■「恐るべき静寂」(TAI PHONG)収録
先日の夜わたしは奇妙な夢を見た
わたしは雲の上に浮かんでいた
そこは楽園の中
友がいた
何年か前に失った人々の姿が
目はしっかり見開いているのだが
見ることができなかった
私は雲の中で一人
私は一生懸命夢が消えないようにしたけれど
その時涙が流れ始めたのだった
夜のとばりから
雷鳴と稲妻がやって来た
私は嵐に巻き込まれた
風の吹き荒れる音は
私の理性を完全に吹き飛ばした
夜明けが来ることを待っていた時にあまたある行く手に沿って進み
わたしは自分の道をみつけ
かなり内部を歩こうと待ち続けた
何かの名前を呼んだが
そこへ至ることはできなかった
だからと言ってできるこは他には無く
私は大胆なほどに涙を流し
翼を広げると
ゆっくりとベッドへと戻っていったのだった
夜が終わり
昼も終わることができると思った時
わたしは夜明けの罪深さがわっかったのだ
I had a funny dream the other night
I was a-floating on a cloud
It was in paradaise
My friends were there
The ones I lost some years ago
Although my eyes were bright
I couldn't see
I was alone amidst the cloud
I tried so hard
To keep my broken dream
But then my tears began to flow
Out of the night
Came the thunder and the lightening
I was caught by the storm
The howling wind
Made me lose my head completely
As I wait for the dawn
Along the many paths
I found my way
Waiting to walk some inside
I called the names some things
But to be thereBut there was nothing I could do
I cried some hardy tearsAnd spread my wings
And let my self crawl back to bed
When night is over
And day can cease
I found it guilty of the dawn
(All lyrics transcripted by Linda Hennick
LPインナースリーブ記載)
LPインナースリーブ記載)
【解説】
Thai Phong衝撃にデビューアルバムより、最終曲「Out Of The Nihgt(闇の彼方へ)」である。嵐のようなSEで始まる11分半に及ぶアルバム最大の大曲。
ゆったりしたリズム、背後でなり続けるオルガンに乗って優しく歌われる様は、ピンク・フロイド的である。しかし甘いメロディーと女性的な柔らかい声のせいでフロイド的な神秘さよりも、詞の内容にマッチした甘美さが全面に出ている。
詞は自分が見た夢について書かれれている。最初の連で出てくる「I was a-floating on a cloud」の「a-floatnign」は、古語や方言でdoing形の前につくa-と解して、「I was floating on a cloud」と同義に訳した。したがって、先日の夜見た夢の中で、「わたし」は雲の上に浮かんでいたのだ。そこは楽園であり、すでに失った友たちがいることにも気づいた。
「paradise(楽園)」には「heaven(天国)」の意味もあるので、「The ones I lost」は「失った友だち」とも「死んでしまった友だち」とも取れる。
しかし「友がいた」と言っているだけで、「会った」とも「話した」とも書いてはいない。あくまで「楽園」の中で、見かけただけなのだ。
第2連ではすでに、その夢は薄れかけている。目を見開いてはっきりと見ようとするのだけれど、結局見えていた友の顔も見えなくなり、「わたし」は雲の上で一人になる。喜びはつかの間だったのだ。
その夢の世界が消え去らないようにと願っているが、結局それはかなわないとわかっているからか、涙がこぼれてきたのだ。それは夢が消えることの悲しみというより、失った人をかいま見ることによって、再び失った悲しさがこみ上げてきたのかもしれない。
第3連、ここで曲の最初のSEのように、闇のとばりより雷鳴と稲妻が轟く。嵐の中で物事を考えることは全く出来なくなり、私はもう夜が明けるのを待っているのみ。
サウンド的にも嵐が去ったような静けさが戻る第4連、やがて理性を取り戻した「わたし」は再び自分の道を見つける。その楽園のような場所へと通じる道を。そしてその中を歩き回ろうと思っている。再び同じ夢の中へと入っていこうとするのだ。言わば半覚醒状態。
「I called the names some things」は「I called the names and some things」と解した。友の名前などなどを呼んだのだ。「But to be there」は「to be there」(その場所へ行くために)を否定していると考える。「結局そこへは行けなかったのだ」と、前行の「I called ...」の結果の不定詞の否定。
したがって「わたし」にできることはもうなくなってしまった。「hardy」は「大胆な、向こう見ずな、勇敢な、強い」という、プラスのイメージの言葉。しかしここでは打つ手の無くなった自分が涙を流す様子の凄まじさを描く一言か。
ついに夢の世界へ戻ることをあきらめた「わたし」は「翼を広げベッドへと静かに戻る」のである。この自分の意志で「翼を広げた」時点で、「わたし」は夢から覚醒しているのかもしれない。意識して「楽園」を後に、眠りの世界へと戻ろうとしている。
そして夜も終わり、昼間も終わりまた夜がやってくる。しかし夜の帳を開けるのは「dawn(夜明け)」である。雷鳴と雷光に理性を失っていた私が求めていた「夜明け」はまた、「不思議な夢」が現れるような夢の時間を終わらせる時なのだ。
この歌は理屈でどうこうと言うよりも、懐かしい友のいた不思議な「楽園」の夢の世界と、現実の雷鳴と落雷に動揺する「わたし」の、夢と現実が交錯する幻想的な感覚を表しているようだ。「楽園」に行けなくなったことを嵐のせいにしているわけでもない。偶然が織りなした不思議な夜の体験。嵐の動と夢の静の対比。
曲は最後に雨音で終わる。まだ嵐は終わってはいないかのように。そして実は夢の世界はまだ終わっていないかのように。
ゆったりしたリズム、背後でなり続けるオルガンに乗って優しく歌われる様は、ピンク・フロイド的である。しかし甘いメロディーと女性的な柔らかい声のせいでフロイド的な神秘さよりも、詞の内容にマッチした甘美さが全面に出ている。
詞は自分が見た夢について書かれれている。最初の連で出てくる「I was a-floating on a cloud」の「a-floatnign」は、古語や方言でdoing形の前につくa-と解して、「I was floating on a cloud」と同義に訳した。したがって、先日の夜見た夢の中で、「わたし」は雲の上に浮かんでいたのだ。そこは楽園であり、すでに失った友たちがいることにも気づいた。
「paradise(楽園)」には「heaven(天国)」の意味もあるので、「The ones I lost」は「失った友だち」とも「死んでしまった友だち」とも取れる。
しかし「友がいた」と言っているだけで、「会った」とも「話した」とも書いてはいない。あくまで「楽園」の中で、見かけただけなのだ。
第2連ではすでに、その夢は薄れかけている。目を見開いてはっきりと見ようとするのだけれど、結局見えていた友の顔も見えなくなり、「わたし」は雲の上で一人になる。喜びはつかの間だったのだ。
その夢の世界が消え去らないようにと願っているが、結局それはかなわないとわかっているからか、涙がこぼれてきたのだ。それは夢が消えることの悲しみというより、失った人をかいま見ることによって、再び失った悲しさがこみ上げてきたのかもしれない。
第3連、ここで曲の最初のSEのように、闇のとばりより雷鳴と稲妻が轟く。嵐の中で物事を考えることは全く出来なくなり、私はもう夜が明けるのを待っているのみ。
サウンド的にも嵐が去ったような静けさが戻る第4連、やがて理性を取り戻した「わたし」は再び自分の道を見つける。その楽園のような場所へと通じる道を。そしてその中を歩き回ろうと思っている。再び同じ夢の中へと入っていこうとするのだ。言わば半覚醒状態。
「I called the names some things」は「I called the names and some things」と解した。友の名前などなどを呼んだのだ。「But to be there」は「to be there」(その場所へ行くために)を否定していると考える。「結局そこへは行けなかったのだ」と、前行の「I called ...」の結果の不定詞の否定。
したがって「わたし」にできることはもうなくなってしまった。「hardy」は「大胆な、向こう見ずな、勇敢な、強い」という、プラスのイメージの言葉。しかしここでは打つ手の無くなった自分が涙を流す様子の凄まじさを描く一言か。
ついに夢の世界へ戻ることをあきらめた「わたし」は「翼を広げベッドへと静かに戻る」のである。この自分の意志で「翼を広げた」時点で、「わたし」は夢から覚醒しているのかもしれない。意識して「楽園」を後に、眠りの世界へと戻ろうとしている。
そして夜も終わり、昼間も終わりまた夜がやってくる。しかし夜の帳を開けるのは「dawn(夜明け)」である。雷鳴と雷光に理性を失っていた私が求めていた「夜明け」はまた、「不思議な夢」が現れるような夢の時間を終わらせる時なのだ。
この歌は理屈でどうこうと言うよりも、懐かしい友のいた不思議な「楽園」の夢の世界と、現実の雷鳴と落雷に動揺する「わたし」の、夢と現実が交錯する幻想的な感覚を表しているようだ。「楽園」に行けなくなったことを嵐のせいにしているわけでもない。偶然が織りなした不思議な夜の体験。嵐の動と夢の静の対比。
曲は最後に雨音で終わる。まだ嵐は終わってはいないかのように。そして実は夢の世界はまだ終わっていないかのように。
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