2010年3月9日火曜日

「風に語りて」キング・クリムゾン

原題:I Talk to the Wind







生真面目な男が遅れてやって来た男に言った
今までどこにいたんだい
僕はここにもあそこにも
その間のどこにでもいたんだよ

僕は風に語りかける
僕の言葉はすべてさらわれてしまう
僕は風に語りかける
風には聞こえない
風には聞くことができないのだ

僕は外側にいて内側を覗いている
いったい何が見えるんだろう
ひどい混乱と幻滅が
僕を取り巻いている

君は僕を支配することもないし
僕に感銘を与えることもない
ただ僕の心をかき乱すだけだ
君は僕に教えることも導くこともできない
ただ僕の時間を使い果たすだけだ

僕は風に語りかける
僕の言葉はすべてさらわれてしまう
僕は風に語りかける
風には聞こえない
風には聞くことができないのだ


Said the straight man to the late man
Where have you been
I've been here and I've been there
And I've been in between.

I talk to the wind
My words are all carried away
I talk to the wind
The wind does not hear
The wind cannot hear.

I'm on the outside looking inside
What do I see
Much confusion, disillusion
All around me.

You don't possess me
Don't impress me
Just upset my mind
Can't instruct me or conduct me
Just use up my time

I talk to the wind
My words are all carried away
I talk to the wind
The wind does not hear
The wind cannot hear. 

【コメント】
名盤中の名盤「クリムゾン・キングの宮殿」より、強烈なインパクトを持つ「21st Schizoid man(21世紀のスキッツォイドマン」)に続く曲「I Talk to the Wind(風に語りて)」である。イコライジングされたボーカルと爆発的なパワーを持つアルバムトップの曲から一転、フォークソング的な穏やかな曲。動から静への見事な展開だ。
 
ピート・シンフィールド作詞のこの曲も、他の曲に比べれば単純な言葉やイメージが使われているが、やはり一筋縄ではいかない。フォークソング的なアコースティックな曲だが、イアン・マクドナルドのフルートやクラリネット、爪弾かれる幻想的なギター、繊細に叩き続けるマイケル・ジャイルズのドラム、そしてつぶやくようなグレッグ・レイクのボーカル。夢幻的なイメージとともに、非常に統制された美しさがある。
 
さてその歌詞であるが、ここには「I(僕)」と「You(君)」、そして「straight man」と「late man」が登場する。実際の歌では「Said straight man...」の第1連が最後にまた繰り返されるので、全体として視点や物語が展開していくというよりは、情景あるいは心象風景の描写というイメージが強い。
 
まず第1連。「straight man」には元来「真面目役、喜劇役者の引き立て役、ぼけ役」という意味がある。「late man」には特に決まった意味はない。しかし対照的に描かれていると考えれば、生真面目な人間と、自由奔放な人間と解することもできる。
 
「straight man」は「straight(真っすぐな)」というくらいだから、決まった道、あるいは決められた道を黙々と歩いているのだろう。それに比べ「late man」は「late(遅れてきた)」ということだから、後から姿を見せたのであろう。しかし「late man」は言う。「僕はここにもあそこにも、その間にもずっといたんだよ」と。
  
「I've been...」は現在完了形で、「継続(ずっと〜していて、今もし続けている)」状態を示す表現ととらえることも、「経験(〜に行ったことがある、〜にいたことがある)ととらえることもできる。前者なら「僕はここにもあそこにも、その間にもずっと存在しているんだよ。」という感じか。「straight man」には「late」と思えるかもしれないが、実際はそんなことはないのだと。
  
第二連で「I(僕)」が出てくるので、その瞬間にこの第一連は「僕」の視点から第三者的に見た情景描写のように映る。つまり「straight man」と「late man」とのやりとりを見ている「僕」が存在するのだ。

時間や空間にしばられていながら、それを受け入れているような「straight man」と、時空を超越した「late man」。しかしここでは両者に良い悪いという価値がつけられているようではなく、もう少し抽象的で、「straight man」が固定したイメージのある存在、「late man」がイメージが固定されない存在といった感じがする。 「僕」の視線には「straight man」に対して「late man」に憧れているとか、より上位の存在であるといった思いは感じられない。それはなぜか。

「straight man」と「late man」も正反対な生き方の象徴のようでいて、どちらも自分に自信を持っている点で共通している。「straight man」は文字通り、何かの価値観に基づいた実直な生き方をイメージさせるし、「late man」は「僕は〜にいたんだよ」と自己主張できる力を持っている。
 
しかし「僕」は「straight man」でも「late man」でもない。僕の居場所はそうした人々の中にはないのだ。第三連で「僕」は内省する。「いったい何が見えるんだろう」という問いへの答えはない。「ひどい混乱と幻滅」は、内省している「僕」を「取り巻いている」 状況なのだ。

つまり「僕」は自分自身は責めていない。あるいは自分自身を貶めていない。ただこの混乱させる状況を何とかして欲しいと思っている。
 
第四連で唐突に「you(君)」が登場する。友人か恋人か、あるいは時の為政者か、いずれにしても自分に関わりを持っている存在だ。しかし「君」も僕の心をかき乱し時間を使い果たすのみである。ここで「君」が出来ないことに目をやると「支配し」「感銘を与え」「教え」「導く」こと。つまり「混乱と幻滅」という状況から「僕」を救うこと。
 
つまり逆説的に「僕」は自分の生きる方向や在り方を決めて欲しがっているとも言える。しかしそれは満たされない。不満と不安だけが残る。ちなみに「you」は複数形も「you」なので「君たち」と訳して、「僕」意外の人々全体、あるいは社会そのものを指していると解釈することもできるかもしれない。いずれにしても「僕」にコミットしている人間(達)を、拒絶しているのである。そして混乱の中で「僕」は絶対的な孤独にいるのだ。

つまり「僕」は自分が「混乱と幻滅」に取り巻かれていると感じているが、そうした状況をもたらした原因を追求したり否定したり非難することで、新しい自分らしさを手に入れようとしているのではない。その「混乱と幻滅」の中で、何もできないまま一人弧度のく中で立ち尽くしているのである。しかしそれは穏やかで美しい曲調と相まって、自暴自棄なものというよりは、なすすべもない状態なのだ。

第1連では三人称的関係を、第3連では一人称的内省を、そして第4連では二人称的関係を述べながら、そのどこにも「僕」の居場所はない。

「混乱と幻滅」の原因はわからない。しかし「僕」は「straight man」にも「late man」にもなれない。彼らをを見ながら、どちらかに肩入れするでも無く、会話に興味をそそられるでもないかのように「風に語りかける」。僕」には「風」に語りかけることしかできないのかもしれない。あるいは語りか ける相手は「風」しかいないのだろう。

 そして「風」もまた「僕」の言葉を聞こうとはしない。つまり「僕」は絶対的な孤独の中にいるのだ。「you」は何の助けにもならない。「僕」は人とのコミュニケートからも疎外されている。「僕」はいったいどうすればいいのだ?混乱と幻滅しか見えない孤独の中で「僕」は静かに途方に暮れている。最終行に「The wind cannot hear.」とあるように、「答えられない」とわかっている風に、敢えて語りかけるしかない孤独の中で。

8 件のコメント:

  1. 風は吹くばかりで答えてくれない、
    フワフワとつかみどころのないのが風の特徴。
    そんな風自体を体現しているのがこの詞なのでしょう。
    風のように視点がくるくる切り替わる。
    誰が何と言っているのか、
    straight manが、late manが、Iが、Youが、そしてwindが、どういう関係なのか、
    問いかけても答えがない、そんな感じを与える詞。

    TAKAMOさんは、分析的なお方なのでしょう、
    straight manと、late manと、Iと、You、そしてwindとが出てきたのなら、
    別単語で示す以上は、五つきっちり別キャラだと識別して訳しています。

    色々な人がこの問題について様々に説を述べてる。
    いわく、late manは風のような自由人だとか、straight manは時代のパイオニアだとか、
    また、straight manと、late manがwindでありYouであり、Iはそれに問いかけているのだとか、
    あるいは曲の全ては、Iすなわち求め続ける旅人、straight manの視点で語られているだとか...。

    風との対話の続きでYouとくれば、普通はYouとは風を指すと思うもの。
    TAKAMOさんは、それぞれを別個とする見地から、
    YouはIの知己だとして、私的な具体的な葛藤を表わしていると解釈する所は特にユニークで、
    斬新な見方に私も感服しました。
    そう考えると、自分をとりまく「混乱と幻滅」がより切実なニュアンスになります。

    straight manとlate manも共に内なる揺れ動く自分の一部なのかもしれない。「僕」はいったいどこにいるのだ?と、TAKAMOさんも最後には混乱しておられるようですが、
    この詞はここの曖昧なところがミソなんじゃないでしょうか。

    曖昧というか、誰が誰と区分されない、
    全ては自問自答の繰り言のよう。
    後先になり、くるくる気紛れに吹く風のつぶやきのよう、
    見方によっては先行者は後続者でもあり、
    ここにもあそこにも吹いて、どちらがどちらということでもなく、
    誰彼のない同一人物にも思えてきます。

    先行の「スキゾ」の流れを受けるなら「混乱と幻滅」を見つめる一人の男の分裂した姿のリプライズのようであり、
    それゆえに自問自答しても、Nothing he's got he really needsなわけでしょう。
    Youは答えない、混乱のみということは、
    後続曲「エピタフ」の、混乱が墓碑銘となるのを見つめる男と、これまた同一人物なのか。

    考えれば考える程シンフィールドの企みに乗せられてしまう感じですね。
    いずれにせよ正解というものはないのでしょうし、
    いかようにも解釈を許すまるで風のような詞であれば、
    こうやって、わいわいと、さまざまな解釈を楽しんで、
    乗せられっぱなしというのもアリでしょう。

    返信削除
  2. 様々な解釈やご意見をありがとうございました。

    straight manやlate manが何を指しているのかという問いは、(もしかするとシンフィールドの中にはあったのかもしれませんが)あまり大きな意味はないように思います。人の生き方の両極端を示しているだけぐらいでしょうか。

    Iはそうしたやりとりをしているstraight manとlate manに対しても傍観者。でもその中にも自分の居場所が見いだせない。

    むしろ混乱の中でIが孤独と疎外感を強く感じていることの表明がこの詩のキモな気がします。

    美しい曲ですから、曲全体で感じる印象は、その孤独を受け入れて仕方なくたたずんでいるような姿でしょうか。実際詩の内容的にも、混乱の原因を究明したり糾弾しようとするような、熱情や意欲は感じられません。

    the windをyouと取るということは考えませんでした。I talk to the windの連では終始the windと呼んでいるのに、いきなりyouと呼び始めると考えるのには抵抗がありました。

    それにyouに対してIは、ちょっと恨みつらみのようなものを抱いている。ただし自分を救えないというようなことは言っていても、youが混乱と幻滅の原因というわけでもないのですが。

    でもthe windへは何かを問いただしたいとか訴えたいとかいう感じよりも、talk to という表現から、ちょっと話しかけているだけなイメージを持ちました。つまり風でもいいから話し相手になってもらおうとしているだけ。ささやかなコミュニケーションの試み。でもそれすらかなえられない。さらにIの孤独が強調される部分ですね。

    youは、これも誰であるかはわからないけれど、自分に関わってくる存在。時の為政者かもしれないし、恋人かもしれないし。youは複数形もyouだから、広く自分を取り囲む人々全体を指しているとも取れるかもしれません。「あなたたちは皆」というふうに。でもとにかく人ですね。

    つまり人とのコミュニケーションがうまくいっていない。だから風に語りかけてみるけど、風すら耳を傾けてくれないという描写が、Iの孤独をさらに強調するんじゃないでしょうか。

    Iは風は話など聴いてくれないことをすでに知っているのかもしれない。でも思わず話しかけてしまうような、そんなやり場のない孤独。そんな孤独を静かに見つめた曲という感じかなと思います。

    返信削除
  3. はじめてこのページを見ましたがちょっとびっくりしました。
    私はずっと、late man=I、the wind=youだと思って聴いていましたから。4人目や5人目が出てくるなんて考えてもみませんでした。
    でもKTさんの言うように曖昧なところがミソなのかもしれないですし、色んな解釈ができるというのが名曲の証ですよね。

    返信削除
  4. コメントありがとうございます。
    敢えて関係をきれいに“まとめない”解釈を試みました。と言いますか、きれいにはまとめられない部分に拘ってみたという感じでしょうか。
    またよろしくお願い致します。

    返信削除
  5. もはや生きていないページかとも思ったのですが、すぐ返事くるんですね。すごい!
    昨日は言葉足らずでしたが、the wind=you=「誰か好きな人」みたいな図式で、the windなんて抽象的に高尚な感じで語ってみたけど気持ちがあふれて勢いあまってyouなんて言っちゃった、みたいな風に私はとらえています。
    何か高尚で普遍的な事を歌っているようで実は単なるラブソング、はたまた単なるラブソングのようでいて実は何か高尚で普遍的な事を語っている、そんな歌が好きです。この歌もそうですよね。

    返信削除
  6. 訳&コメントにはもの凄いエネルギーがいるので、更新はたまにしかできませんが、一応生きているブログです。まぁ流行を追いかけるという類ではありませんので良いかなと(笑)
    ラブソング的な雰囲気も確かにありますよね。「僕」の孤独や混乱は、「僕」の思いにこたえてくれない「君」のせいだ、と。その場合もthe wind=youとも取れるし、そよ吹く風にふとやるせない気持ちを語ってみたとも取れるかもしれません。
    いろいろなイメージが膨らんだり解釈をしてみたくなったりするところが、この曲の魅力ですよね。

    返信削除
  7. およそ二週間後にライブで「I tolk to the wind」を歌おうと言われました。(歌って じゃなくてよかった)
    曲はYouTubeで、歌詞を検索してこちらへたどり着きました。
    歌詞、どうもありがとうございます。
    解釈が色々あって、驚きました。
    単純に、主人公Iが風にあれこれ問いかけているだけかと思ってましたので、、、

    返信削除
  8. およそ二週間後にライブで「I tolk to the wind」を歌おうと言われました。(歌って じゃなくてよかった)
    曲はYouTubeで、歌詞を検索してこちらへたどり着きました。
    歌詞、どうもありがとうございます。
    解釈が色々あって、驚きました。
    単純に、主人公Iが風にあれこれ問いかけているだけかと思ってましたので、、、

    返信削除