原題:Firth Of Fifth / Genesis
■Selling England By The Pound
(月影の騎士)収録
道ははっきりしている、いかなる目もそれを見ることはできなくとも
道筋ははるか昔に敷かれていたのだ
だから神や人と共に、羊たちは囲いの中にとどまる
囲いから立ち去る道は幾度となく目にしているのに
彼はかつて威厳に満ちた人間の家々を馬で回る
注意を払うことも喜びで目を見張ることもない
木々、空、美しいユリの花のあるその場所に映る
死の光景がすぐ下に横たわっていることを目にするから
山は街を素晴らしい景色から切り離している
まるでガン細胞が熟練の技術で切除されるように
全てを白日の下にさらそう
一本の滝は、彼にとってマドリガル
内海は、彼にとって交響曲
水の精オンディーヌの歌声は船乗り達に訴えかける
でもそれは海の精セイレーンの叫びに誘惑されるまでのこと...
今その川が海へと溶け込んでいくので
海神ネプチューンは新たな命を要求したのだ
だから神や人と共に、羊たちは囲いの中にとどまる
羊飼いが群れを連れ出すまで
時の砂は浸食された
絶えず姿を変える川によって
The path is clear, though no eyes can see
The course laid down long before
And so with gods and men, the sheep remain inside their pen
Though many times they've seen the way to leave
He rides majestic, past homes of men
Who care not or gaze with joy
To see reflected there, the trees, the sky, the lily fair
The scene of death is lying just below
The mountain cuts off the town from view
Like a cancer growth is removed by skill
Let it be revealed
A waterfall, his madrigal
An inland sea, his symphony
Undinal songs urge the sailors on
'Till lured by the siren's cry...
Now as the river dissolves in sea
So Neptune has claimed another soul
And so with gods and men, the sheep remain inside their pen
Until the shepherd leads his flock away
The sands of time were eroded by
The river of constant change
【解説】
ジェネシスの1973年作の傑作アルバム「セイリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド(月影の騎士)」より、代表的なシンフォニック大曲。アルバムタイトルは「英国をポンド単位で量り売り」。ちなみに1ポンドは453,6グラム。わがイギリスは量り売りされ、叩き売られようとしているという、皮肉と批判と悲しみが盛り込まれたタイトルであり、アルバムでもある。
タイトルの「Firth Of Fifth」は、「フィフス湾」(あるいは「五番目の入り江」)という感じ。実際にスコットランドには、北海へと流れ込む「River Fourth(「フォース河」、あるいは「第四の河」)」の入り江として、通称「Firth Of Fourth(「フォース湾」、あるいは「四番目の入り江」)」という場所があり、それをシャレたものだと言われる。
フォース湾は海の手前で川幅が広く、湾のようになっている場所。このような、川とも海とも言いがたい場所がこの歌の舞台だ。ちょうど囲いの中の世界。荒々しい大海からも切り離され、美しい山奥の自然からも距離を置いた場所。まさにここが今私たちのいる世界そのものということだろう。
ギリシャ、ローマ神話の神々も今は人々とともに、囲いの中の羊と同じ存在。かつては水に、花に、海に神々が宿り、人々は神々とともに生き、威厳に満ちた豊かな生活を送っていた。しかし今は死の影が差す孤立した街、囲われた世界に生きる私たち。
もう一度、隠されていた自然の美、自然の神々が生き生きと闊歩していた世界を取り戻そう。そうこの詞は歌っているように思える。そこでは川を行き来する時には水の精オンディーヌの歌声に魅了され、海に出ればセイレーンの声に幻惑され、時にはローマ神話の海神ネプチューンの生け贄も出さなければならない、そんなかつてのダイナミックな生と死の世界を。
ちなみに、ここに出てくる「madrigal(マドリガル)」とは無伴奏多声歌曲のこと。「Undinal」とは「水の精undine(ウンディーネ)、あるいはondine(オンディーヌ)の」という意味である。
しかしその自然から離れ、生け贄を差し出すことをやめること、つまり近代化、現代化することによって、われわれは、いわば囲いの中の世界に生きる存在となってしまった。囲いから出る道はわかっているのだ。見えなくともわかっている。しかしわれわれは、囲いの中に留まることを選んでいるのである。
さて、ここまでの流れで、この歌詞をある種の文明化批判として捕らえることができるかと思う。しかしここでまだ疑問が残る。唐突に出てくる「He(彼)」とは誰なのか。そしてまた「羊飼いが群れを連れ出すまで」とは何を意味しているのか。
ここからちょっと大胆な解釈を試みてみたい。
まず「羊飼いが群れを連れ出すまで」を見てみよう。「flock(群れ)」とは、「よき羊飼い」としてのキリストに対して、全キリスト教徒、キリスト教会を指す時にも使う言葉だ。とすれば、「the shepherd」は“よき羊飼い”イエス・キリストとなり、「the shepherd leads his flock away」は、「イエス・キリストが信者を(囲いから)導き出す」、つまり「現世の苦しみから救済する」ことを暗に示しているのではないか。囲いの中には「gods(神々)」もいるのだ。ギリシャ・ローマ神話の神は、キリスト教の神によって支配されてしまっている。
つまりギリシャ・ローマ神話的な豊穣な世界に取って代わった、「死の光景がすぐ下に横たわっている」世界とは、キリスト教世界のことではないか。
そして、木々や空、そして美しいユリの花にも喜びを感じない「He(彼)」とはイエス・キリストのことを指しているのではないか。実際一般的な意味としても「He」には「(キリスト教の)神」を言う場合がある。
とすればこの詞は、近代・現代的な、自然との調和を拒んだ、囲いの中の息苦しい生き方のみならず、そうした生き方や世界観を支えているキリスト教をも批判しているのではないだろうか。
雄大なキーボードや情感豊かなギターが活躍する一大シンフォニックなこの曲は、自然と一体となっていたかつての豊かなギリシャ・ローマ神話的世界を描いているのかもしれない。
キング・クリムゾン(King Crimson)がセカンド・アルバムとして「In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)」を発表したのが1970年。正確には「ポセイドンの跡を追って」という意味になるタイトルではあるが、ここでもポセイドン(Poseidon)というギリシャ神話の海神がイメージとして持ち出されているのも、時代的に無関係とは言えないのではないかもしれない。
この時期、現実批判は社会体制批判であるとともにキリスト教文化批判でもあり、それは一つの方向として、より豊かな神々の世界であるギリシャ・ローマ神話的世界の再評価として現れていたのかもしれない。
しかしそんなロマンティックな事を言っていられない切実な状況が、数年後にパンク・ロックとして吹き出すこととなる。
■Selling England By The Pound
(月影の騎士)収録
道ははっきりしている、いかなる目もそれを見ることはできなくとも
道筋ははるか昔に敷かれていたのだ
だから神や人と共に、羊たちは囲いの中にとどまる
囲いから立ち去る道は幾度となく目にしているのに
彼はかつて威厳に満ちた人間の家々を馬で回る
注意を払うことも喜びで目を見張ることもない
木々、空、美しいユリの花のあるその場所に映る
死の光景がすぐ下に横たわっていることを目にするから
山は街を素晴らしい景色から切り離している
まるでガン細胞が熟練の技術で切除されるように
全てを白日の下にさらそう
一本の滝は、彼にとってマドリガル
内海は、彼にとって交響曲
水の精オンディーヌの歌声は船乗り達に訴えかける
でもそれは海の精セイレーンの叫びに誘惑されるまでのこと...
今その川が海へと溶け込んでいくので
海神ネプチューンは新たな命を要求したのだ
だから神や人と共に、羊たちは囲いの中にとどまる
羊飼いが群れを連れ出すまで
時の砂は浸食された
絶えず姿を変える川によって
The path is clear, though no eyes can see
The course laid down long before
And so with gods and men, the sheep remain inside their pen
Though many times they've seen the way to leave
He rides majestic, past homes of men
Who care not or gaze with joy
To see reflected there, the trees, the sky, the lily fair
The scene of death is lying just below
The mountain cuts off the town from view
Like a cancer growth is removed by skill
Let it be revealed
A waterfall, his madrigal
An inland sea, his symphony
Undinal songs urge the sailors on
'Till lured by the siren's cry...
Now as the river dissolves in sea
So Neptune has claimed another soul
And so with gods and men, the sheep remain inside their pen
Until the shepherd leads his flock away
The sands of time were eroded by
The river of constant change
【解説】
ジェネシスの1973年作の傑作アルバム「セイリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド(月影の騎士)」より、代表的なシンフォニック大曲。アルバムタイトルは「英国をポンド単位で量り売り」。ちなみに1ポンドは453,6グラム。わがイギリスは量り売りされ、叩き売られようとしているという、皮肉と批判と悲しみが盛り込まれたタイトルであり、アルバムでもある。
タイトルの「Firth Of Fifth」は、「フィフス湾」(あるいは「五番目の入り江」)という感じ。実際にスコットランドには、北海へと流れ込む「River Fourth(「フォース河」、あるいは「第四の河」)」の入り江として、通称「Firth Of Fourth(「フォース湾」、あるいは「四番目の入り江」)」という場所があり、それをシャレたものだと言われる。
フォース湾は海の手前で川幅が広く、湾のようになっている場所。このような、川とも海とも言いがたい場所がこの歌の舞台だ。ちょうど囲いの中の世界。荒々しい大海からも切り離され、美しい山奥の自然からも距離を置いた場所。まさにここが今私たちのいる世界そのものということだろう。
ギリシャ、ローマ神話の神々も今は人々とともに、囲いの中の羊と同じ存在。かつては水に、花に、海に神々が宿り、人々は神々とともに生き、威厳に満ちた豊かな生活を送っていた。しかし今は死の影が差す孤立した街、囲われた世界に生きる私たち。
もう一度、隠されていた自然の美、自然の神々が生き生きと闊歩していた世界を取り戻そう。そうこの詞は歌っているように思える。そこでは川を行き来する時には水の精オンディーヌの歌声に魅了され、海に出ればセイレーンの声に幻惑され、時にはローマ神話の海神ネプチューンの生け贄も出さなければならない、そんなかつてのダイナミックな生と死の世界を。
ちなみに、ここに出てくる「madrigal(マドリガル)」とは無伴奏多声歌曲のこと。「Undinal」とは「水の精undine(ウンディーネ)、あるいはondine(オンディーヌ)の」という意味である。
しかしその自然から離れ、生け贄を差し出すことをやめること、つまり近代化、現代化することによって、われわれは、いわば囲いの中の世界に生きる存在となってしまった。囲いから出る道はわかっているのだ。見えなくともわかっている。しかしわれわれは、囲いの中に留まることを選んでいるのである。
さて、ここまでの流れで、この歌詞をある種の文明化批判として捕らえることができるかと思う。しかしここでまだ疑問が残る。唐突に出てくる「He(彼)」とは誰なのか。そしてまた「羊飼いが群れを連れ出すまで」とは何を意味しているのか。
ここからちょっと大胆な解釈を試みてみたい。
まず「羊飼いが群れを連れ出すまで」を見てみよう。「flock(群れ)」とは、「よき羊飼い」としてのキリストに対して、全キリスト教徒、キリスト教会を指す時にも使う言葉だ。とすれば、「the shepherd」は“よき羊飼い”イエス・キリストとなり、「the shepherd leads his flock away」は、「イエス・キリストが信者を(囲いから)導き出す」、つまり「現世の苦しみから救済する」ことを暗に示しているのではないか。囲いの中には「gods(神々)」もいるのだ。ギリシャ・ローマ神話の神は、キリスト教の神によって支配されてしまっている。
つまりギリシャ・ローマ神話的な豊穣な世界に取って代わった、「死の光景がすぐ下に横たわっている」世界とは、キリスト教世界のことではないか。
そして、木々や空、そして美しいユリの花にも喜びを感じない「He(彼)」とはイエス・キリストのことを指しているのではないか。実際一般的な意味としても「He」には「(キリスト教の)神」を言う場合がある。
とすればこの詞は、近代・現代的な、自然との調和を拒んだ、囲いの中の息苦しい生き方のみならず、そうした生き方や世界観を支えているキリスト教をも批判しているのではないだろうか。
雄大なキーボードや情感豊かなギターが活躍する一大シンフォニックなこの曲は、自然と一体となっていたかつての豊かなギリシャ・ローマ神話的世界を描いているのかもしれない。
キング・クリムゾン(King Crimson)がセカンド・アルバムとして「In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)」を発表したのが1970年。正確には「ポセイドンの跡を追って」という意味になるタイトルではあるが、ここでもポセイドン(Poseidon)というギリシャ神話の海神がイメージとして持ち出されているのも、時代的に無関係とは言えないのではないかもしれない。
この時期、現実批判は社会体制批判であるとともにキリスト教文化批判でもあり、それは一つの方向として、より豊かな神々の世界であるギリシャ・ローマ神話的世界の再評価として現れていたのかもしれない。
しかしそんなロマンティックな事を言っていられない切実な状況が、数年後にパンク・ロックとして吹き出すこととなる。