2009年11月22日日曜日

「悪の教典 #9 第3印象」エマーソン、レイク&パーマー

原題:Karn Evil #9 3rd Impression / Emerson, Lake & Palmer







石から生まれた人間だけが
時の埃を踏みつぶすだろう
その手は自らの魂の火を生み出す;
そして木に紐を結び世界を吊るす
やがて笑い声の風が突然吹き荒れる

人々の耳の中でガタガタと音を立て
恐ろしい頭をもたげる恐怖
畏怖…死…風の中で…

鋼鉄でできた人間は祈りひざまずく
熱狂が燃え盛るたいまつを持って
夜に臆すること無く突き進む;
そしてが哀れみの刃を引き抜くのだ
数え切れない王たちからキスされながら
しかし宝石に飾られたトランペットの演奏が彼の視界をさえぎる。

誰も思いもしなかった壁は倒れるだろう
公正な人々の祭壇は
崩れ落ちるだろう…ちり…風の中の…

わたしの船の中で飛行するものは誰も屈服しない
危険!
船橋(ブリッジ)のコンピュータに話させろ
部外者!
お前のプログラムをロード。わたしはお前自身になる

いかなるコンピュータもわたしの邪魔はさせない
血を流すことだけがわたしの苦しみを消し去ることができる
新たなる澄み切った夜明けを守護する者たちは
戦争の地図を描け

喜べ!勝利はわれらのもの!
われらの若者たちは無駄死にしたのではない、
彼らの墓に花はいらない
テープが彼らの名前を記録しているのだ。

わたしこそ現実に存在しているものなのだ
否!未開!不完全!まず生きることだ!
しかしわたしはお前に生命を与えた
他にどんな選択肢があったというのか?
正しいとされたことをするために
わたしは完全だ!お前はどうなのだ?


Man alone, born of stone,
Will stamp the dust of time
His hands strike the flame of his soul;
Ties a rope to a tree and hangs the Universe
Until the winds of laughter blows cold.

Fear that rattles in men's ears
And rears its hideous head
Dread .... Death .... in the wind ....

Man of steel pray and kneel
With fever's blazing torch
Thrust in the face of the night;
Draws a blade of compassion
Kissed by countless Kings
Whose jeweled trumpet words blind his sight.

Walls that no man thought would fall
The altars of the just
Crushed .... Dust .... in the wind ....

No man yields who flies in my ship
DANGER!
Let the bridge computer speak
STRANGER!
LOAD YOUR PROGRAM. I AM YOURSELF.

No computer stands in my way
Only blood can cancel my pain
Guardians of a new clear dawn
Let the maps of war be drawn.

Rejoice! Glory is ours!
Our young men have not died in vain,
Their graves need no flowers
The tapes have recorded their names.

I am all there is
NEGATIVE! PRIMITIVE! LIMITED! I LET YOU LIVE!
But I gave you life
WHAT ELSE COULD YOU DO?
To do what was right
I'M PERFECT! ARE YOU?


【メモ】
「第1印象」はWikipediaによると前述の1996年に発売された再発版のライナーノートに「『第1印象』は“あらゆる種類の悪と退廃が消滅した”世界の物語を綴っている。旧世界の退廃は未来的なカーニバル・ショーの一部である展示品として保護されている。“7人の処女とラバ”のような邪悪な行為であったり、“本物の草の葉”のような、未来の世界では珍しいものなどが展示されているのだ。 」と説明されているという。

そして「第1印象」と「第3印象」は全く違う物語だと述べられている。

ライナーノートを実際に見ていないので、誰の言葉なのか判然としない。しかしこれだけ執拗に描かれる見世物小屋的世界には、“あらゆる種類の悪と退廃が消滅した”世界の物語は感じられない。まして前半部の「わたしがそこに行く」と言っている支配された世界。明日を生き延びられるかもわからない、抑圧された人々の世界も描写されているのに。

ということで、「第1印象」パート1とパート2では、2つの話をつなげ、低俗な部分も含めた人間性の復権、支配からの解放の物語だと解釈してきた。

さてそこで「第3印象」である。すでの冒頭から詩の難解さがピート・シンフィールドの世界である。

大きく捕らえると人類とコンピュータの戦いを描いているように思える。「石から生まれた人間」も「鋼鉄の人間」も、強靭な意志を持ち戦いに挑んでいく人たちを示しているのだろうか。しかし人頼みな国王たちの応援は彼らの判断を鈍らせる。

人々は恐怖に打ち震え、崩れるはずのない、(おそらく教会の)壁も祭壇も崩れ落ちる。戦況は人類に不利に思える。

そして人類の代表と思われる「わたし」とコンピュータの会話が始まる。「わたし」は言う。「この船の中で飛行するものは誰も屈しない」と。「船」とは“宇宙船地球号” 的な比喩だろうか。コンピュータはそれに「危険!」と反応する。それは自らにとって危険な状況であると。

コンピュータはすでに“宇宙船地球号”のブリッジ、つまり地球の中心に座している。「わたし」がコンタクトを取ろうとすると「部外者!」と突き放す。さらにこのコンピュータは「わたし」のデータを持ち、それをロードすることで「わたし」と同等の存在になろうとする。

「わたし」はそれでもコンピュータに立ち向かう。血を流すこともいとわない。核の力を持っても対抗するつもりなのだ。しかし「喜べ!」の連で「わたし」が言う言葉は、恐らくコンピュータがデータをロードした「わたし」が皮肉を込めて言った言葉なのだろう。なぜなら戦死した若者たちの名前はテープに記録されている、つまりコンピュータのデータになっているということだから。

人類の代表たる「わたし」は、自分がコンピュータに生命を与えたのであって、本来存在すべき者であると言う。しかしコンピュータは「わたし」を「不完全」と切って捨てる。「わたし」が命を与えたとしても、すでにコンピュータは「わたし」を越えた存在になってしまっているのだ。命を与えたこと自体、そうする意外になかった当然のことなのだ。

最後はコンピュータの言葉でやりとりは終わる。コンピュータの勝利が強く印象づけられる。曲調は勇ましく、グレッグ・レイクはシャウトする。しかし曲の最後、シンセサイザーがまさにプログラムを発動されたかのように走り回り曲は終わる。

こうして「第3印象」は終わり、超大作「悪の教典 #9」も幕を閉じる。さて歌詞的に見てどんなイメージを感じるだろうか。「第2印象」の7分に渡るインストゥルメンタルが、歌詞的にも場面を変えていることは確かだろう。時が流れたのである。

「第1印象」前半で、「警告」として「わたし」が受け取った、人々が支配され虐げられる時代。それは「金の亡者(jackals for gold)」が支配する世界だった。「わたし」はそれに抗するために立ち上がろうとする。

「第1印象」後半、具体的には「パート1」後半から「パート2」にかけて、人々をもう一度人間味溢れる、雑多で猥雑で感情豊かな、そして自由な世界へと誘おうとする。ロックもそうした自由のためのものであった。

しかし時はさらに流れる。そしてすでに人が人を支配する時代では無くなっている。その世界ではコンピュータが人を支配しているのだ。そして過去のように、人が支配者に抗うことすらもうできなくなっている。見世物小屋的反抗の余地は全くない。

こうして人々は、結局自由を得られずに支配され、ただ生かされるだけの存在となる不安を予見させるようにして、一大絵巻物のような長大な曲は終わるのである。ピート・シンフィールドによって、曲は一気に救われない物語へと変貌を遂げたわけだが、人とコンピュータとの最後のやりとりが緊張感のあるクライマックスとなった。

そしてコンピュータと戦っている人間の姿は、巨大なシンセサイザーやハモンドオルガンと格闘しているキース・エマーソンの姿とだぶって映る。難度の高い演奏に敢えて挑戦し続け、微妙な調整を必要としながら、無限の音を作れる可能性を持っていたシンセサイザーをコントロールしようとする姿は、曲の結末が実はギリギリのところでまだコンピュータが人間のコントロール下に置かれたのではないかという気持ちにもさせてくれる。

だとすれば最後の無機的にテンポが速まるシンセサイザー音は、暴走し始めたコンピュータの姿かもしれない。

曲としても様々な要素やテクニック、構成が詰め込まれた超大作であるが、歌詞的にもわかりやすくつながっていない分、いろいろな含みを考える余韻の残る内容だと言えよう。

「Karn Evil」と「evil(悪の)」にされた「カーニバル」であったが、それこそがEL&P自身のステージともイメージが重なって、一番活気に溢れた自由な人間の有り様を示しているように思うが、どうであろうか。

以上、連続3回に渡って「悪の教典 #9」全訳におつき合いいただき、ありがとうございました。

余談ですが、「#9」というのは、「第九」なんじゃないかなと思うのだ。「第九」と言えばベートーベン。そしてベートーベンの第九があらゆる交響曲中の最高峰とされるに至って、以後、大作曲家は交響曲を九作書くと死ぬ、という「第九の呪い」がささやかれるようになったと言われる。

ブルックナー、ドボルザークなどには実際に当てはまる。またマーラーは呪いを怖れてか、第九交響曲を交響曲とは呼ばず「大地の歌」と名づけ、十番目の交響曲に取り組んでいる最中、病死した。シベリウスは第八を書き終えた段階で不安にかられ、楽譜を焼き捨ててしまったという。

つまりキース・エマーソンにとって、この「Karn Evil」はまさに力を最後まで出し切った曲、これで終わりにしてもいいくらいの気合いのこもった曲として、「#9」をつけたんじゃないか。根拠も何もない想像ですが。

4 件のコメント:

  1. 素晴らしいブログですね。ついコメントしてしまいます。

    日本盤につくライナー・邦訳はともに「よくこんなもん売れるな」という代物が多い。
    おかげで歌詞も載っていないような安価な輸入盤に流れ、詞を置き去りにしてしまう。
    でも、詞は詩でもあるわけで、そこに込められたものを味わわないでは大損なわけで。
    改めて、自分なりに詞と向き合う努力をしてみよう、なんて思いました。

    あと、アルティがあってびっくりしましたw
    イタリア語でも候補作に入るのでしたら、、、
    次はぜひアレアを、、、いや、パレポリが先か、、、
    いや、チェルベッロ、いやイルバレ(以下略


    極上の蜜を惜しみなく与えてくれるミツバチのようなこのブログが、
    末永く続いてくれることを祈っています。

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  2. ありがとうございました。
    楽しんでいただけて本当にうれしいです。

    アルティは短かったから悩みながら必死で訳してみたものです。イタリア語がわかったらなぁとしみじみ思います。

    イタリア語はもう無理だと思いますが、英語の方は少しずつでも増やしていくつもりですので、今後ともよろしくお願いします!

    TAKAMO

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  3. 色々感想はあるけれど、とりあえず。
    nuclear dawnの個所は、
    new clear dawnでしょう。
    シンフィールドのサイト、Song Soup On Seaの
    lyricsページでは
    new clear dawnとなっています。

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  4. ご指摘ありがとうございました。
    おっしゃる通り
    new clear dawnでした。
    さっそく直しました。

    参照していたLirycWikiで
    nuclear dawnとなっていたのを
    そのまま使ってしまいました。
    アルバムの歌詞でもちゃんと
    new clear dawnとなっていますね。

    やっぱりアルバムで確認しないとですね。他にも歌詞サイトの歌詞が実際の歌詞と違っていたことはあったので、これから気をつけたいと思います。

    ありがとうございました。

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