原題:Appena Un Pò / P.F.M
■「Per Un Amico(友よ)」収録
事実、次作の「甦る世界(邦題)」は英語盤「The World Became the World」と同時にイタリア語盤「L'Isola di Niente」を出しているし、歌詞を英語に統一した「チョコレート・キングス」では、バイオリン&フルートのマウロ・パガーニのイタリア語詩を、新加入のボーカリストであるベルナルド・ランゼッティらが英訳したものだという(Wikipediaより)。
恐らく自分たちの世界は、必ずしもピート・シンフィールド的世界とは一致していなかったことを、メンバーは最初から感じとっていたのではないだろうか。
■「Per Un Amico(友よ)」収録
「ほんの少しだけ」
ここから出て行くんだ
遠くの場所へと
王様のように堂々と
僕の望むままに
そうしたら僕も立ち去ろう
そして別の真実に向って走り出そう。
僕らはそう、信じている、でも
もう十分…出て行くんだ…つまり
ここから出て行くんだ、ここから外へと…君…
さぁ、ここから出て行くんだよ。
別の真実の中で
僕を見つけておくれ、ただし、あぁ
そして僕の前に空間が広がっていることを
僕を見つけておくれ、ただし、あぁ
そして僕の前に空間が広がっていることを
ここから出て行くんだ
ここから出て行くんだ
今すぐに
ここから出て行くんだよ
「Just a little」
Get out of here
away from here
like a king out of here
just as I want.
I would depart, I would run
toward another truth.
We believe uh, however
enough ... just leave ... I would say
away from here, away from here ... you du du ...
now, away from here.
In another reality
find me, but uh
to see space ... space in front of me ...
away from here
away from here
immediately
away from here.
Get out of here
away from here
like a king out of here
just as I want.
I would depart, I would run
toward another truth.
We believe uh, however
enough ... just leave ... I would say
away from here, away from here ... you du du ...
now, away from here.
In another reality
find me, but uh
to see space ... space in front of me ...
away from here
away from here
immediately
away from here.
※ 英詩はオリジナルイタリア語の歌詞を自動翻訳したものを元に
イタリア語辞典などを使用し英訳したものです。
イタリア語辞典などを使用し英訳したものです。
【メモ】
イタリアを代表するバンドPFM(Premiata Forneria Marconi)が1972年に発表したセカンドアルバム「Per Un Amico(友よ)」から、冒頭の一曲である。
キング・クリムゾンのピート・シンフィールドが彼らを気に入り、自ら英詞を提供して「Photos of Ghosts(幻の映像)」を作り上げ、世界進出の後押しをしたのは有名な話であるが、その元となったイタリア盤がこの「Per Un Amico」である。「Photos of Ghosts」は本アルバム収録曲全曲、1stから1曲、新曲1曲という構成で、1曲を除き全てに新たに英語の歌詞がつけられているのだ。
中でも「Photos of Ghosts」冒頭の「River of Life(人生は川のようなもの)」は、非常にドラマティックな曲展開と、人生の移りゆく姿を描いたような雄大な英詩により、強く印象に残る曲となっている。
そこでその「River of Life」のオリジナル曲はどのような歌詞であったのか。それを確かめるべく、今回もまたGoogle翻訳を基本に、他の翻訳サービスやイタリア語辞典などを参考にして英語訳を試み、そこから和訳するという手順を踏んで、オリジナル曲の内容に迫ってみた。
一見するとわかるように、ピート・シンフィールドの英詩とは全く内容が異なっている。英詩の雄大な時間の流れと空間の広がりを思わせる世界は、ここにはない。ここで歌われているのは、もっと個人的な「僕」と「君」との小さな世界での出来事だ。その言葉や表現も多くはない。
しかし、それは「Per Un Amico(友よ)」というタイトルに呼応したような物語であり、よりストレートな感情を表現したものとなっている。
「Photos of Ghosts」訳でも紹介したように、ドラムスのFranz Di Cioccioはこの歌詞について次のように述べている。
「彼(ピート・シンフィールド)の詩はもとの歌詞とは全く異なるものです。彼はP.F.Mのサウンドを聴き、そこからインスパイアされたものを英詩にして書き上げたんです。ピート・シンフィールドは私達の音楽に彼の世界観を反映させた詩をのせることで、彼独特の色を楽曲に加え、新たなマテリアルとして再生させたのです。『人生は川のよう なもの』の詩に関して言えば、わたしはオリジナルよりも良い出来ではないかと思っているんです。あのサウンドに完璧にマッチしたコンセプトではないでしょ うか。」
「ArchAngel 第5号」(DIW音楽出版、1996年)
しかし「Photos of Ghosts」が世界進出へ向けた戦略の中で、ピート・シンフィールドが壮大な歌詞をもって楽曲の新たな魅力を引き出したとするなら、「Per Un Amico」はもっと自然なPFMらしさが溢れた作品だと言える。よりプライベートでシンプルな歌詞による、小さな世界の歌なのだ。
ここでは「僕」は「君」に「ここから出ていくんだ」と終始言い続けている。「出て行って」と言うと、「僕/わたしの前からいなくなって」という恋愛の場面を思い浮かべたが、そういった英語のニュアンスによって場面を限定するのは危険だと考えた。そこで2通りの解釈を試みた。「恋人との物語」と「同士との物語」の2つである。
仮に「僕」と「君」が恋人だとすれば、「僕」がその新しい真実(reality)に求めているのは「距離(空間)」である。二人の間の「距離」。それは「僕」と「君」との違いを認め合うことかもしれないし、プライバシーに踏み込まないことかもしれない。あるいは束縛し合わないことかもしれない。とすれば、この曲は「友」ではなく、「恋人」へ向けた別れの言葉を歌ったものだとも解釈できるかもしれない。
タイトルの「ほんの少しだけ」と併せて考えれば、別れようと強く言っているわけではないのだろう。しかし「僕」も「君」も、「別の真実」の中に身を置くべきだということを言っているのである。「僕」は「別の真実」の中でまた「君」に会いたいと思っているようだ。嫌いになったわけではない。いやむしろ今でも愛しているのかもしれない。しかし今の関係は辛過ぎる。だからこそ思い切って、強引に、そして執拗に、「僕」は「出て行くんだ」と繰り返す。
愛し合うが故に、相手との距離や違いを受け入れることができなくなり、互いに共にいることが息苦しくなってしまった恋人たち。あるいは愛する「君」の束縛に耐え切れなくなってしまった「僕」。そんな光景が浮かぶ。
タイトルの「ほんの少しだけ」に結びつけるなら、そうしたやり切れない思いも、今ちょっと自分の気持ちを整理すれば落ち着くものなのかもしれない。「ちょっと放っておいてくれ」「ちょっとどこかに行っていてくれ」と。このような恋愛における複雑な思いが、ここでは描かれているといってもいいのかもしれない。
次に「僕」と「君」の恋愛関係を歌ったものではないとしたら。「ここから出て行くんだ」の「ここ」とは「僕の前」ではなく、もっと一般的な「現状」をさしているとも言える。つまり当時のイタリアの若者達が、特にコミュニズムへの強い関心を持ちつつ、現状を変えようという思いに繋がる心情である。
「今あるリアリティー」ではなく「別のリアリティー」を見つけ出すこと。そのための第一歩。だから「君」に出て行くことを促している「僕」も、当然ここから立ち去るつもりでいるのだ。
そして新しい「reality」の中では、僕の前には空間が広がっている。今の閉塞感から解放された、可能性の広がる世界が広がっているかもしれないと。とにかく現状から踏み出すことが大事なんだと「僕」は「君」に促している。そういう見方をすれば、これは一種のメッセージ・ソング、あるいはアジテーション・ソングだということもできるだろう。「ほんの少しだけ」でもいい。動くんだ、行動にうつすんだ、現実を帰るために。ということである。
タイトルの「ほんの少しだけ」に結びつけるなら、そうしたやり切れない思いも、今ちょっと自分の気持ちを整理すれば落ち着くものなのかもしれない。「ちょっと放っておいてくれ」「ちょっとどこかに行っていてくれ」と。このような恋愛における複雑な思いが、ここでは描かれているといってもいいのかもしれない。
次に「僕」と「君」の恋愛関係を歌ったものではないとしたら。「ここから出て行くんだ」の「ここ」とは「僕の前」ではなく、もっと一般的な「現状」をさしているとも言える。つまり当時のイタリアの若者達が、特にコミュニズムへの強い関心を持ちつつ、現状を変えようという思いに繋がる心情である。
「今あるリアリティー」ではなく「別のリアリティー」を見つけ出すこと。そのための第一歩。だから「君」に出て行くことを促している「僕」も、当然ここから立ち去るつもりでいるのだ。
そして新しい「reality」の中では、僕の前には空間が広がっている。今の閉塞感から解放された、可能性の広がる世界が広がっているかもしれないと。とにかく現状から踏み出すことが大事なんだと「僕」は「君」に促している。そういう見方をすれば、これは一種のメッセージ・ソング、あるいはアジテーション・ソングだということもできるだろう。「ほんの少しだけ」でもいい。動くんだ、行動にうつすんだ、現実を帰るために。ということである。
どちらの解釈にしても、それはピート・シンフィールドが描いた雄大な人生の縮図とはまた別の、極めてパーソナルな心の機微を描いた、リアリティのある歌詞だと言える。
ピート・シンフィールドの詞がつけられた「Photos of Ghosts」は、アルバムジャケットの素晴らしさと相まって、幻想的で神秘的な作品となった。それはそれで、力強く、非常に完成度の高いものとだったが、PFM的に見ればそれは本来の自分たちの世界とは異なっていて、「Photos of Ghosts」はピート・シンフィールドとのコラボレーション的感覚が強かったのではないか。そんな印象を持ったオリジナルの歌詞であった。
ピート・シンフィールドの詞がつけられた「Photos of Ghosts」は、アルバムジャケットの素晴らしさと相まって、幻想的で神秘的な作品となった。それはそれで、力強く、非常に完成度の高いものとだったが、PFM的に見ればそれは本来の自分たちの世界とは異なっていて、「Photos of Ghosts」はピート・シンフィールドとのコラボレーション的感覚が強かったのではないか。そんな印象を持ったオリジナルの歌詞であった。
事実、次作の「甦る世界(邦題)」は英語盤「The World Became the World」と同時にイタリア語盤「L'Isola di Niente」を出しているし、歌詞を英語に統一した「チョコレート・キングス」では、バイオリン&フルートのマウロ・パガーニのイタリア語詩を、新加入のボーカリストであるベルナルド・ランゼッティらが英訳したものだという(Wikipediaより)。
恐らく自分たちの世界は、必ずしもピート・シンフィールド的世界とは一致していなかったことを、メンバーは最初から感じとっていたのではないだろうか。