2011年2月10日木曜日

「スタグネーション」ジェネシス

 原題:Stagnation / Genesis








Stagnation / 淀み


ここで今日
赤い空が自分の話しを語り始める
でも耳を傾けるのはただ僕の両目のみ
山々は平和に満ちている
夜のとばりは僕の全ての自尊心を隠してくれるだろう
  
彼らは幸福なり
肉体から解放され微笑む者たちよ
僕には救済を待ち続けている
あらゆる他の群衆と同じに見えるけれど

待って
まだ時間がある
水たまりで洗い物をする時間が
過去を洗い流すんだ

僕が昔失った友人が
空から微笑みかけている
僕の涙に微笑んでいる

おいで
一緒に小径を歩こう
僕の家に続く小径を
夜の外側にいよう
氷のように冷たいナイフがやって来て
死体を飾り付ける
どういうわけか

二人はそれぞれの家を見つけるだろう
まだ時間は残されているだろう
なぜなら愛する友よ
- 君はそこにいてくれるのだから -
僕は永遠に待とう
もの言わぬ鏡の横で
そして苦い雑魚を釣り上げるんだ
水草やどろどろした
水の中で

僕は、僕は、僕は、僕は、僕は
僕は、僕は、僕は、僕は、僕は
言ったんだ 座りたいんだと
僕は、僕は、僕は、僕は、僕は
僕は、僕は、僕は、僕は、僕は
言ったんだ 座りたいんだと
飲み物が欲しいんだ
飲み物が欲しいんだ

僕のノドから埃と泥をすべて取り出すために
飲み物が欲しいんだ
飲み物が欲しいんだ

僕の内蔵の奥底にある
汚物を洗い流すために
飲み物が欲しいんだ

そうだ一緒に飲もう
そして一緒に微笑もう
そして一緒に行こう


Here today
The red sky tells its tale
But the only listening eyes are mine
There is peace amongst the hills
And the night will cover all my pride

Blessed are they
Who smile from bodies free
Seems to me like any other crowd
Who are waiting to be saved

Wait
There still is time
For washing in the pool
Wash away the past

Moon
My long lost friend
Is smiling from above
Smiling at my tears

Come
We'll walk the path
That takes us to my home
Keep outside the night
The ice-cold knife has come
To decorate the dead
Somehow

And each will find a home
And there will still be time
For loving my friend
- You are there -
And will I wait forever
Beside the silent mirror
And fish for bitter minnows
Amongst the weeds and slimy
Waters

I, I, I, I, I
I, I, I, I, I
Said I wanna sit down
I, I, I, I, I
I, I, I, I, I
Said I wanna sit down
I want a drink
I want a drink

To take all the dust
And the dirt from my throat
I want a drink
I want a drink

To wash out the filth
That is deep in my guts
I want a drink

Then let us drink
Then let us smile
Then let us go

【メモ】
ジェネシスが1970年発売した2ndアルバム「Trespass(侵入)」からの一曲。ギターがアンソニー・フィリップス、ドラムスがジョン・メイヒューという布陣で、ギターにスティーヴ・ハケット、ドラムスにフィル・コリンズを迎えた、いわゆる黄金のラインアップ直前のバンドによるアルバムである。“黄金期”ほどに演奏や楽曲に派手さはないが、個性的なピーター・ガブリエルのボーカルをメインに、アコースティックさ溢れる雰囲気と、意外とストレートなリズムを叩き出すジョン・メイヒューが印象的だ。すでにドラマチックなジェネシスワールドは形作られている。

その中でもアコースティックで静的なイメージから、インストゥルメンタルがボーカルの伴奏の域を超え、一体となってシンフォニックな世界が交錯する「Stagnation」は魅力的な一曲である。

そしてその歌詞もなかなか興味深い。


歌詞そのものを見る前に、当初アルバムが発表された際にこの曲に書き添えられていた文章を見ておきたい。

To Thomas S. Eiselberg, a very rich man, who was wise enough to spend all his fortunes in burying himself many miles beneath the ground. As the only surviving member of the human race, he inherited the whole world.


トマス・S・アイゼルベルグ氏に捧ぐ。彼は富豪であり、賢くもその全財産を投じて自らを地下深くに身を隠した。人類最後の生存者として、彼は全世界を受け継いだのだった。

「地下深くに身を隠す」という表現は、「人類最後の生存者」という言葉とともに、核戦争とそれを逃れるための核シェルターを連想させる。1970年というアルバムが発表された時代は米ソが核開発を競い合う冷戦時代。核保有国も増加し1968年にはフランスが初の水爆実験を行なっている。


この“前書き”を前提に歌詞を解釈してみることにしたい。

まず「僕」が「Here today(ここで今日)」と念を押すように冒頭で言っているのは、「僕」が「ここで今日」地下のシェルターから地上へと戻って来たことを示しているのではないか。「僕」にとっては重要な場所であり日なのだ。つまり「アイゼンベルグ氏」が一人称で語る、核戦争後の地上へ地下から舞い戻ってきた後の話がこれから展開されるのである。
  
 そこでまず出くわすのが「赤い空」が語る話である。「赤い空」はその連の最後に「夜」という言葉が出てくることから、「夕焼け」ではないかと思う。「耳を傾ける(listening)」のは耳ではなく「僕の両目のみ(only my eyes)だ。「赤い空」が語るのは「音」ではなく「視覚」に訴える“物語”だということか。つまりそれは「核戦争が行なわれてしまった」ということを、「僕」が「赤い空」が照らす地上の光景を見て感じ取ったのかもしれない。
  
そこに広がる一見平和に満ちているが、「赤い太陽」の話に耳を傾けるのは「僕」だけだ。その平和に見える世界には、見える範囲で自分以外に人影がや動くもののない静寂の光景なのではないだろうか。

「The night will cover all my pride」というのは、財産があることで自分一人地下深くのシェルターで生きながらえようとした“高慢”な行為を、「僕」は恥じているのかもしれない。地上へと舞い戻ってきたその姿を、誰かに見られたくないのだろう。夜の闇の中なら、高慢なる自分の存在が、人目につかずにいられるのだ。

ここで注目しておきたいのは、人目を気にしているということは、“前書き”に反して「僕」は人類最後の生き残りだとはまだ自覚していないということである。赤い空の下、しかし風景は平和に見える。そこで核戦争が行なわれた後に、人類が全滅してしまっているということは、「僕」はまだ知らないのだろう。

第2連では「僕」に対比する存在として「彼ら」について語られる。それも「肉体から解放され微笑む者たち」、つまり死者。「微笑む」というところから考えると「殉教者」か。さらに「救済を待つ者たち」、つまり様々な宗教の信者。「Blessed are they(彼らは幸福なり/幸いなり)」という言葉は、両者に向けられている。「any other crowd / Who are waiting to be saved.」と「救済を待つ者たち」は現在進行形で書かれている。つまり「僕」はまだそういう者たちが生存していると思っているということだろう。

そして「僕」は、一見殉教者の方が上のようだが、殉教者も信者も同じように見えると言う。つまり両者と距離を取っている。なぜなら僕は宗教に頼るのではなく、現実的選択として核シェルターに身を潜めたのだから。

第3連で彼は「待って/時間はまだある」と言う。生きる時間にピリオドを打たれたのではない、まだ自分は生き続けることができる。だから「高慢」と言われるような自分の行為を「プール(水たまり)で洗い流す」と言う。「僕」が自分自身をどこかで恥じているとすれば、それは宗教を否定したからではなく、財産があるものだけに許された特権的な方法だったからかもしれない。

第4連で「月」が、かつて「僕」が失った友人(friend)として登場する。太陽に続いて、夜の訪れとともにシェルターに潜んでいた間関係を失っていた「月」にも、久しぶりに会うことができたのだ。「月」は微笑む。久しぶりに会えた「月」の微笑みに、「僕」は涙してしまう。

そして「僕」は地上でかつて住んでいた家に帰ろうとする。「月」を共として。そして「Keep outside the night(夜を避けるんだ)」と言う。「夜」は自分の「自尊心」を隠してくれる安心できる時間帯ではなかったか。かつての「友」である月にも会えた時間ではないのか。その理由が次に書かれた内容に思える。「氷のように冷たいナイフがやってきて/死体を飾り付ける/どういうわけか」

ここで「dead(死体)」が初めて語られる。しかし「僕」はすでに「平和」に思えた風景の中に生きている自分とは別の、死んでいる人々を見ていたはずである。家への帰り道でもそうだ。その死体は夜の間に傷つけられるとは、死体が普通と違う早さや様相で変化していく様に気づいたのかもしれない。地上に出た「僕」はすぐに夜を迎える。まるで夜になったのが、そして暗くなったのがいけなかったかのように、死体は変容をもう始めている。それも「ナイフが切り刻んで飾り付けでも行なっている」かのように残忍に。そして異様に。

だから「夜を避けて」、「僕」は家へ、友である「月」も家へ帰るのだ。僕らにはまだこれからの時間がある。愛する友である「月」は例え視界から消えても決していなくなることもなく、そこにいて僕と一緒に生きてくれるのだ。

「僕」はここで友は「月」以外にはいない、つまり人類は自分を残して死に絶えたことを感じたのかもしれない。

次の連では「僕は永遠に待とう」という。何を待つかはわからない。奇跡的な生存者に出会うことか。それとも自らの命の終わりか。しかし「待つ」ことを自分の使命にしようとする。実際それ以外に何ができるというのか。
 
「もの言わぬ鏡の横で」とは常に自分を映す鏡の近くで、自分と無言で向き合いながらいようということだろうか。「水草やどろどろした水の中で苦い雑魚を釣り上げる」という表現は、自力で食べ物を得て生きていくことを述べつつ、描写には汚染され腐敗した自然の姿が込められているかのようだ。

この連は歌詞全体の中でも最も印象深い。静かにつぶやくような歌唱とメランコリックなメロディーが、これからの生活に対する「僕」の暗く沈んだ思いに、なぜか寓話のような淡々とした静けさを加えている。

しかしこの連は「will」という未来(これからそうなるだろう)、あるいは意志(これからそうしよう)の形の文章である。しかし次の連から歌詞は大きく展開していく。まず「I(僕は)」の執拗な繰り返しの後に述べられる「言ったんだ/座りたいと/飲み物が欲しいんだ」。ここまで抑えてきた感情が爆発したかのような叫びである。「座りたい」「飲み物が欲しい」という“欲求の発露”は、ここが始めてである。

さらに「said(と言った)」と過去形が使われているということは、すでに口に出していたがそれには触れまいとしていたのだが、触れずにはいられなくなった。つまり、立っていられなくなった自分に動揺している姿が目に浮かぶのである。

この連から次の連にかけては、突然大きな喉の渇きに襲われたような様子が綴られる。そうそれは放射能渦巻く世界を彷徨っていた自分の体にも、ついに死に至る変調がやってきたのであろう。サウンドも「I」の連呼に合わせてハードなものに切り替わり、感情の爆発を演出しているかのようである。

最終連で「一緒に飲もう/一緒に微笑もう/一緒に行こう」と「Let us」の文が続くが、これは愛する友としての「月」に向って言っているのだろう。この部分はサウンドに被さりコーラスのように歌われる。それは消えゆく叫びのように、あるいは声にならない心の叫びのように聴こえる。それは死を覚悟した叫び、「僕」の断末魔ではないか。そして死への孤独を思い「月」に一緒にいて欲しいと呼びかける叫びである。

以上のように、わたしはこの歌詞をかなり壮絶な内容を描写したものとして解釈した。もしかすると「僕」は、地上に戻ったその場所から、一歩も動いていないのかもしれない。すべてはその場で思いを巡らせていただけで、夕方から夜へと時間だけが過ぎて行ったのかもしれない。きっと「彼が全世界を受け継いだ」のは、わずかなわずかな時間に過ぎなかったのだ。

核戦争後に、地下に一人避難していた「僕」は地上に戻り、不気味なほど静かで“平和”に見える世界を目にし、実際は荒廃し死体ばかりが横たわる中を複雑な思いで家へと向おうと思う。すでに陽は傾き夜になる。次第に自分が最後の生存者だということが理解され、一人月を友に生きる生活を思う。しかしそれも束の間、自らの命ももう尽きようとしていたことを知る。

アルバム「Trespass(侵入)」では、やはりラストの「The Knife(ザ・ナイフ)」が、Genesisがプログレッシヴ・ロックの道へ進み始めた最初の成果として注目されることが多いように思う。実際にステージでは頻繁に取り上げられていた曲であったともいう。しかし、このアルバムの白眉はこの「Stagnation」ではないかと思う。

最後に「トマス・S・アイゼルベルグ氏に捧ぐ。…」という前置きは、「誰」の言葉なのかを考えてみるのも面白いかもしれない。かつて「地球人」が存在したことを知った「宇宙人」か?それとも旧地球人の後に生まれた新地球人(新人類)だろうか?

 
 

2 件のコメント:

  1. ほぼ私のリクエストに応える形で『侵入』のこの曲を取り上げてくださり、本当にありがとうございます。
    一読して大変な熱意をもって作業にあたってくださったことが伝わってまいりました。
    この曲がアルバムの白眉だというはまったく同意見です。
    叙情的な雰囲気をところどころで裏切るかのような歌詞、次々に移り変わる情景、
    ジェネシスの曲の中でも最高傑作の類だと個人的には思います。

    >「僕」は、地上に戻ったその場所から、一歩も動いていないのかもしれない。
    これは見事な解釈だと思いました。
    断末魔という解釈もいいですね。
    情景の激変がきれいに説明される、論理的考察だと思います。
    この曲の魅力を再発見したように思いました。
    ありがとうございました。

    言うことはないのですが、少しだけ個人的に感じたことを付け加えされていただきます。

    Who smile from bodies free

    私はこれを、体が拘束されていない、行きたいところへいける自由な西側の人間という風に捉えました。
    つまり、幸せに見える西側の人間も欺瞞と腐敗の中にいるんじゃないかと。それが最後に、『自分の中の汚物を洗い流したい』という叫びとなって爆発する。
    私はこれを聴いて当時の英国の若者の、冷戦の最中にあって平安な生活を送る自分達に対する深い疑問のようなものが根底にあるんじゃないかと感じました。

    そんなわけで『月』は単純に東側、ソビエト連邦の象徴なんじゃないかと思っていました。
    手の届かない遠く、でも『君はそこにいる』からまた仲良くできるんじゃないかと。
    ………絶望の中の希望、ですよね。
    『氷のようにつめたいナイフがやってきている』。だからそれを見ないようにして。すでに幻想の中かもしれません。

    物言わぬ鏡のそばで ………この部分綺麗ですよね。

    人類が滅びて丘には平和がある。
    やるせなさを感じる歌です。

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  2. ご丁寧なコメントをありがとうございました。

    1970年前後という時代背景を考えると、東西冷戦という最終戦争の恐怖だけでなくベトナム戦争という「今も戦い死んでいる同じ若者たちがいる」という現実もあったわけですよね。

    だから当時のイギリスの若者の間には、戦争を止められない政治家や体制、あるいは宗教への不満とともに、何もできないどころか、安穏と平和をむさぼっているかのような自分たちへの批判や無力感や苛立ちみたいなものも確かにあったのだろうと思います。

    Pink Floydの「狂気」の中の曲「Us and Them」にもそんな思いが込められている気がします。

    しかしこの「侵入」のPeter Gabrielのボーカルはいいですねぇ。このアルバムをご紹介いただいてとても良かったです。

    TAKAMO

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