2014年1月6日月曜日

「ラヴ・ウィズアウト・サウンド」ホワイト・ノイズ

原題:Love Without Soud

■「An Electric Storm」収録





身体表面の外側は鏡像の世界
私たちの内側にはいくつもの太陽あるいは夜
青いエーテルらしきものに包まれて
自由な夢の中へと漂って行く

私の心は私たちの迷宮の視覚を探索する
陽を浴びた彼女の身体が心奪われて横たわっている
甘い香りのする電気庭園は女性を目覚めさせた
しかし今笑い声は弱まる

私の心の中の熱を溶かして夢は消え去る
私の頭の内側では鐘の音が繰り返し鳴り響く
ヒッピーたちは素早く呼吸し絡み合い上下しながら
音も立てずに愛し合う

今までそんなことはありえなかった
私たちの初陣の騎士はさらなる輝きを求め
彼女は片膝を立て
 冷たい風がため息混じりにおいでと告げた
ミストラルが吹き止んだ彼女は行ってしまった

Beyond the outside was one left to right
Within ourselves the suns or the night
Just bound by blue ethereality
Drifting onto my dream free

My mind explored our labyrinth eyes
Her sundrenched body lay hypnotised
Perfumed electric garden roused female
But now the laughter turns pale

Dreams gone just melting fever in my soul
Within my head the bell seems to toll
Fast breathing wreathing heaving hippies down
Now making love without sound

It never had been made like that before
Our maiden knighthood longing bright for more
Her leg stood firm the dead wind sighed come on
Mistral away now she's gone


【メモ】
White Noise(ホワイト・ノイズ)は、David Vorhaus(デヴィッド・ヴォーハウス)というアメリカ人によるソロ・プロジェクトである。彼は1960年代にイギリスに渡り、コントラバス奏者として生計を建てながら、物理学と電気技師というバックグラウンドを活かし電子音楽の研究を続けていたという。BBCの音響効果部門「BBC Radiophonic Workshop」の作曲者Delia DerbyshireとBrian Hodgsonとも親交があり、両者はこのアルバムの制作にも参加している。

「An Electric Storm」はWhite Noseのデビュー・アルバム。リリースは1969年だから、King Crimsonが「The Court of the Crimson King」で、Yesが「Yes」でデビューしたのと同じである。ちょっと想像が難しいほどに社会が激変し、それに合わせるように音楽や音楽界に革新的な動きがあった時期である。

本作も当時のサイケデリック・ムーヴメントの影響をもろに受けたような内容だが、いわゆる“サイケデリック・ロック”とは違い、テープ操作とシンセサイザー(EMS VCS3)を駆使し、サウンド・コラージュを前面に出した実験的な作風が特徴だ。

さてその「An Electric Storm」の冒頭曲がこの「Love Without Sound」である。この曲の歌詞も一応David Vorhausによるものだと思われる。ボーカルのAnnie Birdは、けだるく物憂い感じ(トリップしている感じとも言えるかも)でこの曲を歌っていて、あまり“女性性”を感じさせないので、「話者」は男性とも女性とも取れるように思う。

内容的には全体に文法的に完結している文章はほとんど無く、感覚的に単語を並べていると思われるのだが、やはり当時のサイケデリック・ムーヴメントで重要な役割を果たしたドラッグ(おそらく時代的にLSD)によるトリップ体験を強くイメージさせるものだと言える。

第一連は意識の変容を説明していると考えた。一行目と二行目は自分の外と内の描写だ。「left to right」は「左から右」という意味以外に、「mirrored([形容詞]鏡に映ったような[名詞]反対勝手/左右対称」という意味がある。ここでは外観は自分の内側の鏡像のようであると解した。そこには外側=虚、内側=実といった意識も伺えるかもしれない。

その内側は「suns」と複数形なので「いくつもの太陽があるほどの明るさ」と、「night」、つまり「暗闇」がある世界である。この光の強弱が大きいのもドラッグ体験的だ。

「ethereality(エーテル)」は「エーテルのようなもの/エーテルのような性質」ということだが、そもそも「ether(エーテル)」は有機化合物の名前とは別に、19世紀までの物理学で光が伝播するために空間を満たしていると思われていた物質という意味がある。さらにさかのぼるとアリストテレスが四大元素説を拡張して、「火」「水」「土」「空気」に加えられた第五の元素として天界を満たしている物質だとされ、さらにそれ以前には神の領域、あるいは死者の魂が辿り着く場所というような意味でも使われていた。

そこから「ether」には「青空、空気、天空上層の空間あるいはそこにある霊気」などという意味がある。

つまり「エーテルに包まれて」というのは、非常に霊的な空間に入り込んでいるというイメージが喚起されるのだ。そして「自由な夢の中へと漂って行く」、つまり精神が解放された状態へと移行して行くのである。

第二連では「迷宮の視覚(labyrinth eyes)を探索する」と訳したが、イメージとしてはドラッグによる極彩色な視覚体験を表現しているように思う。そこに「suns(いくつもの太陽)」に照らされているのか、陽の光を浴びている女性が、「hypnotised(催眠術にでもかかったように心奪われた様子で)」横たわっているのが見えるのだ。

ここで「話者」は、自らドラッグ体験をしながらも、傍らの女性(「話者」を男性とすれば「恋人」かもしれない)の様子を観察しているように思える。「甘い香りのする電気庭園」とは自分が見ている、あるいは彼女と自分が共に見ている幻覚であろうか。それを見ている時に、彼女はつぶっていた目を見開いたのであろうか。

ちなみに「electric(電気的な)」という言葉には、David Vorhausがこうした人工的な音による疑似ドラッグ体験に対する思いも込められている気がする。

しかしこの第二連最終行が意味深い。「But now the laughter turns pale(しかし今笑い声は弱くなる)」と、文頭が「But」という強い単語で始まり、精神的解放による快感とは別の様子が生じたことを見て取ることが出来る。「pale」とはそもそも「青白い」とか「色あせた」という意味なので、豪華絢爛極彩色乱舞なサイケデリック体験のイメージには合わない。さらにここで急に現在形になったのも、まるで夢から現実に引き戻されたような、状況が急展開したような印象を与えるのだ。いったい何が起ったのだ?

効果音的に挿入される女性の声は、一瞬の笑い声の後、まるで引きつけを起こしたかのような声に変わる。

第三連では「夢は消える」とある。「熱」も溶けてしまう。これは第一連で始まった「話者」のトリップが中断、あるいは終了することを意味しているだろう。「私の頭の内側では鐘の音が繰り返し鳴り響く」も、トリップ中の甘美な幻聴と言うよりは、トリップが終ろうとしているところで感じる言い知れぬ不安のようなものに思える。

「話者」の意識はさらに現実に戻ってくる。周りにいるヒッピー仲間たちが、ドラッグをやりながら、おそらく無言でsexしている様子も目に入ってくるのだ。

そして最終連。「It never had been made like that before(今までずっとこんなことはなされなかった)」ということは、何か初めて体験するようなことが今起こったのであろう。「Our maiden knighthood」は「私たちの初陣の騎士」と訳したが、これは「私たちヒッピー仲間に入って初めてドラッグによる至高体験を試みた女性」というような意味だと考えた。前の連で「話者」の隣りに横たわり、笑い声が弱まった女性である。その彼女は、「さらなる輝きを求め」た。もっともっとと、さらい大きい快感を求めたのだ。

「Her leg stood firm」は「leg」と単数なので「すっくと立つ」のとは違うのではないかと考えた。「片足でしっかり立」っているのかもしれないが、ここでは「片膝を立てた」としてみた。彼女が自分から動き出したことを示しているのか。

続くのが「the dead wind sighed come on」であり、これを「the dead wind sighed, "Come on"」と解してみた。「dead wind」には「向かい風」という意味があるようだがあまり一般的ではない。「dead air」には「淀んだ空気」という意味があるので「淀んだ風」、つまり「微風」とも取れるかと思ったが、下で述べるような最終行の「mistral」との関係で、「冷たい風」と訳してみた。

もちろん「dead(死んだ)」という言葉も暗示的である。その「死」を暗示するような「風」に「おいで」と声をかけられたのである。風だから「sighed(ため息混じりに言う」のだろうが、「sigh(ため息)」というのもどこか暗いイメージがある。

その誘いに応じるように、最終行では「Mistral away now she's gone(ミストラルが吹き止み彼女は行ってしまった)」と、風に連れ去られたかのように彼女がいなくなってしまったことが告げられる。「mistral」とは、フランス南部ローヌ川地域に吹く乾燥した強く冷たい北風のこと。三行めの「dead wind」を指していると思われる。ということで「dead wind」は「(死人のように)冷たい風」と訳すことにしたのである。

さてこれをどう解釈すれば良いであろうか。前連からの流れを見ると、少なくとも「話者」のトリップは終り、意識は隣りの女性に向かっている。そしてその女性にとっては初めてのドラッグ/トリップ体験であるが、彼女から「laughter(笑い)」は消えている。そして「行ってしまう」のである。

どうも彼女は「話者」達ヒッピーが普段体験しているトリップとは違った結果に陥っているように思える。もしかすると「dead」という言葉が暗示するように、ドラッグに慣れていない彼女は、その魔力にわれを忘れて「さらなる輝きを求め」、overdoze(過剰摂取)をしてしまったのではないか。すると「she's gone」というのは「彼女は死んでしまった」、あるいは「精神を病んでしまった」という意味ではないのか。

とするならこの歌は、仲間内とドラッグをやっている時に、横にいた初参加の女性がoverdozeで帰らぬ人になってしまったという、恐ろしい内容を歌った曲と言えるかもしれない。あるいは「話者」の、そういうバッド・トリップを歌っているのかもしれない。

そうしたことを、ドラッグで惚けてしまったような声で淡々と歌っているのである。不気味なのはサウンドだけではなかったのであった。


David Vorhausはこの後もWhite Noise名義で作品を出し続けているが、1970年代にはKaliedophon(カレイドフォン)という四本のリボンコントローラーがついているダブルベースタイプの楽器(シンセ・コントローラー)も考案している。タッピングして演奏するスティックを先取りしたような見た目と仕組みが印象的な楽器であった。