「十字架を背負うこともなく」
静かにしてくれ!
これまで数々の過ちを犯してきた
いつも命令的な物言いをしていた
そして面白いと言われるものは全て退屈だった
結局僕はあなたのところへと帰ることになったのだ
制服には拒否反応を示した
僕にふさわしいなどとは決して思えなかった
それらは戦時中のドイツを思い出させた
そんなものが僕らに必要なのかは神のみぞ知るだ
誘惑には際限などなく
僕のモラルが低くなることなど知ったことではない
問題なのはいつだって
その場所が君のものかあるいは僕のものかということだけだった
目の前の十字架を背負うでもなく
崇拝する人もなく若かりし時の栄光として
語れるような話もなく
ただ空虚…何もない空っぽの空間だけ
自己を評価する基準すらなく行くべき場所もない
でも一つだけ僕が無視してきたことがある
だからこそその光は輝き続けていたのだった
これまで数々の過ちを犯してきた
いつも命令的な物言いをしていた
でも一つだけ無視できないことがある
不良少年だって全てを打ち明けることがあるんだよ
コントロールできない感情が
僕の心と魂を照らし出す
僕は一条の光を目にした、ゴールをものにしたんだ
心の平穏さにどんな価値があるというのか?
Stop!
been wrong so many times before
was always laying down the law
And all attractions were a bore
they led me back to you
Uniforms were an allergy
they never felt quite right to me
they conjured wartime Germany
and God knows we need that
Temptation boundaries will never know
the time when my morale was low
the circumstances always show
the place was yours or mine
Carrying no cross before me
with no prize to idolize no story
to tell of adolescent glory
And all attractions were a bore
they led me back to you
Uniforms were an allergy
they never felt quite right to me
they conjured wartime Germany
and God knows we need that
Temptation boundaries will never know
the time when my morale was low
the circumstances always show
the place was yours or mine
Carrying no cross before me
with no prize to idolize no story
to tell of adolescent glory
Just void...empty spaces nothing to show
no point of reference or place to go
but one thing I'd ignored and so
the light came shining through.
I've been wrong so many times before
was always laying down the law
one thing you cannot ignore
bad boys can come clean
Emotions I could not control
Illuminate my heart and soul
I saw a light, I scored a goal
and what price peace of mind?
【メモ】
2011年春に、ジョン・ウェットンとエディー・ジョブソンによる劇的復活と、1979年以来の来日公演を果たしたU.K.。この曲はその2ndアルバムのラストを飾る大曲である。スタジオアルバムは2枚しか作られなかったから、実質当時のU.K.のラストソングだと言ってもよいかもしれない。
この曲は12分に渡りボーカルとインストが見事に融合した、パワフルでプログレッシヴな展開が大きな魅力であるが、ではそこで歌われている内容とはどのようなものなのかは、あまり語られていない。
これを「bad boys(不良少年)」が過去の過ちを反省し、その結果の空虚さを嘆き、しかし新たな光を得るという、一種の改心の物語であるとする解釈が見受けられる。確かに過去の自分を今の目で「不良少年」だと見ているのは確かである。
しかし「制服」を嫌がったり、誘惑にモラルが守れなくなったり、縄張り争い・所有権争いばかりしているなどということは、若者にはありがちなことである。そうしたことを反省し、真っ当な人間として生まれ変わろうという歌には、どうも思えないのだ。
そうではなく、そうした無軌道で何も残らない生き方をしていた「僕」が、初めて「光」を得たという、喜びの歌なのではないか。そこで、わかりづらい歌詞なのでどう補って解釈するかという部分が大きいのだが、ここでは敢えてこの曲を「ラブソング」だと解釈してみたい。
では相手は誰なのか?タイトルに「十字架(cross)を背負う」という言葉があったりするので、「神(God)」であるとしたいところであるが、わたしはラストの一行「and what price peace of mind?」にこだわりたい。
これは「what price ...?」で「〜にどんな価値があるというのか?(価値などない)」という反語表現である。つまりそのまま考えれば、「僕(I)」は、心の平穏・平和を得たわけではないということになる。逆にそんなことに価値があるのか?と疑問を呈している、あるいは否定していると考えられる。
なぜか。
それはその最終連にある「コントロールできない感情が/僕の心と魂を照らし出す(光を当てる)」からであり、そうした感情的な高まりを「僕」は受け入れるだけでなく「ゴールをものにした/得点した(I scored a goal)」と高く評価しているからだ。心の平安ではなく、このような興奮状態は人間への愛ではないか。神への愛だとするには情熱的に思えるし、この曲があまりに宗教的過ぎてしまう気がするのである。
そこでわたしはこれを恋愛の詩だとしたい。従って第1連で出てくる「あなた(you)」は、恋人であると取る。「They led me back to you」とはつまり、昔からそばにいた女性に、結局今になってやっと気づいた状態を言っているのではないだろうか。
不良少年として多くの過ちを犯しながら、何も楽しめるものがなく、ただ空虚さだけが残っていた「僕」。たいして気にも止めず、無視(ignore)していた彼女の「僕」への思い。その思いの大切さに「僕」はやっと気づき、それがまるで暗闇を照らす一条の光のように「僕」の心に届いたのだ。
「Carrying no cross」は「(イエス・キリストのように)十字架を背負うことはせずに」と解釈した。「〜ing」で始まっているので、「十字架を背負うのは止めてくれ」という懇願や命令ではなく、付帯状況を示している文章だ。苦難や苦労を避けて過ごす自分自身のことである。続く空虚さと同じ自己認識であり、自己批判である。
彼女の思いを「僕」は無視してきた。それを利用するでも、否定するでもなく。だからこそその思いは「僕」の気づかないところで輝き続け、今「僕」はその輝きに気づいたのだ。
「でも一つだけ無視できないことがある/不良少年だって全てを打ち明けることがあるんだ」という表現は、唯一彼女に対して、素直になれた自分を言っているのではないだろうか。ちなみに「come clean」は「本当のことを言う、一切を白状する、本音を吐く」という意味であり、これを「改心する」と解釈するのはちょっと無理があると思ったのも、恋愛説を取った理由の一つである。
「あなた(you)」の思いを知り、それに応えることが、僕の平穏だが空虚だった心をかき乱し、「ゴールをものにした」ような心の高ぶりと喜びを、今「僕」にもたらしたのだ。
アルバム「Danger Money」はタイトル曲「Danger Money」で幕を開ける。それは危険手当(danger money)を得ながら命をかけて暗躍するハードボイルドな男の話である。人とのつながりは全く感じさせない孤独で冷酷な男である。この「Carryin No Cross」の「僕」も、無軌道で空虚な生き方をしてきている点では、「Danger Money」の男の若かりし時だと想像してみるのも悪くないかもしれない。
ならば、このアルバムは人との繋がりを、特に愛情を捨てて生きてきた男が、その愛情を最後に手にする・気づくというトータル性を孕んでいるとも言えるかもしれない。
もちろんこの曲のどこにも「愛(love)」という言葉は出てこない。しかしこの大曲が、改心の歌、宗教心に目覚めた男の歌では、あまりに唐突なんじゃないか。そんな思いで多少の無理を承知で「ラブソング」として解釈してみた。
ちなみに最初の「Stop!」は次第に大きくなるバックの音を消し去る一言である。これはこれから不良少年が「come clean(本音を語る)」ために、自分に集中してもらうための声かけじゃないか。そんな風に思うのだが。
こんな捉え方もできるかもということで、お楽しみいただければうれしいです。
2011年春に、ジョン・ウェットンとエディー・ジョブソンによる劇的復活と、1979年以来の来日公演を果たしたU.K.。この曲はその2ndアルバムのラストを飾る大曲である。スタジオアルバムは2枚しか作られなかったから、実質当時のU.K.のラストソングだと言ってもよいかもしれない。
この曲は12分に渡りボーカルとインストが見事に融合した、パワフルでプログレッシヴな展開が大きな魅力であるが、ではそこで歌われている内容とはどのようなものなのかは、あまり語られていない。
これを「bad boys(不良少年)」が過去の過ちを反省し、その結果の空虚さを嘆き、しかし新たな光を得るという、一種の改心の物語であるとする解釈が見受けられる。確かに過去の自分を今の目で「不良少年」だと見ているのは確かである。
しかし「制服」を嫌がったり、誘惑にモラルが守れなくなったり、縄張り争い・所有権争いばかりしているなどということは、若者にはありがちなことである。そうしたことを反省し、真っ当な人間として生まれ変わろうという歌には、どうも思えないのだ。
そうではなく、そうした無軌道で何も残らない生き方をしていた「僕」が、初めて「光」を得たという、喜びの歌なのではないか。そこで、わかりづらい歌詞なのでどう補って解釈するかという部分が大きいのだが、ここでは敢えてこの曲を「ラブソング」だと解釈してみたい。
では相手は誰なのか?タイトルに「十字架(cross)を背負う」という言葉があったりするので、「神(God)」であるとしたいところであるが、わたしはラストの一行「and what price peace of mind?」にこだわりたい。
これは「what price ...?」で「〜にどんな価値があるというのか?(価値などない)」という反語表現である。つまりそのまま考えれば、「僕(I)」は、心の平穏・平和を得たわけではないということになる。逆にそんなことに価値があるのか?と疑問を呈している、あるいは否定していると考えられる。
なぜか。
それはその最終連にある「コントロールできない感情が/僕の心と魂を照らし出す(光を当てる)」からであり、そうした感情的な高まりを「僕」は受け入れるだけでなく「ゴールをものにした/得点した(I scored a goal)」と高く評価しているからだ。心の平安ではなく、このような興奮状態は人間への愛ではないか。神への愛だとするには情熱的に思えるし、この曲があまりに宗教的過ぎてしまう気がするのである。
そこでわたしはこれを恋愛の詩だとしたい。従って第1連で出てくる「あなた(you)」は、恋人であると取る。「They led me back to you」とはつまり、昔からそばにいた女性に、結局今になってやっと気づいた状態を言っているのではないだろうか。
不良少年として多くの過ちを犯しながら、何も楽しめるものがなく、ただ空虚さだけが残っていた「僕」。たいして気にも止めず、無視(ignore)していた彼女の「僕」への思い。その思いの大切さに「僕」はやっと気づき、それがまるで暗闇を照らす一条の光のように「僕」の心に届いたのだ。
「Carrying no cross」は「(イエス・キリストのように)十字架を背負うことはせずに」と解釈した。「〜ing」で始まっているので、「十字架を背負うのは止めてくれ」という懇願や命令ではなく、付帯状況を示している文章だ。苦難や苦労を避けて過ごす自分自身のことである。続く空虚さと同じ自己認識であり、自己批判である。
彼女の思いを「僕」は無視してきた。それを利用するでも、否定するでもなく。だからこそその思いは「僕」の気づかないところで輝き続け、今「僕」はその輝きに気づいたのだ。
「でも一つだけ無視できないことがある/不良少年だって全てを打ち明けることがあるんだ」という表現は、唯一彼女に対して、素直になれた自分を言っているのではないだろうか。ちなみに「come clean」は「本当のことを言う、一切を白状する、本音を吐く」という意味であり、これを「改心する」と解釈するのはちょっと無理があると思ったのも、恋愛説を取った理由の一つである。
「あなた(you)」の思いを知り、それに応えることが、僕の平穏だが空虚だった心をかき乱し、「ゴールをものにした」ような心の高ぶりと喜びを、今「僕」にもたらしたのだ。
アルバム「Danger Money」はタイトル曲「Danger Money」で幕を開ける。それは危険手当(danger money)を得ながら命をかけて暗躍するハードボイルドな男の話である。人とのつながりは全く感じさせない孤独で冷酷な男である。この「Carryin No Cross」の「僕」も、無軌道で空虚な生き方をしてきている点では、「Danger Money」の男の若かりし時だと想像してみるのも悪くないかもしれない。
ならば、このアルバムは人との繋がりを、特に愛情を捨てて生きてきた男が、その愛情を最後に手にする・気づくというトータル性を孕んでいるとも言えるかもしれない。
もちろんこの曲のどこにも「愛(love)」という言葉は出てこない。しかしこの大曲が、改心の歌、宗教心に目覚めた男の歌では、あまりに唐突なんじゃないか。そんな思いで多少の無理を承知で「ラブソング」として解釈してみた。
ちなみに最初の「Stop!」は次第に大きくなるバックの音を消し去る一言である。これはこれから不良少年が「come clean(本音を語る)」ために、自分に集中してもらうための声かけじゃないか。そんな風に思うのだが。
こんな捉え方もできるかもということで、お楽しみいただければうれしいです。