2009年12月3日木曜日

「ネヴァー・レット・ゴー」キャメル

 原題:Never Let Go







僕らの破滅を予言する狂った伝道師たち
十分な場所は存在しないと言う
人類全てが存在するに十分な場所などないと
膨大な時間も流れ去り枯れ果ててしまうと
みんなそんなのは嘘っぱちだってわからないのかな

人は生きる意志を持って生まれたんだ
人はもうダメだとは言わないだろう
人は切り抜けどうにか挑戦し続けるだろう
人はもうダメだとは言わないのだ
決してあきらめたりしないのだ

僕には彼らが来世(天国)について話しているのが聞こえる
僕には彼らがハルマゲドンについて演説しているのが聞こえる
彼らは最後の時は遅れつつあると言う
でも僕には今でも誰かがこう言っているのが聞こえるんだ
こんなのは間違っていると

人は生きる意志を持って生まれたんだ
人はもうダメだとは言わないだろう
人は切り抜け
どうにか挑戦し続けるだろう
人はもうダメだとは言わないのだ
決してあきらめたりしないのだ


Crazy preachers of our doom
Telling us there is no room.
Not enough for all mankind
And the seas of time are running dry.
Don't they know it's a lie...

Man is born with the will to survive,
He'll not take no for an answer.
He will get by, somehow he'll try,
He won't take no, never let go

I hear them talk about Kingdom Come,
I hear them discuss Armageddon...
They say the hour is getting late,
But I can still hear someone say,
This is not the way...

Man is born with the will to survive,
He'll not take no for an answer.
He will get by, somehow he'll try,
He won't take no, never let go

【メモ】
英国を代表するロマン派プログレッシヴ・ロックバンド、キャメル(Camel)の代表曲の一つ。デビューアルバム「Camel(キャメル・ファースト・アルバム)」(右図)収録の曲。

ただし、先にお断りしておきたいのだが、わたしはこれを「 A Live Record(ライヴ・ファンタジア)」 の、メル・コリンズのサックスが入ったヴァージョンで聴き、そのアルバムに収録されていた歌詞を元に訳したので、収録アルバムも「A Live Record(ライヴ・ファンタジア)」にさせていただいた。

非常に叙情的な美しい曲。まさにキャメルらしい、親しみの持てるメロディーと甘いボーカル、ギターとキーボードの絶妙な絡み、タイトなリズム。

ビーター・バーデンスは、後任のキーボード奏者に比べればテクニック的には劣るけれど、曲のイメージを広げる音色の使い方や、ユニゾンやハーモニーによるギターとの絡みが絶妙で、ギターのアンディ・ラティマーと双頭バンドになれるだけの、不思議な魅力と存在感を持っていた。

この「ネヴァー・レット・ゴー」は、そうした互いの良さをインストゥルメンタル・パートでぶつけながら、歌われている歌詞を見ると、ロマンティックというよりは、力強い意志が込められたパワフルな内容なのであった。

「preacher」は「伝道師」だが、キリスト教プロテスタント教会の牧師を指す場合もある。冒頭からキリスト教のイメージが感じられる。膨大に思われる時間もやがて終わりがやって来て、人類は存在する場所を持てる者だけが生き残る。つまり「最後の審判」で、人々は選別にかけられるわけだ。

しかし話者である「僕」は、そういうことを説いている伝道師を「crazy(狂っている)」とし、「Don't they know it's a lie...(みんなはそんなの嘘っぱちだってわからないのかな)」と批判する立場を取っている。

なぜかと言えば「Man is born with the will to survive(人は生きる意志とともに生まれてきた)」からなのだ。

あぁ、なんてカッコイイ言葉であろう。こう言い切れてしまうところに若さも感じられるが、その素直さ、ストレートさにしびれてしまう。「人はNo(もうダメだ)とは言わないのだ」。 そして何とかして生きよう、生き続けようと、挑戦していくのだ。「(He will )never let go(人は決してあきらめたりしないのだ)」。力強く前向きな言葉が続く。

なお「let go」は「(人が)自制心を失う、手放す、見逃す」といった意味を持つ表現。ここでは体制の流れの中で自分の思いを手放すという意味として取った。そこでちょっと意訳気味だが「never let go」を「決してあきらめない」と訳した。

「Kingdom Come」は「来世、天国」、あるいは「この世の終わり、死」という意味で使われる。

「新約聖書ヨハネ黙示録」に寄れば、「Armageddon(ハルマゲドン、アルマゲドン)」という場所で善と悪の最終決戦が行われる(Armageddonその最終戦争自体を指すこともある)。その結果、神とイエスが降臨し、キリスト教の教えに忠実に生きてきた善人だけを救い出す。これが「最後の審判」だ。そこから「千年王国」が始まるのである(「千年王国」の後にサタンとの最終戦争を経て「最後の審判」が下されるという説もある)。

いずれにしても批判されているのは、「キリスト教」的考え方や「キリスト教」に縛られた生き方である。そして反発しているのは「僕」だけではない。「This is not the way...」は「the」が「唯一絶対の」というような意味を持つ限定的な言葉と取り、「これ(伝道師の説く未来)が唯一絶対なものじゃない」ということから、「決定済みなんかじゃない」→「間違っている」と意訳してある。

このようにこの曲は、内容的にはキリスト教的終末思想批判であるが、批判や非難をぶつける歌ではない。ここがとても大事なところだ。そうではなく、そうした考えに惑わされること無く、人は生きる希望を持って苦難に立ち向かい、「決してあきらめない」という、未来への希望とそれに向う強い意志を歌った歌なのだ。

だからと言って他の人々をアジテートするわけでもない。押し付けようとしているわけではない。「僕」の強い気持ちとして歌われているのである。

あるいはこうも言えるかもしれない。
「僕」はキリスト教自体は否定していない。否定しているのはその予言される終末的未来だ。「僕」は人類の力を信じ、終末がやってくることを避けることができるはずだと思っているのだ、と。このあたりのキリスト教に対する感覚は、日本人には分かりづらいところだけれど。

キャメルらしい素直で前向きな、聴く者に勇気を与えてくれる歌である。曲の良さだけでなく、歌詞の良さからも、キャメルの代表曲にふさわしい名曲だ。

2 件のコメント:

  1. 歌の内容は心に響いてくれるいい曲で
    まさに代表曲です。

    リクエストに応えてくれてありがとうございます。

    これからも頑張って下さい!!

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  2. リクエストしていただいたおかげで
    わたしも
    「Never Let Go」の歌詞を
    あらためて知ることが出来ました。

    ありがとうございました!

    TAKAMO

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