原題:canzona
■「ミラノ・カリブロ 9(Milano Calibro 9)」収録
いったいこれまでわたしのものになったのは何かを探りつつ
【メモ】
本作「Milano Calibro 9」は1972年に発表された、イタリアのバンドOsanna(オザンナ)の2ndアルバムである。音楽内容的には映画音楽の巨匠Luis Enriquez Bacalov(ルイス・エンリケ・バカロフ)との共作によるイタリア映画のサントラであり、New Trolls(ニュー・トロルス)の「Concerto Grosso(コンチェルト・グロッソ)」と同じパターンだと言える。
映画「Milano Calibro 9」は、Fernando Di Leo(フェルナンド・ディ・レオ)監督によるイタリアン・アクション映画だそうだが、本アルバムとは別バージョンの挿入曲がOsannaによって演奏されているらしい。その辺りは実際に確認していないので定かではないが、一応本作がサウンドトラックな面がそれなりにあることは確かなようだ。
しかし一個のオリジナルアルバムとしての完成度も非常に高い。その美と混沌の渦巻く世界を締めくくるのが、このボーカル曲「Canzona」である。
キーフレーズになるのがサブタイトルである「there will be time(そんな時がやってくるだろう)」であり、これから起こるであろう様々なことがらを、まるで達観したように「私」が想像していくという流れになっている。
示される内容は大まかに逆の事柄が並べられているように思われる。第1連の「turn away(そっぽを向く/立ち去る)」と「meet and play(会って遊ぶ)」、第2連の「to die and to create(死と創造)」、「tyrant(暴君)」と「slave(奴隷)」。そこに「to pretend I've got a reason to be late(遅れてしまった理由があるかのごとく振る舞う、実際はないのだけれど)」というような、日常的な事柄も並列されていく。
第3連も「boarder」を「敵船に向う斬り込み要員」という意味で取れば、ただ命令に従って命を落とす名も無き人が、「to wonder why(理由を知りたくなるような)」という表現と対比されているとも取れそうである。
第7連の「世界の海を渡る」とは世界を制覇した支配者かもしれない。それならば「膝を屈する」被支配者と、これも対照的なイメージを成していると取れる。
そうした様々な事柄が、これから、あるいはこれからも、訪れるだろうと「わたし」は夢想している。そしてそうした様々な状況の中で、わたしは「will I dare?(自らあえてそうしようとするだろうか?」とか、「何をするだろう?」「何を言うだろう?」「何を叫ぶだろう?」と、「わたし」自身の身の処し方を問う。
そして「how many days?(何日?)」「how many lives?(何世代/いくつの人生?)」を送ると、そんな時がやってくるんだろう、そう考えているのだ。
現実のわたしは今終ることがないかのような、平和な午後を過ごしている。「afternoons」と複数形であることから、そうした生活を送っていると考えてもいいかもしれない。そしてコーヒースプーンを並べながらだろうか、過ぎし思い出の日々を数え上げているのだ。「in search of what has been already mine(わたしのものになったのが何かを探りながら)ということは、現実は過去に縛られているのかもしれない。
どことなく年老いた人物を想像してしまうのだ。これまでの人生を振り返りながら平和な午後を過ごしている老人。「there will be time(そんな時が来るだろう)」の中には、今まで経験したことも含まれているのかもしれない。そしてまた生まれ変わった次の人生のことも。
この詩はある程度平凡な人生を送ってきた人物が、その晩年にあたる時を迎えて、これまでやってきたことと、これまでやってこなかったこと(あり得なかったことも含めて)を、達観したような眼差しで、静かに思い巡らしている様子が描かれているように思えるのだ。
何かを悟ったわけでもなく、何かを求める強い願いや感謝の祈りや、あるいは悔恨の念があるわけでもない。淡々と過去から未来へと続く時間の流れの中で、ただ冷静に自分を見つめているのである。そこに何とも言えない哀愁が漂い、美しいメロディーとストリングスの調べと重なって、深い感動を呼ぶのである。
以下余談である。
・アルバムジャケットには上記の歌詞のイタリア語訳が載っており、最後に「da T.S.Elliot(by T.S. Elliot)」と書かれている。「Waste Land(荒地)」で有名なアメリカの詩人(1888-1965)である。しかし「The Love Song of J.Alfred Prufrock(アルフレッド・プルーフロックの恋歌)」(1917)に「there will be time」や「coffee spoon」などの共通する言葉や、「Do I dare?」などの似たような表現が出てくるが、この歌詞と同じものは見当たらない。「(inspired)by(〜にインスパイアされた/インスピレーションを得た)」ぐらいな感じか。
・「Canzona」の副題となっている「There will be time」は、同名のタイトルで1972年にアメリカの作家ポール・アンダースン(Poul Anderson)がSF小説として発表し、1973年のヒューゴー賞にノミネートされている。時期的に、タイトルをつける上で参考にした可能性はあるかもしれない。
・「Milano Calibro 9」はイタリア語読みなら「ミラノ・カリブロ・ノヴェ」と発音する。「Milano」はイタリア北部の都市名、「Calibro 9」はピストルの「9mm口径」で、インチ表示でいうところの「35口径」(3.5インチ口径)のことだと思われる。こうしてみると、やっぱりマフィア&アクション映画のタイトルっぽいのである。
■「ミラノ・カリブロ 9(Milano Calibro 9)」収録
「歌曲」
あぁ、顔を背ける時もくるだろう
そんな時も来るだろう
あぁ、一緒に楽しく時を過ごす時もくるだろう
そんな時も来るだろう
遅れた理由があったふりをする時も
死する時も創造する時も
暴君たる時も奴隷たる時も来るだろう
あぁ、理由が知りたくなる時も来るだろう
そんな時が来るだろう
死んでいく名も無き斬り込み要員になる時も
そんな時も来るだろう
心の中のあらゆる争いと平和がお伽噺を忘れてしまい
わたしが盲目となる時も
呪う時も来るだろう
嘘をつく時も
その時わたしはあえてそうするだろうか?
わたしは何をするのだろうか?
わたしは何を言うのだろうか?
わたしは何を叫ぶのだろうか?
何日に渡るのか?
何世代に渡るのか?
あぁ、世界の海を渡る時も来るだろう
そんな時も来るだろう
あるいは膝を屈する時も
そんな時も来るだろう
しかし決して終りなきこの午後をわたしは過ごし続ける
コーヒースプーンで日々を数えながら
いったいこれまでわたしのものになったのは何かを探りつつ
何日に渡るのか?
何世代に渡るのか?
でもそんな時が来るだろう…
oh, there will be time to turn away
there will be time
oh, there will be time to meet and play
there will be time
and to pretend I've got a reason to be late
there will be time to die and to create
to be the tyrant or to be the slave
oh, there will be time to wonder why
there will be time
or to be some boarder passing by
there will be time
there will be time for every war and peace at mind
forgettin' fairy tales until I'm blind
there will be time to curse
and time to lie
then will I dare?
what will I do?
what will I say?
what will I cry?
how many days?
how many lives?
oh, there will be time to cross the seas
there will be time
or to fall, to fall down on my knees
there will be time
but I am spending never ending afternoons
countin' out days with coffee spoons
in search of what has been already mine
how many days?
how many lives?
but there will be time...
※ 歌詞はアルバムジャケットに印刷されたものを使用しています。
実際の歌唱では、同じ部分の繰り返し等、上記歌詞とは若干異なる部分があります。
【メモ】
本作「Milano Calibro 9」は1972年に発表された、イタリアのバンドOsanna(オザンナ)の2ndアルバムである。音楽内容的には映画音楽の巨匠Luis Enriquez Bacalov(ルイス・エンリケ・バカロフ)との共作によるイタリア映画のサントラであり、New Trolls(ニュー・トロルス)の「Concerto Grosso(コンチェルト・グロッソ)」と同じパターンだと言える。
映画「Milano Calibro 9」は、Fernando Di Leo(フェルナンド・ディ・レオ)監督によるイタリアン・アクション映画だそうだが、本アルバムとは別バージョンの挿入曲がOsannaによって演奏されているらしい。その辺りは実際に確認していないので定かではないが、一応本作がサウンドトラックな面がそれなりにあることは確かなようだ。
しかし一個のオリジナルアルバムとしての完成度も非常に高い。その美と混沌の渦巻く世界を締めくくるのが、このボーカル曲「Canzona」である。
キーフレーズになるのがサブタイトルである「there will be time(そんな時がやってくるだろう)」であり、これから起こるであろう様々なことがらを、まるで達観したように「私」が想像していくという流れになっている。
示される内容は大まかに逆の事柄が並べられているように思われる。第1連の「turn away(そっぽを向く/立ち去る)」と「meet and play(会って遊ぶ)」、第2連の「to die and to create(死と創造)」、「tyrant(暴君)」と「slave(奴隷)」。そこに「to pretend I've got a reason to be late(遅れてしまった理由があるかのごとく振る舞う、実際はないのだけれど)」というような、日常的な事柄も並列されていく。
第3連も「boarder」を「敵船に向う斬り込み要員」という意味で取れば、ただ命令に従って命を落とす名も無き人が、「to wonder why(理由を知りたくなるような)」という表現と対比されているとも取れそうである。
第7連の「世界の海を渡る」とは世界を制覇した支配者かもしれない。それならば「膝を屈する」被支配者と、これも対照的なイメージを成していると取れる。
そうした様々な事柄が、これから、あるいはこれからも、訪れるだろうと「わたし」は夢想している。そしてそうした様々な状況の中で、わたしは「will I dare?(自らあえてそうしようとするだろうか?」とか、「何をするだろう?」「何を言うだろう?」「何を叫ぶだろう?」と、「わたし」自身の身の処し方を問う。
そして「how many days?(何日?)」「how many lives?(何世代/いくつの人生?)」を送ると、そんな時がやってくるんだろう、そう考えているのだ。
現実のわたしは今終ることがないかのような、平和な午後を過ごしている。「afternoons」と複数形であることから、そうした生活を送っていると考えてもいいかもしれない。そしてコーヒースプーンを並べながらだろうか、過ぎし思い出の日々を数え上げているのだ。「in search of what has been already mine(わたしのものになったのが何かを探りながら)ということは、現実は過去に縛られているのかもしれない。
どことなく年老いた人物を想像してしまうのだ。これまでの人生を振り返りながら平和な午後を過ごしている老人。「there will be time(そんな時が来るだろう)」の中には、今まで経験したことも含まれているのかもしれない。そしてまた生まれ変わった次の人生のことも。
この詩はある程度平凡な人生を送ってきた人物が、その晩年にあたる時を迎えて、これまでやってきたことと、これまでやってこなかったこと(あり得なかったことも含めて)を、達観したような眼差しで、静かに思い巡らしている様子が描かれているように思えるのだ。
何かを悟ったわけでもなく、何かを求める強い願いや感謝の祈りや、あるいは悔恨の念があるわけでもない。淡々と過去から未来へと続く時間の流れの中で、ただ冷静に自分を見つめているのである。そこに何とも言えない哀愁が漂い、美しいメロディーとストリングスの調べと重なって、深い感動を呼ぶのである。
以下余談である。
・アルバムジャケットには上記の歌詞のイタリア語訳が載っており、最後に「da T.S.Elliot(by T.S. Elliot)」と書かれている。「Waste Land(荒地)」で有名なアメリカの詩人(1888-1965)である。しかし「The Love Song of J.Alfred Prufrock(アルフレッド・プルーフロックの恋歌)」(1917)に「there will be time」や「coffee spoon」などの共通する言葉や、「Do I dare?」などの似たような表現が出てくるが、この歌詞と同じものは見当たらない。「(inspired)by(〜にインスパイアされた/インスピレーションを得た)」ぐらいな感じか。
・「Canzona」の副題となっている「There will be time」は、同名のタイトルで1972年にアメリカの作家ポール・アンダースン(Poul Anderson)がSF小説として発表し、1973年のヒューゴー賞にノミネートされている。時期的に、タイトルをつける上で参考にした可能性はあるかもしれない。
・「Milano Calibro 9」はイタリア語読みなら「ミラノ・カリブロ・ノヴェ」と発音する。「Milano」はイタリア北部の都市名、「Calibro 9」はピストルの「9mm口径」で、インチ表示でいうところの「35口径」(3.5インチ口径)のことだと思われる。こうしてみると、やっぱりマフィア&アクション映画のタイトルっぽいのである。