しい。メロトロンが繰り返す印象的なメロディーもメランコリックで、マイク・ピンダーの技を味わうことができる。
では歌詞を見てみたい。
全体で3連からなるもので(歌では繰り返しがある)、第1連と第2連が対になっていることがわかる。第1連の「Something you can't hide(隠し切れない何か)」は「Hidden deep inside / Of you only(自分自身の奥底に隠れて)」いるもの、つまり「自分の内側」に潜むものだが、第2連では「Something there outside(外側にある何か)」となっている。
さらに第1連では主語がyou(あなた/あなたがた)であるが、第2連ではwe(わたしたち)と主語が変る。
しかし言っている内容は「孤独である(ことを告げる何かがある)」ということだ。
つまり第1連は人々の様子を第三者の視点(神の視点と言ってもいいかもしれない)から捉えた描写であり、第2連は当事者である人間の視点で描写したものであり、言わんとしていることは同じであると言うことができる。
当事者にとっては「外部」に見えることでも、第三者から見れば「隠し切れない内部」のことがら。どちらにしても、それは心の奥底に隠れ、時間が経っても変化することなく、人々がそれを直視することを待って、存在し続けているのだ。それが何かはわからないけれど、人々は自らが孤独であることを知らされるのである。
つまりそれは人間がその存在において抱えている根源的な不安や孤独を描写しているのではないかと思う。そしてそれを直視せよと第1連も第2連も言っているのだ。その上で、人生という「命のろうそく」をゆっくり灯し続けていこうと。
第3連で「だから皆を愛そう/皆に友達になってもらおう」という部分は、孤独を前提として受け入れた上でのアドバイス/主張のような感じになっているが、実はそれほどインパクトはない。ありきたりの流れ、あるいは安易な結論といった感じすら受ける。
では歌詞として中味が薄いのだろうか?わたしはそうは思わないのだ。むしろそう言うしかない、という悲しさや空しさがここでは醸し出されてはいないだろうか。つまり歌詞全体におけるウエイトはむしろ第1連&第2連にあって、人々が孤独であるという事実や、孤独に向き合い受け入れながら生きて行かなければならないという人間の有り様が、ここで言いたかったことという気がするのだ。
だから第3連は心がけとか理想として述べられているに過ぎず、メロディーも人々を鼓舞するような勇ましいものではなく、とても悲しげで無力感が漂うようなものになっている気がするのである。
そう考えると、安易に答えを提示したわけではなく、むしろどうしようもない人間の悲しき性を描いた歌詞だとみることができる。深みがあって美しいメロトロンの響きが、人間が内包する存在の孤独を悲しんでいるかのようである。
ちなみにムーディー・ブルースはプログレッシヴ・ロック・バンドとしては今ひとつ評価が高くない。時代を考えればコンセプトを立てたり曲構成に凝ってみたりと、かなり斬新な試みを行なっているし、マイク・ピンダーのイフェクトをかけて深遠な音となったメロトロン・サウンドも1970年代のバンドに大きな影響を与えたはずだ。しかしあくまでメロディーを大事にした歌中心だったところが、1960年代のビードバンドっぽい雰囲気を思わせて“古い”感じがしてしまうのだろう。多用されるタンバリンもそれに追い打ちをかけている気がする。
しかし逆に言えば、そこにムーディー・ブルースの個性があるのだ。このサウンドの心地よさと歌詞の奥深さは、のちのプログレバンドにはないものである。もっと評価されるべきバンドである。
お前は孤独だと物語る
お前自身の奥底に隠れて
それはお前が見るようにとそこにある
確かめてみるんだ
そして命のろうそくをゆっくりと灯すんだ
外側にある何かが
僕らは孤独だと物語る
時間の手の中を
静かにこぼれ落ちながら
それは僕らがわかるようにとそこにある
僕らが進むために必要な愛で
命のろうそくをゆっくりと灯すんだ
だから皆を愛そう
そして友達になろう
皆を愛そう
そして友達になろう
Something you can't hide
Says you're lonely
Hidden deep inside
Of you only
It's there for you to see
Take a look and be
Burn slowly the candle of life
Something there outside
Says we're only
In the hands of time
Falling slowly
It's there for us to know
With love that we can go
Burn slowly the candle of life
So love everybody
And make them your friend
So love everybody
And make them your friend
【メモ】
イギリスのバンド、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)の1969年作「To Our Children's Children's Children」からの曲。このアルバムは全13曲が切れ目なくクロスフェードで繋がり、トータルアルバムとして一番プログレッシヴ・ロックを感じさせる作品。にもかかわらず各曲はポップなメロディーに溢れ、男性的コーラスとマイク・ピンダーの美しいメロトロンが非常に効果的に楽曲に豊かさを加えている、ムーディー・ブルースの個性が結実した傑作アルバムだ。
この名曲「Candle of the Life」も、通奏低音のようにバックで鳴り続ける、エフェクト処理されて音に深みが加わったメロトロンが美しい。メロトロンが繰り返す印象的なメロディーもメランコリックで、マイク・ピンダーの技を味わうことができる。
では歌詞を見てみたい。
全体で3連からなるもので(歌では繰り返しがある)、第1連と第2連が対になっていることがわかる。第1連の「Something you can't hide(隠し切れない何か)」は「Hidden deep inside / Of you only(自分自身の奥底に隠れて)」いるもの、つまり「自分の内側」に潜むものだが、第2連では「Something there outside(外側にある何か)」となっている。
さらに第1連では主語がyou(あなた/あなたがた)であるが、第2連ではwe(わたしたち)と主語が変る。
しかし言っている内容は「孤独である(ことを告げる何かがある)」ということだ。
つまり第1連は人々の様子を第三者の視点(神の視点と言ってもいいかもしれない)から捉えた描写であり、第2連は当事者である人間の視点で描写したものであり、言わんとしていることは同じであると言うことができる。
当事者にとっては「外部」に見えることでも、第三者から見れば「隠し切れない内部」のことがら。どちらにしても、それは心の奥底に隠れ、時間が経っても変化することなく、人々がそれを直視することを待って、存在し続けているのだ。それが何かはわからないけれど、人々は自らが孤独であることを知らされるのである。
つまりそれは人間がその存在において抱えている根源的な不安や孤独を描写しているのではないかと思う。そしてそれを直視せよと第1連も第2連も言っているのだ。その上で、人生という「命のろうそく」をゆっくり灯し続けていこうと。
第3連で「だから皆を愛そう/皆に友達になってもらおう」という部分は、孤独を前提として受け入れた上でのアドバイス/主張のような感じになっているが、実はそれほどインパクトはない。ありきたりの流れ、あるいは安易な結論といった感じすら受ける。
では歌詞として中味が薄いのだろうか?わたしはそうは思わないのだ。むしろそう言うしかない、という悲しさや空しさがここでは醸し出されてはいないだろうか。つまり歌詞全体におけるウエイトはむしろ第1連&第2連にあって、人々が孤独であるという事実や、孤独に向き合い受け入れながら生きて行かなければならないという人間の有り様が、ここで言いたかったことという気がするのだ。
だから第3連は心がけとか理想として述べられているに過ぎず、メロディーも人々を鼓舞するような勇ましいものではなく、とても悲しげで無力感が漂うようなものになっている気がするのである。
そう考えると、安易に答えを提示したわけではなく、むしろどうしようもない人間の悲しき性を描いた歌詞だとみることができる。深みがあって美しいメロトロンの響きが、人間が内包する存在の孤独を悲しんでいるかのようである。
ちなみにムーディー・ブルースはプログレッシヴ・ロック・バンドとしては今ひとつ評価が高くない。時代を考えればコンセプトを立てたり曲構成に凝ってみたりと、かなり斬新な試みを行なっているし、マイク・ピンダーのイフェクトをかけて深遠な音となったメロトロン・サウンドも1970年代のバンドに大きな影響を与えたはずだ。しかしあくまでメロディーを大事にした歌中心だったところが、1960年代のビードバンドっぽい雰囲気を思わせて“古い”感じがしてしまうのだろう。多用されるタンバリンもそれに追い打ちをかけている気がする。
しかし逆に言えば、そこにムーディー・ブルースの個性があるのだ。このサウンドの心地よさと歌詞の奥深さは、のちのプログレバンドにはないものである。もっと評価されるべきバンドである。
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