2011年10月10日月曜日

「アフターグロー」ジェネシス

原題:Afterglow









残照

ぼくの周りで積もっている埃のように、
ぼくも新しい家を見つけなければならない。
かつてぼくに避難場所を与えてくれた道や穴は、
今ぼくにとってすべて一つとなる。
  
でもぼくは、ぼくはあらゆる場所を探そうと思う
君の呼び声に耳を傾けるために、
そしてこの道よりもさらに見慣れない道を歩いて行こう
かつてはぼくも知っていた世界の中で
君がいない寂しさがつのる

太陽がぼくの枕に反射して、
新しい人生の暖かさをもたらしてくれる以上に。
ぼくの周りにこだまする音を、
ぼくは夜の帳の中でちらりと感じるけれど。
でも今、今ぼくはすべてをなくしてしまったんだ、
ぼくは君にぼくの魂を捧げる。
ぼくがこれまで信じてきたあらゆることがらの意味は
この無の世界の中でぼくから消えていく、何もない、誰もいない世界で。

そしてぼくはあらゆる場所を探そうと思う
君の呼び声に耳を傾けるために、
そしてこの道よりもさらに見慣れない道を歩いて行こう
かつてはぼくも知っていた世界の中で。
今ぼくはすべてをなくしてしまったから、
君にぼくの魂をささげよう。
ぼくがこれまで信じてきたすべてのことがらの意味は
この無の世界の中でぼくから消えていく、
君がいない寂しさがつのる

 
Like the dust that settles all around me,
I must find a new home.
The ways and holes that used to give me shelter,
Are all as one to me now.
  
But I, I would search everywhere
Just to hear your call,
And walk upon stranger roads than this one
In a world I used to know before
I miss you more

Than the sun reflecting off my pillow,
Bring in the warmth of new life.
And the sound that echoes all around me,
I caught a glimpse of in the night.
But now, now I've lost everything,
I give to you my soul.
The meaning of all that I believed before
Escapes me in this world of none, no thing, no one.

And I would search everywhere
Just to hear your call,
And walk upon stranger roads than this one
In a world I used to know before.
For now I've lost everything,
I give to you my soul.
The meaning of all that I believed before
Escapes me in this world of none,
I miss you more.

  
【メモ】
カリスマ的ボーカリストピーター・ガブリエルが脱退し、ドラマーのフィル・コリンズがボーカルを兼任して再スタートしてから2作目にあたる作品「静寂の嵐」(1976年)から、最後を飾る名曲である。

タイトル「Afterglow」とは「after-(後の、のちの)」+「glow(輝き)」ということからもわかるように、「残照、残光、(日没後の)夕焼け」、さらには「(楽しい思い出の)なごり、余情、余韻」といった意味を持つ。

このタイトルに照らしながら、「I(ぼく)」が置かれている状況を見ていくことにする。まず全体のイメージとして、「残照」であるからには当然光は弱まりやがて消え去り、夜の闇に包まれる。つまり「ぼく」は、「始まり」ではなく「終わり」の最後の輝きの中にいるのである。

それが何かの「終わり」であることは、冒頭から「ぼくも新しい家を見つけなければならない」と言っていることからもわかる。しかしその例えが、「ぼくの周りで積もった埃のように」という。埃が静かに積もって落ち着いているように、「ぼく」も落ち着くべき場所を探さねばならないということであろう。すでに「終わり」のイメージにすがすがしさや達成感とは程遠い、空しさや無力感が伺える。

さらに「ぼく」に避難場所を与えてくれた道や穴は/今すべて一つになっている」と続く。「ぼく」が逃げ込んだり身をひそめたりして自分を守ってくれていたものは、かつては「ways(多くの道)」や「holes(多くの穴)」とたくさんあったが、すべては一つになった。つまり自分の避難場所は一カ所になった。それはどこか?

それは「you(君)」であろう。「終わり」とは、「君」との「愛」の終わりということになる。「ぼく」は「君」を失ってその大切さに気づいたのだ。

だから「your call(君の呼び声)」が聴こえないかと、あらゆる場所を探して回ろうと言う。君が呼んでくれるかはわからない。でもぼくはとにかく探そうとしているのである。

第2連冒頭の「But(でも、しかし)」は、理性では「ぼくは新しい家を見つけなければならない」と思っているが、それに反して感情は「君」を求めて追いかけて行こうとしているという対比を示すために使われているのだろう。それは、家を見つけることは「must(義務・必要:しなければならない)」ことであり、君を探すことは「would(願望:したい)だという表現の違いとしても示されている。

そのためには今君を探して歩いている道より、もっと見知らぬ道を歩き回ることになる。「かつてはぼくも知っていた世界の中で」とは、逆に言えば「今はもうぼくの知らない世界で」ということだ。かつて「君」と一緒にいた時には共有していた世界、それが君がいなくなって残された世界は、それまでとは別世界になってしまったということであろうか。
 
君がいなくなったことへの寂しさがつのっていく。残照が次第に消えて行くように、君の存在が、ぼくから次第に遠ざかっていくのである。

「君」と過ごした日々を思い出しながら悲しみに沈み、消えゆく夕日に照らされてじっと動かずにイスに腰掛けている、一人の男の姿が目に浮かぶようである。

第3連、残照は枕を照らし、君のいない新しい人生にも温かみがあることを示してくれるし、夜の帳が降りてからも自分の周りで美しい音がこだまするのを耳にすることもある。しかし文頭が「Than」で始まっている。比較表現の「比較級+than」であると見れば、実はこの文頭部分は前連最後の「I miss you more」に繋がって、「more than」というカタチになっていると考えられる。つまりそうした新しい人生の喜びを感じさせてくれそうなものよりも、「君がいない寂しさ」の方が強いということなのだ。

なぜなら「But now, now I've lost everything.(しかしぼくはもうすべてを失ってしまったんだ)」。「君」を失って、「何もない、誰もいない世界」だけが残り、そこに見いだしていた意味もすべてなくなってしまったから。

つまり「ぼく」にとって「君」が世界のすべてだったのだ。あるいは世界を世界たらしめる中心的な存在であった。だからすべてを失った「ぼく」に残されているのは自らの「soul(魂)」だけ。その最後のものを「君」に捧げるという。静かな語り口ではあるが、熱く悲壮な思いがジワジワと伝わってくる。

第4連はほとんどがそれまでのフレーズの繰り返しになる。しかし「君をどこまでも探す」という思いが主眼となる。ただ「ぼく」は「君の呼び声」を聴こうとしているのだ。まるで「君」がいつか呼んでくれるのを聞き逃すまいとしているかのようである。つまりあくまで受け身なのである。
  
この曲の「残照」をイメージさせる美しさや悲しさは、立ち去った相手を取り戻そうとか、誤解を解こうとか、相手を責めようとかいう積極的・能動的な「ぼく」ではなく、君を探し求めて、例え見つけたとしてもこちらを向いてくれることを待つ「受け身」な「ぼく」だからこそ生まれたものであろう。残照も消えた暗闇の中、どこまでも「ぼく」の魂は「君」を探し求めてさまよい続けるのであろうか。

タメの効いたドラミング、流れ続けるコーラス、そして静かなフェイドアウト。「ぼく」の思いがしみじみと心に残る。キーボードのトニー・バンクスの作品である。

追記:
この曲を「ぼく」が「君」を失い、自分自身の生活を始めなければと思いつつ、君をどこまでも追い求めていきたい気持ちを抑え切れない、“恋の歌”と解釈した。

しかし詩の中では“恋”とか“恋人”という言葉は出てこない。つまり「失ってしまった君」は必ずしも恋人だと限定はできないのだ。

「you」を「君」ではなく「あなた」と訳せば、対象はさらに広がる。例えば亡くなってしまった知人や肉親など、かけがえのない人を思う切なく辛い感情を、残照の中で抑え切れないでいる人物(これも男性とは限らない)が浮かんでくる。

そう考えるとまた、現実にはもう会えるはずもない人だけど、あらゆる場所を探しまわり、その声が聴こえてくるのを待ち続けたいという切々たる思いが胸を打つ。

聴き手に応じて、そういう幅のある解釈が可能な曲であろうと思う。