2009年2月28日土曜日

「バイ・ザ・ライト・オブ・デイ/光の住人」&「リプライズ/闇と光」U.K.



原題:By The Light Of Day, Reprise


■「U.K.」(「憂国の四士」)収録






バイ・ザ・ライト・オブ・デイ

 灰色の空に雷を呼ぶ黒雲
 活動的な夜明けの熱気と激情
 火と水という二つの元素の怒り
 水平線は激情の中に溶けていく

 昼間の光の下では
 昼間の光の下では

 年月を進ませる静かな運命の歯車
 権力と苦悩は恐怖を助長する
 愛の夢を求めれば
 さらにその終わりは早まる
 
 昼間の光の下では
 昼間の光に下では

リプライズ

 罪の報いは現実に行われるんだとは言わないでくれ
 壁にかかれた文字 - どれが点数でどれが取り分だ?
 私たちが 森を通して木々まで見ることができないのも 無理はない
 私たちが作り出した香水ですら、
 そよ風に運ばれてくる 吐き気を隠すことはできない

 昼間の光に下では
 夜の静寂の中では

By The Light Of Day

 Black clouds moving gray sky to thunder
 Kinetic sunrise fever and blood
 Fire and water element anger
 Horizon melting to blood

 By the light of day
 By the light of day

 Silent wheel advancing years
 Power and glory agony fears
 Love's a dream that some pretend
 Accelerates an early end
 
 By the light of day
 By the light of day

 By the light of day
 By the light of day

Reprise

 Don't tell me that the wages of sin are for real
 The writing's on the wall – what's the score what's the deal?
 No wonder we can't see through the wood to the trees
 No perfume we design can ever veil the sickness on the breeze



【解説】
「By The Light Of Day」の1連では、夜明けの情景がうたわれている。夜明けは昼間の「雷」「熱気」「激情」「怒り」をもたらす。「わたし」にとっては、決して明るさと希望に満ちたものではないのだ。音楽も静かなパートとなり、歌い方もけだるい感じ。

年月は間断なく過ぎていき、力と栄光を手に入れたら手に入れたで恐怖が生まれ、愛を手に入れようと夢を描くほど、その愛はすぐに消えてしまう。人生の空しさ、生きることの空しさが描かれる。

「Presto Vivace and Reprise」の「Presto Vivace(テンポを速く、活き活きと)」はインストゥルメンタル部分なので、その後再び「In The Dead Of Night」と同じメロディーに戻るところが「Reprise(繰り返し)」にあたる。

そこに描かれているのは「無力感」か。「In The Dead Of Night」での「わたし」は、享楽にふける人もいる中で、自分の「孤独」を歌っていた。「By The Light Of Day」ではどう生きても空しい「空虚感」、そして「Reprise」では「わたし」から「私たち」へと主体が変わっている。自分個人の状況ではなく、実は現実世界の我々のことを歌っているのだ。

この複雑で猥雑な世界では、我々は知らないうちに罪を負ってしまったり、真実を知らないまま過ごしていたりする。何とかしなければと努力したとしても、結局報われはしない。

ある意味、King Crimsonが最後に歌ったstarless and bible blackな世界観につながった、救いのない現実を歌っている歌なのだ。しかし、それにもかかわらずドラマチックなサウンドは、単なるあきらめではなく、そこに「わたし」の怒りを付け加えているような気がする。どうにもならないとわかっていながら感じてしまう怒り。

U.K.は、King Crimsonの音楽に比べると、素直にカッコイイ音楽に変貌した。後のAsiaほどキャッチーでポップというところまでは行かないが、カッコイイと思えるメロディーや演奏は、U.K.の大きな魅力である。

でありながら、もの凄く高度な演奏を間に入れている。ビル・ブラッフォードのドラムのスネアだけ聴いてみても、どれほど変化をつけているかに驚く。そうしたプログレッシヴ・ロックの要素は、楽曲のみならず歌詞の中にもまだ残っていたといえるかもしれない。

なお歌詞中の「power and agony」という部分であるが、日本語ライナーノートでは「power and glory」となっており、当初それをもとに訳した。しかしジョン・ウェットンのサイト、並びに歌詞検索サイトでも「power and agony」であるとのご丁寧なご指摘をいただき、歌詞並びに訳詞をそちらに統一した。ご指摘ありがとうございます。

2009年2月27日金曜日

「イン・ザ・デッド・オブ・ナイト/闇の住人」U.K.

原題:In The Dead Of Night

■「U.K.」(「憂国の四士」)収録







おまえも 片目を開けたまま眠れる私と 同類の者なのか?

精神がおかしくなりそうな孤独な時間を 
どうしていいのか苦悩しながら
床からのほんの小さな音に 光を求めながら

ドアのノックの音に
今おまえの両手は汗ばみ 心臓はときめきながら  

真夜中の静寂の中で

真夜中の静寂の中で  

金と権力のある人々は からまった結び目を解く
 
彼らの望む 飽き飽きしたスリルや気まぐれに ふけるために
 
中から聞こえる 息をころした泣き声を隠す 雨戸の閉まった窓
 
詮索好きな人たちも 始まったその手の行為に気がつかない
   

真夜中の静寂の中で
 
真夜中の静寂の中で


Are you one of mine who can sleep with one eye open wide?
Agonizing psychotic solitary hours to decide
Reaching for the light at the slightest noise from the floor
Now your hands perspire heart goes leaping at a knock from the door

In the dead of night
In the dead of night

Rich and powerful ascend complicated bends to be free
To indulge in what they will any jaded thrill or fanstasy
Shuttered windows that belie all the stifled cries from within
And prying eyes are blind to proceedings of the kind that begin

In the dead of night
In the dead of night

In the dead of night
In the dead of night


【解説】
King Crimsonのジョン・ウェットン(ベース)、ビル・ブラッフォード(ドラムス)に、エディ・ジョブソン(ヴァイオリン、キーボード)、アラン・ホールズワース(ギター)という、夢のようなメンバーが集まったバンドU.K.のファースト・アルバム「U.K.」の、カッコ良すぎる最初の曲「In The Dead Of Night」である。

実際には次の「In The Light Of Day」「Presto Vivace And Reprise」まで一続きの組曲のようになっている。曲の構成としては「夜」→「昼」→「まとめ」みたいな感じか。今回はその「夜」の部分である。その「夜」を描く部分がサウンド的に激しく、「昼」を描く部分が、ゆったりした雰囲気になっているところが面白い。

まず「in the dead of night」は慣用句で「真夜中に」という意味。ただし時間的に深夜であるということだけでなく「dead」という言葉があるように、「皆が死んだように寝静まった時」という意味合いが込められている。そこで「真夜中の静寂の中で」と訳してみた。これは次の曲の「in the light of day」(昼間の光の中で)と、日本語的にもかたちを合わせたいこともあった。

内容を見ると、1連は「おまえも」と呼びかけている「わたし」がいて、「片目を開けて眠る」くらい病的に孤独にさいなまれている様が描かれる。わずかな物音に人の気配を期待して、孤独から逃れようとしている「わたし」そして「おまえ」、あるいは現代の多くの人々。

2連では、同じ真夜中に「rich and powerful」は享楽にふけっていると語られる。「rich 」も「powerful」も、どちらも形容詞なのだが、「rich and powerful」と言うと「金と権力のある人」という名詞になる。泣き声を抑えて家に閉じこもっているのは、その犠牲者たちなのか。でも真夜中の静寂の中では、そのようなことが始まっても誰も気がつかない。

夜の孤独と享楽。二つを対照的に描いたのが、この「In The Dead Of Night」である。しかし前半に「おまえ」に語りかけるかたちで「わたし」が存在することを考えると、後半は「わたし」が「金と権力のある奴ら」を思いながら、金も権力もなくただ孤独の中で苦しんでいる自分を振り返っていると見ることができよう。

さてでは「昼の光の中」にいる「わたし」はどうなのか。

2009年2月25日水曜日

「ストリップス」アルティ・エ・メスティエリ


原題:STRIPS

「ティルト(tilt)」収録






 今はもう 頭はすでに あまりに非常識で 無気力な歌でいっぱいだ  
 それらは これまで芸術家たちによってささやかれた
 
 無益な言葉の数々
   

 不思議な魔術師や神々達の 色あせてしまった物語は
 
語りかける  
 中身のない偽善のために
 あなたを取り囲む詩人達から    
 今となっては
さらにもう  
 誰も あなたを守ることができないと 



 La testa piena ormai
 Di troppe assurdita'
 Canzoni languide
 E cose dette gia'

 Artisti che
 Sussuurrano
 Parole inutili

 Sbiadite storie di
 Pianeti, maghi e dei
 Narrati a chi non puo'
 Difendersi ormai piu'
 Tra poeti che
 Ti cicondano
 Di vuota falsita'


【解説】
イタリア屈指のジャズ・ロックバンドアルティ・エ・メスティエリ(Arti & Mestieri)の1974年のデビューアルバム「tilt」。“tilt”とは「傾き」のこと。傾いてますよね、ジャケット漏斗(じょうご)もタイトルの「tilt」の「t」も。

このアルバムはとにかくドラムスのフリオ・キリコの流れるように叩き続ける壮絶ドラミングに耳が行きがち。リズムやノリをキープしながら、ドラムス自体が歌うように叩かれるため、キーボード、バイオリン、サックスが入って来ても、ジャズ風なインタープレイの応酬というより、緊張感溢れる演奏と非常に叙情的な面が混ざりあった、独特な魅力溢れる音楽が繰り広げられる。

このファースト・アルバムではボーカルパートが非常に少ないのだが、この「STRIPS」でメロトロンをバックにヴァイオリンやサックスを絡めたタイトな演奏が続いた後、アコースティックギターをバックに優しい性質のボーカルが入る。とても美しい瞬間だ。そして以前からこの美しいボーカルがどんな内容を歌っているのか気になっていたのだ。

そこでインターネットのイタリア→英語翻訳に原詞をかけてまず英語にし、意味の通らないところなどを、もう一度伊日辞書で調べるという、恐ろしく手間のかかる作業の末、日本語にしてみたものだ。違っていたらもうごめんなさい。

内容的には、1970年代前半に見られた新しいロック・ミュージックの台頭を背景に、それまでの音楽を否定し、さらにさかのぼった昔の神話や伝説の力も失せ、人々は中身のない芸術に惑わされていると言っているように思われる。

現実批判である。しかし逆に言えば、そこに新しい芸術の力をオレたちが見せてやるぜといった宣言とも取れる。自らをArti & Mestieri(芸術家と職人たち)と名付けるくらいだから。

ボーカルパートは穏やかに歌われる。強烈に現状批判するというより、現実を哀れみ悲しんでいるかのようだ。しかしこれがアルティ・エ・メスティエリの、言葉による最初のメーセージなのである。

バックで流れるメロトロンが美しい。


「すべては風の中に」カンサス

 原題「Dust In The Wind」
■「暗黒への曵航
(Point Of Know Return)収録







 目を閉じる
 ほんの一瞬だけ でもその一瞬は過ぎ去ってしまう
 わたしのすべての夢は
 目の前で好奇心の前を通り過ぎてしまう
 風の中の埃
 すべて風の中の埃だ

 いつもの古い歌
 無限に広がる海のほんのひとしずくの水にすぎない
 わたしたちがしていることはすべて
 見たくないと拒んでも こなごなに大地に崩れ去る
 風の中の埃
 わたしたちは皆風の中の埃なのだ あぁ
 
 さぁ、がんばるのはやめだ
 大地と空以外には 永遠に残るものなどないのだから
 時はいつか過ぎ去ってしまう
 お金をすべてつぎ込んでも 時間をもう一分買い足すことはできない
 風の中の埃
 わたしたちは皆風の中の
 風の中の埃 
 すべては風の中の埃だ
 風の中の

 I close my eyes
 Only for a moment and the moment's gone
 All my dreams
 Pass before my eyes a curiosity
 Dust in the wind
 All they are is dust in the wind
 
 Same old song
 Just a drop of water in an endless sea
 All we do
 Crumbles to the ground, though we refuse to see
 Dust in the wind
 All we are is dust in the wind, oh
 
 Now, don't hang on
 Nothing lasts forever but the Earth and sky
 It slips away

 And all your money won't another minute buy
 Dust in the wind
 All we are is dust in the wind (all we are is dust in the wind)
 Dust in the wind (everything is dust in the wind)
 Everything is dust in the wind
 The wind


【解説】
アメリカのプログレッシヴ・ロックバンド、カンサスの絶頂期1977年に発売され、前作の「永遠なる序曲」(Leftoverture)とともに、カンサスの代表作とされるアルバムである「暗黒への曳航」(Point Of The Know Return)に収録され、シングルヒットもしたカンサスを代表する曲の一つである。。

ものすごい虚無感で押し通される詞である。どんなにがんばっても所詮時は過ぎ去り、何も残らない、何も残せないのだと歌う。夢を持つことも歌を歌うことも結局意味がないじゃないか、それなら風に吹かれて飛んでいる埃と同じじゃないかと。

曲はアコースティック・ギターのアルペジオが美しいスローでアンプラグドな小品といった趣で、間奏にヴァイオリンが入るなど、叙情的な響きを持っている。

だから詞とは裏腹に、実は、虚無感を抱きながらも、冷めているわけでも、悟っているわけでも、投げやりになっているわけでもなく、そんな自分や自分の人生に価値がないなどと思いたくないという、悲しみや虚しさの感情が曲全体にあふれている。それがこの曲の大きな魅力だと言えるだろう。

シンプルな歌詞、覚えやすいメロディー、悲しみの表現、美しく染み入る演奏、そして垣間見える人間らしさ。大ヒットがわかる名曲だ。これを普段はプログレ・ハードな曲を演奏しているバンドが出したという意外性もあっただろう。

ちなみにタイトルの「Point Of The Know Return」とは、「カンザス州トピーカ(Topeka)からやってきた少年たちが、突然自分たちはもう引き返せないんだとわかる、驚くべき一瞬を捉えたものである。」と、「ローリング・ストーン」誌のデイヴィッド・ワイルド氏はアルバムの解説に書いている。Topekaは彼らの出身地だ。

ピンク・フロイドが「狂気」の成功で急激な生活の変化と、大きなプレッシャーと、社会的なイメージと自分自身のイメージの乖離に混乱したのと同じことが、当時の彼らにもあったのかもしれない。この詞はそんな自分たちのことを歌ったのかも。

デイヴィッド・ワイルド氏の解釈も結果的に当たっているのだろうけれど、もともと“point of no return”とは航空用語で「帰還不能点(これ以上は帰還できなくなる飛行限界地点)」を示す言葉だそうだ。そのno(できない)をknow(知っている)に置き換えたオリジナル表現なのだ。「みんなも、ちょっと面白いんじゃないかって思ったのさ、聞くとちょっと気持ちが混乱するだろ。」とはカンサスのマネージャーの言葉(CD付属のブックレットより)。

「Leftoverture」と同じで、遊び心からつけられたタイトルだというわけだ。


2009年2月24日火曜日

「アイランズ」キング・クリムゾン

原題:Islands

■「アイランズ」(Islands)収録







海に取り囲まれた大地、小川、木々
波がわたしの島から砂をさらっていく

夕暮れの景色が色あせていく
野原や空き地は ただ雨を待ち望んでいる
少しずつ少しずつ 愛はわたしの
風雨にさらされた高い壁を 浸食していく
わたしの島へと押し寄せる
海の水を防ぎ 風をあやしてくれた壁を


荒涼とした花崗岩がそそり立ち
そこからカモメたちが旋回し滑空し

わたしの島の上で 悲し気な鳴き声をあげる
夜明けの花嫁のベールは、湿って青白く
太陽の陽の中に溶けていく
愛の織物はつむがれる - 猫たちはうろつき ネズミは走る

手癖の悪い野バラは花輪となり
野バラにいるフクロウたちはわたしの目を憶えている
すみれ色の空よ わたしの島に触れておくれ
わたしに触れておくれ


風の真下で 無限の平和
波を追い返す
島々は天の海の下で 手をつなぐ

暗い港の埠頭は 石でできた指のように
どん欲に わたしの島から手を伸ばす
船乗りの言葉をかき抱くんだ - 言葉は真珠とヘチマとなって
互いに愛し合い 輪になって結びつきながら
わたしの浜辺にまき散らされている
大地、小川、木々は海へと帰る
波がわたしの島から砂をさらっていく
そしてわたしからも



Earth, stream and tree encircled by sea
Waves sweep the sand from my island.
My sunsets fade.
Field and glade wait only for rain
Grain after grain love erodes my
High weathered walls which fend off the tide
Cradle the wind
to my island.

Gaunt granite climbs where gulls wheel and glide
Mournfully glide o'er my island.
My dawn bride's veil, damp and pale,
Dissolves in the sun.
Love's web is spun - cats prowl, mice run
Wreathe snatch-hand briars where owls know my eyes
Violet skies
Touch my island,
Touch me.

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.

Dark harbour quays like fingers of stone
Hungrily reach from my island.
Clutch sailor's words - pearls and gourds
Are strewn on my shore.
Equal in love, bound in circles.
Earth, stream and tree return to the sea
Waves sweep sand from my island,
from me.

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.


【解説】
King Crimsonのデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」から一貫して歌詞を書き続けていたピート・シンフィールド(Peter Sinfield)は、この「アイランズ」を以てその役を降りることになる。まず音楽として聴いた時に、恐ろしく美しい曲である。

直前のインンストゥルメンタル曲「プレリュード:ソング・オブ・ザ・ガルズ(カモメの歌)」が、オーボエとオーケストラによるクラシカルな室内楽的な世界を作り上げ、落ち着いた心穏やかな雰囲気の中、アルバム「アイランズ」のタイトル曲にして最後の曲「アイランズ」がおごそかに始まる。

「アイランズ」というアルバムはメンバーが流動的な時期で、4人のプレーヤーに作詞と音響・映像担当のピート・シンフィールドという基本の布陣に、当時のジャズ界からキース・ティペットグループの5人のプレーヤーがゲスト参加している。この曲でもメル・コリンズ(Mel Collins)のフルートに加え、ゲストのロビン・ミラー(Robin Miller)のオーボエ、マーク・チャリング(Mark Charing)のコルネット(小型のトランペットのような楽器)が、曲の持つ悲しさ、優しさ、美しさを表現していく。

そしてピート・シンフィールド最後の心境を吐露したものかと思われる「アイランズ」の歌詞である。島である「わたし」は「高い壁」を作って海の侵入から身を守ってきた。孤独を求めて。しかしもう海はわたしの島を、そしてわたしを飲み込もうとしている。しかし「壁」を浸食していくのは「愛」である。

わたしは孤独を求めて来ながらも、今愛によって大きな海へと溶け込もうとしている。「すみれ色の空よ、わたしの島に触れておくれ わたしに触れておくれ」と「わたし」は言う。荒涼とした風景の中で、それでも「わたし」は孤独な「島」でい続けることに限界を感じている。そして夜明けの「すみれ色の空」に希望を見いだそうとしている。荒海に浸食されようとも、島々は海の底で手をつないでいることを信じようとしている。人々の「愛」を信じようとしている。だから次の箇所をどう訳すか悩んだ。

Beneath the wind turned wave
Infinite peace
Islands join hands
'Neath heaven's sea.

ピートの詩は、句読点がついた比較的文章構造がしっかりしている詞である。だから感覚的に流されずに、文章構造を捉えて意味を考えることが大切だ。ただ、ここではwaveとinfinite peaceの関係が問題だ。文章的には希望を残すかたちで以下のように捉えた。

Beneath the wind, infinite peace turned wave,
Islands join hands beneath heaven's sea.

精神的に追い詰められていた背景には、バンド内の亀裂もあった。ピートは言っている。

「ボブ(ロバート・フリップ)と私は曲を作っていく中で合わなくなってしまっていたんだ。彼が私に何かを演奏してくれる。私が“違うな、僕はそれはあまり好きじゃない”と言う。それは理解されなかったし、私は代わりとして彼に何か別のものを提示しなかった。」
(「クリムゾン・キングの宮殿」シド・スミス著、ストレンジ・デイズ、2007年)

何とも言えない切なさが迫ってくる。「愛」を信じて、積極的にではなく、流れに身を任せるように、運命に従うように自分を解き放とうとしながら、不安や希望が入り乱れた感情。これまでの自分への決別ゆえか、ある種、レクイエムのようでもある。

ピート・シンフィールドが描いた“アイランズ”が
インナースリーブとして使用されていた。

King Crimson脱退後、ピートはEL&Pのイタリアツアーに同行した際に、PFMを見いだし、イギリスに招いて「Photos Of Ghosts(幻の映像)」をプロデュースする。すべての英詩は彼が提供した。のちのインタビューで、PFMのどんなところに共鳴したのかと問われて、彼はこう言っている。

「まず彼らが高度なテクニックを持っていたところです。しかし多分それ以上に共鳴を得たのは、彼らの持っていた、深淵でいて、そして温かな地中海的な情感に対してであったと思います。そしてそれは私がキング・クリムゾンに関わった最後のアルバムである『アイランズ』で表現しようとしていた感覚でもあるのです。」
「Arch Angel vol.3」(ディスクユニオン、1996年)

2009年2月23日月曜日

「オンワード」イエス

 原題「Onward」

 ■「Tormato」(「トーマト」)収録




  
 私がすることすべてに愛がある あなたへの愛が
 私が書くものすべてに 語られているのは
 あながた光だということ
 燃えるように明るく輝いている光

 真っすぐ先へ 夜の闇を照らして
 真っすぐ先へ 夜の闇照らして
 真っすぐ先へ 私の人生の夜の闇を照らし続けて

 私が見るものすべてに愛がある あなたが示してくれる愛が
 あながた語ることすべてに 表現されている
 あなたが道を案内してくれる日の光

 真っすぐ先へ 夜の闇を照らして
 真っすぐ先へ 夜の闇照らして
 真っすぐ先へ 私の人生の夜の闇を照らし続けて

   Contained in everything I do
 There's a love I feel for you
 Proclaimed in everything I write
 You're the light, burning brightly
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 Displayed in all the things I see
 There's a love you show to me
 Portrayed in all the things you say
 You're the day leading the way
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 Onward through the night
 Onward through the night
 Onward through the night of my life
 
 
【解説】
英国のロックグループYesの「危機」(1972)は、おそらく中学生だった時に始めて買った洋楽グループのLPだった。当時のLPで片面20分近くを使って組曲一曲なんて構成で、聞くものを別世界へ誘ってくれた。

そんなYesが大作主義からコンパクトな曲に方向転換したことで、あまり評価は高くないアルバムに「Tormato」(1978)というのがある。「クジラに愛を(Don't Kill The Whale)」という、およそそれまでのYesには考えられなかった、反捕鯨のメッセージソングが含まれているのも、評価を下げている理由かもしれない(右写真は「クジラに愛を」のシングルレコード)。

音的にも厚みがなくなり、アンサンブルの緊張感も伝わってこないこのアルバムには、当時正直なところかなり失望し、わたしもムキになって「Yesは終わってしまった」みたいに落ち込んだ。

しかしそれまでのYesにこだわらずに、これはこ
れで、ポップでちょっとヒネリのあるアルバムとして聴いてみると、意外と気軽に楽しめる作品だとわかり、最近よく聴くようになった。中でも何と言っても「オンワード」が素晴らしい。


ジョン・アンダーソンの美しい高音のボーカル、静かに後ろで鳴っているスティーブ・ハウのギターのスタッカート気味のアルペジオ。途中から入るストリングス。力強いボーカルハーモニー。やさしいやさしい気持ちになる。

前作「究極(Going For The One」にも、ジョンの歌うゆったりした静かな曲が含まれていたが、この「オンワード」はその路線の到達点だろう。シンプルな楽器構成、
ストレートな愛情表現の歌詞による、とても印象深い曲である。そこで歌われているのは宗教的な愛に近いと言ってもいいくらいだ。曲はベースのクリス・スクワイア作。彼はこう振り返る。
「最初僕がピアノで弾いてみんなに歌って聴かせて、そこからアレンジが出来上がったんだ。」

ギターのスティーブ・ハウはこう言っている。

「『オンワード』はいい楽曲だ、いい曲だよ。」
(「イエス・ストーリー」シンコー・ミュージック、1998年)

2009年2月21日土曜日

「ジ・アンダーカバー・マン」ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター

原題:「The Undrcoverman」

■「ゴッドブラフ」(Godbluff)収録





 さあこの鏡を前で すべてのいつもの問題
 そしてすべてのいつもの茶番だ
 おまえはためらうような声で尋ねる 「君はどうするんだ」って
 まるで歌う茶番を続けること以外に
 選択肢があるかのように
 そしてお前は 万事う
まくいくことを願っている

 今夜 なんだかすべてが変な感じだ
 僕の魂はかたくなで
 僕の身体は狂い乱れている
 でも それも単なる一つの見方に過ぎないけど
 そして 僕らは二人の間に思い違いなどない
 僕の変わることのない友人、常に身近にいてくれた
 おまえ そして 秘密捜査員

 僕は思案する:「時間が過ぎていくこと意外に
 
それがいったい何を意味しているか
 わからないまま
 こんな変化を体験しているなんて
 とても不思議だ…」
 
 あぁ、でも僕は考えるのを止める
 いっそのこと 万事うまくなんかいかなくていいくらいだ

 この錯乱状態は 完全な感情が再び戻ってきた波なのか
 それとも 秘密捜査員の隠れ家なのか
 あるいは 熱心な信仰の証が記されている
 連祷(れんとう:司祭の祈りに会衆が唱和する形式)なのか
 あるいは ダムにひびが入ったということなのか

 ひびが入ったのだ;打ち砕かれ、おまえの上にどっと降り注ぐ
 そんな惨事を予想できる程の分別などなかった
 今 うろたえながら おまえは空気を求めて勢いよく飛び出す
 溺れながら、おまえは知
る 
 お前は 何かではなく誰でもなく
 自分自身を愛することを知る
 そしておまえを助けようと伸ばされたこの手さえ
 拒むことだろう
 
 でも今この時 試練のただ中にいるお前を置いて
 僕は去ることができようか?
 おまえが泣き叫んでいるのを ここにいて見ているのは
 僕の間違いなのか?

 もしおまえが去らずに 自分自身で何とかしようとしていたなら
 今頃は 周りにいる妄想の人影に気づき
 自分自身に知らせていたことだろう
 
 しかし今でもまだ 僕らは途方に暮れてはいない:
 もしおまえが夜 外を見るなら、
 様々な色や光が、人々は遠くには言っていないわ
 少なくとも遥か彼方というわけではないわ、と
 言っているかのようであり
 そして僕らがここに居続けるのは
 単なる僕らの無言の抵抗なのだということが わかるだろう

 錯乱状態がやって来ても、溢れささせておけばいい
 そして僕の上には やさしく
 弱くて神聖で呪われた僕の一部を 与えておくれ
 僕の生命を癒
し 僕の魂と生活を 完全に取り去らせておくれ
 僕を あるがままの自分にさせておくれ

 縦一列に並んで 僕らが一緒に走る時間はもうないのかもしれない -
 地平線が 幾重にも平行線を描きながら呼びかけてくる
 一つのやり方を永遠に持ち続けることは 
 良いことではないかもしれないよと
 そして おまえにはまだ時間がある
 まだ時間があるよと



 Here at the glass -

 all the usual problems, all the habitual farce.
 You ask, in uncertain voice,
 what you should do,
 as if there were a choice but to carry on
 miming the song
 and hope that it all works out right.
 
 Tonight it all seems so strange -
 my spirit feels rigid, my body deranged;
 still that's only from one point of view
 and we can't have illusion between me and you,
 my constant friend, ever close at hand -
 you and the undercover man.
 
 I reflect:
 'It's very strange to be going through this change
 with no idea of what it's all been about
 except in the context of time....'
 Oh, but I shirk it, I've half a mind not to work it all out.
 Is this madness just the recurring wave of total emotion,
 or a hide for the undercover man,
 or a litany - all the signs are there of fervent devotion -
 or the cracking of the dam?
 
 It's cracked; smashed and bursting over you,
 there was no reason to expect such disaster.
 Now, panicking, you burst for air,
 drowning, you know you care
 for nothing and no-one but yourself
 and would deny even this hand
 which stretches out towards you to help.
 But would I leave you in this moment of your trial?
 Is it my fault that I'm here to see you crying?
 These phantom figures all around you should have told you,
 you should have found out by now,
 if you hadn't gone and tried to do it all by yourself.
 
 Even now we are not lost:
 if you look out at the night
 you'll see the colours and the lights
 seem to say people are not far away,
 at least in distance,
 and it's only our own dumb resistance
 that's making us stay.
 When the madness comes
 let it flood on down and over me sweetly,
 let it drown the parts of me weak and blessed and damned,
 let it slake my life, let it take my soul and living completely,
 let it be who I am.
 
 There may not be time for us all to run in tandem together -
 the horizon calls with its parallel lines.
 It may not be right for you to have and hold in one way forever
 and yet you still have time,
 you still have time.
 
【解説】
この曲はイギリスのバンド「ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター(Van Der Graaf Generator)」の1975年の復活作「Godbluff」の最初の曲である。ささやくような声からシャウトにまで高まる、ピーター・ハミルのボーカルの凄さを堪能できる一曲だ。

こ の詞には「I」と「you」が出てくる。しかしこれは自分自身との対話、希望を求めて苦悩している対話なのだと考える。だから冒頭の「Here at the glass」のglassをlooking glassと取り「鏡」と訳した。もちろん「ガラス、コップ」などの色々な意味がある言葉だ。そして自分との対話が始まる。二人の自分、あるい は自分の二つの面で強いのは無気力な方、だからそちらが「僕」なのだ。

最初「僕」は「おまえ」を突き放して見ている。「おまえ」は「どうするんだ?」と聞くが、どうしようかと考えるような選択肢なんかないじゃないかと「僕」は思っている。

し かし今日の「僕」は少し変(strange)だという自覚がある。何かが変わろうとしている。「僕」と「おまえ」は常に身近にいる存在。「友」であり「秘密調査員(undercover man)」。「undercover」には「秘密の、スパイ活動の」という意味がある。自分の自己欺瞞を知らぬ間に暴いている、もう一人の自分という感じ か。「おまえ」は純真で無垢な存在。意識しなくても「わたし」の欺瞞に気づいてしまう。

その「おまえ」は「僕」に「どうするんだ?」と聞 くように前向きである。「すべてうまくいくことを願っている」のだ。そして今の自分の変化、一種の錯乱状態が、前向きな「おまえ」を押しつぶそうとする。 しかしその刹那「おまえ」は「自分を愛することを知り」、自分の力で生きていこうとする。

怠惰な「僕」は、自問を繰り返しながら、それで も「おまえ」を助けようとする。一緒にいようとする。そして「僕らはまだ途方に暮れてはいない」「無言の抵抗なのだ」と、逆に混乱している「おまえ」を導 くかのような言葉を言う。人と交わらずに己との対話を選んでいるという自覚が伺える。「僕」は最初より強くなってきている。

「弱くて神聖で呪われた僕」こそが「あるがままの僕」、「自分を愛することを知る」ことができた「お前」、両方とも実は一人の自分。行き方を模索する時間はまだある。生きる意味を考える時間はまだある。

「僕」は「おまえ」との対話の中で、より強い自分を得ようとしている。もちろん結論はでない。でも時間はまだある。そこには希望がまだ残っている。

自分の存在を問う詞であると思う。しかし曲が静かなささやき、あるいはつぶやきのような声に始まり、朗々と歌うラストを迎えることを考えると、希望を持とうとした歌であると思う。

ヴァ ン・ダー・グラフ・ジェネレーターは、1971年の「ポーン・ハーツ」というアルバムを最後に活動を停止していた。本作「Godbluff」は再スタート を記念するアルバムとなる。その最初の曲が、屈折しながらも希望のある曲であることは、ある意味再スタートへの意欲の現れなのかもしれない。

ただしタイトルの「Godbluff」は造語で、「God bless」(神のご加護がありますように)をもじった意味「God bluff」(神のはったりがありますように)を連想させるのだが、さてどうだろう。

ちなみにバンダー・グラフ・ジェネレーターとは「バンデグラフ起電機 (Van de Graaff generator)」という、静電発電機の一種。2ndアルバムのジャケットはそれをドラマチックに描いたものか。
 







2ndアルバム「The Least We Can Do Is Wave To Each Other」のジャケット

2009年2月20日金曜日

「センサー」 パートス


原題:「Sensor」


Timelossタイムロス」収録




 石 - わたしの胸の中に
 ぐちゃぐちゃの状態で生まれた石
 最後の安息に向っていた時に

 わたしはわたし自身を眠らせる
 ゆっくりと夢から走り出し
 失望し 幻滅しながら 這い進む 
 
 あなたはわたしを 苦もなく見つけ出すでしょう
 その時、わたしは微笑んでいるかしら?
 あなたの名前を決してわからないだろうと思うと とても残念だわ



 Stone - Heavy in my chest
 Born in a state of mess
 As I hurry to my final rest

 I put myself to sleep
 Slowly running from my dreams
 Disappointed, disillusioned creep

 You'll find me without pain

 I wonder - will I smile?
 It's a shame I'll never know your name
 

【解説】
「セ ンサー」(原題:Sensor)は、英語のpathos(悲哀)を意味するパートス(Paatos)のデビューアルバム「TIMELOSS」(邦題:「タ イムロス」)、冒頭の曲である。スウェーデン出身の女性ボーカルをフロントにプログレッシヴな音楽を演奏するバンドだ。

サウンドは物憂くけだるい面と、繊細な面と、暴力的な荒々しさが同居する振幅の激しいもの。しかしそれらをペテロネラ・ニッテルマルム(Petronella Nettermalm)の美しいが陰りのある線の細いボーカルが、ひとつの世界へとつなぎ止めていく。

曲 はエレクトリック・ピアノとパーカッションによる心地よいラウンジ・ミュージック的な音楽でオシャレ風に始まる。かと思いきやエレキギターが入るところか ら曲調は一転し、ボーカルが激しいドラムとメロトロンをバックに力強く歌い始める。そしてほぼ一気に上記の歌詞を歌い切る。

曲調は激しいが、歌詞の内容は非常に“死”のイメージが濃厚だ。「最後の安息(final rest)」に向けて急いでいる「わたし」はぐちゃぐちゃの状態でずっしりと重い石を胸の中に持っている。重苦しい、息の詰まるような表現。

第 2連では「わたし」は「自分自身を眠らせる(put myself to sleep)」とあるが、「put…to sleep」には普通に眠らせるという意味だけでなく、「麻酔をかける、安楽死させる」という意味もある。眠たくて眠るのではない、無理矢理眠らせるとい う意味合いが強い表現だ。だから第1連の「最後の安息」とイメージがつながり、「死」を感じさせることになる。

「running from my dreams」とあるので、夢に向ってではなく、逆に「夢から遠ざかるように走る」のである。現実の夢かもしれない。続く「失望し (disappointed)、幻滅し(disillusioned)」という言葉が、夢と対局にあることからも、それは伺えるだろう。

「creep」は2連冒頭の「I」を主語とした動詞として訳した。そこで「失望し、幻滅しながら 這い進む」と訳した。どこに向って?夢とは逆の世界、夢破れた世界、つまり「死」の世界に向って。

そ して「あなた(you)」は苦もなく、簡単にわたしを見つけるだろうと言う。わたしの亡骸だろうか。「その時、わたしは微笑んでいるかしら?」そこに平安 を見つけることができているだろうか。少なくとも現実の辛さから逃れられた安堵に微笑んでいるのかしら、という感じか。

最後の一行「It's a shame I'll never know your name」も、これまでの流れから「死」を感じさせる。残念ではあるが、死んでしまった「わたし」にはもう、わたしを見つけてくれた「あなた」の名前は永遠にわからないのだ。

で はこの「you」とは誰なのだろう?「I」が恋した人と考えると「名前は決してわからない」とあるのがつながらない。この曲を聴いたリスナーはそれは自分 だと思うのではないか。すでにわれわれはパートスの世界、彼女の歌が描く世界に取り込まれてしまっている。われわれ一人一人は、自ら命を絶とうとしている 人間の、一番身近にいるのだ。

ボーカルのパートが終わると、メロトロンが鳴り響く神聖な雰囲気を持ったパートが始まる、ギターが感傷的なメロディーを奏でる。そして激しいけれどもどこか平和なシンセソロで曲はやや唐突に終わる。

まるで詩的に装飾された遺書のような歌詞である。
最初のアルバムの最初の曲がこれである。スゴイ。

ち なみにアルバムトータル時間は40分を切るLP時代を彷彿とさせる長さ。しかしあらゆる要素が混在する密度の高いアルバム。ラストの曲はブラスまで導入し たジャズロック風インストゥルメンタル満載の曲。このバンドはドラムのキレが凄いから、アンニュイな雰囲気を持っていても、ムードに流されないことを再確 認。

キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」並に多様な曲が平然と並び、一つの世界を作り上げているデビュー作にして傑作。

Paatoslive
 

2009年2月18日水曜日

「クレイジー・ダイアモンド」 ピンク・フロイド


原題:「Shine On You Crazy Diamond」


■「Wish You Were Here
「炎 〜あなたがここにいてほしい〜」収録



輝け狂ったダイアモンド パートI
  
若かった頃を思い出すんだ
おまえは太陽のように輝いていた
輝け 狂ったダイアモンドよ
今おまえの瞳の中には
空に浮かぶブラックホールがあるみたいだ
輝け 狂ったダイアモンドよ
子供時代とスターの身分の板挟みにあい
鋼鉄でできたそよ風に乗って吹き飛ばされてしまった
さあ 遠くから嘲笑される標的となったおまえ
さあ よそ者となったおまえ
伝説となったおまえ 殉教者となったおまえ
さあ 輝くんだ!

  
おまえはあまりに早く秘密に手を伸ばした
おまえは月が欲しいと泣き叫んだ
輝け 狂ったダイアモンドよ
夜は多くの影におびえ
ライトにさらされ続けたお前
輝け 狂ったダイアモンドよ
そうさ おまえはきまぐれに几帳面で
自分自身に長居をして嫌がられ
鋼鉄でできたそよ風に乗って行ってしまった
さあ 快楽主義者 幻視者
さあ 画家
笛吹き 捕われし者
さあ 輝け!

  

輝け狂ったダイアモンド パートII
  
おまえはがどこにいるのか 誰も知らない
どれくらい近くにいるのか 遠くにいるのか
輝け 狂ったダイアモンドよ
もっとたくさんの層を積み上げるんだ
そうすればそこで 僕もおまえと一緒になれるだろう
輝け 狂ったダイアモンドよ
そうしたら 僕らは昨日の大勝利の影を気持ちよく浴びて
鋼鉄でできたそよ風に乗って船出するんだ
さあ 少年であり子供であるおまえ
勝利者にして敗北者
さあ 真実と妄想を掘り続ける鉱夫よ
輝け!

 

Shine On You Crazy Diamond part I
  
Remember when you were young,

you shone like the sun.
Shine on you crazy diamond.
Now there's a look in your eyes
like black holes in the sky.
Shine on you crazy diamond.
You were caught in the cross fire of childhood and stardom,
blown on the steel breeze.
Come on you target for faraway laughter
come on you stranger, you legend, you martyr,
and shine!


You reached for the secret too soon,
you cried for the moon.
Shine on you crazy diamond.
Threatened by shadows at night,
and exposed in the light.
Shine on you crazy diamond.
Well you wore out your welcome with random precision,
rode on the steel breeze.
Come on you raver, you seer of visions,
come on you painter, you piper, you prisoner,
and shine!

  

Shine On You Crazy Diamond part II

  
Nobody knows where you are, how near or how far.
Shine on you crazy diamond.
Pile on many more layers and I'll be joining you there.
Shine on you crazy diamond.
And we'll bask in the shadow of yesterday's triumph,
and sail on the steel breeze.
Come on you boy child, you winner and loser,
come on you miner for truth and delusion,
and shine!


【解説】

ピ ンク・フロイドのアルバム中、一番感情がストレートに現れているのがこの「Wish You Were Here」だろう。「The Dark Side of the Moon」(邦題:「狂気」)までは、サイケデリック色、実験色が強く、新しいことに挑戦するんだ新しい音楽を作るんだというような、強い意志と余裕が あったように思う。

それは「The Dark Side of the Moon」でもそうだ。心の底をのぞくような奇跡的な音を作り上げながら、本人たちは実に冷静にそれを見ている感じがする。また「Wish You Were Here」の次のアルバム「Animals」(邦題:「アニマルズ」)は、さらに批評家的な立場まで下がって、現代を描こうとしている。唯一この 「Wish You Were Here」だけが、その時の複雑な心情をストレートに吐露しているように思うのだ。

ピンク・フロイドはオリジナルメンバーであったシド・バレットをフロントマン(ボーカル&ギター)として1967年にデビューする。シド・バレット21歳の時だ。しかしシド・ バレットはロック・スターとして急激な成功を手にしながら、一年後にバンドを去る。ドラッグ(LSD)のやり過ぎとヒット後のプレッシャーで精神を病み、 奇行を繰り返し、ついには次作「神秘」の制作途中で、事実上解雇されてしまうのだ。

シドは元々は穏やかな、絵を描くことが好きな青年だったようだ。「画家(painter)」はそこから出てきた言葉かもしれない。無邪気で繊細で実質的に リーダーだったシド。しかしその彼を解雇しなければならなかったバンドメンバーには、そのことが一種のトラウマとして心の底に残っていたのかもしれない。

「The Dark Side of the Moon」の予想外の大成功で、彼らはシドと同じ立場におかれた。そしてシドを襲ったプレッシャーや自己と周りのイメージの乖離などの苦しみを、この時共有したのではないか。その思いが「Shine On You Crazy Diamond」や「Wish You Were Here」となり、そして状況に振り回される自分たちを皮肉った曲として「Welcome To The Machine」や「Have A Cigar」が生まれた。

さてここまではこのアルバム、あるいは「Shine On You Crazy Diamond」の背景である。それはメンバーの思いでありメンバーが陥っていた状況である。それだけでこの曲を「悲劇の天才を偲んで歌った曲」として片付けて良いのか。実際この曲がシドを歌ったものだとか、シドに捧げるといった文言は、アルバムのどこにも記されていない。それでもこの曲がリスナーを打ちのめす力を持っているのは、サウンド面の素晴らしさだけでなく、詞にも普遍的な力があるからではないか。

まず「Crazy Diamond」という表現。もちろんダイアモンドは美を素材としてもとから持っている(カットするにしても)わけだから、天才的な資質を持っていたシド を比喩しているのは同然だけれども、それを知らないでこの言葉を聞いたらどうだろう。魅惑的で妖しいイメージが広がらないだろうか。

diamondがcrazyとはどういうイメージなのか?素晴らしい資質を持ちながら、現実とうまく折り合いをつけられない「おまえ」を、ここでは「狂ったダイアモンド」 と呼びながら「輝け」と繰り返す。

それは哀れみではなく、呼びかけであり励ましであり、同じ状況の自分たち自身を支えるための精一杯の言 葉だったのではないか。そしてシドが陥った世界とは別の意味で、われわれも現実との折り合いの中で苦しみ、精神的な危機感を常に抱えているのではないか。 様々な相反する言葉は、そのまま精神が分裂しそうな世界に住んでいるわれわれ自身にも重なる。

つまりバンドのメンバーがシドの思いを共有したのと同じように、この詞の「おまえ」にリスナーは自分を見て、それでも「輝け」と繰り返される言葉に心がふるえてしまうのではないか。

パートIからパートIIに移ると詞の内容が変わる。「僕」も「おまえ」のところへ行くぞ、一緒に過去の栄光を味わいながら、船出をするぞと語りかける。リスナーは自分を思う。いつか自分を理解してくれる人の現れること。

アルバム「狂気」は外側から見た狂気だった。「炎」は実は、より内面に踏み込んだ、われわれ皆が抱え込んでいる狂気に触れたアルバムだったのではないかと思うのである。