■Foxtrot(1972)収録
v.柳農場
もし君が柳農場まで行ってみたなら、
チョウチョウやジョウジョウやショウショウを見つけにね。
目を見開くんだ、そこは驚きに満ち、そして誰もが嘘つきだ、
まるで追い詰められたキツネのように、
そしてオルゴールのように。
あぁ、母さんと父さんがいる、善と悪もある、
そして誰もがここでは幸せだ。
女装したウインストン・チャーチルがいる、
彼はかつて英国国旗で、ビニール袋だった、まったく女装だなんて。
カエルが王子なら、王子はレンガだった、
そしてレンガはタマゴで、
タマゴは鳥で、
聞いたことなかったかい?
もちろん僕らは魚のように幸せで、ガチョウのように格好良い、
そして朝のうちならびっくりするほど清潔だ。
僕らはすべてを手に入れた、僕らはあらゆるものを育てている、
中に入って来るものもあるし
外に出て行くものもある
近くでうろついている野蛮なものもいる。
みんな、僕らは変わり続けているんだ、
全員の名前だって言えるし、
全員をここに集めらることもできる。
そして本当のスターはまだ現れない
すべてよ変われ!
カラダが溶け出すのを感じるんだ;
母さんは泥にそして狂人にさらに父さんに
父さんはだらだらお仕事、父さんはだらだらお仕事、
あなたたちたちは大バカだ。
父さんはダムにそして罵りにさらに母さんに
母さんはだらだらお洗濯、母さんはだらだらお洗濯。
あなたたちは大バカだ。
あなたたちたちのウソを聴かせてくれ、僕らはめちゃくちゃ忙しく生きているんだ。
ウーウーオー
母さん、僕のところにすぐ来て。
あなたが僕の声を聞いてくれて
隠されたドアを、こぎれいな床を、もっと多くの賞賛を探してくれたから。
あなたはいつだってここにいたんだ、
好むと好まざるとにかかわらず、あたなが得たものを好んでいる、
あなたは地面の下深くにいる、
そう地面の下深くに。
笛の音と銃声を合図に終りにしよう
僕らは皆今の持ち場に適任なのだ。
vi 9/8拍子の黙示録(共演はユーモアの才能豊かなガブル・ラチェット)
メーゴグの番人たちが、群れ無してうろつく中、
ハーメルンの笛吹きは子どもたちを地下へと連れ去る。
ドラゴンが海から出現し、
そのきらめく銀色の英知の頭が僕を見据える。
彼は天上から火をもたらす、
人間の目からすれば彼はうまくやっていると言えるだろう。
でも妥協しない方が良い。
簡単なことではないだろうけれど。
悪魔の印666はもはや一人ではない、
それは君の背骨にある骨髄を抜き出すのだ、
そして7本のトランペットが甘美なロックンロールを奏で、
それは君の心の内側で鳴り響こうとしている。
鏡を持ったピタゴラスはそこに満月を映し、
受け継いだ資質で真新しい曲の歌詞を書き綴っている。
… やぁ君、その顔にある守護の瞳はとても青ざめているね、
ねぇ君、君は僕らの愛が真実であることを知らないんだね、
僕はここからとても遠い場所に行っていたんだ、
君の愛情あふれる腕の中から遠い場所に、
さあ僕は戻って来た、だから君ものごとはきっと上手くいく。
vii タマゴがタマゴであるくらいに確かなこと(男達のズキズキ痛む足)
君は僕らの魂が燃え上がるのを感じられないのかい
めくるめく色を発しながら、消え行く夜の暗闇の中で、
海に合流する川のように、タネから芽が育つように
僕らはついに解放され家に帰ることができたんだ。
陽の光の中に天使が立っている、彼は大声で叫んでいる、
「これが大いなるお方の晩餐です。」
君主の中の君主、
王の中の王が
子どもたちを家へと導くために帰ってきたのだ、
かれらを新しいエルサレムへと連れて行くために。
v.Willow farm
If you go down to Willow Farm,
to look for butterflies, flutterbyes, gutterflies.
Open your eyes, it's full of surprise, everyone lies,
like the fox on the rocks,
and the musical box.
Oh, there's Mum and Dad, and good and bad,
and everyone's happy to be here.
There's Winston Churchill dressed in drag,
he used to be a British flag, plastic bag, what a drag.
The frog was a prince, the prince was a brick,
the brick was an egg,
and the egg was a bird,
Hadn't you heard?
Yes we're happy as fish, and gorgeous as geese,
and wonderfully clean in the morning.
We've got everything, we're growing everything,
We've got some in,
We've got some out,
We've got some wild things floating about.
Everyone, we're changing everyone,
You name them all,
We've had them here,
And the real stars are still to appear.
ALL CHANGE!
Feel your body melt;
Mum to mud to mad to dad
Dad diddley office, Dad diddley office,
You're all full of ball.
Dad to dam to dum to mum
Mum diddley washing, Mum diddley washing.
You're all full of ball.
Let me hear your lies, we're living this up to the eyes.
Ooee-ooee-ooee-oowaa
Momma I want you now.
And as you listen to my voice
To look for hidden doors, tidy floors, more applause.
You've been here all the time,
like it or not, like what you got,
You're under the soil,
yes deep in the soil.
So we'll end with a whistle and end with a bang
and all of us fit in our places.
vi.Apocalypse in 9/8 (Co-starring the delicious talents of Gabble Ratchet)
With the guards of Magog, swarming around,
the Pied Piper takes his children underground.
Dragon's coming out of the sea,
shimmering silver head of wisdom looking at me.
He brings down the fire from the skies,
You can tell he's doing well by the look in human eyes.
Better not compromise.
It won't be easy.
666 is no longer alone,
He's getting out the marrow in your back bone,
And the seven trumpets blowing sweet rock and roll,
Gonna blow right down inside your soul.
Pythagoras with the looking-glass, reflect the full moon,
In blood, he's writing the lyrics of a brand new tune.
And its hey babe, with your guardian eyes so blue,
hey my baby, don't you know our love is true,
I've been so far from here,
far from your loving arms,
now I'm back again, and baby it's going to work out fine.
vii.As sure as eggs is eggs (Aching men's feet)
Can't you feel our souls ignite
Shedding ever-changing colours, in the darkness of the fading night.
Like the river joins the ocean, as the germ in a seed grows
We have finally been freed to get back home.
There's an angel standing in the sun, and he's crying with a loud voice,
"This is the supper of the mighty one".
Lord of Lord's,
king of Kings,
has returned to lead his children home,
to take them to the new Jerusalem.
v Willow Farm
「Climbing
out of the pool, they are once again in a different existence. They're
right in the middle of a myriad of bright colours, filled with all
manner of objects, plants, animals and humans. Life flows freely and
everything is mindlessly busy. At random, a whistle blows and every
single thing is instantly changed into another.」
「水たまりをよじ上って脱出すると、彼らは再び別の存在の中に入り込んでいる。彼らは無数の鮮やかな色彩の真ん中にいる。命は自由に動き回り全ては無遠慮なほど活動的だ。行き当たりばったりに笛の音が響き、一つ一つの物が全て即座に別の物へと変化していく。」
v のラストで「A flower?(花、だって?)」と唐突に何かのイメージに襲われたかのようだった「僕」は、このv では躁転したかのように妄想の連鎖に捕われる。連鎖をつなぐのは言葉遊びだ。Peterは様々な声音を使い分けて歌い、音楽はさながらボードヴィルのような下世話さを見せる。まるで空騒ぎのようだ。
「花(flower)」からの連想で「蝶(butterflies)」が出てきたのではないかと思うのだが、その「butterflies」はすかさず「flutterbyes、gutterflies」と意味のない言葉に変換されていく。メタセシス(metathesis:音位転換)的言葉遊びである。続く行も「surprise」「lies、「fox」「rocks」「box」、「Dad」と「good」と韻を踏んでいる。と言うか、韻を踏ませるために脈絡もなく単語を並べたかのようである。
Winston Churchillは第二次世界大戦当時のイギリスの首相だが、「女装していた(dressed in drag)」という奇抜なイメージと、単に「drag」「flag」「bag」という言葉遊びに引きづり出された感が強い。「drag」から「frog」「egg」と韻が踏まれ、さらに「bird」「heard」と畳み掛るように 繋がっていく。「僕」の意識から理性は失われ世界は音だけを頼りにぐるぐると回っているかのようだ。
さらに「We've got...」という表現が何回も続いて「変わる(change)」「全ての〜(every- 」という単語が繰り返される。意識は一種の万能感へと高まって行く。しかしまだ完全ではない。「本当のスターはまだ現れない(real stars are still to appear)」。
そして「ALL CHANGE!」で一旦ブレイク。これは笛の音ととも鉄道で使われる表現で「全員降りて下さい!」というもの。この「降りる=終る」という一言で「変わる(change)」 という言葉の意味をひっくり返しているのだ。
そしてまるでギアチェンジしたかのように、音楽のテンポが上がり、混乱と混沌とが加速する。「からだが溶けるのを感じるんだ(Feel your body melt)」は、「僕ら」の状況を「君」に伝えているのだと思われるが、結局「僕」の状況を言っているのであろう。「Mum」「mud」「mad」と単語も溶けるように変化していく。「diddley」という単語は見当たらないのだが、「didle(時間を浪費する/ブラブラする)」」という言葉を連想させる。「didle」には別に「だます、ペテンにかける」という意味もある。「full of ball」という表現は見当たらなかったが、「ball」には「nonsense(無意味)」という意味があるようなので、「大バカだ」と訳した。
ここでは音を面白がりながら、すでに文法的な構造を無視して単語だけを並べた、まるで幼児言葉のような雰囲気が感じられる。理性は溶け出しているかのようだ。「Mum」と「Dad」を卑下しているかのようでいて、「母さん、僕のところへすぐに来て。(Momma I want you now.)」 といきなり叫ぶのも、まるで幼児のようである。そこからは意識は退行し感覚だけが強まっている状況が感じ取れる。
リズムは再び最初に戻って、「僕」の叫びに自問自答するように「And as you listen to my voice」と続くので、この部分の「you」は恋人ではなく「Momma」だと解釈し訳した。「ここに来て!」と言いながら、実は「あなた」はいつも自分のためを思って自分のそばにいてくれた。 それも目に見えない「地中に(under the soil)」。ここでも「doors」「floors」、「not」「got」と韻を踏んでいる。
そして「whistle(笛の音)」と「bang(バーンという音:ここでは銃声が響いているので「銃声」とした)」で一旦「僕」の興奮は落ち着きを取り戻す。まるで休憩の合図のようである。音が進行上大きな役割を果たしているのも、非常に感覚的な状態を示している感じがする。
このv では、「僕」の感情は乱れ言葉は遊びを繰り返し、退行するかのような様相を呈する。ある意味ドラッグ的である。このままだと混乱とナンセンスの世界なのだが、終盤viとviiで、それは大きく意味合いを変えていくことになるのだ。
ちなみにWillow Farmという名前の場所がロンドン郊外にある。かつては言葉通りの農場だったのが、今はちょっとした遊園地のような場所になっているようだ。
「水たまりをよじ上って脱出すると、彼らは再び別の存在の中に入り込んでいる。彼らは無数の鮮やかな色彩の真ん中にいる。命は自由に動き回り全ては無遠慮なほど活動的だ。行き当たりばったりに笛の音が響き、一つ一つの物が全て即座に別の物へと変化していく。」
v のラストで「A flower?(花、だって?)」と唐突に何かのイメージに襲われたかのようだった「僕」は、このv では躁転したかのように妄想の連鎖に捕われる。連鎖をつなぐのは言葉遊びだ。Peterは様々な声音を使い分けて歌い、音楽はさながらボードヴィルのような下世話さを見せる。まるで空騒ぎのようだ。
「花(flower)」からの連想で「蝶(butterflies)」が出てきたのではないかと思うのだが、その「butterflies」はすかさず「flutterbyes、gutterflies」と意味のない言葉に変換されていく。メタセシス(metathesis:音位転換)的言葉遊びである。続く行も「surprise」「lies、「fox」「rocks」「box」、「Dad」と「good」と韻を踏んでいる。と言うか、韻を踏ませるために脈絡もなく単語を並べたかのようである。
Winston Churchillは第二次世界大戦当時のイギリスの首相だが、「女装していた(dressed in drag)」という奇抜なイメージと、単に「drag」「flag」「bag」という言葉遊びに引きづり出された感が強い。「drag」から「frog」「egg」と韻が踏まれ、さらに「bird」「heard」と畳み掛るように 繋がっていく。「僕」の意識から理性は失われ世界は音だけを頼りにぐるぐると回っているかのようだ。
さらに「We've got...」という表現が何回も続いて「変わる(change)」「全ての〜(every- 」という単語が繰り返される。意識は一種の万能感へと高まって行く。しかしまだ完全ではない。「本当のスターはまだ現れない(real stars are still to appear)」。
そして「ALL CHANGE!」で一旦ブレイク。これは笛の音ととも鉄道で使われる表現で「全員降りて下さい!」というもの。この「降りる=終る」という一言で「変わる(change)」 という言葉の意味をひっくり返しているのだ。
そしてまるでギアチェンジしたかのように、音楽のテンポが上がり、混乱と混沌とが加速する。「からだが溶けるのを感じるんだ(Feel your body melt)」は、「僕ら」の状況を「君」に伝えているのだと思われるが、結局「僕」の状況を言っているのであろう。「Mum」「mud」「mad」と単語も溶けるように変化していく。「diddley」という単語は見当たらないのだが、「didle(時間を浪費する/ブラブラする)」」という言葉を連想させる。「didle」には別に「だます、ペテンにかける」という意味もある。「full of ball」という表現は見当たらなかったが、「ball」には「nonsense(無意味)」という意味があるようなので、「大バカだ」と訳した。
ここでは音を面白がりながら、すでに文法的な構造を無視して単語だけを並べた、まるで幼児言葉のような雰囲気が感じられる。理性は溶け出しているかのようだ。「Mum」と「Dad」を卑下しているかのようでいて、「母さん、僕のところへすぐに来て。(Momma I want you now.)」 といきなり叫ぶのも、まるで幼児のようである。そこからは意識は退行し感覚だけが強まっている状況が感じ取れる。
リズムは再び最初に戻って、「僕」の叫びに自問自答するように「And as you listen to my voice」と続くので、この部分の「you」は恋人ではなく「Momma」だと解釈し訳した。「ここに来て!」と言いながら、実は「あなた」はいつも自分のためを思って自分のそばにいてくれた。 それも目に見えない「地中に(under the soil)」。ここでも「doors」「floors」、「not」「got」と韻を踏んでいる。
そして「whistle(笛の音)」と「bang(バーンという音:ここでは銃声が響いているので「銃声」とした)」で一旦「僕」の興奮は落ち着きを取り戻す。まるで休憩の合図のようである。音が進行上大きな役割を果たしているのも、非常に感覚的な状態を示している感じがする。
このv では、「僕」の感情は乱れ言葉は遊びを繰り返し、退行するかのような様相を呈する。ある意味ドラッグ的である。このままだと混乱とナンセンスの世界なのだが、終盤viとviiで、それは大きく意味合いを変えていくことになるのだ。
ちなみにWillow Farmという名前の場所がロンドン郊外にある。かつては言葉通りの農場だったのが、今はちょっとした遊園地のような場所になっているようだ。
vi Apocalypse in 9/8
「At
one whistle the loves become seeds in the soil, where they recognise
other seeds to be people from the world in which they had originated.
While they wait for Spring, they are returned to their old world to see
Apocalypse of St John in full progress. The seven trumpeteers cause a
sensation, the fox keeps throwing sixes, and Pythagoras (a Greek extra)
is deliriously happy as he manages to put exactly the right amount of
milk and honey on his corn flakes.」
「一つの笛の音をきっかけに恋人たちは土の中の種子になるり、そこで彼らは別の種子がそれらが生まれた世界から来た人間であることに気づく。春が来るのを待っている間に、彼らは彼らがかつていた旧世界に引き戻され、ヨハネの黙示録が完全に進行中であることを目にする。7人のトランペット奏者は世間を騒がせ、キツネは666を投げつける、そしてピタゴラス(ギリシャ人のエキストラ)は、コーンフレークにまさにぴったりの量のミルクと蜂蜜を注げたことで幸せの狂乱状態にある。」
まずサウンドの話から。インストパートとしては最高の盛り上がりを見せるのがこのvi だ。開始早々にドラムスとベースがタイトル通りの9/8を刻み出す。これを「なんだ、結局3拍子じでしょ?」と侮るなかれ。鉄壁のリズム隊はアクセントをずらし4/8+2/8+3/8に聴かせるのだ。さらに、この変拍子9/8拍のリズムに乗ってキーボードは8/8(4/8+4/8)でアルペジオを弾くのである。
つまり9拍と4拍で36拍目ごとに9/8の頭でリズムのアクセントが揃うという仕組みなのだ。しかもその間に2/8と3/8部分で一回ずつアクセントが一致する。バラバラなようでいて時々リズムが揃うという怪しいアンサンブルが出来上がっているのである。 そして緊張感がじわじわと高まり、「666」とボーカルが入る場所で頂点に達し、リズムは4/8+2/8+3/8に統一され荘厳な雰囲気に包まれる。
この次第に高まっていく音をバックに歌われるのは、タイトルに「Apocalypse(黙示録)」とあるよに、ドラマチックで宗教的崇高さに満ちたイメージである。ちなみに「黙示録」とは新約聖書にある「ヨハネの黙示録(Apocalypse of St John)」のこと。この世の終りと最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利などが書かれているというもの。
「マゴグ(Magog)」とは旧約聖書に出てくる神に逆らう巨人の悪魔のこと。そして「Pied Piper」は「Pied Piper of Hamelin(ハーメルンの笛吹き)」のことで、笛の力でネズミを駆除した笛吹き男が、街から報酬を得られなかった腹いせに街の子どもたちを笛の力で集め連れ去ってしまったという民間伝承の主人公。一説では悪魔と考えられてもいる人物。どちらも反キリスト的存在である。
そして海中から現れる「ドラゴン(dragon)」も強大な力でキリスト教に対抗するものとしてローマ帝国やローマ皇帝を表したという。天から火を盗んだのはギリシャ神話に於けるプロメテウス(Prometeus)。キリスト教ではないが彼もまた神への反逆者だ。両者はここでは同一視される。
そしてこの反キリスト教集団をして「彼(dragon)はうまくやっていると言えるだろう」と評価しながら、「(君は)妥協しない方が良い(Better not compromise)」とアドバイスする。つまり「僕」はキリスト教的立場に立っているということだ。ではアドバイスされている「君」とは?「僕たち」と言っていた時の恋人である「君」かもしれないし、自分自身かもしれない。
「666」は「黙示録」にある「獣の数字」に由来する「悪魔の印」。 ここでは擬人化され、「背骨から骨髄を抜き出す」野蛮で危険な存在であり、それも一人ではなくなっているのだ。さらに「7本のトランペット」は「黙示録」にある7人の天使が吹くトランペットのこと。一本ずつ吹き鳴らされるたびに厄災が生じる。奏でられるのは「sweet rock and roll」。自虐的というよりは、当時今までにない音楽を創ろうとしていた彼らが、自分たちの音楽と区別して、rock'n'rollをこの世の終りを知らせる音として扱ったのかもしれない。
ピタゴラス(Pythagoras)も弦楽器の弦の長さと振動数の比率を利用して考案したピタゴラス音律など、そのあまりに数に捕われ過ぎた姿勢が批判されているだろうか。ロマンチックな題材としてよく使われる月も、彼は月そのものを見ずにわざわざ鏡に映った姿を見ながら、嬉々として歌詞を書いているのである。
こうして9/8拍子に乗せて歌われるのは、反キリスト教的様相でありそれはこの世にはびこっているけれども「僕」には受け入れられないことなのだ。この「僕」の意識のv からの変貌ぶりはどうしたのであろう?
それは「僕」の至高体験が万能感・全能感へと高まり、あらためてそんな自分を意味付けした結果なのではないかと思うのだ。その体験をパブリック・スクール出身というエリートであったPeter Gabrielが、当時の知識・教養の中で説明する言葉として選んだのが、この宗教的崇高さなのではないかと思う。
Gillがトランス状態になって獣のような声を出し始めた時、彼は「普段は何の意味も持っていなかった十字架」をロウソクで作った。つまり宗教、キリスト教は彼の中で大きな思想ではなかったはずだ。彼はその宗教を自分の思想として取り入れ、その宗教的善と悪やキリスト教による魂の救済の物語を語ろうとしたのではない。それはここにいたる歌詞を見てきても分かると思う。それはまとまった思想でも暗喩に満ちた物語でもない。感覚の変容を描写した記録のようなものであった。
恐らく精神的な高みに達した「僕」は、そこに「神」に近づいた自分を感じてしまったのだ。現世の混乱を反キリスト教的に見下ろす自分を。
そして「Lovers' Leap」のリフレインがドラマチックに始まる。しかしここでは最初に見られたような不穏な雰囲気も恋人への不安も感じられず、高みから手を差し伸べるような温かみと感情の高まりがある。それまでのナンセンスでユーモラスで感覚優位な体験が、まるで今の高みへと至るための試練だったかのように。音楽的にも感動的に盛り上がるパートだ。
この悦楽の境地のような雰囲気は最終パートviiに引き継がれる。
「一つの笛の音をきっかけに恋人たちは土の中の種子になるり、そこで彼らは別の種子がそれらが生まれた世界から来た人間であることに気づく。春が来るのを待っている間に、彼らは彼らがかつていた旧世界に引き戻され、ヨハネの黙示録が完全に進行中であることを目にする。7人のトランペット奏者は世間を騒がせ、キツネは666を投げつける、そしてピタゴラス(ギリシャ人のエキストラ)は、コーンフレークにまさにぴったりの量のミルクと蜂蜜を注げたことで幸せの狂乱状態にある。」
まずサウンドの話から。インストパートとしては最高の盛り上がりを見せるのがこのvi だ。開始早々にドラムスとベースがタイトル通りの9/8を刻み出す。これを「なんだ、結局3拍子じでしょ?」と侮るなかれ。鉄壁のリズム隊はアクセントをずらし4/8+2/8+3/8に聴かせるのだ。さらに、この変拍子9/8拍のリズムに乗ってキーボードは8/8(4/8+4/8)でアルペジオを弾くのである。
つまり9拍と4拍で36拍目ごとに9/8の頭でリズムのアクセントが揃うという仕組みなのだ。しかもその間に2/8と3/8部分で一回ずつアクセントが一致する。バラバラなようでいて時々リズムが揃うという怪しいアンサンブルが出来上がっているのである。 そして緊張感がじわじわと高まり、「666」とボーカルが入る場所で頂点に達し、リズムは4/8+2/8+3/8に統一され荘厳な雰囲気に包まれる。
この次第に高まっていく音をバックに歌われるのは、タイトルに「Apocalypse(黙示録)」とあるよに、ドラマチックで宗教的崇高さに満ちたイメージである。ちなみに「黙示録」とは新約聖書にある「ヨハネの黙示録(Apocalypse of St John)」のこと。この世の終りと最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利などが書かれているというもの。
「マゴグ(Magog)」とは旧約聖書に出てくる神に逆らう巨人の悪魔のこと。そして「Pied Piper」は「Pied Piper of Hamelin(ハーメルンの笛吹き)」のことで、笛の力でネズミを駆除した笛吹き男が、街から報酬を得られなかった腹いせに街の子どもたちを笛の力で集め連れ去ってしまったという民間伝承の主人公。一説では悪魔と考えられてもいる人物。どちらも反キリスト的存在である。
そして海中から現れる「ドラゴン(dragon)」も強大な力でキリスト教に対抗するものとしてローマ帝国やローマ皇帝を表したという。天から火を盗んだのはギリシャ神話に於けるプロメテウス(Prometeus)。キリスト教ではないが彼もまた神への反逆者だ。両者はここでは同一視される。
そしてこの反キリスト教集団をして「彼(dragon)はうまくやっていると言えるだろう」と評価しながら、「(君は)妥協しない方が良い(Better not compromise)」とアドバイスする。つまり「僕」はキリスト教的立場に立っているということだ。ではアドバイスされている「君」とは?「僕たち」と言っていた時の恋人である「君」かもしれないし、自分自身かもしれない。
「666」は「黙示録」にある「獣の数字」に由来する「悪魔の印」。 ここでは擬人化され、「背骨から骨髄を抜き出す」野蛮で危険な存在であり、それも一人ではなくなっているのだ。さらに「7本のトランペット」は「黙示録」にある7人の天使が吹くトランペットのこと。一本ずつ吹き鳴らされるたびに厄災が生じる。奏でられるのは「sweet rock and roll」。自虐的というよりは、当時今までにない音楽を創ろうとしていた彼らが、自分たちの音楽と区別して、rock'n'rollをこの世の終りを知らせる音として扱ったのかもしれない。
ピタゴラス(Pythagoras)も弦楽器の弦の長さと振動数の比率を利用して考案したピタゴラス音律など、そのあまりに数に捕われ過ぎた姿勢が批判されているだろうか。ロマンチックな題材としてよく使われる月も、彼は月そのものを見ずにわざわざ鏡に映った姿を見ながら、嬉々として歌詞を書いているのである。
こうして9/8拍子に乗せて歌われるのは、反キリスト教的様相でありそれはこの世にはびこっているけれども「僕」には受け入れられないことなのだ。この「僕」の意識のv からの変貌ぶりはどうしたのであろう?
それは「僕」の至高体験が万能感・全能感へと高まり、あらためてそんな自分を意味付けした結果なのではないかと思うのだ。その体験をパブリック・スクール出身というエリートであったPeter Gabrielが、当時の知識・教養の中で説明する言葉として選んだのが、この宗教的崇高さなのではないかと思う。
Gillがトランス状態になって獣のような声を出し始めた時、彼は「普段は何の意味も持っていなかった十字架」をロウソクで作った。つまり宗教、キリスト教は彼の中で大きな思想ではなかったはずだ。彼はその宗教を自分の思想として取り入れ、その宗教的善と悪やキリスト教による魂の救済の物語を語ろうとしたのではない。それはここにいたる歌詞を見てきても分かると思う。それはまとまった思想でも暗喩に満ちた物語でもない。感覚の変容を描写した記録のようなものであった。
恐らく精神的な高みに達した「僕」は、そこに「神」に近づいた自分を感じてしまったのだ。現世の混乱を反キリスト教的に見下ろす自分を。
そして「Lovers' Leap」のリフレインがドラマチックに始まる。しかしここでは最初に見られたような不穏な雰囲気も恋人への不安も感じられず、高みから手を差し伸べるような温かみと感情の高まりがある。それまでのナンセンスでユーモラスで感覚優位な体験が、まるで今の高みへと至るための試練だったかのように。音楽的にも感動的に盛り上がるパートだ。
この悦楽の境地のような雰囲気は最終パートviiに引き継がれる。
vii As Sure As Eggs Is Eggs
「Above all else an egg is an egg. 'And did those feet ......' making ends meet. Jerusalem = place of peace.」
「 何にも増してタマゴはタマゴである。’そして彼らの足は…' 生活の収支を合わせる。エルサレム、そここそが平和な場所である。」
まさに大団円とでもいう感じで、ii のメロディーが再び現れる。ここでのボーカルはまさにPeterが「命がけで歌った」と言ったとされるだけの迫力に満ちている。バックの演奏も、タメをたっぷり取ったドラムスに鳴り続くメロトロンと甘いトーンのギターが、永遠の神の国の到来を描いているかのようだ。
語られる内容も、魂の解放と家=故郷=エルサレム=平和への帰還が語られる。そして「君主の中の君主/王の中の王」つまりキリストの再臨を思わせる場面が語られる。最後の言葉は「エルサレム(Jerusalem)」である。「僕」の個人的体験はその強烈な恍惚感を以て崇高なる宗教体験へと転換されたのだ。こうしてこの大曲は幕を閉じるのである。
恋人にちょっとした変化を感じ世界が変容し始める場面に始まり、妄想・幻想に遊ぶようなイメージの羅列を経て、一見混沌から秩序へ、俗から聖へ至る宗教的覚醒の物語が語られたかのように見えてしまうが、実はそのための内省も葛藤も試練も苦悩も、そして成長も、「僕」には無いのだ。ただ周りの世界と自分の意識が変容し、カタルシスへと登り詰めるだけである。
しかし最後になってそれが宗教的覚醒に転換がなされる瞬間の強引さが、ボーカルとバンドが織り成す緻密な演奏により、感動的なシーンとなったのである。しかしそれは恐らく「僕」あるいはPeterが感じた“「宗教的覚醒」的悦楽”を語ったということなんじゃないかと思うのだ。伝えたいものがあったとすれば、それはキリスト教的価値観でも、多元的なものごとへの視点でもなく、単に自分が遭遇した至高体験の全貌であろう。
しかしそこに物語を見てしまう人は恐らく多い。中には「テレビを消す」というのは「テレビ宣教師」のいい加減な教えを拒否することであり、「君の隣りに座る」というのは「キリストが描かれた絵の隣りに座る」ことであると解釈している人もいたくらいだ。
PeterはGillの家での不思議な出来事の際に、酒も薬もやっていなかったと述べているようだが、それはさておきこの曲に見られる意識の変容と宗教体験は、やはり当時のフラワームーヴメントに大きな影響を与えていたLSDによる症状が大きく影を落としていると見て間違いないと思う。
そして逆にその混沌ぶりが、宗教やキリスト教に関心がない者を含めた多くの人々を惹き付けるのではないだろうか。 Peterやバンドサイドはそのあたりは自覚的で、各パートのタイトルや、パンフ解説や、インタビュー内容や、ライヴのイントロその他もろもろの付加的情報を、意味ありげな言葉やイメージで飾り立てて、摩訶不思議な世界を広げていったように思う。
以上、長々とまとまりの悪い文章におつき合いいただき、有り難うございました。
「 何にも増してタマゴはタマゴである。’そして彼らの足は…' 生活の収支を合わせる。エルサレム、そここそが平和な場所である。」
まさに大団円とでもいう感じで、ii のメロディーが再び現れる。ここでのボーカルはまさにPeterが「命がけで歌った」と言ったとされるだけの迫力に満ちている。バックの演奏も、タメをたっぷり取ったドラムスに鳴り続くメロトロンと甘いトーンのギターが、永遠の神の国の到来を描いているかのようだ。
語られる内容も、魂の解放と家=故郷=エルサレム=平和への帰還が語られる。そして「君主の中の君主/王の中の王」つまりキリストの再臨を思わせる場面が語られる。最後の言葉は「エルサレム(Jerusalem)」である。「僕」の個人的体験はその強烈な恍惚感を以て崇高なる宗教体験へと転換されたのだ。こうしてこの大曲は幕を閉じるのである。
恋人にちょっとした変化を感じ世界が変容し始める場面に始まり、妄想・幻想に遊ぶようなイメージの羅列を経て、一見混沌から秩序へ、俗から聖へ至る宗教的覚醒の物語が語られたかのように見えてしまうが、実はそのための内省も葛藤も試練も苦悩も、そして成長も、「僕」には無いのだ。ただ周りの世界と自分の意識が変容し、カタルシスへと登り詰めるだけである。
しかし最後になってそれが宗教的覚醒に転換がなされる瞬間の強引さが、ボーカルとバンドが織り成す緻密な演奏により、感動的なシーンとなったのである。しかしそれは恐らく「僕」あるいはPeterが感じた“「宗教的覚醒」的悦楽”を語ったということなんじゃないかと思うのだ。伝えたいものがあったとすれば、それはキリスト教的価値観でも、多元的なものごとへの視点でもなく、単に自分が遭遇した至高体験の全貌であろう。
しかしそこに物語を見てしまう人は恐らく多い。中には「テレビを消す」というのは「テレビ宣教師」のいい加減な教えを拒否することであり、「君の隣りに座る」というのは「キリストが描かれた絵の隣りに座る」ことであると解釈している人もいたくらいだ。
PeterはGillの家での不思議な出来事の際に、酒も薬もやっていなかったと述べているようだが、それはさておきこの曲に見られる意識の変容と宗教体験は、やはり当時のフラワームーヴメントに大きな影響を与えていたLSDによる症状が大きく影を落としていると見て間違いないと思う。
そして逆にその混沌ぶりが、宗教やキリスト教に関心がない者を含めた多くの人々を惹き付けるのではないだろうか。 Peterやバンドサイドはそのあたりは自覚的で、各パートのタイトルや、パンフ解説や、インタビュー内容や、ライヴのイントロその他もろもろの付加的情報を、意味ありげな言葉やイメージで飾り立てて、摩訶不思議な世界を広げていったように思う。
以上、長々とまとまりの悪い文章におつき合いいただき、有り難うございました。