■Foxtrot(1972)収録
i. 恋人たちの跳躍
リビングを横切って、僕はテレビを消す。
君の横に腰掛けて、君の瞳をのぞき込む。
自動車の音が夜の時の流れに消えていく時、
僕は確かに君の顔色が変わったのがわかった、理由があるとは思えなかったけれど。
… やぁ君、その顔には青い守護天使の瞳。
ねぇ君、君は僕らの愛が真実であることがわからないのかい。
互いの瞳を近づけても、2人の間に生まれるよそよそしさ。
庭では、月がとても明るく見える。
6人の聖人のような衣服に身を包んだ男達が芝生をゆっくりと横切って行く。
先頭にいる7人目の男は十字架を片手で高く掲げながら歩いていく。
ねぇ君、もう夕食の仕度はできてるんだよ。
ねぇ君、君は僕らの愛が真実であることがわからないのかい。
僕はここからとても遠い場所に行っていたんだ、
君の温かい腕のぬくもりから遠い場所に。
君を再び感じられるなんて素敵なことだ。
とてもとても久しぶりのことだ。そうだろ?
ii. 永遠の聖域が保証された男
僕は畑の世話をしている一人の農夫を知っている、
彼は澄んだ水で収穫物の手入れをするんだ。
僕は火事の世話をしている一人の消防士を知っている。
君たい、彼が君たち皆を騙していることがわからないんだね。
そうさ、彼はまたここへやって来る、彼が皆を騙していることを君はわからないんだ。
彼とは平和にやるんだ、
借用書にサインをするんだ。
彼は超音波の科学者で、
永遠の聖域が保証された男なんだ。
彼は叫ぶ、わたしの口をさあのぞき込んでと。
至る所で行方知らずになった子どもたち
賭けても良いが、君たちはきっと中に入るだろう。
手を取り合って、
リンパ線とリンパ線を合わせて、
小さじ一杯ほどの奇跡と共に、
彼は永遠の聖域が保証された男なんだ。
僕らはあなた、水蛇座のあなたをあやしてあげるよ、
僕らはあなたを暖かくくつろげるようにしてあげるよ。
iii イクナートンとイツァーコンと陽気な男達の集団
休息を取っている僕らの顔に疲れた感覚を覚えながら、
僕らは野原をいくつも横切って西の子どもたちに会いに行った、
僕らは浅黒い肌の多くの戦士たちに会った、
彼らは地下で立ったまま開戦を待っていた。
戦いが始まった、彼らは出陣した。
平和のために敵を殺すんだ…バーン、バーン、バーン。
バーン、バーン、バーン…
彼らは僕に素晴らしい薬をくれた、
だって僕は感情を抑制することができなかったから。
もし僕が気分が悪くならないでいられたとしても、
たぶん、お祈り薬のカプセルを使用した方が良かっただろう。
今日はお祝いの日、敵が最後を迎えた日。
喜び踊れという命がわが軍の司令官から伝えられた。
iv. 良くもまぁそれほど美しくなれるものだね?
戦いが残した混乱の中をさまよいながら
僕らは人肉の山の頂へと上っていく
緑の草が繁る平原へ、そして生命があふれる緑の森へと。
小さな池のほとりに一人の若人がじっと座っている、
彼は屠殺用の道具で“人肉のベーコン”とスタンプが押されている
(彼とはあなただ)
この若者は生活保護の対象者だ
僕らは畏敬の念を持って彼を見つめる、ナルキッソスが花に変わる時を。
花だって?
i.Lover's leap
Walking across the sitting-room, I turn the television off.
Sitting beside you, I look into your eyes.
As the sound of motor cars fades in the night time,
I swear I saw your face change, it didn't seem quite right.
...And it's hello babe with your guardian eyes so blue.
Hey my baby don't you know our love is true.
Coming closer with our eyes, a distance falls around our bodies.
Out in the garden, the moon seems very bright.
Six saintly shrouded men move across the lawn slowly,
the seventh walks in front with a cross held high in hand.
...And it's hey babe your supper's waiting for you.
Hey my baby don't you know our love is true.
I've been so far from here,
far from your warm arms.
It's good to feel you again.
It's been a long long time. Hasn't it?
ii.The guaranteed eternal sanctuary man
I know a farmer who looks after the farm,
with water clear, he cares for all his harvest.
I know a fireman who looks after the fire.
You, can't you see he's fooled you all.
Yes, he's here again, can't you see he's fooled you all.
Share his peace,
sign the lease.
He's a supersonic scientist,
he's the guaranteed eternal sanctuary man.
Look, look into my mouth he cries.
And all the children lost down many paths,
I bet my life, you'll walk inside,
Hand in hand,
gland in gland,
with a spoonful of miracle,
He's the guaranteed eternal sanctuary.
We will rock you, rock you little snake,
we will keep you snug and warm.
iii.Ikhnaton and Itsacon and their band of Merry Men
Wearing feelings on our faces while our faces took a rest,
we walked across the fields to see the children of the West,
We saw a host of dark skinned warriors
standing still below the ground,
Waiting for battle.
Fights begun, they've been released.
Killing foe for peace... bang, bang, bang.
Bang, bang, bang...
And they've given me a wonderful potion,
'cos I cannot contain my emotion.
And even though I'm feeling good,
something tells me, I'd better activate my prayer capsule.
Today's a day to celebrate, the foe have met their fate.
The order for rejoicing and dancing has come from our warlord.
iv. How dare I be so beautiful?
Wandering in the chaos the battle has left,
we climb up the mountain of human flesh,
to a plateau of green grass, and green trees full of life.
A young figure sits still by a pool,
he's been stamped "Human Bacon" by some butchery tool.
(he is you)
Social Security took care of this lad,
we watch in reverence, as Narcissus is turned to a flower.
A flower?
【メモ】
Genesisの作品群の中でも一番有名であり一番長大であり、そして一番難解な曲、それがこの「Suppers' Ready」ではなかろうか。いわゆる黄金期のメンバーによる1972年の傑作アルバム「Foxtrot」収録の20分を越える7部構成の超大作である。
そこで歌われるのは、マザーグースのような言葉遊びもふんだんに現れる、シュールで幻想的・幻覚的な物語だ。いや物語とも言えない、迷宮へのトリップである。 ある意味とりとめもないイメージの連鎖とも言えるこの歌詞に、敢えてある程度の解釈を加えてみたいがために、前半i〜ivと後半v〜viiに分けて取り上げることにしたい。
参考資料として各パートの最初に、1972年〜1973年のツアーパンフに掲載された「Supper's Ready」各部の解説を見ておきたい。全体像をイメージする上でかなり役に立つだろうと思われるからである。
ただし大胆にも私的な結論を先に言ってしまうと、この歌詞には比喩的な意味とか全体を支えるような物語はないと思うのだ。ちょうどイメージと言葉で滑稽で不気味な世界が紡がれていく「マザー・グース」のように。
「パンフの解説」も「パートのタイトル」も、ステージで語られる物語も、さまざまなインタビューなどで語られる解釈も、おそらく全て後追いで付け足されたものだと思われる。多くの優れた暗示を含む作品に接する時、受けてはそこに“語られなかった物語”を補完しようとするように、そこに確たる答えはないのだ。
恐らく「マザー・グース」と違うのは、曲の成り立ちによるものだと思う。
Peter Gabrielは、当時の妻Jillとカリスマ・レコードのJohn Anthonyと一緒にJillの両親の家にいた時、不思議な出来事を体験する。その時ドラッグ(LSD)を実際にやっていたかどうかは問題ではない(Peterは否定している)。Jillがトランス状態になり、部屋の気温は下がり霊的なもや、エーテルが発生する。Peterは窓の外に白いコートを着た数人の人影を見る。Jillが聞いたこともないような、動物のような声で話し出す。この時彼はろうそくで十字架を作る。それは彼には普段何の意味も持たなかったものだった。そしてそれが効果があったと感じる。やがて彼女を落ち着かせ寝かせるが、残された二人はもう眠ることができない。二人はこれがJohnの昔の恋人の仕業だと思う。そこからPeterは善と悪という互いに対立する力について考え始める。
この歌詞を見ていくとPeter自身がある種のトランス体験をしているのではないかと思う。その体験を恐らくできるだけそのまま残したのがこの歌詞なのではないか。だからPeterは意図的にナンセンスな物語を書こうとしていたわけではない。
むしろそこにどんな意味があるのか、自分でもわからなかったのではないだろうか。Peter自身を含め、そこに善と悪の対立という図式やキリスト教的救済のイメージを見るのは、何とかその体験やそこから出てきた歌詞に意味を持たせようとする、後付けの試みなのではないかと思うのである。
彼はトランス状態で至高体験をしたが、それを語る上ための言葉として彼の知識の中にあったものの一つがキリスト教であったということではないかと思う。
というようなスタンスで、各パートを見ていこうと思う。
参考資料として各パートの最初に、1972年〜1973年のツアーパンフに掲載された「Supper's Ready」各部の解説を見ておきたい。全体像をイメージする上でかなり役に立つだろうと思われるからである。
ただし大胆にも私的な結論を先に言ってしまうと、この歌詞には比喩的な意味とか全体を支えるような物語はないと思うのだ。ちょうどイメージと言葉で滑稽で不気味な世界が紡がれていく「マザー・グース」のように。
「パンフの解説」も「パートのタイトル」も、ステージで語られる物語も、さまざまなインタビューなどで語られる解釈も、おそらく全て後追いで付け足されたものだと思われる。多くの優れた暗示を含む作品に接する時、受けてはそこに“語られなかった物語”を補完しようとするように、そこに確たる答えはないのだ。
恐らく「マザー・グース」と違うのは、曲の成り立ちによるものだと思う。
Peter Gabrielは、当時の妻Jillとカリスマ・レコードのJohn Anthonyと一緒にJillの両親の家にいた時、不思議な出来事を体験する。その時ドラッグ(LSD)を実際にやっていたかどうかは問題ではない(Peterは否定している)。Jillがトランス状態になり、部屋の気温は下がり霊的なもや、エーテルが発生する。Peterは窓の外に白いコートを着た数人の人影を見る。Jillが聞いたこともないような、動物のような声で話し出す。この時彼はろうそくで十字架を作る。それは彼には普段何の意味も持たなかったものだった。そしてそれが効果があったと感じる。やがて彼女を落ち着かせ寝かせるが、残された二人はもう眠ることができない。二人はこれがJohnの昔の恋人の仕業だと思う。そこからPeterは善と悪という互いに対立する力について考え始める。
(Supper's Ready Lyric Meaningを参考にした)
この歌詞を見ていくとPeter自身がある種のトランス体験をしているのではないかと思う。その体験を恐らくできるだけそのまま残したのがこの歌詞なのではないか。だからPeterは意図的にナンセンスな物語を書こうとしていたわけではない。
むしろそこにどんな意味があるのか、自分でもわからなかったのではないだろうか。Peter自身を含め、そこに善と悪の対立という図式やキリスト教的救済のイメージを見るのは、何とかその体験やそこから出てきた歌詞に意味を持たせようとする、後付けの試みなのではないかと思うのである。
彼はトランス状態で至高体験をしたが、それを語る上ための言葉として彼の知識の中にあったものの一つがキリスト教であったということではないかと思う。
というようなスタンスで、各パートを見ていこうと思う。
i Lover's Leap
「In which two loves are lost in each others eyes, and found again transformed in the bodies of another male and female.」
「ここでは二人の恋人たちは互いの目の中で迷子になり、別の男女の身体の中で再び発見されるのである。」
“Lovers Leap”(あるいは“Lover's Leap”、“Lovers' Leap”)は、ロマンティックな悲劇的伝説に登場することの多い、断崖につけられる名前とのことだそうな(Wikipedia)。 実際に世界の様々な場所に存在し、日本語で「恋人岬」などの名前がつけられたりしている。
場所の名前とともに、そうした状況に陥った恋人たちが追い詰められて飛び降りる行為もさしていると思われるので、ここにはそういうニュアンスが込められているのだろう。恋人同士である「僕」と「君」が、世界の異変を感じながらその新しい世界へ飛び込む瞬間を歌ったものと考えられる。
歌詞はまさにPeterが不思議な体験をしたその場所から始まっているように思える。居間を横切ってテレビを消すという日常的なありふれた行為。しかしテレビが消え、自動車の音が遠ざかる時、そこに静寂が現れる。それが不思議な時間を呼び寄せ、家の外では見知らぬ男達が歩き、世界が変容し始める。君の瞳を間近でのぞき込みながら「君の表情が変わった」ことに気づく「僕」。おそらく「僕」は「君」が「君」でなくなったような不安抱き、「僕らの愛は真実なんだよ。」と言葉にする。
そんな中で切々とした「君」への思いが胸を打つ。目を覚まして くれと言わんばかりの「And it's hello babe...」「Hey my baby...」という呼びかけ。この「it's」は文法構造的にどう繋がるのか悩むところであるが、歌のフレーズに切れ目から考えても、言いよどみじゃ ないかと思う。「And it's... Hello babe...」という感じ。
そして「(君のために作ってあげた)夕ご飯ができているよ(supper's ready for you)」という訴えかけが、とても心に沁みる。遥か遠い地から「君」のもとへ帰ってきたという「僕」の言葉は、失いつつある「君」を引き止めようとして、必死に「君」への愛情を伝えているのだ。
「ここでは二人の恋人たちは互いの目の中で迷子になり、別の男女の身体の中で再び発見されるのである。」
“Lovers Leap”(あるいは“Lover's Leap”、“Lovers' Leap”)は、ロマンティックな悲劇的伝説に登場することの多い、断崖につけられる名前とのことだそうな(Wikipedia)。 実際に世界の様々な場所に存在し、日本語で「恋人岬」などの名前がつけられたりしている。
場所の名前とともに、そうした状況に陥った恋人たちが追い詰められて飛び降りる行為もさしていると思われるので、ここにはそういうニュアンスが込められているのだろう。恋人同士である「僕」と「君」が、世界の異変を感じながらその新しい世界へ飛び込む瞬間を歌ったものと考えられる。
歌詞はまさにPeterが不思議な体験をしたその場所から始まっているように思える。居間を横切ってテレビを消すという日常的なありふれた行為。しかしテレビが消え、自動車の音が遠ざかる時、そこに静寂が現れる。それが不思議な時間を呼び寄せ、家の外では見知らぬ男達が歩き、世界が変容し始める。君の瞳を間近でのぞき込みながら「君の表情が変わった」ことに気づく「僕」。おそらく「僕」は「君」が「君」でなくなったような不安抱き、「僕らの愛は真実なんだよ。」と言葉にする。
そんな中で切々とした「君」への思いが胸を打つ。目を覚まして くれと言わんばかりの「And it's hello babe...」「Hey my baby...」という呼びかけ。この「it's」は文法構造的にどう繋がるのか悩むところであるが、歌のフレーズに切れ目から考えても、言いよどみじゃ ないかと思う。「And it's... Hello babe...」という感じ。
そして「(君のために作ってあげた)夕ご飯ができているよ(supper's ready for you)」という訴えかけが、とても心に沁みる。遥か遠い地から「君」のもとへ帰ってきたという「僕」の言葉は、失いつつある「君」を引き止めようとして、必死に「君」への愛情を伝えているのだ。
こうして恋人同士であった2人は、その当然だったことが崩れてしまう新しい世界に踏み込んでいく。
ということなのだが、一つ押さえておきたいのは、ここで世界の変容を感じているのは「僕」だということだ。あるいは「僕」だけだと言えるかもしれない。「君の顔色が変わった」と僕は「断言する(swear)」のだが、それも「僕」の感覚の変容なのかもしれない。芝生を横切る男達を見ているのも「僕」だ。
すべては「僕」の中の意識が変わったためで、そのことに気づいていない「僕」は、恋人や自分たちを取り巻く世界が変わったと感じているのかもしれない。つまり極めてパーソナルな体験なのかもしれないのである。
すべては「僕」の中の意識が変わったためで、そのことに気づいていない「僕」は、恋人や自分たちを取り巻く世界が変わったと感じているのかもしれない。つまり極めてパーソナルな体験なのかもしれないのである。
ii The Guaranteed Eternal sancturary Man
「The lovers come across a town dominated by two characters; one a benevolent farmer and the other the head of a highly disciplined scientific religion. The latter likes to be known as "The Guaranteed Eternal Sanctuary Man" and claims to contain a secret new ingredient capable of fighting fire. This is a falsehood, an untruth, a whopper and a taradiddle, or to put it in clearer terms; a lie.」
「恋人たちは二人の人物によって支配されている街に偶然たどり着く;一人は親切な農場主でありもう一人は厳しい規律を持つ科学的宗教の教祖である。後者は“永遠の聖域を保証された男”と呼ばれるのを好んでおり、火事の消火に役立つ新しい素材を手にしていると主張している。これは偽りであり、虚偽であり、大ボラでありでたらめであり、もっとはっきり言うなら;ウソである。」
「恋人たちは二人の人物によって支配されている街に偶然たどり着く;一人は親切な農場主でありもう一人は厳しい規律を持つ科学的宗教の教祖である。後者は“永遠の聖域を保証された男”と呼ばれるのを好んでおり、火事の消火に役立つ新しい素材を手にしていると主張している。これは偽りであり、虚偽であり、大ボラでありでたらめであり、もっとはっきり言うなら;ウソである。」
i で「遠くに行っていた」ということから、郊外=田舎=農場という連想が働いたのかもしれない。あるいは「far from here」の「far」から「farmer」が連想されたのかもしれない。いずれにしても唐突にiiは「僕は一人の農夫を知っている。」という言葉で始まる。
そしてこの「farmer」は以後二度と現れない。そこに意味はなく、先に触れたような言葉、あるいは音の連想で出て来た文章なのではないかと思う。そしてその連想は続 く。「I know a farmer who looks after the farm.」に続いて「I know a fireman who looks after the fire.」。言葉遊びである。理性は薄れ音だけに反応して言葉が出てきているかのようだ。「farmer(ファーマー)」と「fireman(ファィア マン)」。ちょっと音が違うだけでまったくのナンセンスが文章が出来上がり、そのことを楽しんでいるように思える。
そのナンセンスな文章に自分自身が反応したかのようである。(火事の世話をする消防士だって?そんなのあり得ない。ナンセンスだ。ウソに決まっている。)と。そこでその消防士は嘘つきな男となり、「超音波科学者(supersonic scientist)」であり、さらに「永遠の聖域が保証された男(the guaranteed eternal sancturay man)」と呼ばれる。「パンフの解説」ではこの「永遠の聖域が保証された男」は後に宗教の教祖だということがわかるが、実は歌詞の中ではどちらの言葉もここだけにしか出て来ない。後の歌詞での関連付けもバンドサイドの(意図的な?)後追い的解釈に思える。
恐らく自我を凌駕するような至高体験(それがドラッグの結果だとしても)では、論理的思考は難しくなり、音や光に対する感覚が鋭くなって、理性よりも感情が強くなるだろうと推測する。いきなり嘘つきが出て来るところは、抑え込まれた感情の発露のように思えるし、その人物が「supersonic(超音波)」 という特殊な音で例えられるのも、「僕」というかこの時のPeterの、音への意識が過敏になった状態を示しているような気がする。
「僕」 が「永遠の聖域を保証された男」のことを嘘つきだと分かるということは、そういうまやかしを言っている人物とは異なり、「僕」はもっと上のレベルにいるという優越感・万能感の表れかもしれない。だから「彼と平和にやるんだ/借用書にサインしてやれ」などと「僕」は言うのであろう。
さらに彼の言いなりになる子どもたちは最後で言う。「僕らはあなた、水蛇座のあなたをあやしてあげるよ、/僕らはあなたを暖かくくつろ げるようにしてあげるよ。 」と。実は敢えて誘いに乗ったフリをして、“彼”を手玉に取っているかのようだ。このバートは実際に子どもの声で歌われている。主客転倒が行なわれる。
つまり「永遠の聖域を保証された男」は嘘つきではあるが、その圧政に苦しんでいるというようなことでは全然ないのだ。と言うか、そういう関係に落ち着きそうな流れを、最後に転覆してみせたくなったのではないか。落ち着きそうなイメージを崩していく。まさしく“ナンセンス”である。
i に比べこのii では、「僕」の感覚はさらに現実から離れている。そこにはもう“恋人” の存在すら消えているかのようである。「僕」は自分自身のイメージの中で、言葉遊びとそれがもたらす新たなイメージとに戯れている。関心の先が変わっていく様が、理性から解き放たれたような高揚感を感じさせる。そこに意味や示唆や物語はない。このぐるぐるした感じやどこにも落ち着かない展開が聴き手に取っても快感なのである。
iii Ikhnaton and Itsacon and Their Band of Mery Men
「Who the lovers see clad in greys and purples, awaiting to be summoned out of the ground. At the G.E.S.M's command they put forth from the bowels of the earth, to attack all those without an up-to-date "Eternal Life Licence", which were obtainable at the head office of the G.E.S.M.'s religion.」
「(彼らは)恋人たちが灰色や紫色の服を来ている姿を見ていた者たちで、地中から呼び出されるのを待っているのだ。 “永遠の聖域を保証された男”の命令があれば、彼らは地中奥深くから出てきて、最新の“不死許可証”を持っていない者たちを攻撃するのだ。その許可証は“永遠の聖域を保証された男”の宗教の本部で手に入れることができたのだ。」
「(彼らは)恋人たちが灰色や紫色の服を来ている姿を見ていた者たちで、地中から呼び出されるのを待っているのだ。 “永遠の聖域を保証された男”の命令があれば、彼らは地中奥深くから出てきて、最新の“不死許可証”を持っていない者たちを攻撃するのだ。その許可証は“永遠の聖域を保証された男”の宗教の本部で手に入れることができたのだ。」
Iknatonとは通常はAkhenatonと呼ばれ、エジプト第18王朝の王アメンホテプ(Amenhotep)四世の異名。太陽神アトンを唯一神とする宗教改革を行い、平和な統治を行い芸術を育てたが死後すべて否定された王だという。「Itsacon」はツアー・パンフには「Its-a-con」と書かれているとのこと。「It's a con」なら「それは詐欺だ/ペテン師だ」ということになる。
「Iknaton(イクナートン)」に対して「Itsacon(イツアーコン)」。これもまた意味のない言葉遊びだ。だから2人の人物がいるということではなく遊んだだけ。あるいはIknatonを言葉遊びで言い換えただけとも取れる。タイトルでは「their Band of Merry Men」と「their(彼らの)」が使われているから主語は複数だが、言葉遊びをそのまま人物にしてしまったのではないかと思う。
このパートでは再び主語が「We」に戻る。恋人が意識の中に戻って来たのか。しかしそこで語られる世界はさらに現実離れしたものになる。
ii でのちょっとした高揚感は去り、「僕ら」は顔に疲れをにじませ「西の子どもたち」に会いに歩く。「西の子どもたち」に会う前に、地下で戦いが始まるのを待っている戦士の集団に出会い、そこで戦闘が始まってしまう。地中から戦士が躍り出てバーン、バーンという戦闘音の中で敵を殺し敵軍を撃破、歓喜の踊りを踊るよう司令官から命令が下る。
地下という無意識の未知なる領域から、表舞台へと何かが沸き上がってくる興奮。それは平和の名の下に敵を殺すという背徳的快感にまで高まる。「感情を抑制するこができなかった」「僕」は、「彼ら」から薬をもらう。安定剤だろうか。ヒロイック・ファンタジーかというような場面でのこうした現実的な描写が、いかにも現実と幻覚の境が曖昧になっている「僕」らしい。「お祈りのカプセル(prayer capsule)」というのも現実的・現代的な妄想だし、戦士ではないただの傍観者の「僕」には即効性がありそうに思える。
結局タイトルのIkhnatonとItsaconは歌詞には現れない。二人が戦士たちの長であるということに思えるが、やはり言葉の面白さからつけられた、その場だけの名前だったように思える。
ここで「僕」の高揚感は一つのピークを迎える。躁状態と言ってもいいかもしれない。
「Iknaton(イクナートン)」に対して「Itsacon(イツアーコン)」。これもまた意味のない言葉遊びだ。だから2人の人物がいるということではなく遊んだだけ。あるいはIknatonを言葉遊びで言い換えただけとも取れる。タイトルでは「their Band of Merry Men」と「their(彼らの)」が使われているから主語は複数だが、言葉遊びをそのまま人物にしてしまったのではないかと思う。
このパートでは再び主語が「We」に戻る。恋人が意識の中に戻って来たのか。しかしそこで語られる世界はさらに現実離れしたものになる。
ii でのちょっとした高揚感は去り、「僕ら」は顔に疲れをにじませ「西の子どもたち」に会いに歩く。「西の子どもたち」に会う前に、地下で戦いが始まるのを待っている戦士の集団に出会い、そこで戦闘が始まってしまう。地中から戦士が躍り出てバーン、バーンという戦闘音の中で敵を殺し敵軍を撃破、歓喜の踊りを踊るよう司令官から命令が下る。
地下という無意識の未知なる領域から、表舞台へと何かが沸き上がってくる興奮。それは平和の名の下に敵を殺すという背徳的快感にまで高まる。「感情を抑制するこができなかった」「僕」は、「彼ら」から薬をもらう。安定剤だろうか。ヒロイック・ファンタジーかというような場面でのこうした現実的な描写が、いかにも現実と幻覚の境が曖昧になっている「僕」らしい。「お祈りのカプセル(prayer capsule)」というのも現実的・現代的な妄想だし、戦士ではないただの傍観者の「僕」には即効性がありそうに思える。
結局タイトルのIkhnatonとItsaconは歌詞には現れない。二人が戦士たちの長であるということに思えるが、やはり言葉の面白さからつけられた、その場だけの名前だったように思える。
ここで「僕」の高揚感は一つのピークを迎える。躁状態と言ってもいいかもしれない。
iv How Dare I Be So Beautiful?
「In which our intrepid heros investigate the aftermath of the battle and discover a solitary figure, obsessed by his own image. They witness an unusual transmutation, and are pulled into their own reflections in the water.」
「我らが勇敢なる英雄たちは戦闘直後の様子を調査し、自分自身のイメージに心を奪われている一人の者を見つける。彼らは異様な変容をまのあたりにし、水に映った自分たちの姿に引きずり込まれる。」
このパートでは勝利の祝賀ムードは消え、「僕ら」は死体の山が築かれた戦場を彷徨っている。 そこにあるのは歓喜ではなく“混沌(chaos)”だ。そこから生気あふれる緑の森へと進んでいく。しかしそこで目にしたのは「一人の若い男(a young figure)」。彼は「人間のベーコン」という烙印を押されている。
喧騒から静寂へ。まるで躁状態から鬱状態へ転換したかのようである。「人間ベーコン」、「人間の薫製」。それは戦闘で焼けただれ半死半生の状態を意味しているのか。 「座っている」のは動けないからではないか。だから彼は傷痍軍人として「生活保護(Social Security)の対象者」となるのだろう。
そして天の声か心の声か、「彼はあなただ」という声が聞こえる。 「僕」は暗く悲しい自分の状況を悟る。
しかし彼はそんな自分を誇りに思い愛しているのだろう。「彼」は自己愛溢れたままナルキッソスのように命まで落とそうとしているのか。「僕ら」は畏敬の念を抱きながらその瞬間を待つ…。
ところが、である。最後の「花」という言葉に「僕」は脈絡もなく反応する。そしてまたさらに激しいイメージと感覚の世界に飛び込んでいくのだ。そう言えばマネージャーの口癖だったというタイトルの文言も、ナルキッソスを畏敬の念を覚えながら見守る「僕ら」に対して皮肉めいていないだろうか。やはりそこには意味も思想も物語もないのだ。「我らが勇敢なる英雄たちは戦闘直後の様子を調査し、自分自身のイメージに心を奪われている一人の者を見つける。彼らは異様な変容をまのあたりにし、水に映った自分たちの姿に引きずり込まれる。」
このパートでは勝利の祝賀ムードは消え、「僕ら」は死体の山が築かれた戦場を彷徨っている。 そこにあるのは歓喜ではなく“混沌(chaos)”だ。そこから生気あふれる緑の森へと進んでいく。しかしそこで目にしたのは「一人の若い男(a young figure)」。彼は「人間のベーコン」という烙印を押されている。
喧騒から静寂へ。まるで躁状態から鬱状態へ転換したかのようである。「人間ベーコン」、「人間の薫製」。それは戦闘で焼けただれ半死半生の状態を意味しているのか。 「座っている」のは動けないからではないか。だから彼は傷痍軍人として「生活保護(Social Security)の対象者」となるのだろう。
そして天の声か心の声か、「彼はあなただ」という声が聞こえる。 「僕」は暗く悲しい自分の状況を悟る。
しかし彼はそんな自分を誇りに思い愛しているのだろう。「彼」は自己愛溢れたままナルキッソスのように命まで落とそうとしているのか。「僕ら」は畏敬の念を抱きながらその瞬間を待つ…。
感覚と妄想の世界は続く。
以下後半へ。
いつも楽しくこのブログを見させてもらっています
返信削除実はある洋楽に興味を持ったのですが、ネットで調べても詳しいことがかいてなくとても残念に思っています。
もし、よろしければここで紹介していただけないでしょうか?
Squealing Pigs-Admiral Fallow と、言う曲です。
どうか、よろしくお願いします
コメントありがとうございます!「Squealing Pigs」聴かせていただきました。フォークっぽい素朴な歌声とポップなメロディーが良いですね。クラリネットが入って華やかになる部分も素敵ですし、女性の声が入っているのも魅力的です。
削除ただ申し訳ないのですが、一応このブログは「プログレッシヴ・ロック」の曲を対象としているのです。曲の良し悪しとか好みの問題ではなく、このブログの対象としては残念ですが外れてしまうのです。どうぞご了解下さいませ。
とても素早い行動と返答に感謝しています。
削除返答内容を確認しました。了解です。
とても残念に思いますが自分にできる範囲で調べてみます
これからも貴方のブログの常連にさせていただきます。
頑張ってください。
ちょっと怪しいところもあるんですが、訳してみました。お役に立てると嬉しいです。
削除Squealing Pigs <金切り声をあげる豚たち>
あなたのその手でちょっとお茶をいれてくれない
あなたのお父さんがしたのと同じようにね
そして川面に石を投げるのよ
波紋があなたを故郷へと連れ帰るのを見つめるのよ
煙を吐き出し肺から出て行くのを見るのよ
そんな気分でもそうでなくても、自分がしてきたことを考えてみて
あなたは親指の下にいた命や
家で一匹で飛び回っていた命のことを考えたことはないの?
何をしたかじゃなくて、誰なのかってことだから
つまりあなたのお父さんがやったからって、あなたもそうしなきゃいけないわけじゃないから
わたしはあなたを失いたくないの
ここから出て行かないで
独りぼっちになった時のあの無力感
あなたが話をする時
骨の上で皮を動かすあのやり方
考えずにはいられないの、床から言葉を拾い上げながら:
あなたは一年経ってもまだわたしのことを覚えてくれているかしら?
あなたは自分の行動について考えているの?
釣り合いだけを取ろうとした極端な行動なんじゃないの?
最低の人、敗者の息子
でもここから出て行かないで
あなたの心はちょっとした地雷原
愚かな野良犬のようにそこにはまり込まないで
「ほら、僕らは君の友達だから。」って彼らは言うわ
ここから出て行かないで
そうよ、独りぼっちになった時のあの無力感
あなたが話をする時
骨の上で皮を動かすあのやり方
考えずにはいられないの、床から言葉を拾い上げながら:
あなたは一年経ってもまだわたしのことを覚えてくれているかしら?
独りぼっちになった時のあの無力感
あなたが話をする時
骨の上で皮を動かすあのやり方
考えずにはいられないの、床から言葉を拾い上げながら:
あなたは一年経ってもまだわたしのことを覚えてくれているかしら?
そうよ、独りぼっちになった時のあの無力感
あなたが話をする時
骨の上で皮を動かすあのやり方
考えずにはいられないの、床から言葉を拾い上げながら:
あなたは一年経ってもまだわたしのことを覚えてくれているかしら?