原題:Exiles / King Crimson
Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)収録
この遥か遠くの地において今
不思議なことにわたしの手のひらには
期待で汗がじっとりとにじんでいるのだ
春、空気は暖かくなっていく
街の灯り 路地裏で歩兵隊遊びをする
子どもの眼差し
友たち - 彼らは私の言いたいことをわかってくれるだろうか?
郊外の午後に降る雨 そして生い茂る緑
あぁしかし 私は行かねばならなかった
足跡は遥か後ろに置き去りにした
名声からの呼びかけに応じるために
さもなくば飲んだくれとして名を上げるだけだった
その結果今 以前よりましなこの生活で
これまでとは違った理解の仕方をするようになったし
こうした終わりなき日々から
より大きな共感を得るようになるだろうけれど
そしてまた 時というものが
孤独のもたらす害ではないと思っているのだけれど
私の家は砂浜に近い場所だった
断崖と軍楽隊が
普通の音楽を奏でていたものだ
Now in this faraway land
Strange that the palms of my hands
Should be damp with expectancy
Spring, and the air's turning mild
City lights and the glimpse of a child
Of the alleyway infantry
Friends – do they know what I mean?
Rain and the gathering green
Of an afternoon out of town
But lord I had to go
The trail was laid too slow behind me
To face the call of fame
Or make a drunkard's name for me
Though now this better life
Has brought a different understanding
And from these endless days
Shall come a broader sympathy
And though I count the hours
To be alone's no injury
My home was a place by the sand
Cliffs and a military band
Blew an air of normality
【メモ】
King Crimsonがメンバーを一新し、よりインストゥルメンタル、インプロヴィゼーション志向が強まった1973年発表のアルバム「Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)」からの一曲。
その後次第に活躍の場がなくなっていくデヴィッド・クロス(David Cross)の美しいヴァイオリンが印象的な曲。実際デヴィッド・クロスはその後も現在に至るまでこの曲を自身のレパートリーとして演奏している。彼の思い入れの強さがわかる。ずばり「Exile」(1997)というソロアルバムも出しているし。
それとともに、今ではなかなか聴けなくなったロバート・フリップ(Robert Fripp)のアコースティック・ギターや、くぐもった独特な音色のギターソロ、デヴィット・クロスのフルート、そして背後で鳴り響くメロトロンなど、この時期を印象づける爆発的なエネルギーとは別の、静かな緊張感と哀愁に溢れた、ドラマチックながらもアコースティック色の強い名曲だ。
タイトルは「Exiles」と「exile」の複数形になっているから、「私」一人のことを言っているのではなく、「私」と同じように故郷を離れ、故郷を思いながら生活している人のことを念頭に置いているのかもしれない。
もともと「exile」とは自分の生まれた、あるいは住んでいた国、町、村、家からの追放、あるいは自分の意志による亡命、異郷での長期に渡る生活を意味する。「追放」にしても「亡命」にしても、自分の心はその地に残っているが、離れざるを得なかったという悲しみ、帰れるものなら帰りたいと言う望郷の念が込められているのだ。
歌詞の出てくる「私」も、「飲んだくれの生活」から抜け出し「名声」を求めて、故郷を遥か離れた今の地で以前よりは増しな生活を営んでいる。
季節は春。ぬくもりの増す大気を感じて、何かわからないけれど期待に手のひらが汗ばむ「私」。何げない身の回りの風景。しかし思いは故郷に向けられる。故郷の友たちは、故郷を捨ててこの生活を手にした今の「私」を理解してくれるだろうかと。「名声」を求めて故郷を後にしたのだけれど、でもそうでなければ今頃飲んだくれて名を上げていたんだよと。
今の生活に満足し孤独にも慣れた「私」ではあるが、「私」の中では故郷を残して「行かねばならなかった」ことへの無念さが残っているのだ。
そして現在暮らしている郊外の緑豊かな地で、砂浜に近い場所にあった故郷の家に思いをはせる。そこには「断崖(cliffs)」を抜ける風や波の奏でる音楽(air)や軍楽隊が練習する音楽(air)が聴こえてくる場所だった。軍の駐屯地があったのかもしれない。だから「私」は「路地裏で歩兵隊遊びをする子ども(a child of the alleyway infantry)」の眼差しに思わず目を留めて、故郷への思いが甦ってしまったのだろう。
作詞はバンドメンバーではないリチャード・パーマー・ジェイムズ(Richard Palmer-James)によるものだが、「名声」を求め、故郷を離れてツアーに明け暮れるながら「より良い生活」を手にしているバンドメンバーの気持ちにも通じるものがあったはずだ。そんな風にバンドに照らして見てみると、最後の「an air of normality」が、今バンドが突き進んでいる一種「正常でない、変則的な(abnormal)」音楽と対比させて、故郷で聞こえる音楽は平和で変化のない「普通の(normal)」ものだったと言っているようにも思える。
そうしたイマジネーションを刺激するリチャードの詞を、バンドが音によって見事な奥行きと深みを与えた傑作である。
Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)収録
この遥か遠くの地において今
不思議なことにわたしの手のひらには
期待で汗がじっとりとにじんでいるのだ
春、空気は暖かくなっていく
街の灯り 路地裏で歩兵隊遊びをする
子どもの眼差し
友たち - 彼らは私の言いたいことをわかってくれるだろうか?
郊外の午後に降る雨 そして生い茂る緑
あぁしかし 私は行かねばならなかった
足跡は遥か後ろに置き去りにした
名声からの呼びかけに応じるために
さもなくば飲んだくれとして名を上げるだけだった
その結果今 以前よりましなこの生活で
これまでとは違った理解の仕方をするようになったし
こうした終わりなき日々から
より大きな共感を得るようになるだろうけれど
そしてまた 時というものが
孤独のもたらす害ではないと思っているのだけれど
私の家は砂浜に近い場所だった
断崖と軍楽隊が
普通の音楽を奏でていたものだ
Now in this faraway land
Strange that the palms of my hands
Should be damp with expectancy
Spring, and the air's turning mild
City lights and the glimpse of a child
Of the alleyway infantry
Friends – do they know what I mean?
Rain and the gathering green
Of an afternoon out of town
But lord I had to go
The trail was laid too slow behind me
To face the call of fame
Or make a drunkard's name for me
Though now this better life
Has brought a different understanding
And from these endless days
Shall come a broader sympathy
And though I count the hours
To be alone's no injury
My home was a place by the sand
Cliffs and a military band
Blew an air of normality
【メモ】
King Crimsonがメンバーを一新し、よりインストゥルメンタル、インプロヴィゼーション志向が強まった1973年発表のアルバム「Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)」からの一曲。
その後次第に活躍の場がなくなっていくデヴィッド・クロス(David Cross)の美しいヴァイオリンが印象的な曲。実際デヴィッド・クロスはその後も現在に至るまでこの曲を自身のレパートリーとして演奏している。彼の思い入れの強さがわかる。ずばり「Exile」(1997)というソロアルバムも出しているし。
それとともに、今ではなかなか聴けなくなったロバート・フリップ(Robert Fripp)のアコースティック・ギターや、くぐもった独特な音色のギターソロ、デヴィット・クロスのフルート、そして背後で鳴り響くメロトロンなど、この時期を印象づける爆発的なエネルギーとは別の、静かな緊張感と哀愁に溢れた、ドラマチックながらもアコースティック色の強い名曲だ。
タイトルは「Exiles」と「exile」の複数形になっているから、「私」一人のことを言っているのではなく、「私」と同じように故郷を離れ、故郷を思いながら生活している人のことを念頭に置いているのかもしれない。
もともと「exile」とは自分の生まれた、あるいは住んでいた国、町、村、家からの追放、あるいは自分の意志による亡命、異郷での長期に渡る生活を意味する。「追放」にしても「亡命」にしても、自分の心はその地に残っているが、離れざるを得なかったという悲しみ、帰れるものなら帰りたいと言う望郷の念が込められているのだ。
歌詞の出てくる「私」も、「飲んだくれの生活」から抜け出し「名声」を求めて、故郷を遥か離れた今の地で以前よりは増しな生活を営んでいる。
季節は春。ぬくもりの増す大気を感じて、何かわからないけれど期待に手のひらが汗ばむ「私」。何げない身の回りの風景。しかし思いは故郷に向けられる。故郷の友たちは、故郷を捨ててこの生活を手にした今の「私」を理解してくれるだろうかと。「名声」を求めて故郷を後にしたのだけれど、でもそうでなければ今頃飲んだくれて名を上げていたんだよと。
今の生活に満足し孤独にも慣れた「私」ではあるが、「私」の中では故郷を残して「行かねばならなかった」ことへの無念さが残っているのだ。
そして現在暮らしている郊外の緑豊かな地で、砂浜に近い場所にあった故郷の家に思いをはせる。そこには「断崖(cliffs)」を抜ける風や波の奏でる音楽(air)や軍楽隊が練習する音楽(air)が聴こえてくる場所だった。軍の駐屯地があったのかもしれない。だから「私」は「路地裏で歩兵隊遊びをする子ども(a child of the alleyway infantry)」の眼差しに思わず目を留めて、故郷への思いが甦ってしまったのだろう。
作詞はバンドメンバーではないリチャード・パーマー・ジェイムズ(Richard Palmer-James)によるものだが、「名声」を求め、故郷を離れてツアーに明け暮れるながら「より良い生活」を手にしているバンドメンバーの気持ちにも通じるものがあったはずだ。そんな風にバンドに照らして見てみると、最後の「an air of normality」が、今バンドが突き進んでいる一種「正常でない、変則的な(abnormal)」音楽と対比させて、故郷で聞こえる音楽は平和で変化のない「普通の(normal)」ものだったと言っているようにも思える。
そうしたイマジネーションを刺激するリチャードの詞を、バンドが音によって見事な奥行きと深みを与えた傑作である。
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