原題:Emily's Song
■Every Good Boy Deserves Favour(童夢)収録
■Every Good Boy Deserves Favour(童夢)収録
君の微笑みが僕に届けることのできる
温かみを知ることが嬉しくて
僕は君にそれを伝えたいんだけど言葉じゃ君にはわからない
僕に子守唄を一つ歌っておくれ
譜面には書けないような曲の中から
そうしたら僕は耳を澄まそう愛のあるところに美が宿っているのだから
僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う
途切れることなく流れる川が
僕の足下を流れ続けている
そしてあまりにも早く僕は自力で立ち続けなければならなくなった
そこで僕が目を閉じたら
君がその目を僕のために開けてくれたんだ
もう僕らは未来に向って人生を旅しているんだ
僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う
人生が君に与えることができるもの全ての中で
真の愛情だけが君を最後まで助けてくれるだろう
そして君の話す言葉の中で傍らに立っていてくれるだろう
僕の人生の夜明けにおいても
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う
人生の黄昏においても
僕は君の話す言葉の中で物事を理解していこうと思う
僕を君の世界へ連れて行っておくれ
僕は独りじゃ行けないんだ
だって僕はここに長く居過ぎたから
君は僕を置いていってしまうんだね
さあ僕と一緒に歩いておくれ
お伽噺の国へと
そして僕の心の中でその分厚い本を開いておくれ
そして僕の心の中でその長い物語の本を開いておくれ
そして僕の心の中でその分厚い本を開いておくれ
そして僕の心の中でその長い物語の本を開いておくれ
そして僕の心の中でその長い物語の本を開いておくれ
Lovely to know the warmth
Your smile can bring to me
I want to tell you but the words you do not know
Sing me a lullaby
Of songs you cannot write
And I will listen for there's beauty where there's love
And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say...
Rivers of endless tides
Have passed beneath my feet
And all too soon they had me standing on my own
Then when my eyes were closed
You opened them for me
And now we journey through our lives to what will be
And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say
Through all that life can give to you
Only true love will see you through
And will stand beside you now in what you say
And in the morning of my life
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say
Take me into your world
Alone I cannot go
For I've been here so long
You're leaving me behind
Walk with me now
Into your land of fairy tales
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind
And in the evening of my day
I will try to understand in what you say
Take me into your world
Alone I cannot go
For I've been here so long
You're leaving me behind
Walk with me now
Into your land of fairy tales
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind
And open up that book of pages in my mind
And open up that book of ages in my mind
【メモ】
英国のバンドMoody Blues(ムーディー・ブルース)が1971年に発表した傑作アルバム「Every Good Boy Deserves Favour」(良い子にしてれば誰だってご褒美がもらえるものさ:邦題「童夢」)収録の、フォーキーで美しさと温かさに満ちた一曲。
この曲はボーカル&ベース担当のジョン・ロッジ(John Lodge)が、生まれたばかりの娘エミリーのことを歌ったものだということなので、それを念頭に置いて詩の内容を見ていきたいと思う。
歌は「僕」が「君」に独り語りするかたちを取っている。でも「言葉」によるコミュニケーションは成り立っていない。それは歌の背景にあるように「君」がまだ赤ん坊だからである。だから「君」は「微笑み」を「僕」に届けてくれて、それが喜びとなるけれど、その喜びを「言葉」で「君」に伝えようとしてもダメなのだ。
さらに「君」の歌う子守唄も、実際は唄ではない。それはきっと赤ん坊の可愛らしい声だ。だから「譜面には書けない曲」なのだ。だから「僕」は耳を傾ける。愛しているからこそその声に「唄」のような美しさを感じることができるのだ。
「僕」は「人生の夜明け(morning of my life)」から「人生の黄昏(evening of my day)」にかけて、つまり人生の全てを通して「I will try to understand in what you say(君が言っている言葉の中で(物事を)理解していこうと試みようと思う)」と言う。
この部分は微妙な言い回しで、思わず「君の言っていることを理解しようと…」と訳したくなるが、文法的には「what you say(君の言うこと)」は「understand(理解する)」の目的語にはなっていないのだ。
つまりまだしゃべれない「君」が言葉を使わずに「僕」に伝えてくれること、その温かみ(warmth)だったり喜びだったり幸せだったり、そういう言葉にならない思いの大切さを、「僕」は実感しているんじゃないかと思うのだ。そしてそれを大切に、物事を考え判断し生きていこうとしている、そんなふうにこの部分は読めるのである。「君」からのメッセージを読み解こうみたいなことではないのである。
続いて川の比喩が出てくる。止めることのできない水の流れが僕の足下を流れ続け、さらに僕はその流れの勢いに押されて、掴まるものもないまま一人立ち続けなければならなくなっていた。それは人生において、自分の意志とは関係なく日々の生活や社会の激しい流れの中で、今にも倒れそうになりながらかろうじて踏ん張っている自分自身を指しているのだろう。
目を閉じた(my eye were closed)僕は、もうあきらめかけていたのかもしれないし、あるいはただ立ち尽くすことだけに集中して何も見ようとしなくなっていた、つまり自分らしさを失いかけていたのかもしれない。でも「君」がその目を開けてくれたのだ、「僕」のために(または「僕の代わりに)。そして「その場に立ち続ける」という受け身な状態から、「二人の人生をともに旅する」という希望に満ちた前向きな姿勢に「僕」を変えてくれたのである。
その人生において「君」を最後まで助ける(see you through)のは真の愛だけ(only true love)であって、それはやはり言葉にならない「君」の世界に存在している。もちろん「僕」は自分がその真の愛を注ぎ続けると思っているに違いない。
さらにまだ言葉のない世界にいる赤ん坊の「君」に、言葉のある世界にいる「僕」は語りかける。「君の世界へ連れて行っておくれ」と。「僕」はそこに豊かな世界が広がっていることを知る。でも「君」がいるからそれを感じることができるのだ。「君は僕を置いていってしまうんだね」とは、別に非難したり悲しんだりしているわけではなく、その豊かな世界で自由に遊んでいる「君」をうらやんでいる言葉だろう。優しく「君」を見つめる「僕」の姿が目に浮かぶようだ。
「僕」はそれでも語りかける。お伽噺の国(your land of fairy tales)へ連れて行っておくれと。そこには現実世界への幻滅とか夢の世界への逃避とかいったものは微塵もなく、ただただ「僕」は「君」との二人だけの時間を楽しみ慈しんでいるかのようで微笑ましい。
最終連で「that book of pages」と「that book of ages」は押韻した表現となっているところが奇麗だが、両方とも「僕」の心の中で本を開いておくれと言っている。ここは「ページがたくさんある本」と「何世代もの事柄が書かれている本」というような感じに解釈した。両方とも今目の前のことに必死になっている自分の世界とは違った、悠久の時の流れを感じさせてくれるモノだ。
このように「君」はまだ赤ん坊なので何も言わないし何も答えない。でも「僕」はただその様子を見ているだけで、ある意味ギリギリの状態にいた人生を、新たな気持ちで再出発しようとしているのだ。「君」に無条件に注がれる愛情や感謝の気持ち、そして前向きな思い、そして言葉のない「君」の世界への憧れ。それらが一体となって、聴く人を豊かで優しい気持ちにさせてくれる名曲である。
ちなみにこの曲ではボーカルハーモニーや様々な楽器がオーバーダビングされている。ロッジ自身が弾いているチェロやチェレスタ(鉄琴のような音の出る鍵盤楽器)、終始やわらかに静かに流れ続けるメロトロン。一聴するとフォークギター弾き語りによる小品に思えるが、実は凝りに凝ったアレンジがなされているのだ。
そのためこの雰囲気を再現することは不可能として、人気のある曲なのに長い間ライブのセットリストには取り上げられなかった。ライブでの初演は1992年のオーケストラとの競演を待たねばならなかったと言う(Wikipediaより)。
さらに「君」の歌う子守唄も、実際は唄ではない。それはきっと赤ん坊の可愛らしい声だ。だから「譜面には書けない曲」なのだ。だから「僕」は耳を傾ける。愛しているからこそその声に「唄」のような美しさを感じることができるのだ。
「僕」は「人生の夜明け(morning of my life)」から「人生の黄昏(evening of my day)」にかけて、つまり人生の全てを通して「I will try to understand in what you say(君が言っている言葉の中で(物事を)理解していこうと試みようと思う)」と言う。
この部分は微妙な言い回しで、思わず「君の言っていることを理解しようと…」と訳したくなるが、文法的には「what you say(君の言うこと)」は「understand(理解する)」の目的語にはなっていないのだ。
つまりまだしゃべれない「君」が言葉を使わずに「僕」に伝えてくれること、その温かみ(warmth)だったり喜びだったり幸せだったり、そういう言葉にならない思いの大切さを、「僕」は実感しているんじゃないかと思うのだ。そしてそれを大切に、物事を考え判断し生きていこうとしている、そんなふうにこの部分は読めるのである。「君」からのメッセージを読み解こうみたいなことではないのである。
続いて川の比喩が出てくる。止めることのできない水の流れが僕の足下を流れ続け、さらに僕はその流れの勢いに押されて、掴まるものもないまま一人立ち続けなければならなくなっていた。それは人生において、自分の意志とは関係なく日々の生活や社会の激しい流れの中で、今にも倒れそうになりながらかろうじて踏ん張っている自分自身を指しているのだろう。
目を閉じた(my eye were closed)僕は、もうあきらめかけていたのかもしれないし、あるいはただ立ち尽くすことだけに集中して何も見ようとしなくなっていた、つまり自分らしさを失いかけていたのかもしれない。でも「君」がその目を開けてくれたのだ、「僕」のために(または「僕の代わりに)。そして「その場に立ち続ける」という受け身な状態から、「二人の人生をともに旅する」という希望に満ちた前向きな姿勢に「僕」を変えてくれたのである。
その人生において「君」を最後まで助ける(see you through)のは真の愛だけ(only true love)であって、それはやはり言葉にならない「君」の世界に存在している。もちろん「僕」は自分がその真の愛を注ぎ続けると思っているに違いない。
さらにまだ言葉のない世界にいる赤ん坊の「君」に、言葉のある世界にいる「僕」は語りかける。「君の世界へ連れて行っておくれ」と。「僕」はそこに豊かな世界が広がっていることを知る。でも「君」がいるからそれを感じることができるのだ。「君は僕を置いていってしまうんだね」とは、別に非難したり悲しんだりしているわけではなく、その豊かな世界で自由に遊んでいる「君」をうらやんでいる言葉だろう。優しく「君」を見つめる「僕」の姿が目に浮かぶようだ。
「僕」はそれでも語りかける。お伽噺の国(your land of fairy tales)へ連れて行っておくれと。そこには現実世界への幻滅とか夢の世界への逃避とかいったものは微塵もなく、ただただ「僕」は「君」との二人だけの時間を楽しみ慈しんでいるかのようで微笑ましい。
最終連で「that book of pages」と「that book of ages」は押韻した表現となっているところが奇麗だが、両方とも「僕」の心の中で本を開いておくれと言っている。ここは「ページがたくさんある本」と「何世代もの事柄が書かれている本」というような感じに解釈した。両方とも今目の前のことに必死になっている自分の世界とは違った、悠久の時の流れを感じさせてくれるモノだ。
このように「君」はまだ赤ん坊なので何も言わないし何も答えない。でも「僕」はただその様子を見ているだけで、ある意味ギリギリの状態にいた人生を、新たな気持ちで再出発しようとしているのだ。「君」に無条件に注がれる愛情や感謝の気持ち、そして前向きな思い、そして言葉のない「君」の世界への憧れ。それらが一体となって、聴く人を豊かで優しい気持ちにさせてくれる名曲である。
ちなみにこの曲ではボーカルハーモニーや様々な楽器がオーバーダビングされている。ロッジ自身が弾いているチェロやチェレスタ(鉄琴のような音の出る鍵盤楽器)、終始やわらかに静かに流れ続けるメロトロン。一聴するとフォークギター弾き語りによる小品に思えるが、実は凝りに凝ったアレンジがなされているのだ。
そのためこの雰囲気を再現することは不可能として、人気のある曲なのに長い間ライブのセットリストには取り上げられなかった。ライブでの初演は1992年のオーケストラとの競演を待たねばならなかったと言う(Wikipediaより)。