原題:Luglio, agosto, settmbre (nero)
■「Arbeit Macht Frei」
(邦題は「自 由への叫び」)収録
(邦題は「自 由への叫び」)収録
「7月、8月、(黒い)9月」
愛する人よ
平和とともに愛を込めた花束を
あなたの足下へ置きました
平和とともに
平和とともに私は血の海をせき止めました
あなたのために
怒りを忘れて下さい
痛みを忘れて下さい
武器を忘れて下さい
武器を忘れてここで
私と暮らしましょう 愛する人よ
平和の毛布に包まれて
私はあなたに歌ってほしいの、わたしの目が放つ最愛の光のことを
そしてあなたの歌は平和をもたらすでしょう
世界中の人々に聞かせましょう
愛する人よ そして共にこう言うのです:
怒りを忘れて下さい
痛みを忘れて下さい
武器を忘れて下さい
武器を忘れてここで
平和に暮らしましょう
世界を遊び道具にして、バラバラにしてしまい
太陽がむりやり老人にしてしまった子供たち
あなたたちの現実のために僕がが力づくで
黙殺の申し合わせに戦いをいどむとしても私が悪いんじゃない
たぶんいつの日にか私たちは
人間性を持ちながら血の海に溺れ死ぬことの意味を
知ることになるだろう
ほとんど違いのない 変色した人々
私の怒りはニュースに出ないことを読み上げ
痛みのすべてを過去へとさかのぼって読み上げていく
そして死にたくないと思う人々に向って歌うんだ
あたなたちの目に世界に問題が無いように映っても
全ての物事の本質を探すのだ
あなたたちの現実のために私が力づくで
戦争に人間性を持ち込んだとしても私が悪いんじゃない
JULY, AUGUST, (BLACK) SEPTEMBER
My love
With peace I have placed loving flowers
at your feet
With peace
With peace I stopped the seas of blood
for you
Forget anger
Forget pain
Forget your weapons
Forget your weapons and come
Come and live with me my love
Under a blanket of peace
I want you to sing, beloved light of my eyes
And your song will be for peace
let the world hear,
my beloved and say:
Forget anger
Forget pain
Forget your weapons
Forget your weapons and come
And live in peace
Playing with the world, leaving it in pieces
Children that the sun has reduced to old age
It's not my fault if your reality
forces me to fight your conspiracy of silence
Maybe one day we will know what it means
to drown in blood with humanity
Discoloured people, almost all the same
my anger reads above the news
reads into the past all my pain
sing my people that don't want to die
When you see the world without problems
seek the essence of all things
It's not my fault if your reality
Forces me to make war with humanity
(英訳:Ale Fernandez)
【メモ】
「Antiwar Songs」(反戦歌)というサイトで、イタリア屈指のバンドArea(アレア)のファースト・アルバム冒頭の曲「Luglio, agosto, settmbre (nero)」を、Ale Fernandezという方が英訳されているのを見つけたので、ここで使用させていただいた。英訳したAle氏に心より感謝申し上げたい。
さて時系列でいけば最初のArea体験となったこの名曲。冒頭、女性の声でアラビア語の朗読が入る。それが斜体部分である。
戦争に向おうとする高揚した恋人の心を鎮め、静かにそれを思いとどまらせ、一緒に、平和に暮らそうという内容の語りかけである。朗読者が女性なので、聞き手は、呼びかけらている人物が男性とイメージすることになる。「武器を捨ててわたしと一緒に平和に暮らしましょう」という、シンプルだけれど切々としたメッセージが美しい。美しくも悲しい。それはきっと男性がその言葉に耳を傾けてくれたかどうかがわからないからだ。
そして力強い男性的な歌が始まる。「私」は怒っている。「世界を遊び道具にして」勝手に「バラバラにして」しまった人間たち。大人の姿はしているが心は自分勝手な子どものままでいる人間たち。つまり戦争を引き起こす「権力者たち」に。クラシックを基盤とする西欧音楽とは異質な強烈なインパクトのボーカル、疾走する変拍子、荒々しくも非常にテクニカルなアンサンブル。
この詩には「私」と「あなたたち」と「私たち」が出てくる。「あなたたち」 は「old age(歳を取った)」「children(こどもたち」、つまり「権力者たち」と取り、「私」と「私たち」は、彼らに翻弄され血の海で死んでいく一般市民と解した。
「私」は「あなたたち」が黙って勝手に取り決めをしたとしても、それが引き起こした現実を考えれば、決して見過ごすことはしない。「私」に何か言わないでくれ、悪いのは「あなたたち」なのだから。「私たち」は戦争を実感としてわかっていない。勝ったとか負けたとかいった抽象的な空虚な言葉の裏には、血の海の中で溺れ死んでいく兵士がいる。それも機械でも道具でもなく、人間として死んでいく人たちが。
「Discoloured people, almost all the same」は、取りあえず文字通りに訳しておいた。しかしこれは「死体」のことではないかと思う。戦場で血の海に溺れた死体。それはもう個別の人間ではなく、「ほとんど違いのない 変色した人々」なのではないか。
「above the news」はニュースの上の方、つまり紙面には載らない事と解釈した。戦争の悲惨さ、苦しみや悲しみ、そういったものを「私」は読み上げ、過去に向って読み進んでいく。そして死にたいなんて思うはずもない人々に「戦争=死」であることを伝えようと歌うのだ。
「あなたがた」が世界に問題はないと思っていたとしても、物事の本質を探してみろと「私」は言う。戦争を勝ち負けの問題だけでしか見ない相手に対し、それならば「私」はその本質として、「人間性」を持ち込むぞと言っている。ここでも「戦争=血みどろになって死ぬ事」という、人として戦うことの凄惨さ、そして待ち構えている死という現実を、広く知らしめてやるぞということだろう。
冒頭の女性(エジプト人と言われる)の静かな平和へ誘なう語りとは対照的に、エジプト生まれのギリシャ人というボーカルのデメトリオ・ストラトスは、 圧倒的な迫力とバルカンミュージックなどの影響を受けた非西欧的歌唱法で、男性的に、そして戦闘的に歌う。しかし目指すところは同じなのだ。人間性の尊重、そして平和。
ナチの収容所に掲げられたスローガン「Arbeit Machit Frei(働けば自由になる)」をアルバムタイトルとし、内ジャケットではメンバーがアラブ・ゲリラ風な扮装をしていたりと、このアルバムはジャケットからしてすでに過激だ。
当時イタリアの知識人や学生たちは権力に抗する手段として共産党を支持していた。Areaはこうした過激で高度な音楽性とともに、社会や政治に対する眼差しを歌詞に込めていたことで、左翼運動の一角として共産党集会などでも演奏を行なったという。ライヴアルバム「Are(A)zione」では、共産主義の革命歌として有名な「インター」も取り上げている。
ちなみにタイトルの「7月、8月、(黒い)9月」とは、ミュンヘンオリンピック事件(1972年のミュンヘンオリンピックで、オリンピック開催期間中にイスラエルの選手11人が殺された事件)を起こした事でも有名な、パレスチナの過激派組織の名前「Black September(黒い9月)」を暗示しているという(「ArchAngel vol.2」ディスクユニオン、1996年)。このデビューアルバムは事件の翌年、1973年に発表されている。
アラビア語&イタリア語→英語→日本語という流れの中で、意味の取り違えや、解釈のズレが生じている事は想像に難くないが、歌詞のイメージの一端を覗いてもらえたとしたら、うれしいです。