2016年10月30日日曜日

「旅路」リック・ウェイクマン

原題:Journey

■「Journey To The Centre Of The Earth」収録





馬に乗り、汽車に乗り、陸を越え、海を越え、ぼくらの旅が始まる。

過去のある人物の旅に突き動かされた二人、
かの山が誇らしげにそびえ立つアイスランドの地で、
二人は案内人を引き連れて出発し
山腹に到着する。
  
一行は安全のために互いをロープで結び合って
火山岩でできた火口の長い縦穴を下りていった。
望遠鏡のような筒状の隠れ家の底から仰ぎ見ると、
みんなの目に映る一つの星。
ぼくらは祈りの言葉を唱え続ける。
   
不透明な石英の結晶は、透明なガラス玉に飾られ、
魔法の国のシャンデリアのように、気泡の入った地下通路を照らしている。

By horse, by rail, by land, by sea, our journey starts

Two men incensed by one man's journey from the past
In Iceland, where the mountain stood with pride
They set off with their guide
To reach the mountain side

Roped as one for safety through the long descent

Into the crater of volcanic rock they went
Look up from our telescopic lair,
One star for us to share,
We continue on our prayer.

Crystals of opaque quartz, studded limpid tears,

Forming magic chandeliers, lighting blistered galleries.

  
【メモ】
Rick Wakemanが1974年に発表したソロ作第二弾。第一弾の「 Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世の6人の妻)」が完全なインスト作だったの比べ、本作ではツインボーカルを含むバックバンドを従え、さらにナレーション、ロンドン・シンフォニー・オーケストラ、イングリッシュ・チェンバー・クワイアーも加わった一大サウンド絵巻。
   
「旅路」は本作最初のボーカル曲、と言うより、四幕物(旅路/追憶/戦い/樹海)の劇の、第一幕導入部で流れる挿入歌、という感じだ。
   
ジュール・ベルヌのSF大作「Voyage au Centre de la Terre」を題材にしている。これは英語だと「Journey to the Centre of the Earth」となり「地球の中心への旅」という意味だが、邦訳書では「地底旅行」あるいは「地底探検」と訳されている。発表されたのは1864年、日本の江戸時代末期にあたるのだ!
   
第一連は、叔父であるヨハネウム学院の鉱物学教授オットー・リーデンブロックの強引な誘いを受け、ぼく(アクセル)が地底探検の旅に向かう様子が描かれる。この叔父とぼくが「二人」であり、手がかりを残して死んだアルネ・サクヌッセンムという〝16世紀の著名な錬金術師〟(架空の人物)が「過去のある人物」である。
   
叔父とぼくの二人は、ロンドンを出発し、「馬に乗り、汽車に乗り、陸を越え、海を越え」、「かの山」アイスランドの休火山スネッフェルスを目指す。「案内人」は現地アイスランドで雇った人物で、名前はハンス。地底への旅は、この三人で行われることになる。
    
第二連はいよいよ縦穴を、地底深くへと降り始める場面だ。原作ではここまで来るのに全体の三分の一ほどもかかる! 直径約30mという火口から、ロープを使って60mずつ降りてゆき、10時間半かけて約840m下の穴の底にようやく到達する。穴の底から見上げると、それはまるで大きな望遠鏡を覗いているようで、その長い管の先に夜空が見え、そこには、こぐま座のベータと思われる明るい星が浮かんでいた、と書かれている。

第三連は「Crystals of opaque quartz(不透明な石英の結晶)」の説明。形容詞的な過去分詞と現在分詞で修飾されている。噴火口の底にたどり着いた一行は、さらに地下道に入ってゆく。そこにこの石英の結晶が現れる。「chandeliers(シャンデリア)」とあるように結晶は通路の天井部分にあり、足元の方は鍾乳石や溶岩でできている。「blistered」(気泡の入った)は、ブツブツと穴の空いた溶岩の様子を示しているのだろう。
   
こうしてゆったりした甘いメロディーに導かれながら、短いながも実に的確に、わたしたちは地下世界へと誘われてゆくのだ。ただし、読んだことのある人を前提としているとも言える。「ほら、あの有名な物語がこれから始まるよ」とばかりに、一気に話の中へと突入してゆく感じである。それにしてもRick Wakemanの弾くムーグ・ソロの美しいこと!
    
ちなみに、この歌詞は各詩行の末尾が韻を踏んでいる(尾韻)。形式で言えば、第一連はa、a、b、b、b(startsとpastは末尾の子音は異なるが母音が同一の「母韻」)、第二連もa、a、b、b、b、そして第三連の二行も同じ子音で終わっているa、a。
   
David Hemmingsによるナレーションが本作に格調の高さを与えているが、こうした歌詞の押韻にも、そうした部分へのこだわりが見て取れると言えるかもしれない。