■The Power & The Glory(1974)収録
欲しいものや必要なものが全部は手に入らないとしても
あなた方が今手にしているもの全ては私の力によるものである、
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
そこで口を開き、主張できるのは誰だ?
今現在我々の置かれている状況というのは
幸とも不幸とも言い難いものだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私なら口を開き、 主張をすることができる
万歳…万歳…万歳
団結こそが力ゆえ誰もが一つにならねばならない、
あなた方は自信に満ち私も希望にあふれるだろう
1人1人が国民だとは思っていないのだ
なぜなら皆は私の民でありそれは変わるはずのないことだからだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私は口を開き、主張をしようと思う
万歳…万歳…万歳
大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳
大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳
大いなる力と栄光に満ちた前途に万歳
今日も明日も
今現在我々の置かれている状況というのは
幸とも不幸とも言い難いものだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私なら口を開き、 主張をすることができる
万歳…万歳…万歳
団結こそが力ゆえ誰もが一つにならねばならない、
あなた方は自信に満ち私も希望にあふれるだろう
1人1人が国民だとは思っていないのだ
なぜなら皆は私の民でありそれは変わるはずのないことだからだ
世の中は変わるとも言えるし変わらないとも言える
私は口を開き、主張をしようではないか
You may not have all you want or you need
all that you have has been due to my hand,
it can change, it can stay the same,
who can say, who can make their claim
The situation we are in at this time
neither a good one, nor is it so unblest
it can change, it can stay the same,
I can say, I can make my claim.
Hail ........ Hail ........ Hail
Unity's strength and all must be as one,
confidence in you hope will reflect in me
I think everyone not as my nation for
you are my people and there must be no change
It can change, it can stay the same
I will say, I will make my claim
Hail ........ Hail ........ Hail
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Hail to Power and to Glory's way
Day by day.
The situation we are in at this time
neither a good one, nor is it so unblest
it can change, it can stay the same,
I can say, I can make my claim.
Unity's strength and all must be as one,
confidence in you hope will reflect in me
I think everyone not as my nation for
you are my people and there must be no change
It can change, it can stay the same
I will say, I will make my claim.
【メモ】
タイトルの「The Power and the Glory」は実際の力(power)と、それが強制的・服従的なものではなく、名誉(fame)や賞賛(admiration)に基づいた高い評価=栄光(glory)であることの、両面を示した言葉と言える。単に強大な力・権力があるだけでなく、その行いや人物に対する高い評価も伴っているのである。
例えば聖書の「マルコによる福音書 13:26」に
Then they will see the Son of Man coming in clouds with great power and glory
(そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。)
とあるように、それはまさに神のように、賞賛され崇拝されるべき絶対権力者を表す言葉なのである。
当然政治における権力者も、力だけでねじ伏せるような単なる圧政者・独裁者ではなく、このthe power and the gloryを有する者を目指す。為政者としての高い評価を得たいわけだ。平たく言えば“人気者”になることを望むのである。
このGentle Giantの第6作目となる「The Power and the Glory」は、そんな政治的権力者の夢と挫折を描いたコンセプトアルバムと言われる。ちなみにグレアム・グリーンにより「権力と栄光」(The Power and the Glory)という長編小説が1940年に出版されているが、Derek Shulmanによれば、その小説に着想を得たわけではないとのこと。
曲はどよめく歓声の上をハネルように軽やかなエレピに導かれ、エコーがかかったボーカルが歌い出す。「Proclamation」とは「宣言、声明」ということなので、権力の座につこうとしている者が、民衆を前に演説をしている風景が目に浮かぶ。
アルバム構成として同じメロディーが最終曲「Valedictory」(別れの言葉)でリプライズされる。この両曲はアルバムの最初と最後に配され、サウンド的にも歌詞的にも明/暗、テーマに沿って言えば希望・熱意/失意・落胆という相対する関係にあると言える。従ってこの「Proclamation」は、まだ自信に満ちた為政者(権力者)としての演説風に訳すことにした。
第一連冒頭、「私」の演説は「You may not have all you want or you need(あなたたち民衆が欲しいものや必要なものを、全部手に入れることはできないかもしれない)」という言葉から始まる。 ここは「not...all...」で部分否定(全てなわけではない/できない部分もあるかもしれない)と解釈した。「求めるものは全て手に入る」と言い切ってしまうより、はるかに誠実だし、民衆の心に訴えるには効果的な言い回しだ。
そしてすかさず2行目で「all that you have has been due to my hand(あなたたちが手にしているものは全て、私の手によるものなのだ。)」 と、未来のことはまだわからないにしても、今手にしているものは全て、私がこうして統治しているから手に入ったものなのだ、と説く。説得の技術を見る思いがする。こうして自分の力や成果を、民衆に印象づけるわけである。
「私」は再び未来のことに触れる。「it can change, it can stay the same(変わることもあり得るし、同じままということもあり得る)」と、やはり安易に未来の夢は約束しない。しかし「who can say, who can make their claim(いったい誰が口を開き、要求をすることができるだろうか?)」と民衆に問う。ここは?マークはないが、反語的疑問文と解釈した。隠された意味は、「いや誰も何も言えはしないだろう…この私を除いては」であろう。この部分の言い回しはこの後繰り返されるごとに、巧みに変化していく。
第二連、現在の状況を手放しで喜んでいるわけではない。「neither a good one, nor is it so unblest = it is neither a good one nor so unblest(幸福な世界でも不幸な世界でもない)」と「私」は言う。もちろんどんな社会にも幸せな人もいれば不幸な人もいる。現状を完全に肯定することは不幸な人を切り捨てることに繋がるのだ。
今の世の中はまだ不完全であり、「変わるとも言えるし変わらないとも言える」と予断を許さない状況であることを説いた上で、「I can say, I can make my claim(わたしなら声を上げられる、私なら主張できる)。」と続ける。「私」の経験や力を持ってすれば、何とか良い方向に変えていくことができる、「私」はその役に相応しい、そう言っているのである。何と典型的な政治家的スピーチであろうか。
ここで第一連では「who can say, who can make their claim」だったのが、「I can say, I can make my claim」と変わっている点が巧妙である。「私」を静かに主張し始めたのだ。でもまだ「can(できる)」と言っている。能力があると言っているのである。
第三連では「私」は民衆の団結(unity)を説く。「Unity's strength = Unity is strengh(団結は力なり)」、そして「all must be as one(全員が一つにならねばならぬ)」。
続く「confidence in you hope will reflect in me」は「confidence (will reflect) in you / hope will reflect in me」と、同じ形の文章が省略されて並んでいるものと考え「(団結して一つになれば)あなた方は自信に満ち、私は希望にあふれるだろう。」と解した。
続く二文はちょっと分かりづらい。前半の最後の「for」を「なぜなら…」と取って、二文目がその理由にあたると考えた。「1人1人が国民だとは思っていないのだ。なぜなら/あなた方は私の民であり、それは変わるはずのないことだからだ。」とは、国家という制度上に成り立っている為政者と民衆という図式を否定している言葉なのではないかと思う。
それはイデオロギーとして全体主義とか共産主義を押し進めようということではなく、個人的な信頼と賞賛の気持ちに基づいた、リーダーと集団との関係みたいなものを、ここでは述べているように思う。だから制度とか体制とかに関係なく、私たちの関係は「there must be no change(変わるはずが無い)」のである。国の為政者として制度に則って選ばれたのではなく(実際そうだとしても)、あなた方1人1人のリーダーとして今ここにいるのだ…というような感じである。
その信頼関係は、これからの社会が「It can change, it can stay the same」と未だわからないものであっても、「no change(変わることは無い)」のだという対比にもなっている。
そして第三連最終行は「I will say, I will make my claim(私は口を開き、私の主張をしよう)」で終る。ポイントは第二連と比べてcan(能力/可能性)からwill(未来/意志)に助動詞が変わったところだろう。「(やる/やらないは別にして)できる」と言っていたのが、明確に「しよう/したい」という意志を示す表現になっているのだ。
こうしてジワジワと「私」は自分の強い意志を段階的に表に出して来たのである。そうすることで少しずつ民衆は「私」の演説に説得させられていくのだ。そして「万歳」「大いなる力を栄光につつまれた前途(way)に万歳」と歓呼の声を上げるのである。
最終二連は、第二連と第三連の繰り返しだが、テンポが上がりアンサンブル的にもより軽やかになっている。そこにそこはかとない「私」の演説の白々しさが感じられるような気がする。
先に触れたようにこの曲は最終曲と対になっていて、希望・熱意/失意・落胆という関係が形作られている。ということは少なくともここでは、言葉巧みに民衆を騙し煽動し、甘い汁を吸おうとしていたわけではなく、権力と栄光を以て「私」は確かに良い為政者になろうとしていたのだとも考えられる。
ならばアップテンポ部分から感じられるのは、「白々しさ」と言うよりは「空虚さ」と言う方が正しいかもしれない。実際その方がリアリティーがあるかもしれない。政治的言説にみられる悪意の無い空虚さ。 そして直面する現実と挫折の予感。この詞はそうした雰囲気を実によく表現したものと言えるだろう。
ちなみに2010年にリード・ボーカルだったDerek Shulmanから、このアルバムに基づいたアニメーション(animated film)を制作中とのアナウンスがあったようだが、いかにもイギリスらしい話という感じがする。なぜかGenesisの「Invisible Touch」(1986)収録曲「Land of Confusion」のPVが浮かんでしまいました。
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